4話 三番目の夢
三つ目の夢は、不思議なことに何も見えない。でも、それは暗闇にいるとか、光が眩しすぎて見えないのだとか、そう言う感覚的な見えないではない。
それは根本的に見えないのだ。
例えるならば、眼球を失ってしまったような、光を捉える感覚器官を失った感じに良く似ていると思う。夢の中で私は、どう言うわけか何も見えなくて(たぶん眼球は存在しているのだろうと思う)、今自分がどこにいるのか、周りになにがあるのかもわからないのだけれど、それでもやはり前に進まなくてはならないことは知っている。
驚いたことに、その夢の中の私はいたって普通に歩くことができる。手には足場を確認するための杖も、または道を導いてくれる盲導犬も、そういったものじゃなくて単純に手を繋いで一緒に歩いてくれる誰かもいないのだけれど、私はすたすたと歩いていける。
それはもしかしたら私の周りには何もないからなのかもしれない。壁も、段差も、坂も、障害物と呼べる一切のものがなくて、あたりはだだっ広く空白の空間に占められているのかもしれない。
そう考えると少し怖いような、奇妙な感覚に捉われることもないことはないのだけれど、夢の中の私はただ一心に前に進もうとしている。
果たして、進んだ先になにがあるのか、どうして進まなければならないのか、私にはわからない。一つ目の夢でも、二つ目の夢でも、もちろん三つ目の夢でも、その一番重要なことがわからない。
わからないままに私はただひたすら進んでいる。
けれど、それは困るようなことではなかった。とにかく私は進まなければならないのだ。進んで、その先になにとぶつかるのか、またなにを手に入れるのか、失うのか、そんなことはわからないけれど、とにかく進まねばならないことだけは確かなのだ。
それは、何も食べないでいるとお腹が空くのに似ていると思う。本当に当たり前のことなのだ。夢の中の私は、当たり前のことをただ当たり前に、ずっと続けているだけに過ぎない。
そうして、私はまたがばりと目を覚ます。
時計を見ると、午前五時もう少しで回るところだった。
私はしばらくぼうっとして、それからそっと冷たい床に足を下ろした。毛布を一枚羽織って、キッチンへ向かいコーヒーを作る。熱々のマグカップを手にすると、再び寝室へと戻ってきた。
カーテンを開いて、まだ暗い町並みに目を向ける。空と町との境目が、燃えるようなオレンジ色に染まり始めていた。
私は夕焼けも好きだけれど、目覚めつつある町の朝焼けも大好きだ。特に、太陽の姿が見えない、ぎりぎりの空というのは格別だと思う。
青くて、暗くて、でもオレンジ色で、さまざまな感情を呼び起こさせるのに、どこか静かで悲しくて、そんな朝焼けの風景。時間が時間だったために、見ておこうかなと思った。
マグカップから湯気が立ち昇る。そう言えば最初に朝焼けを目の当たりにしたのは、家族で行ったキャンプ場での朝だったような気がする。
あたりは霧に包まれていて、じっとりと冷たく清らかで、私は今日のように夢から醒めて外を見た。
小鳥が鳴いていた。でも、森はまだ眠っていた。そんなわけだから家族はもちろん、父さんも母さんも眠っていた。けれど、空だけは刻々と変化を遂げていた。
それを、私はひとりだけテントの中から抜け出して見ていた。いつまでもいつまでも。ちょうど太陽が山の間から出てきて、さあっと、本当に音を立てるようにして霧を照らし出すまで見続けていた。
あの時見た空と、町で見る空は確かに違う。キャンプ場で見たときは、朝日の偉大さに慄いたけれど、町で見るときはその前のなんとも言えない感情を引き起こさせる空が好きになった。
オレンジ色が深まって、段々空に光が伸びていく。端から紺色が薄くなって、淡い空色へと変化していく。それを、私はコーヒーを啜りながら見続けている。
今日は日曜日だった。南くんと海へ向かう日だった。
熱いコーヒーは、少しだけ私の舌を焼いた。
南くんの私服は思っていたよりも落ち着いたものだった。かといって変に気取っているような感じもしなくて、とても自然体だった。私はそれをとても気に入った。いいと思った。
「素敵だね」
先に来ていた南くんと挨拶を交わして、そう言ってあげた。
「高橋の方こそ」
そう言って南くんは綺麗に笑った。さっと掌が差し出される。
「行こうか」
返事は握り返す掌に込めることにした。