解答篇
「蒲生ほどの奇説ではないけれど、僕も僕なりに一つの可能性を考えてみたんだ」
改まった口調の碓氷に、蒲生は期待の篭った眼差しを向ける。
「おう、俺様の仮説の前にひれ伏すんじゃ面白くないものな」
「別にひれ伏したりなんてしな――まあいいや。僕の考えは、蒲生よりちょっとだけシンプルだ。倒された本を別の何かに置き換える発想は同じだよ。けれど、もし犯人が本についてさほど詳しくもなく、『天』『地』といった専門用語を知らなかったとしたら?」
「まあ、知っている奴のほうが少数かもな。天地なんて難しい言葉を使わずとも、上や下で事足りるわけだし」
「そう! まさにそれだよ」
軽快に指を鳴らした碓氷。蒲生はすぐにはピンとこないらしく怪訝そうに首を捻っている。
「犯人もまさしく、天地ではなく『上下』の概念で本を倒していたんだ。つまり、僕があいうえお順に書き出した頭文字の後の括弧には、上か下が入るわけさ」
あ(下) / い(下) / お(上) / く(上) / さ(上) / し(下) / そ(下) / は(上) / ふ(下) / ら(下) / ら(下) / わ(下) / わ(下) / わ(下) / わ(下)
「このように書き換えると何が起きるか。あいうえおの平仮名配列をイメージしてみよう。それぞれの平仮名の上か下に続く平仮名が、答えになるわけさ。例えば、『あ』の下は『い』、『い』の下は『う』、『お』の上は『え』という具合に」
残り僅かなレシートの隙間に、碓氷は新しく平仮名の羅列を書き並べた。
い う え き こ す た の へ り り
「ちょいと待て。『わ』の下は『を』になるが、たかだか十数文字の中に『を』が四つも入る言葉なんてあるのか」
「ここが少し特殊な部分だ。『わ』の下が四つは、『わ』の二つ下という組み合わせが二個あると考えることもできるんだよ。『わ』の二つ下にある平仮名といえば」
「『ん』だな」
「その通り。そしてさらにイレギュラーな解釈として、蒲生が覚えていた作者の名前が役に立つ」
「どういうことだ」
「『そ』は造田箴言、『ふ』は毒島影一郎と言っていただろう。となると、『そ』は『ぞ』に、『ふ』は『ぶ』に置き換えられる。先の『ん』の平仮名とあわせてみると、ようやく暗号の完成だ」
い う え き こ す だ の べ り り ん ん
「――で、これをアナグラムみたいにひたすら並べ替えるってか」
「そうだよ。『り』と『ん』は二つずつあるから、同じ文字を含む階乗の計算で考えると億単位の通りが出てくるね」
平然と返す碓氷に、蒲生は大仰な動きで両手を広げてみせる。
「おいおい、時間がいくらあっても足りないだろう。あと一歩のところでとんだ大壁にぶち当たったな」
「そうかな。僕には一つ、答えの候補があるけれどね」
蒲生は目玉をぎょろつかせるように大きく見開くと、「何だよそれ」と碓氷に迫る。敏腕探偵の男は何も言わずに微笑むと、レシートを財布に仕舞いナイフとフォークを手に取った。運ばれたときに湯気を上げていたハンバーグは、とうの昔に冷めてしまっていた。
数日後、蒲生と碓氷が住む地域の地方新聞にこんな見出しが躍った。
『男二人、公園に爆弾を仕掛けたか』
記事によると、「きりん公園」の愛称で近所の子どもたちに親しまれている公園内に、二人の男が遠隔操作式の爆弾を仕掛けていた。男らはともに二十代で、『嫌なことがありむしゃくしゃしていた。何の苦労もなく無邪気に遊ぶ子どもたちを見て腹が立ったから爆弾を仕掛けた』と犯行を認めている。爆弾は公園の滑り台の下に埋められており、警察の爆発物処理班によってすでに解除、死者怪我人ともにいなかったということだ。
「まさか、本当に書店の本を使って秘密の通信を実行する輩がいるとはね!」
自宅アパートの一室で、碓氷は一人呆れ声を上げていた。
【碓氷の解答】
い う え き こ す だ の べ り り ん ん
⇒ き り ん こ う え ん の す べ り だ い