4章(1)・大祭壇1
祭壇付近にようやく辿りついたのは、太陽が高く登った頃――昼になる少し前のことだった。
僕らは朝から道とは言えないような細い道、凸凹道をひたすら進んで越えてきた。これが道だと言うのなら、おそらく普段は滅多に人が通らない所なんだろう……。
僕は慣れない山道や起伏のせいで、かなり酷くやられている。
カノンの目的地じゃなければ、すぐに引き返したいくらいの道のりだ。
ヒリヒリとつま先が痛む――。
ひざや腰にも疲れはあるが、足の先の痛みがとても強烈だった。
普段からもっと動いておけばよかった……。そんなありがちな後悔を感じながら、ボロボロになった自分の靴を見つめている。
黒い革の学生靴――。
もしスリッパや上履きだったら、もっと酷い目にあっていたに違いない。
図書室が別館になっていたおかげで、僕はどうやら命拾いしたようだった。
「ここがその大祭壇?」
僕はつたを引っ張りながら、這うようにして巨大な石段を登る。
段差の大きい階段みたいになっていて、よじ登って行くので精一杯だ。
「ほらっ、見て!」
石段の頂上で、カノンが声を弾ませる。
この先では、カノンとヤップルがすでに到着して、僕の事を待っていた。
ハァ、ハァ……。
僕は最後の石段に手を掛け、力を振り絞ってよじ登る。
ハァ、ハァ……。
「やっと着いた……」
僕はどうにか登りきった石段の上から、その先を見ようと顔を上げた。
と、その時、僕のボロボロの靴がつるりと地面を蹴り上げる。
「うわっ!?とっ……とっ……っと」
ズル。
革靴の底は、湿った石の上ではよく滑る。
僕はしばらく粘ったものの、最終的にはバランスを崩して、そのまま前方に向けてダイブした。
「きゃぁっ!」
幸か不幸か、カノンのお尻が僕の頭をキャッチする。
ぷるんっ。
そして、僕とお尻は空中でぐるぐる絡まりながら、少し向こうの段差の下へと落ちたのだった。
ザバンッ――。
「フゴゴゴゴ…………ゲホゲホッ」
どうやら、落ちた先は水の中。
僕は突然のことに驚きながら、水中で必死に足元の様子を探った。
スカッ……。スカッ……。スカッ……。左右の足が水中で空回りする。
水分を含んだ学ランが重い。
「ゴホッ……、ゴボボッ……」
もうダメかもと思った瞬間、足が地面のような何かを捉えた。
おそらく、水深は2m程度だったのだろう――。今度は靴が滑らないように、ゆっくりと地面を蹴って自分の体を押し上げた。
――バシャァ。
「はぁはぁ……、死ぬっ……」
僕はようやく水面に顔を出す――。
ハァ、ハァ……。
そして、激しく呼吸をする僕に、すかさず次の試練が襲い掛かった。
「ちょっとー……」
正面にいたのは、もちろんお尻の主のカノンさんだ。
じーっと僕の顔を見つめながら、突然酷い事故に巻き込まれたという怒りの感情を露わにしていた。
「ごめんなさい……」
僕は申し訳なくて、しょんぼりしながら謝った。
「死ぬかと思ったのは私だよー」
「…………」
「…………」
『フフ……フフフ……・』
僕とカノンは、思わず2人同時に吹き出してしまう。
あまりの間抜けな出来事に、堪えきれず二人で笑った。
「ごめん……この靴滑るんだ」
「もう!君のおかげでびしょ濡れだよ」
カノンは小さなため息をついて、呆れたみたいに笑っていた。
…………。
そしてそこで、ようやく僕は冷静さを取り戻す――。
やっと周りの景色の変化に気が付いたのだった。
僕らが今溺れていたのは、とても大きな湖の中――、その中央にはひっそりと大きな祭壇が浮かんでいる。湖の四方はたぶん森で、深い緑に囲まれているらしかった。
湖の半径は100メートルほど――。どうやら湖全体が、神殿か遺跡の一部みたいで、神殿丸ごと水没してしまったみたいに見えた。この中は、澄んだ透明な水で満たされている。
湖の中を良く見てみると、辺り一面、白やグレーの石の床で、倒れた柱の残骸たちがそこらじゅうに散開していた。
昔は、きっと立派で大きな神殿だったんだろう――。
とても神聖な感じ。途方もない時間の流れを感じることが出来る、神秘的な風景だった。
僕はしばらく言葉を失ってしまう――。
「…………」
「すごいでしょ?」
お尻の主が自慢げに僕に話しかけてくる。
「すごいね。カノンは初めてじゃないの?」
「2回目かな。ずっと昔にね、他のまじない師たちに連れてきてもらった事があるの。郷から来て、みんなでさ」
カノンが嬉しそうに思い出を語った。
そんな事を聞いていたら、僕までなんだか懐かしい気持ちになってしまった。
ザパンッ――。
それからカノンは水辺に上がり、濡れたマントを脱ぎにかかる。
「ふぅ……、酷い目にあったね。カノン」
僕も重くなった学ランとシャツを脱ぎ捨てて、上半身だけ裸になった。
「フフ……君、君、それはこっちのセリフじゃないかな?」
カノンは冗談っぽく僕をなじりながら、脱ぎかけのマントの水を丁寧に払う。
ポタポタポタ――。しずくが勢いよく流れ落ちていく。
「はい……、おっしゃる通りでございます、カノンさん」
申し訳なさそうに答える僕に、『うむ』と偉そうな返事が返ってきた。
半裸――。季節は春くらいのはずだったのに、不思議と体は寒くない。
もしかしたら、まじない師たちの力――祭壇の力みたいなモノが作用しているのかもしれなかった。
「はぁ……、これを脱ぐのも一苦労だぁ」
そこで、ようやくマントの手入れが終わり、カノンがマントを脱ぎ捨てた。
バサッ――。
マントがゆっくりと石の地面の上に落ちる。
そして、中から露出の多いカノンさんが現われた。
布で出来たひとつながりの着衣――。
白っぽいベージュのワンピースみたいなヒラヒラの影に、ピンクのインナーが少し顔を覗かせている。
ワンピースの両サイドには大きなスリット――。そのせいで、太もも辺りが大きく露出してしまっていた。
うーん……。
もしかしたら、下に何も履いていないのかもしれない。その時、僕はそう直感する。
水に濡れていたせいで、体のラインもくっきりと浮き出てしまっている。
スカートのスリット周りも同様で、ピタリとお尻とウエスト周りの形を描き出していた。
そのため、小さなお尻の形や位置が、横からはっきりと見えてしまっているのであった。
…………。
そして、僕は何となく目を背ける――。
「じゃあ、ちょっとだけ席を外すよ」
そういって、その場を離れようとする。
「えっ?どこか行くの?」
カノンが不思議そうな顔で反応した。
「あっちでパンツの水を絞ってくるから」
僕は半裸のまま、颯爽とその場を離れて行った。
そうだ、僕は紳士なのだ――。
僕が居たら、きっとカノンは着替えにくいし衣服の水も絞り辛い。
僕はちょっとだけ気を利かせて、いちど席を外すことにしたのだった。
そうだ、僕は女子の気持ちが分かる、気の利く大人の紳士なのだ――。
「あっ……ちょっと待って」
慌ててカノンがそれを呼び止める。
「ん、何?」
「この先泳いで行くから、どうせまた濡れちゃうと思うけど……」
僕は得意げな表情のまま、そそくさとカノンの所へ引き返した。
「早く言ってよ」