4章(3)・星屑集め
ゴゴゴッ……。
どこからともなく、地響きのような低くて大きな振動音が聞こえてくる。
「待って」
彼女の呼びかけに、座りかけた僕の体が硬直する――。
「空気の流れが変わってきた……」
小さな声でそのカッコいい台詞を吐き出しながら、カノンは突然あさっての方向――……斜め上へと顔を向けた。
ゴゴゴゴッ……。
振動音は次第に強くなっていく。
「えっ!?……なんだよこれ」
僕は怯えて自分の周囲の状況を確認してみる。
しかし、それでも周りに何の変化も見当たらない。
慌ててカノンの視線の先をなぞってみるが、やっぱり何も無いのは同じだった。
上空にはさっきまでと同じ景色が広がっている――。
ゴゴッ……、ガガガガッ……。
そしてふいに、振動音が一気に強さを増した。
ボワッ。
それに呼応したかのように、突然、祭壇の方にも変化が現れる。
かすかな発光音――。
その後すぐに、祭壇の上の模様に緑の光が灯っていく。
端から順に――、流れるように。
そうして、隅から隅まで怪しい光が行き渡ると、奇妙な形の魔方陣が浮かび上がった。
「やっぱり、今は動かないでね」
カノンは優しく僕に注意を与える。
君は悪魔か。空気椅子のポーズのまま固まっていた僕は、心の中でツッコミを入れる。
が、僕自身もまたスグにそんなことは忘れてしまった。
魔方陣の妖しい光――――。
その祭壇の不思議な光で、カノンが下から照らし出される。
彼女の服が、ヒラヒラと激しく風に揺れている。
僕は、そんな幻想的な彼女の姿に一瞬で心を持っていかれた。
嵐のような光の中で、風にはためく小さな体の女の子――……。
「分かってるよ」
僕は強がって、口元でちょっと笑ってみせた。
ガガガガッ……、ギギッ……。
そして遂に、この状況にも臨界点が訪れた。
大きな振動音もやっと限界を迎えたようで、ようやく目の前に音の主が姿を現す。
何もなかったはずの頭上に、突如大きな遺跡が出現していた――。
ジジ、ジジジ……。
「何だこれ……」
上空に現れた大きな遺跡は、驚いたことに上下逆さまの状態だった。
まるで鏡に、地上の建築物が映し出されているかのように。空中でその奇妙なバランスを保ったまま、僕らの頭の上に浮かんでいた。
大きな石で組み上げられた、立派な建造物。
僕は、その石たちが降ってこないか心配だった。
そして、さらに不思議だったのがこの遺跡の存在感――。
そこに確実に存在しているハズなのに、何故だか空や太陽――別の景色と重なって見える。まるで、3Dの映像みたいに――。
ぼんやりと、でも確かにそこに、空と遺跡の2つの世界が存在していた。
「これが、星と星とが繋がるってこと。別々の世界が重なる瞬間――」
カノンがひと言だけ説明を添えた。
それで僕は昨日の彼女の話を理解する。
そうだ――、これが星や世界が重なる瞬間。世界が繋がるというコトなのだ。
いつも近くにあるけれど、互いに見ることが出来ない世界。
すぐ隣にあるハズなのに、互いに触れ合うことができない別々の場所。
それが、たまたま巡り合うことで、唐突にそこで繋がりが生まれる――。
「あっちには誰かが住んでるの?」
僕はカノンの隣へゆっくりと近づく。
「ううん……、分かんないよ」
彼女は困ったように答える。
「でも、あの遺跡は私たちが作った物ではないの。だからきっと……、そういうこと」
遺跡を見つめたまま、静かに語った。
強く吹き荒れる風の中で、僕はカノンの横顔を見つめている。
彼女は今何を考えているんだろう……。
遺跡をしっかり捉えるその表情からは、カノンの心が上手に読み取れない。
カノンの髪が、風で激しくはためいている――。
ゴーン、ゴーン。
やがてそこへ、新たに別の音が重なって来た。
大きな鐘の音みたいな響き――。
ゴーン……、ゴーン……、ゴーン……。
ここから、さらにもう1つの世界が重なって行くらしい。
ギャァァァァ。
突然、僕たちの前に大きな魚が現れて、大きな声で僕たち2人のことを威嚇する。
「うわっ!?」
そいつは、ちょうちんアンコウのような見た目の生き物で、魚自身も僕たちの存在に驚いているみたいだった。
口には大きなギザギザの牙が並んでいる。
きっとあれなら、僕らを簡単に切り刻めてしまうに違いない。
僕は、驚いてバランスを崩しそうになった。
「こっちに来て」
カノンは僕の二の腕を掴み、腕を組むような形で僕の体を近くに引き寄せた。
祭壇の中央の中央――。中心の場所まで引っ張り込まれて、2人でピタリと並び立つ。
「ここなら大丈夫。ここだけはちゃんと安全に作られてるから」
カノンは僕の顔を見上げながら、チラリと目を合わせて笑った。
いつもの2人とは違う角度……。カノンの顔が直ぐ真下にあった。
ギャァァ、ギャァァァァ。
魚は相変わらず、おびえた様子で威嚇行動を続けている。
カノンが絡めた腕の辺りから、彼女の小さな温もりを感じる。
そしてそのうち大きな魚の姿は消え去って、2つ目の世界が姿を現したのだった。
ゴポポポ……。
そこは海の中か……、もしくは湖の中なのか……。
目の前の世界は突然、水色のフィルターが掛けられたように、一気にその色彩を変化させた。
祭壇と上空の遺跡が、すっぽりと水の中に引っ張り込まれてしまう。
僕らは今、とても大きな水滴の中、水で出来た球体の中に居るらしかった。
「ねぇ……、私たちまじない師はさ、星を使っておまじないの力を集めてるって言ったでしょ?覚えてる?」
「うん……、言ってたね」
「その力を1番集めやすいのが、こういう特別な星と星との交わりなの。普段は絶対に巡り合う事の無い、遠く離れた星たちのね」
「うん……」
「まじない師は、星々が導き合うこの力を使って、色々なおまじないを行う。本当はすぐそばにあるハズの星や世界――、それが繋がる力を利用するんだ」
「うん」
少しだけ、息が苦しい――。
きっと、水の中の世界が重なっている影響なんだろう……。
言ってしまえば、今の僕らは3分の1だけ、水の中に存在していることになる。
そこに、上下左右――様々な角度から、3つの世界の太陽の光が降り注ぐ。
光は色々な方向で反射し、重なり合って、幻想的な色彩の変化を生み出していた。輝きに満ちた色たちが、ゆらゆらとした水の流れを描き出していく――。
カノンは絡めた腕を離して、自分の胸元を探り始めた。
「少し我慢してね」
そう言って、服の下から小さなペンダントを取り出す。
それは、黒っぽい丸々とした石の塊みたいに見えた。
祭壇と同じように、すでに、透明で神秘的な色の光を纏っている。
さらに、回りの光も吸収している様子で、ふいに世界の色たちが、群れを成してカノンの元へと集まり始めた。
カノンは穏やかな表情でその変化を見つめている。
僕もその不思議な光景と彼女の様子に釘付けになる。
やがて僕らは、大量の光の中へとつつみ込まれた。
白くまぶしい光の中に――――。
…………。
この世界――――……。
この美しいどこかの場所――――。
僕は改めて、自分がすごく遠い場所に居るんだという事を実感した。
酷使しすぎた足が痛い――。
きっと豆も何個か潰れている。
海の中の匂い――。
潮風のような、どこか落ち着く匂いがする。
水の潮流の音。
そして――、隣に居るカノンの小さな息遣いを感じている――。
心のどこかで、まだ少し夢なんじゃないかと考えていた。
明日起きたら全てが夢で、またいつものように詰らない日常が始まって……。そんなことを考えていた。
だが今、自分のその淡い期待はここで完全に打ち砕かれた。僕はいい加減に、この現実を受け入れないといけないらしい……。
そういう時だ――――。
僕はこれからどうすればいいんだろう……?
何故僕だけがこんな目に……?
考え出すときりがない。
僕の未来はこれから一体どこへ向かって行くのだろうか……。
不安な気持ちが、僕の体を重い何かでぐるぐる巻きに縛り上げていく。瞳の中に涙のかけらが集まっていく。
でも――、同時に1つの光も感じる。
星々のリンク――……、見えない星と星とが重なる瞬間――。
もしも、僕がそれによってこの世界に来てしまったと言うのなら……。
もしも、地球とこの世界が再び重なることがあるのなら……。
僕は元の世界に帰ることができるかもしれない――。
…………。
そうだ!探さないと……!
カノンが言ったみたいに、司祭に詳しい話を聞いて……、色々な本を読んで……、考えて。
もしかしたら、過去に同じような人たちだって居たかもしれない。僕はそれを探さなければいけない。
そうだ、探そう!
僕はこれから帰る方法を見つけるんだ。自分の力で。
「大丈夫、きっとできるよ」
その時、小さな声が隣で聞こえた。
その声は誰に向けられたモノかは分からない。か細い、今にも消えてしまいそうな声――。
それでも、僕はその言葉に心の底から勇気を貰った。
涙が出そうなほど元気が出た。
カノン――……。
彼女のおかげで、なんだか強い気持ちが湧き上がってきた。
「そうだね。なんとかなるよ!」
今度は僕がカノンの目を見て言った。
いつの間にか、光は弱くなっている。
カノンと互いの視線がぶつかり合う。
儚げでどこか寂しそうな瞳――。
「そうだね」
カノンは小さく笑いかけた。
――――やがて光は去っていく。
ゴゴゴゴッ……。
再び頭上の遺跡も動き出す。
止まっていた時間は元通りに――、うなり声を上げながら、それぞれの場所へと帰っていく――。
祭壇の光は消え、そこはもう穏やかな元の景色へと戻っていた。
「行こう、カノン。次の場所へ!」
カノンの胸元のペンダントが、キラリと残った光を反射した。




