原石かどうかはダイヤになって初めてわかる
人生とは不思議なものだ。時として何が起こるかわからない。運命というものなのだろうか。
私は幼い頃から本を読み漁り、親しみ、嗜み育ったわけではない。
父のいない家庭に生まれ、母は早朝から深夜まで働いていた。私は小学校一年生のときから一人で起きていたから、一度たりとも遅刻をしたことがない。それは今でも誇れる私の特技だ。
母の帰る頃に寝て、母のいない頃に目を覚まし、登校する。だいたいの生活リズムはそんな感じだった。
朝、学校に着くと、自分の席に座る。時間割を見て、必要な教科をランドセルから机の中に移動させる。そのときに自由帳もしまい込む。しまい込んだ自由帳を使うのは、半袖が運動場に集結する昼休みだ。
筆箱からB鉛筆を出し、自由帳の最後のページから順番に、使っている方へと開いていく。今も変わらないルーティーンだ。いつの時代も決まって言われるのはこうだ。
「おい永瀬、子どもは外で遊んだ方がいいぞ」
今になっても、私にはこの理屈はさっぱりわからない。もちろん、外で遊べば体も育つし、遊ぶのが好きな人には楽しいだろう。しかしそれは、母子家庭でギリギリの生活をしている私にとって、母と自分を苦しめるだけの自殺行為でしかない。
「自由帳になんかしてる方が楽だから」
なんて適当な言い訳をして、約一時間を絵や小説に費やした。
そのうち、クラスでも人気の男子が私の方へやってきた。
「すげー! これなんか難しいこといっぱい書いてるぜ! お前、頭いいんだな」
私、とても嬉しかった。とてもとても、嬉しかった。
母は週に一回だけ、少し長い時間家にいることがある。それでも、私のために必死で働いてくれていることは子供心ながらに理解していたから、母の時間を邪魔することは決してなかった。そのため、褒められるという経験があまりに乏しく、聞き慣れないそのワードがとても心地よかったのだ。
すごいだとか頭がいいだとか面白いだとか、とにかく投げかけてもらえる言葉はなんでも良かった。私の書いた小説がたくさんの人に読んでもらえること。私の描いた絵がたくさんの人に褒められること。それは、幼い私にとって、なによりのご褒美だったし、モチベーションだった。
絵本を読み、絵の模写やパロディを描けば、腕が上達した。褒められた。それでも、ずっと続けていると、なぜか描き続ける意味について考えるようになった。
前述の通り、本を読むことが特別好きな子どもというわけではなかったのだが、私は本物の小説というものをはじめて読んだ。
そこには不思議な世界が広がっていた。文字だけのはずが自作の絵本の紛い物よりも景色が見えてくるし、なにより語彙力が豊富。知らない世界があまりにも輝いて見えた。
こうして私は小説にのめり込むようになった。
あくる日もあくる日も書き続けた。書いて、書いて、書いた。
ある日のことだ。一人のミーハーな女子が、小難しい表紙をした雑誌を見せてくれた。
「若手小説家を大募集? なにこれ」
それは、小説を投稿してもらった若い作家を、今のうちから英才教育を行うというものだ。
もちろん、若いと言ってもだいたい送る年齢層は十代の後半から二十代だ。
そんな作家の卵を相手に、中学一年生になった私は、自分の実力を試したくなった。
投稿方法をよく読んで、1年近くはかけた力作を送り付けた。
編集者の目にはどう映ったのだろうか。
百点満点の評価が雑誌で掲載され、私はなんと、中学一年生にして作家としてデビューしたのだ。
即興小説より。
お題:とてつもない作家デビュー
制限時間:30分