3章・森の中
「今日はこの辺りで休みましょ」
夕日が沈みかける頃になって、やっとカノンがキャンプ地を決めた。
大きな木々が覆い茂った、うっそうとした森の中。
準備を始めるにはかなり遅いように思えた。
途中、本当に大丈夫かと心配になったが、僕は大人しくカノンの判断に従った。
森の中は不思議とまだ明るいまま――。もしかしたら、この世界ではいつもこんな感じなのかもしれない。
「あー、疲れた」
僕はゴロリと、近くの大きな木の根元にもたれかかる。人間が5人ほど手を繋いでも、囲い切れそうもない位の大木だ。
根元もさすがに筋肉隆々といった感じで、ソファにちょうどいい形の根っこも見つけた。
「じゃあ、先にちょっとだけ休憩かな」
そう言いながら、カノンはそそくさと何かの準備を始めている。
「そうだね。色々あって今日はもうクタクタだよ」
「フフ……じゃあ、そのまま荷物を見張っててくれる?私は水を汲んでくるから」
「何から見張るの?」
「うーん、分かんないけど。何か居るかもしれないでしょ?」
とぼけた感じで、いたずらっぽく答える。
「えっ……、何か出るの?」
僕は本気で怯えている。
「フフフ……冗談だよ」
僕の不安をよそに、カノンは軽く笑いながら、さっさと森の中に消えてしまった。
森の中の様子も、やはり急に暗くなる感じはない。十分に周りが見渡せる明るさのまま。
空では、この星の太陽がオレンジ色の夕暮れ時を演出しながら、まだまだ仕事を終えまいとがんばっているらしい。
…………。
「いや、よく見るといっぱいあるな……。太陽……」
僕は木と木の間から、地味に輝く別の太陽――、恒星らしき小さな太陽たちを見つけた。
ぼんやりと薄く輝く太陽は2つ――。もしかしたら、昼間の太陽なんて、もうとっくに沈んでいるのかもしれない。やつらは子供の太陽、そんな感じだ。
昼間のヤツよりも少し地味ではあったが、あの輝きは確かに小さい太陽なんだと感じられる。
その残った2つの太陽たちが、精一杯にこの世界を照らしているらしかった。
「そりゃ、明るいか……」
誰に言うわけでもなく、僕はボソリと呟いた。
ヤップルが声に反応したのか、ちょっと離れた場所から不思議そうにこちらを見ている。
ダチョウを一回り大きくしたような、マヌケ面の鳥だ。
鳩がするみたいに、首をカクカク動かしながら目をキョロキョロとさせている。体はでかいがやっぱり鳥だ。
「フフ……」
僕は面白くなって、ちょっと笑った。
クワァ。
ヤップルが首を横に捻ったまま、力の無い声を出す。
きっとヤップルも、さすがに疲れているのだろう……。
そりゃあ、そうだ。平地や林の中では、僕とカノンはこの鳥の背中にお世話になった。2人並んで、ヤップルの背中に乗っていたのだ。
ヤップルなら大人2人くらいは余裕だと、カノンが自信満々だったのを思い出す。
どうみても、大きな荷物3つが無視されていると感じるが、飼い主が言うなら本当なのかもしれない。
念のため、カノンはちょこちょこと休憩を挟んで、3人で歩いたりもした。
でもやっぱり、僕にはこの鳥の気持ちは分からない。ヤップルにとってみれば、荷物が1つ増えただけのことで、きっといい迷惑だったに違いない。
「ごめんなー……、ポックル」
僕は寝転んだまま、雑な気持ちで話しかける。
クワァァ。
今度はちょっと大きな声で鳴き返す。
僕が、わざと名前を間違えたことに気付いているのか……。どうやらこの鳴き声は、ヤップルなりの抗議みたいだ。
「クワッ」
「お前、賢いんだな」
「クワッ」
「あぁそうなんだ……。すごいな、お前は」
「クゥクゥ」
話が通じているのかよく分からないが、疲れていたので意味のない会話がしたかった。
思ったよりも愛嬌があって、話の分かる鳥だった。
「フフ……」
もしかしたらヤップルも同じで、意味のない会話がしたかったのかもしれない……。
そういえば山道に入ってから、この鳥はずっと窮屈そうな様子だった。
平地と林を抜けた後で、今度は森の中を進んで行ったが、次第に道が険しくなった。それで、僕とカノンは鳥から降りて、皆でゆっくり山道を登ったのだ。
「山は苦手なんだな……。コイツどこに住んでたんだろう?」
僕はまた、意味のない言葉を口にする。
「…………」
もう飽きてしまったのか、ヤップルは別の方を見つめたまま。僕の声には、もう興味を無くしてしまったらしかった。
ザッ。
その時、ふいに物音がする。
「お待たせー、ヤップル」
鳥が見つめた先から、水を持ったカノンがぴょんと飛び出してくる。
ぴょこぴょこと木の根元を縫うように、器用にこちらに進んで戻ってきた。
僕は一瞬何が出たかと驚いたが、それが小さな女の子で助かった。
「クワァ」
カノンは鳥の目の前に、金属で出来た小さなコップを置いてやる。くすんだ銀色のコップ。
中には水がたっぷりと満たされている。
コツッ、カツッ、カツッ。
くちばしが容器に当たって音を立てる。
「クゥクゥ」
ヤップルはうれしそうに容器の水をつつき始めた。
「はい、どーぞ」
「ありがとう」
僕はカノンから本日の夕飯を受け取ると、さっそくご飯にありついた。
ハムッ、ハムッ。
それは、お昼と一緒の――笹のような葉っぱで包んだ、お握りみたいな何かだった。
「あー、美味いっ」
玄米なのか粟なのか……。よく分からない穀物に、よく分からない味付けの、よく分からない生姜みたいな物体が混ぜ込んである。この得体の知れない、よく分からない何か――。
その何かを、僕は全力でほおばった。
例えコンビニに売っていても、おそらく買うことなんてなかっただろう。でも、味としては悪くない。
それに食事があるってだけでもあり難かった。
なんせ今、僕は知らない星で遭難しているのだ――――。
そしてさらに付け加えるなら、腹が減っていればもう何でも美味い。もうね……、はっきりいって泣けるほど美味い。
僕は前の世界でこんな事を考えたことすらなかった。
「ちょっと、鼻水出てるよ」
カノンが笑いながら教えてくれる。
「ふえっ?ごめん……」
僕は美味しさの余り、半泣きになっていたことに気が付く。急いで鼻水をすすった。
こうして僕らは、ささやかな夕飯を終える――。
やっぱり量は物足りないが、これは元々カノンが食べるための物だったのだ。
彼女は食事の量について話をしなかったが、僕もその話をすることは無かった。さすがに過剰な要求なんて出来そうもない。
ズズズ。
「この水もう大丈夫だよ」
僕は、ようやく冷めてきた水をすする。
さっき焚き火で沸騰させておいた水だ。
川の水をそのまま飲むは危険らしく、カノンがいちど煮沸消毒させていた。
ズズ。
「うん、ちょうどだね」
まだ少し熱いくらいでちょうどいい。
カノンも一緒にコップの水をすすりながら、ゆらゆら燃える焚き火のことを眺めていた。
結局森の中も、思ったほどに暗くはならず、ぼんやりとした温かい雰囲気に包まれたまま――。
空の放つオレンジ色と、揺れる炎の燃える光で、森の中が不思議な温もりに満ち溢れていた。
きっと何千年も生きてきたハズの大木たち――、そこに生息するコケや虫たちの、静かな命の息づかいを感じている。
疲れ果てていた僕は、森から生命力を吸い取るように、ぐったりと根元にもたれかかっていた。
「ここっていつもこんな感じなの?」
「森の中?」
「いや、こっちの世界は、夜もずっとこんななのかなって。明るいでしょ?」
「君のトコロは違うんだ?」
「そうだね……。夜はもっと暗くなるよ。毎日少しづつは違うけど」
「へぇ、それはこっちも同じかな。太陽たちの組み合わせによっては、夜ももっと明るくなるし、たまにはもちろん暗くなったりするよ。今日はずっと明るい方かな」
「フフ……、そうなんだ」
僕は何だか不思議な気持ちでカノンの話を聞いていた。
カノンもキラキラした瞳で、僕の世界の話を聞く――。
僕らは昼間も夜も、とにかくこんな調子で話を続けている。
ずっと、2つの世界の事について話した。
気温や気候はたぶんあまり変わらないこと。
人間の中身や見た目も多分ほとんど変わらないこと。
町の作りや生活様式は、ここではまるっきり違っていること。
生き物について――。
太陽の数と星の動き――。
とにかくいっぱい話をした。
ずっと話題が尽きなくて、2人で夢中で話し続けた。
そして――――、僕はいつの間にか寝てしまったらしい……。気が付いたら毛布の中に包まれていて、目の前には朝の水汲みを終えたカノンの姿があった。
「おはよう」