1章・旅立ち
どこかの星のどこかの場所――。
ザザッ。
引き戸の開く音がして、1人の少女が入って来た。
「遅くなりました、お婆さま方」
茶色い髪の少女。その少女は真剣な顔つきで、部屋の女性たちに声をかけた。
部屋の中には6人の女性。老人から中年まで、その全員が女である。
部屋の真ん中付近にどっしり座った、老婆の1人が返事をする。
「カノンよ、よくぞ参った。お座りなさい」
とても静かな声だ。
「はい」
少女は丁寧に返事をしてから、老婆の前で腰を下ろした。
フワリ。
身に着けている茶色のマントが、それに合わせて形を変える。
柔らかで、民族的なデザインのマントだ。
下からは、スカートの端と素足の太ももが、チラリと顔を覗かせていた。
「そなたはこれから残された時間、世界各地に点在する遺跡を巡り、例の《儀式》を行うことになっている。分かっておるな?」
真ん中の老婆が、少し間を空けながらゆっくりと話す。
「はい」
「ここより東――《都》に向かう前に、まずは東の遺跡にいくつか寄っていきなさい。《東の大祭壇》なら、星たちの周期もちょうどいい。まずはそこで、出来る限り《星々の力》を集めていくのだ。集め方は心得ておるな?」
「いつも通りに」
「うむ。そのあと都にて、啓示を受けたこと、儀式の途中であることを大司祭に伝えなさい。念のため、先に使いの者も行かせてある」
コトッ。
そして老婆の隣――中年の女の1人が、小さな丸い筒を差し出す。
「これを大司祭さまにお渡しして、儀式を進めるための《手続きと加護》を受けるのです」
黒い革製の丸筒――。
「分かりました」
どうやら中には、大司祭への手紙が入っているらしかった。
少女はそれをマントの中へと仕舞い込む。
「カノンよ、残念ながら、私たちは付いては行けない。この《星屑集め》は、私たちが居ては進めることが出来ない――、そういう儀式なのだ。心苦しいが、そなた1人の力で終えて、《神々の赦し》を受けねばならない」
「分かっています、お婆さま」
「うむ……。最後に、そなたの穢れ――、《呪い》の状況だけもう一度見せては貰えぬか?」
「ええ……、今はこんな状態に……」
カノンははらりとマントをたくし上げ、自分の背中の様子を見せた。
「あぁ……」
周囲から、重苦しいため息の音がこぼれ出る。
老婆たちは、悲しそうな……悲痛な表情を浮かべてそれを見る。
マントの間――ずらした衣服の間からは、纏わり付いた黒い痣のような何かが見える。
「あぁ、お前には辛い運命となってしまった。カノン……、そなたの母も同じ穢れと呪いによって……うぅっ……」
老婆はそのまま言葉に詰まってしまう。
「大丈夫よ、お婆ちゃん」
カノンはそれを察知して、やさしく老婆を抱き寄せた。
「私は大丈夫だから……」
優しい声で老婆にそっと囁きかける。
「すまないねぇ、カノン。どうかこの無力な老いぼれの事を許しておくれ……」
「…………」
「…………」
そうして、カノンは老婆との抱擁を交わした後、スグに旅立ちの言葉を告げる。
「それでは皆さま、行って参ります」
「気をつけて。村を出たらきちんと護衛の加護を――《まじないの加護》を受けるのですよ」
「そのわら人形を忘れずにね」
「ええ、そのつもりです」
カノンはちょっと笑顔を見せて、そのまま部屋の外へと歩き出た。
「必ず戻ってきます、儀式を無事にやり終えて。だから皆そんなに心配ばっかりしないで……。私は大丈夫。絶対にもう一度ここに戻って来るから」
部屋の外から、振り返ってそう伝える。
「お婆さまも、それまでどうかお元気で」
最後にそれだけ言い残すと、カノンは屋敷の外へと旅立っていった――。
タン、タン、タン。
階段を下りる音がする。
高床式の少し大きな屋敷――。質素な造りの建物だった。
カノンがその階段を下っている。
建物の一階は存在せず、下側はすっぽりと何も無い。建物の下には、ただいくつかの柱だけが並んでいた。
そしてその周り、周囲にも同じ建築物が並んでいる。サイズの大小はあったが、どれも同じような家の形をしているのだった。
カノンは階段の前に繋いであった、大きな鳥の元へと向かっていく。
クワァ。
彼女と一緒に旅に出る、騎乗用の鳥のところだ。
飛べないが、走ることには長けていて、人間にもよく懐く。
ダチョウのような見た目をした、マヌケな顔の鳥だった。
カノンは柱に繋いであった手綱を外し、その大きな鳥に話しかける。
「お待たせ、ヤップル。またしばらくよろしくね」
カノンは鳥の首元――キラキラ光る羽毛の中に顔をうずめて、やさしく小声で挨拶する。
ヤップルは長い首をかしげながら、少女の事をキョロキョロと観察している。
首もとのベージュ色の羽、体の黒い羽、尻尾の先の白い羽――。3色のコントラストが間抜けな感じを引き立てていて、とても愛嬌のある見た目に見えた。
クワァ、クワ。
気の抜けた鳥の鳴き声が、少女の耳にもよく響いてきた。
「カノン、どうか気をつけて」
家の外まで、中年のまじない師2人が見送りに出向いてくれる。
「私たちは皆、あなたの帰還を願っています。どうか辛いときも、それだけは忘れないで」
「うん、ありがとう」
かのんは2人と旅立ちの挨拶を短く交わし、鳥の背中へと飛び乗った。
「行ってきます、お姉さま方」
クワァ、クワ。
鳥はまたあの変わった鳴き声を上げると、いつもの事みたいな様子で走り始める。
「気をつけるのですよ、カノン」
少し後ろから2人の呼びかける声――。
カノンは振り向いて、2人の女に手を振った。
ザッ、ザッ、ザッ。
ヤップルはスピードに乗って郷の中を抜けていく。
周囲の家々の間や床下も自由に進む――。
郷の色々なところには、奇妙なトーテムポールの柱があって、それが何本も植え付けられていた。
ヤップルはそんなことはお構いなしに、その間をジグザグと縫うように走っていく。
ザッ、ザッ。
カノンはそのままヤップルに任せて郷を出た。川を渡り、小さな丘を越えて、林の入り口辺りまで進んでいく。ヤップルの足は速いので、ここまで5分ほど足らずで進んでしまったのだった。
ここからなら村の様子はまだ伺える――。
カノンは少しだけ《まじない師の郷》の方を振り返った。
「…………」
村の囲いは高いので、外からは家の屋根くらいしか見ることが出来ない。
が、何故だかカノンはとても懐かしい気持ちになった。
さっきまでそこにいたのに、急にあの村が他人の家のように感じ、ふと心細くなっていたのだ。
「もう少し行ったら、おまじないだけ早く済ませておかないと……」
誰に話かけるでもなく、カノンはポツリと呟いた。
彼女は、外の空気が少し荒れていることを、スグに感じ取っていた。
それは天気が悪いという意味ではない。まだ明け方だが、昼間はよく晴れそうな気配さえしている。
しかしそれとは正反対に、この星の力の流れが荒れているような感覚だった。
それは目に見えるモノではない。
《まじない師》だけが感じることの出来る流れ――、まじないの才能を持つ者だけが分かる、とても重要な要素だった。
その力の流れがいつもとは少しだけ違っている――。
こんな日は、予想外で面倒なことが起こりやすい。それをカノンはよく知っていた。
特に、この世界でのイレギュラーは特別だ――――。
「なるべく早くわら人形を使いましょ」
今度はヤップルに向かって話しかける。
そして、これから向かう先――、林の先へと瞳を向けた。