6章・始めの街~前編~
コン、コン、コンッ。
ドアに取り付けられた丸い金具を叩きつけて、しっかりと3回音を鳴らした。
「はいはい……、どちらさまかな?」
しばらくして、家の中から主の小さな声が返ってくる。
「まじない師の郷から来ました。カノンといいます。《司祭》さまへのお取次ぎを」
カノンが丁寧に話しかけると、すぐに両開きのドアが開いた。
「おぉ、これはよくぞ参られた」
背の低いしゃがれた声の老人がひょっこりと顔を出す。
白髪交じりの髪に、穏やかな表情――。
いかにも優しそうな人物だ。
そこに、《青いローブ》を羽織っているので、まさに賢者といった風貌をしている。
「郷の者から既に話は聞いておるよ。疲れていることだろう、さぁさぁ2人共お入りなさい」
老人は労うように、家の中へと僕らを招いた。
老人が着ている青のローブは、とても高級そうな見た目で、何だか神聖な雰囲気を漂わせている。
ローブの上のグチャグチャとした装飾物が、老人をすごく偉い人みたいに感じさせた。
「ありがとう」
僕らはさっそく老人の言葉に従って、家の中へと入ろうとする。
「クワァ」
小さく不安そうな声でヤップルが見送る。
ごめんな、さすがにお前は連れては行けない。今から行くのは家の中だ。
僕らはヤップルを置き去りにして、その小さな平屋の一戸建てへと入って行った。
「お邪魔します」
屋敷の中に入ると、これまた簡素な家具がいくつか仲良く並んでいる。
「儀式の……、星屑集めの件でよいね?」
老人が振り向きながら、落ち着いた口調で話を始めた。
「実は他にも相談があって……」
カノンはチラリと僕を見る。
2人でちょっとだけ視線を交わす。
「よろしい、それではこちらで伺いましょうか」
老人は何かを察して、カノンをさらに奥の部屋へと案内した。
「すまぬね、お付きの方。どうぞそちらでゆっくりしていて下され」
そして、そのまま次の部屋へと消えて行く。
「ちょっとだけ待ってて」
カノンもそのまま老人の後ろに続いた。
パタン――。
…………。
扉が閉まって、僕には静かな時間が訪れる。
どうやら二人は、何か重要な相談事でもあるらしかった。
もしかしたら、僕に関する情報を集めてくれているのかもしれない……。
…………。
そういえばあの老人は、司祭の取次ぎ役とのことだったが、それなりの役職なんだろうか。
カノンを見た時には気付かなかったが、まじない師や司祭というのは、どうやらこの世界では魔法使いのような存在みたいに見えた。
きっとあの老人も、司祭と呼ばれている人物も、カノンと同じような力を持っているのだろう……。
僕はこっちの世界の生態について、ちょっとした考えを巡らせていた。
パタン――。
5分ほどして扉が開き、2人が再び戻ってくる。
「ずいぶん退屈そうだね」
カノンが、椅子でくつろぐ僕に笑いかけた。
「そんなことないよ」
そう言って、だらけて油断していた姿勢を正す。
「それではこれから、司祭の元まで遣いを送ろう。だがしかし、今日はさすがにもう遅い……。どちらにしても、司祭と会うのは明日の朝にはなるだろうなぁ」
老人はカノンの後から出てくると、そんな見通しを僕らに語った。
たしかに、僕たちが街に到着したのは夕方過ぎ――、今はもう夕飯前の時刻だった。
「えぇ、今晩は宿に泊まろうかと思っています。司祭さまとは明日の内に会うことができれば……」
「おぉ、そうかそうか。そういうことなら、それがいい。それではアナタへの伝言は、直ぐ先の宿へと送ればよいのだね?司祭からの伝言は」
「はい。でももしかしたら、食事に出かけているかもしれません。街の酒場へ」
「よろしい。それでは、どちらの酒場かな?」
「街の入り口近くの酒場まで。昔の事を思い出して、魚の料理が食べたくなって。昔みんなと一緒にここへ来た記憶があったので」
「ほぅほぅ……。入り口……、郷に近いほうの入り口かな?あぁ、あそこの料理は確かに美味い。君の母君も確かあそこの料理をずいぶん気に入っていた気がするなあ……。うん、そうか。今日はゆっくりしていくといい」
老人は、そうして僕ら2人を送り出してくれた。
すごく感じのいい老人だった。
僕とカノンはその後まっすぐ宿へと向かい、カノンが部屋の手続きを済ませた。
そしてヤップルは――……、宿の家畜小屋へと収監される。
「クワァ……」
ヤップルからキャンプ用の荷を降ろし、そのまま一緒に小屋の中に置いていく。
どうやら、中には金目の物は無いらしい。
「クゥ、クゥ」
小さく不安そうな声でヤップルが見送る。
ごめんな、さすがにお前は連れては行けない。今から行くのは酒場なのだ。
「それじゃあ、このままご飯にしよう」
ひと通りの仕事を終えて、カノンが嬉しそうに呼びかけた。
「そうだね。お腹がもうペコペコだよ」
僕もウキウキでそれに応える。
家畜小屋から出ると、カノンはさっさと歩き始めた。
僕もスキップ気味で後を追う。
嬉しい……。久しぶりの温かい食事が待ちきれない。
僕らは2人、街の中を酒場に向かって散策していく。
街は思っていたよりも大きな街で、けっこうな数のお店や民家が並んでいた。もしかしたら、民家も含めて200軒くらいはあるかもしれない。
西洋中世のような街並みで、奥には1つ……大きな教会風の建物がある。その辺りから、小さな水路が街全体へ張り巡らされているようだった。
自分が想像していたよりも立派な街だ――。
「こんばんは、まじない師さん」
街行く人々から、親しみをこめた挨拶の声が飛んでくる。
「こんばんは」
カノンは愛想よく丁寧に挨拶を返していく。
時間帯のせいか、それなりに住人たちともすれ違う。
服装で彼女がまじない師だと分かるのだろうか。もしかしたらこの上品なマントは、まじない師専用の特注マントなのかもしれなかった。
街の人々のコトを見ていると、なんとなく皆同様にカノンに敬意を払っている様子だ。
どうやらこの世界では、まじない師たちはずいぶん皆から慕われているらしい。
中には、
「まじない師さん達には、本当に助けられてるわ。いつもありがとう」なんて、大げさな感謝の言葉を伝える人もいる。
そんな時、カノンは簡単な祈りの言葉を唱え、人々に小さな幸運の加護を与えるのだった。
そして、それは酒場の中でも続く――。
「奥の大きいテーブルに座るといい」
ガタイのいいムキムキで坊主の店長は、僕たちを1番良さげな席へと通してくれた。
「ありがとう、おじさん」
カノンは愛想よく無邪気にお礼を言う。
少しだけ飯時には早いせいか、客の入りはまだまばらだった。
ガタッ。
僕たち2人は、案内された席に着く。
木で作られた椅子とテーブル。
それがたくさん一列に並べられている。
「メニューとかあるの?」
「ほら、あそこ!」
カノンは壁に貼り付けられた、たくさんのお札みたいな張り紙たちを指差した。
「うへぇ」
視線の先には、見覚えのある記号の列が並んでいる。
象形文字みたいにも見える、例の不思議な記号の羅列……。
あの忌まわしき、僕をこの世界に送った本――、その表紙に刻んであった不思議な記号の文字列みたいだ。
「これはさすがに読めないや……」
「へぇ、そうなんだ……。それなら私が注文してあげるよ、私の好きなヤツを」
キレイに並んだ歯を見せながら、ちょっとだけ笑う。
別に、そもそも僕はカノンに選んで貰うつもりだった。
例え文字が読めたとしても、こっちの世界の食の事情が分からないのだ……。
「それじゃあ、1番オススメのやつね」
「私の?」
「そうだよ」
「それじゃあ、任せて!えーっと……」
考えるようにカウンターの所まで歩いて行って、いくつか料理を注文した。
今思えば、彼女が歯を見せて笑ったところなんて初めて見た。
無邪気な笑顔を見ていて、昔来たというこのお店がよっぽど嬉しいのだろうと想像した。
「頼んできたよ」
カノンがちょこんと斜め向かいの席へと戻る。
「何頼んだの?」
「おいしいヤツ」
「フフ……」
僕はつい噴出してしまう。
「おいしいヤツだけじゃ分かんないよ」
「大丈夫、おいしいから」
「だといいんだけど……」
特に意味の無いやり取りを続ける。
彼女の笑顔を見ていたら、僕まで何だか笑顔になった。
そういえば、さっき老人の家で見ていたカノンとは別人のようだ。
さっきは、とても真面目で大人びて見えた。
たしか初めて出会ったときは、戸惑いがちな少女みたいに見えたし、祭壇では、神秘的で、確固たる信念を持った1人の立派な女性のようにも見えた。
そして、今はコロコロと妖精みたいに笑っている。
まるでペットの猫かハムスターを見ているように、人を飽きさせない不思議な女の子だった。
「はい、お待たせ」
ドンッ。
「ありがとう!」
木製のマグカップが2つ運ばれてくる。
中には白い牛乳のようなものが注がれていた。
「何が入ってるの?」
「お酒」
お酒かい。
「この辺りで一番普通のやつだよ」
そんな説明をしながら、乾杯もなくいきなりカノンは飲み始める。
グビグビ。
あぁ、そういう感じなのね……、こっちは。
「おいしいよ」
「えっ、でも、お酒はちょっと……。僕の世界だと飲めないんだよなー」
そう言いつつも、その液体を舐めてみる。
「うーん……、甘いね」
それは、ちっともお酒ではなかった。
いうなら、砂糖を入れたホットミルクぐらいの飲み物――。
僕はお酒を飲んだことなんて無かったが、それでもスグに違うと分かる。そんな感じの飲み物だった。
「フフ……、普通の飲み物だよ」
「なんだ、ビックリしたじゃん」
「味はどう?」
「うーん……、意外とおいしいね」
得体の知れない、正体不明の白い液体――。
結局何かはよく分からないが、口を付けてしまった以上、僕は最後まで飲みきることにした。
グビグビ。
まぁ嫌な味では無いし。大丈夫か……。
「へへへッ……」
カノンが僕を見て、上機嫌でへらへら笑う。
まるで酔っ払いみたいに。
今度は、無警戒なゆるゆるの笑顔になっていた。
「はい、お待たせ」
ドンッ。
「ありがとう!」
そして遂に、注文の料理3品が僕らの前に運ばれて来る。
僕らは、その大皿をまるっと綺麗に平らげた。
一品目――、カノンさんオススメの芋料理。黒いお芋とチーズ?が混ざった、グラタンみたいな何か。
焼き目も付いて、とても香りが香ばしい。ホクホクとまろやかな味わい。
二品目――、カノンさんがご執心の魚料理。怪しい紫魚の煮付け。頭サイズの魚が2匹ぶつ切りにされている。グロテスクな見た目の魚――。
そして、見た目とは対照的に、ホロホロとした淡白な味。味付けが濃くて非常に美味い。
三品目――、カノンさんが適当に選んだ謎の料理。もう原型が何かすら分からない。コネコネされたフワフワの何か。
少しかじると、ミジャミジャにされたプリプリの何かが顔を出す。
プルリッ。
何か謎の恐怖を感じるが、味はとても美味かった。
ハフッ、ハフッ……。
僕たち2人は、お腹が減っていたのでとにかく食べる。
極限までお腹が減っていると、基本的に何を食べても美味さしか感じないのだ。
ハフッ、ハフッ……。
不思議な食べ物ではあったが、夢中で料理を口に運んだ。
「ちょっと、リスみたいになってるよ。フフ……」
カノンが僕にツッコミを入れる。
僕があまりに口いっぱいに詰めるので、それがどうやら気に入ったらしい。
「ふえっ?フゴフゴッ……、ごめん……」
「フフフ……」
カノンも僕も、こうしてお腹一杯になったのだった。
「ごちそうさま」
僕が最後の料理を食べ終わる。と、同時にカノンはスグに立ち上がった――。
「そろそろ宿に戻りましょ」
ガタッ。
カノンさんはいつも少しせっかちなのだ。
そして、テクテクと僕を残して歩き出す。
僕は仕方なくお口のモゴモゴを終えて、カノンの後ろを追いかけた。
出口へ向かう――。
店の中は、時間帯のせいか客足も増え、非常に活気付いていた。
僕は、その客たちの横を通って会計先へ向かう。
そして――……、僕はその言葉を聞いて驚いた。
「まじない師さん、アンタから料理のお代は取らないよ」
カノンに向かってムキムキの店主がそう告げる。
やっぱりこの街――ここに住む人たちの、まじない師への扱いといったら凄い。
食事代さえタダになるほどの厚遇っぷり。
いったい、まじない師との間で普段どんなことが行われているのだろう……。僕は、何か弱みでも握られているんじゃないかと可笑しなことを考えてしまった。
そして僕は、そのまじない師さまの動向を疑惑の瞳で見守っている。
「ありがとう。でも食事代は払います。旅の資金もちゃんとたくさん持って来たので」
コトッ。
カノンは銀貨4枚をカウンターのところ――、店主の前へと差し出した。
銀貨の上には、例のよく分からない記号の文字が刻まれている――……。
「いや、いいよ。あんたが郷から来るって噂のまじない師だろう?例の儀式の途中だって話だ。この金は他の何かに使ってくれよ。俺がそうしてほしいのさ」
「…………」
それを聞いて、カノンは少し考える。
「それじゃあ、お料理代だけ。私、あのお魚が食べたくてここに来たんです。昔皆で食べたことがあって……。だから、お料理代だけは払います」
「そうか、そうまで言うなら仕方がないな……。そういう事なら、料理代だけは貰っとこう」
カノンのまっすぐな瞳に耐え切れなくなった店主が折れた。店主は出された銀貨の中から、飲み物代らしき銀貨を1枚カノンに返す。
「それじゃあ、またアンタが来るのを待ってるよ。さっきの魚もたくさん用意してさ」
「ありがとう。じゃあその時は奢ってください」
カノンは小さく笑って見せた。
店主は参ったみたいな表情をして、僕らの事を送り出す。
「おじさん、きっとまたそのうちここに来ます」
「あぁ、そうだな。料理の腕を磨いて待ってるよ。がんばって」
カノンはよほど懐かしかったのか、最後にもう一度だけ振り返って店内を見た。
「…………」
木で複雑に編まれた建物の内側で、黄色いランプの光が揺らめいている。
壁にはあまり無かったが、天井付近にはたくさんの窓があることに気が付く。
こっちの夜がそこそこ明るいせいかもしれない……。夜になっても、外の光で店の中まで照らしているんだ。
そして、数秒間――……。
時間が止まったみたいに僕らの動きも止まっていた。
ザワザワ。
店の中からざわめきの音が聞こえてくる。
夕飯のピークの時刻をちょっと過ぎて、皆が集まり騒ぐ音――。
ぼんやりとした夕闇の中、カノンの正面だけがランプの光に照らし出されて浮き上がっていた。
僕はじっとカノンの横顔を眺めている。
どこか寂しげな視線――……。
そこで、僕は思わずドキッとした。
言葉にならない何か……。モヤモヤとした感情が胸の中で突然くすぶり始める――。
何だろう……?
しかし、自分でもこの感情が何なのかまで分からない――。
「うん、昔のままだ」
ふと気が付くと、彼女はもういつものカノンだった。
「それじゃあ行こうか」
カノンはそう言って元気に歩き出し、店主に向かって手を振っている。
あれ?やっぱり、いつものカノンだ……。
いつも通り、ちょっとだけせっかちなカノン――。
「それじゃあ、兄さんもがんばって」
店主は最後に、僕の背中をポンっと叩く。
「ありがとう、おじさん」
僕はお礼を言って、先行くカノンの後ろを追った。
一体どうしたんだろう……、僕は。
サクサクと進んでいく彼女の後に、黙ってぼんやり引っ付いていく。
…………。
そして、僕らは司祭の使者と出会うのだった。




