2章(3)・理由
「うーん……、なるほどぉ……」
僕がひと通りの説明を終えると、彼女は困った顔で何かを考えていた。
ハの字になった眉と、ちょこんと石段に座る姿が可愛い。
そもそも説明といっても、僕に分かることなんて何も無かったわけで……。
ただただ自分の知っている状況を解説しただけ。分かっているのは、あの奇妙な本に導かれるまま、空の上に放り出されたというコトだけだった。
自分で言っていて、意味が分からず悲しくなる。
「あのさ、そういえばここって日本のどの辺りになるの?ここっていちおう日本だよね?」
僕は念のために確認を始めた。
「日本?」
「あれ?今話してるのって日本語だし……」
「え?うーん……。君のトコではそう呼ぶのかなぁ?」
困ったように答える彼女。
「あっ……」
きょとんとした彼女の表情を見て、僕は色々なことを察したのだった。
いや、実は僕だってうすうす気付いてはいたが……。
僕の住んでいた所に、あんな可笑しな泥の塊は居ない――。
さらに言うと、ここは地球ですらないらしかった。
本当に困ったことになってしまった。
「よりによって、知らない星に飛ばされるとか……」
僕は思わずポツリと呟く。
「うーん……。多分そういうことなんだと思う」
そこで、彼女が僕に思いがけない話を始めた。
「え?どういうこと?」
「《星や世界のリンク》のせいだよ、きっと」
「星や世界のリンク?」
「そうそう。いろんな世界と世界、星と星とが《重なる現象》。そういうタイミングで、他の世界の物やら何かが、別の世界へ入り込んじゃうんだよ」
「入り込んじゃう?星が重なるってどういう意味?」
「うーん、そうだなぁ……。これは私たちまじない師の考え方なんだけど……、この世界はね、同時に他の色々な世界が、一緒にごちゃ混ぜでいくつも存在しているの」
「まじない師……?うん」
「それは、いつもすごく近くにあるけれど、でも、お互いに見ることが出来ない。すぐ隣にあるのに、お互いに触れ合うことができない別々の世界」
「うーん……」
僕の顔が険しくなるのを感じ取って、彼女は少し言い方を変える。
「じゃあ、要するにね……、同じ場所――今この場所には、本当は色々な世界や星が、元々いくつも重なっているの」
「うん……」
「でもそれは、普段お互いに見ることも確認することもできない。いつもはお互いすれ違ってるように――……、それぞれが1つの世界として、別々に無関係に存在している」
「…………」
「そして、星や世界は《一定の周期》を刻む。ある星が他の星の周りをぐるぐると回っているように、色々な世界同士が一定の周期で近付いたり離れたり――……。それぞれ、自分の周期を繰り返している」
「うん……」
「そうして、そういうリズムの中、たまたまタイミングよく2つの世界が近付くときがある。星と星とがぶつかるみたいに。世界と世界が重なって、ギリギリまで近づく《瞬間》が――」
「つまり、そのタイミング次第で、別々の世界が繋がってしまうって話?」
「そうだよ。その、世界や星が偶然重なるタイミング――その瞬間には、別々の世界が干渉し合い、影響し合う事があるってことなの」
「なるほど……」
僕はよく分からなかったが、見栄を張って深く頷いていた。
馬鹿だと思われるのは心外なのだ。
「じゃあとりあえず……、まぁ、あの本のせいっていうか……、その、タイミング的な問題で、僕はこっちに飛ばされたって感じでいいのかな?」
仕方なく、非常にぼんやりとした言葉を使って話を繋ぐ。
「そうだね。君の居た世界とこっちの世界。2つの世界が重なったタイミングで、その本が影響したってことは十分考えられるかな」
少女は少し早口になって、切れ目なく話を続けていく。
「もしかしたら、それって元々こっちの世界から来た本だったのかも。まじないの力を帯びている可能性もあるし……。うーん……」
彼女はあごに右手を添えたまま少し考える。
どうやら僕は、色々な不幸が重なった結果、不運にも空のかなたに放り出されてしまったらしい。
さて、これから僕はどうするべきか……。
「それで、その本はどうしたの?」
僕はハッとして、自分の持ち物を確認してみることにした。
「そういえば……」
さっそく体中のポケットを探ってみる――。
が、特に何かあるわけでもなかった。
学ラン。黒い革の学生靴。それと……、上着のポケットの中の《スマートフォン》。
スマホの画面を覗いてみるが、もちろん電波は届いていない。
「そりゃそうか……」
僕は小さくため息をついた。
少女はじっと僕の様子を見守っている。
スマホや服が珍しいのだろうか……。妙に彼女の顔が近い。
僕はもしものことを考えて、念のためにスマホの電源を落としておいた。充電はできるだけ残しておいた方がいい。
「やっぱり無いや。本はまだ《図書室》の中にあるのかも……」
「そっかぁー」
彼女は少し残念そうな顔で応えた。
彼女の中で、何か気になることがあったのかもしれない。
僕は、コロコロ変わる彼女の様子が面白くって、なんとなくずっと観察していた。
「じゃあ、しょうがない。このまま見捨てて行くわけにも行かないし、《都》まで一緒に連れて行ってあげよう」
ぱちんと両手を叩きながら、急に前向きな口調になる。
「私、旅の途中なんだ」
「えっ!?本当に?」
正直なところ、ここを無闇に動かない方がいい気もしたが、困ったことに森の中だ。さすがに、こんなところで放り出されたら、1人で生きていける自信がない。
僕は考えるまでもなく、その言葉に甘えることにした。
「ありがとう。どうしていいのか分からないし、本当に助かる。旅の目的地って別の場所なの?」
「うんうん、そうだよ。でも通り道だから大丈夫。私にとっては遠回りなんかじゃないからさ。それに……、大きな都まで行けば何か手掛かりだって見つかるのかも。そこなら、《昔の資料や本》だってあるし、《大司祭》からも話が聞ける。ちょっと遠いけど、一緒にそこまで向かおうか」
そう言いながら、彼女は少し笑ってみせる。
僕は、彼女が出来る限り励まそうと振舞っていることに気が付いた。
「ありがとう、そうするよ」
2度目のお礼を伝える。
それなら、僕も出来る限り元気に振舞う他はない。不安な気持ちはいったん心の隅に押しのけて、口元でだけ笑ってみせた。
「私の名前はカノン。あなたは?」
「僕……?うーん……。僕の名前は……、…………」
思い出せない。
「記憶喪失?ってコトなのかな?こっちの世界に来ちゃったことで」
「うーん……」
僕はそのまま記憶を辿っている。
「他に何か思い出せない事は?」
分からない……。
今思いつく限りの事を考えてはみるが、考えたとして、そもそもソイツの事を忘れているのだ。そんな事を突然言われてリストアップできるはずもなかった。
「ごめん、分かんないや……。今のところは名前だけかな」
「そっか、それならしょうがない。そのうちきっと思い出すよ」
座っていた石段の上から彼女はスルリと立ち上がる。
「じゃあ、出発の前にもう一度儀式をやっとかなくちゃ」
「儀式?」
「ボビさんを呼び出す儀式。もう一回おまじないをしておかないと」
彼女は腰の小さな袋の中から、わら人形を1つ取り出した。わら人形はさっきの化け物そっくりで、ずいぶん間抜けな見た目をしている。
その儀式は、護衛の加護を受けるためのまじないらしい。さっきの落下で無事だったのも、全部このボビさんのおかげだったということだ。
どうやら僕は、カノンの加護の副産物として助けられた。
そして、その加護の効果はまじない1回に対して1度きり――……。つまり、さっきの衝突で消えてしまったらしかった。
だからその度、新たに加護を得る必要がある。これからそのための儀式――まじないを行うとのことだった。
わら人形はこれで3つ目――。
彼女は僕と自分に対して、それぞれ1つの人形を使った。
袋の中には残り……、あといくつあるのだろう?
僕は知らない間に迷惑をかけてしまったことに気が付いて、とても申し訳ない気持ちになっていた。
都に着くまでにきっと何かのお礼をしよう。
カノンが、あの泥の塊との儀式をしている間、僕は黙ってそれを見守っていた。