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12話 再生する日常

「絵梨、絵梨。起きなさい。目を覚ましなさい。お前はまだこちらに来るべきではないよ。お前にはまだ確かな繋がりがあるだろう。その繋がりを感じることができるだけの心が残っているだろう。だから、お帰り。繋がりがあるうちはここへは来ていけないんだよ。大丈夫――は、ずっとお前のことを見守っている。愛しているんだから。ずっと変わらず、私はお前のことを思っているんだから。だから、ね、早くお帰り。絵梨の帰りを待っている人がいるのだから」


 懐かしい声を聞いたような気がした。まどろみの中で、ぼんやりと記憶の糸を辿ろうとした。けれどズキリと激しい頭痛がして、それ以上は思い出せなった。

 カーテンから陽射しが差し込んできていた。

 何時だろう。思い、時計に目を向けようとしたところにとてつもない騒音が聞こえてきた。

「高橋、高橋! いるんだろ? なあ、お前中にいるんだろ? どうしたんだよ。顔見せてくれよ。なあ、高橋! 絵梨!」

 南くんの声だった。南くんが、私のアパートのトビラをどんどんどんどん叩きながら大声で叫んでいるのだった。

 とても久しぶりのような気がした。私はベッドから起き上がって、ふらつく足下を不思議に思いながらもトビラへと向かった。チェーンを外して、鍵を外して、ドアノブを回す。射し込んできた太陽の明かりが、目に眩しかった。

「絵梨!」

「南くん……あれ、洋子も。それに……」

 心配そうな表情の洋子の隣には見知らぬ男の子が立っていた。誰だろうと思う。私はこんな男の子を見たことがない。

「絵梨」

 ぼんやり考えていると、南くんが私のことを抱き締めた。突然だったので、私は目の前が一瞬ブラックアウトするくらいにびっくりした。

「よかった」

 南くんの抱擁は思っていた以上に情熱的で、それでいてとても温かかった。じんわりと、身体の奥に力が渦巻いていくのがわかる気がする。見れば、洋子も、隣の男の子も安堵しきった表情をしていた。

「どうして電話に出なかったんだ」

 身体を離した南くんは、少し怒ったような表情でそう言った。電話。電話などあっただろうか。

「何度も連絡入れたんだよ。学校にいきなり来なくなっちゃって、それで火曜日からずっと休み続けて。何度も何度も電話して、ここに来てインターフォンも鳴らしたのに、絵梨ぜんぜん出なくて」

 言いながら、洋子ちゃんの瞳は潤んでいった。話を聞いて、ようやく私も状況が理解できるようになってきた。あの悲しみも思い出せるようになってきた。それから私は私の身体が動くことにも驚いた。いつの間にか精神わたしが戻ってきたらしかった。

 あるいは戻されたのか。

 どうしてそのようなことを思いついたのかわからないけれど、なんとなくそれが一番正解に近いような気がした。精神わたしは誰かに還されて、そのお陰で今こうしていられるようだった。

 理解ができると、とても穏やかな気持ちになれて、私は幸せだなあと思った。それから足に力が入らなくなって、南くんにもたれかかるようにしてその場で崩れてしまった。

 四日も眠り続けていたのだ。それも泣き疲れた上での睡眠。お腹は限界まで減っていて、でもそれを実感し、何かを食べなくてはならないと思えることがとても嬉しくて、私は少し涙を流しながら笑った。

 私はようやく帰ってきたのだ。

 

 お腹は空いているはずなのに、あまり多くは食べられなかった。私たちは私の家のリビングで、洋子ちゃんの恋人の椎名くんがコンビニで買ってきた昼食を取り、それからいろいろな話をした。

 まず最初に、私がこの一ヶ月間母さんが家出をしてしまった家で生活していたこと。それからそのときから回数がやけに増え始めたあの夢のこと。五つ目の夢のこと。悲しみに包まれていた火曜日のこと。全部話して、それから私はまたお腹が減った。

「まだまだいろいろありますから、存分に食べてください」

 椎名くんは気持ちのいい好青年だった。私はその優しさに甘えて、おにぎりをもう三個口にした。

 やがて、洋子が最初に口を開いた。ごめんねと、謝られて、私はうっかり頬張っていたおにぎりを喉に詰まらせるところだった。

「そんな、洋子が謝ることじゃないよ」

「でも、あたし、ずっと絵梨と一緒にいたのに。友達なら、一緒に時間を共有していたなら、そういったことにいち早く気が付くべきだった」

「それなら俺も同罪だ」

 南くんまでもそんなことを言い出した。私はいよいよ本格的に困ってしまう。だって、一番の原因は、そう言ったこと口にしなかった私にあるべきだし、問題にしてもとても個人的な問題なのでどうしようもなかったように思うのだ。

「それでも、俺には何かができたような気がする。何かをしなくてはならなかったんだと思う」

 南くんがここまで責任感の強い人だとは知らなかった。その真剣に思いつめた表情に、私はもう参ってしまって、説得するのを放棄した。

 こう言うタイプの人は、その罪を認めない限り先へは進めないのだ。難儀な人生だとは思うけれど、それもまた個性なのだから仕方がないと思う。

 私と洋子ちゃんと南くんは、代わる代わるに悪かったと謝り続けていた。謝り過ぎて本来の言葉の意味がわからなくなってしまうくらいに謝り続けていた。

「へへ、でもいいっすね、なんか。こう、お互いがお互いを思っているって言うか、そんな感じ」

 ずっと様子を窺うだけでひとり取り残されていた名取くんが、ふいにそんなことを口にした。

「でも、俺はそこまで重いのは勘弁かなあ、なんて。生意気言ってすみません」

 罰の悪そうに舌を覗かせた名取くんを見ていたら、突然馬鹿らしくなってしまった。最初に、やはり洋子ちゃんが声を漏らして、それを見て名取くんが、そして私と続いて、最後は南くんも笑い出してしまった。

 なんてくだらない。同じことを何度も何度も、壊れた機械人形のように頭を下げて、一体なにを伝えたいと思っていたのか。

 目尻に涙が浮んで、それを拭うと、自然と口が動いていた。

「久々に腹の底から笑ったような気がする。もうお腹痛い」

 南くんの表情が穏やかに緩んだ。洋子ちゃんは、またうるうる来ていた。名取くんは悪戯っぽく笑顔になっていた。

「みんな、ありがとう」

 伝えるべきはこれだったのだ。これが一番伝えたくて、そして伝えなければならなかった言葉であり気持ちだった。

「本当にありがとう」

「止せよ。またさっきみたいになるぞ」

「なになに、今度はありがとうばかり言い合うの?」

「俺は絶対言いませんよ。言うのを聞いて、ありがたく思われる気分を味わうんっす」

 そうして、また笑いが巻き起こった。途中でぐうと私のお腹が鳴った。どうやらまだまだ空腹らしかった。

 私はそれからサンドウィッチを二袋食べ、温かいコーヒーを淹れてお腹を温めた。満腹すぎて気持ち悪くなりそうだった。でも、そのことがとても幸せだった。


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