9章(1)・ふたりの旅立ち1
ガラガラ、ガラガラ。ガッ、ガッ、ガッ。
車輪のどこかがおかしいのか、何回転かするたびにおかしな音が混じる。
馬車は今、街の中央付近を走っている。
「それでは、もう1つ人の好意に甘えていこうか」
そう言って、副司祭が途中で馬車を止めた。
そこはどうやら、食べ物屋の前みたいだ――。
副司祭はすぐに馬車を降り、店の中へと入っていく。
「店主さん、店主さんはいますか?」
大きな声――。
「おぉ、これは副司祭どの。相変わらずお元気ですね。改心して、前のツケでも支払いに来てくれたのですか?」
「え……えぇ、そういえばそんな話もあるが、今日はもう1つ別の用件で……」
「用件?ほうほう、それはいったいどんなご用件で?もうこれ以上のツケ払いは嫌ですよ」
聞いていると、店主と副司祭は顔なじみのようだった。
「いや……いやいやいやいや、違いますって。今日はちゃんと別の話なんですから。安心してください」
「別の話?それではいったい何の話で?」
不審そうに店主が尋ねる。
「いやぁ、実はあの馬車……あそこに乗っている少年、ああ見えても例のまじない師さまの付き人でして……」
副司祭はそう言いながら、馬車の上の僕を得意げな顔で指差した。
店内にいた数人の客の目が、いっせいに僕の方を向く。
僕はどうしていいのか分からずに、馬車の上で下を向いた。
「なるほど、確かにあのローブ……まじない関係の人たちが、普段身に付けているローブのようですな。……それで?」
「それが、あの出来損ないは間抜けなことに、金の計算を間違えてしまったようで……。今から、まじない師と合流していく手筈なのだが、どうにも食料が調達できずに困っているのです。どうかあのマヌケな従者に、少し食べ物を恵んでやってはもらえませんか?」
ちょっと……、この副司祭は何をやってるの……。
僕の顔が少しだけ赤くなる。
この人、副司祭のクセに詐欺みたいなことを始めている。
どうすればいいのか分からないので、僕はひたすら前だけ見つめる。
「なるほど、そういうことなら仕方がないか……。それなら、これと、これと、これをお持ちください」
店主は親切にも、りんごとオニギリみたいないつものヤツを、副司祭へ手渡した。
「まじない師さん達には、日頃からお世話になっておりますからな」
「恩に着ます、店主さま。ほら、そこの間抜けな従者よ。早くこっちへ来て挨拶しないか」
…………。
僕は失礼の無いように、馬車から降りて店主に丁寧にお辞儀した。
「ありがとうございます、店主さん。困っていたので助かりました」
「あぁ、いいっていいって、気にするな。あの小さなまじない師さんに、どうかこれも食べさせてやってくれ」
店主は気前よく、さらに僕にもいくつかの野菜や果物をくれた。
そうして僕たちの馬車は、再び街の中を走り出す。
ガラガラ、ガラガラ。ガッ、ガッ、ガッ。
「もう一件くらい寄っていくかい?」
副司祭は、なぜか誇らしげな表情で僕に話しかける。
「いや、もう食料は十分です」
僕はちょっと不機嫌になって返事した。
さすがに、さっきの胡散臭いやり方だけは気に入らない。この副司祭はいい人だったが、さっきの詐欺みたいな行為を知って、すごく複雑な気分になっていた。
すると、副司祭はケラケラと笑い始め、
「ハハハッ……、大丈夫!冗談だよ、冗談!」なんて、さわやかに反応した。
「えっ……?どういうこと?」
「さっきのお店のことだよ、少年。安心したまえ。あの店主は僕の友人、昔からの知り合いなんだよ」
「ん?そうなんですか?」
「ハハッ……当たり前だろ。あんな詐欺みたいなことは、さすがに他所ではやらないさ」
「…………」
「それに、アイツも知ってて悪乗りしているだけなんだから。まぁ腐れ縁ってヤツだよ」
副司祭は馬車を操りながら、どこか楽しげに話をしている。
馬車は街を抜けて、出口付近へと差し掛かっていく所だ。
「どうやら君は、人に頼ったり甘えたりするのが苦手なようだね」
少しの沈黙が生まれる――。
「うーん、どうですかね……」
「そうだなぁ、君は、人に迷惑をかける事がとても悪いことだと思っている。そんな風に感じるね」
「でも、迷惑をかけたら、それは悪いじゃないですか」
「そうだね」
「…………」
「確かに、迷惑を掛け続ける人間はろくでもない。成長せず、反省せず、同じ事を繰り返す。それは、たしかに迷惑でしかない。しかし、実際君はそういう人間では無いだろう?もしも君がそんなヤツなら、僕もワザワザこんなことは言わないさ」
「そうですね……」
「弱いことや何かを持っていないって事は、必ずしも悪いことではないよ。だって、自分で全て出来てしまったら、人と繋がる必要がなくなってしまうから。弱いからこそ、人と繋がることができるし、お互いに助け合うことだってできる。君はもう少し気軽に、人に頼ったり迷惑を掛けたっていいとは感じるよ」
「…………」
「大丈夫、全力でお礼を言ったらいいのさ。助けてもらったら、素直に全力で喜んで、感謝の気持ちを伝えてみたらいい。そしたらきっと、物事なんて上手くいく。失敗したって、成長すればいいのさ」
「…………」
「大丈夫、君はいいヤツだ」
僕は会話の途中で返事を止めた。
話を聞きながら、これまでの自分のことを思い返している――。自分が生まれてから、これまでのこと。
「それに僕たちにしたって、人助けは悪い気分じゃないしね。君は迷惑をかけたかもしれない。けど、中にはそれで、救われた人も居たかもしれないよ。物事ってそんなもんさ」
馬車は、いつの間にか街を抜けて、草原の中を走っていた。
ここへ来た道とは違う道――。
そろそろお昼を過ぎる時刻だ。
僕と副司祭は、まっすぐ進む先だけ見ている。
少し冷たい草原の風が、僕の頬を横切っていった。
ガラガラ、ガラガラ。ガッ、ガッ、ガッ。
相変わらず車輪の音はうるさいままで、馬車は細かく振動を続ける。
僕は穏やかな日差しの中、自分のこれからのことを考えていた。
それから数時間――。
副司祭に促されて、僕は貰ったばかりの果物と食料を口にした。
僕より先に、貰ったりんごにかじり付く副司祭。
それ、自分で食べるのか……、と心の中で突っ込みを入れる。
道はだんだんと起伏が激しくなり、山の方へと近づいていた。
「少年よ、もうすぐ先に近道がある。傾斜の激しい峠道だ」
「はい」
「残念ながら、馬車や家畜は通っていけない――徒歩でなら抜けられる道。そこを自分の力で登って行くんだ」
「はい」
「おそらく、彼女はあの山々を迂回して、その先の草原辺りに差し掛かる頃だと思う。たぶん今なら、先回りができる。峠の上から彼女を探して、草原でしっかり合流してくれ」
「分かりました」
「できそうかい?」
副司祭はチラリと僕の方を見る。
「やりますよ」
僕は横目でそれを捉えて、前を見たまま返事した。
前方からやがて、峠の入り口付近が近づいて来るのが見える。
なるほど……。山の中腹まで登って、そのまま向こうへ越えて行く道。確かに急で、階段のようなステップが、ウネウネと上へ向かって続いている。
ヤップルの苦手そうな山道だ――。
たしかに、これじゃあカノンも迂回ルートを選ぶことになる。人間以外は時間がかかって仕方ない。
僕は、これから登る草木の剥げた峠道を、じっと静かに睨みつけた。
ガラガラ、ガラガラ。ガッ…、ガッ……、ガッ………。
車輪の音の間隔が、次第に遅くなっていく。
峠道のちょうど目の前――。そこでようやく馬車が止まった。
「これも持っていくかい?」
副司祭は僕に食べかけのりんごを勧めてくれた。が、嫌だったので断った。
「まぁまぁ、遠慮するなよ。もしかしたら何かの役に立つかもしれない」
僕のカバンに、有無を言わさずねじ込んでくる。
今思えば、この副司祭にも大変お世話になってしまった。
たいした特徴の無い男――。この男に関して、思うところは色々あるが、やはり人がいいってことに間違いはない。
ちょっと不本意ではあったが、たくさんの事を教えてもらった。
「ありがとう、とてもお世話になりました」
僕はしぶしぶ感謝の言葉を綴る。
「あぁ、気にするな。あのまじない師さんにも、よろしく頼むよ。気をつけて」
「副司祭さんも」
最後の言葉を交わす。
僕はそれから振り返り、力を込めて歩き始めた。
「幸運を~」
少し離れたところから、副司祭が僕に向かって手を上げている。
中指と薬指の間に親指を突き刺す形――、Hな意味のジェスチャーで、僕の門出を見送っている。晴れ晴れとした爽やかな笑顔を浮かべて。
「…………」
その手の形はやめなさい。
僕は、再びこの人のことが恥ずかしくなって、2度と後ろを振り向かなかった。
さようなら、副司祭。




