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3話 二番目の夢

 二つ目の夢は船の上で始まる。私は船に乗ったこともなければ、生まれてこの方、海に行ったこともないのだけれど、どういうわけかその夢の中で私は船に乗っている。とてもリアルに海は出来上がっていて、そんな海に負けず劣らず、船も細部までしっかりと再現されていた

 海は穏やかで、波も立っていなければ風も吹いていない。太陽はぎらぎらと天頂で輝いているものの、それほど暑いこともなくて、船の上は随分といい環境になっている。

 ただ、そこでも私は前に進まなければならないことを知っている。そう思っている。

 船は帆船ではなくて、クルーザーのように充実した装備を施した船だった。私は甲板に立っていて、夢が始まるとすぐに移動して運転室へ向かい、周りを海に囲まれている中、とにかく船首が向いている方へ移動しなくてはならないと思っている。

 エンジンをふかして、様々なボタンがあるパネルを慣れた手つきで扱い、私は加速のためのレバーを引く。船は徐々にスピードをあげていって、その内海面を撥ねるようにして進むようになる。

 船は、どこを見ても地平線はおろか、島の影すら見えない海の中を、ものすごいスピードでどんどん前へ移動していく。後ろから来るものを(果たしてそんな存在がいるのかはわからないが)脅えるようなことすらなく、ただただ前に突き進んでいく。

 そうして、がばりと目を覚ます。

 時計に目を向けた。深夜三時を少し回ったところだった。一時間ぐらいしか眠れていなかった。高校生になってから、二日続けてこの夢を見るのは初めてだった。

 まだ小さかった頃は、それこそ毎日のようにこの夢を見た。眠れなくて母さんを起こしたり、暗い中が怖くて泣いたこともあった。 

 そんな夢。

 いつの間に慣れてしまったのだろうか。夢はもうすでに私の中の一部として成り立ってしまっている。

 いや、そもそも夢というものはそう言うものなのではないだろうか。横になって考えた。夢は、私自身が見るものだし、他の誰にも見ることは出来ない。それは私が内包している何かが影響しているのかもしれないし、もしくは私の知らない一面なのかもしれない。

 ここにいる私と夢の中の私。もしかしたら、それぞれがそれぞれに、それぞれの世界を生きていて、夢の中だけで互いの世界を覗き見ることが出来るのかもしれないなと思った。それは立証も出来なければ確認することも出来ないことだったけれど、もうそうなら面白いかもしれないなと思った。

 ハローハロー、聞こえますか。ここにはいない私へ。この声が聞こえているでしょうか。

 そんなことを、目をつぶって真剣にやってみたらとても愉快になってきた。

 クスクスと、暗闇の中に笑い声を響かせて、私はひとしきり身体を振るわせ続けていた。やがて、可笑しさが収まると、穏やかな気持ちになってそっと目を閉じた。

 閉じる前に見た時計は、三時半を少し回ろうとしていた。明日も学校があるのだ。そろそろ寝なくてはならなかった。

 ゆっくり呼吸を繰り返しながら、三つ目の夢を見なければならないのだろうなと思った。ああ、加えて、明日はゴミを出さなければならない。待ち構えていることは、それぞれ形は違うけれどたくさんあるようだった。

 面倒くさいなと思いながら、じっと布団の温もりを感じ続けていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。


 南くんは、結構思い切ったことを提案する人だと思う。

 私が海に行ったことがないのだと(夢のことは話していないけれど)帰り道に口にすると、「それじゃあ、この週末に海に行こう」と言い出したのだ。

「随分急なことを言うんだね」

「急だからいいんじゃないか」

 南くんは笑顔が良く似合う。いつか見た脅えたような表情もなかなかに捨て難いと思うけれど、やっぱり一番は笑顔だと思う。もしかしたら洋子ちゃんはこの笑顔に心を動かされたのかもしれない。少し気分がブルーになった。私は南くんへの洋子ちゃんの想いを思い出すたびに、なんだかとても済まない気持ちでいっぱいになってしまう。

「どうしたの。もしかして、何か予定入ってたりした」

 訊いてくる南くんはどこまでも優しくて、そして純粋だ。私は何でもないと誤魔化して、無理やり明るくするように声の調子を変えてみた。

「海。でも秋の海ってどうなんだろう」

「わからないから面白いじゃない」

 南くんにかかれば、どんなことでも面白いことに変わってしまうような気がした。

「それじゃあさ、日曜日の九時に、駅で待ち合わせしよう」

 うん、と頷いて、私たちの会話は、今日はここまでで途切れた。二人の歩く靴音だけがやけに大きく響いているような気がする。歩調を合わせると、呼吸まで一緒になって、心臓の鼓動も同時になっているような錯覚を覚える。

 沈黙は、言葉がない分だけ濃密で、いろいろなことを秘めているものなのだ。

 こうやって何も話さないで帰ることに慣れてから、南くんは随分印象が変わったような気がする。クラスの中でも、男友達にそんなことを言われているのを目にしたことがあった。南くんはそんなことないよと誤魔化しているけれど、そんなことないよと言う南くんの発言こそ、そんなことないと思う。

 何というか大人になったような感じなのだ。前まではどことなく落ち着きがなくて、いつもそわそわしているような感じだった。でも、最近は深く、遠くを見つめるような眼差しをしながら黙ることや、友達の話の中でもじっくり考えて口を開いているような姿が目に付くようになってきたように思える。

 洋子ちゃんは、それは絵梨のお陰だね、なんて言うけれど、とんでもないと私は思う。おそらく南くんには落ち着いて時間を過ごすということが圧倒的に足りなかっただけなのだ。いつもせかせかと、何かに追われるようにして過ごしていたから、どこか幼稚で軽い印象を放っていた。

 それが、静かに過ごすことを経験して、まあるく深みを持つようになった。ただそれだけなのだと思う。

 確かに、私と付き合うようになって、それで南くんは静かに過ごす時間を持つようになったのだろう。けれど、実際に変化しそれを引き起こしたのは、他の誰でもない、静かに時間を過ごすようになった南くんなのだ。私は何もしていない。したとするなら、違う道を指差した程度に過ぎないと思おう。

 私と南くんの足が止まる。私の家があるアパートの前だった。

「それじゃあまた明日」

「また明日」

 そう言って別れるのは、なんだかとても悲しいことのような気がする。それほど南くんのことを好いているわけじゃないけれど、誰かと別れるというのは、それ自体が悲しみといっしょくたになっていることなのだろうと思う。

 アパートの前で立ち尽くして、ひとり家路を歩く南くんの後姿を見つめる。その大きな背中には、夕陽が差し込んでいるのに、どこか影があるような気がした。

 ああ、南くんも私と同じで悲しいような淋しいような、そんな気持ちになっているんだろうな。

 手持ち無沙汰になった掌が冷たかったので、ポケットの中で強く握り締めた。その冷たさが、遠く離れていく温もりが、どうしようもなく愛おしく感じられた。

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