哀情に降る雨
窓から何か小さな物が落下した。それは落ちてぶつかり、軽い音を立てた。どうやら割れなかったようだ。
やがて、その家から蝋燭を持った女性――セティリィが出てきた。星の出ていない外は蝋燭の灯りだけが頼りな暗さなので、ゆっくり周囲を照らしながら前進していく。窓へ近づいたときに蝋燭が照らし出したのは、暗闇の中、灯りを持たぬマント姿の人影だった。
「おや、これはお嬢さんの物だったかね。我輩が通りかからなければ、危うく割れるところでしたぞ」
マントを着た男が見せた物こそ、セティリィが先程落としてしまった小さな鉢植えだった。その人はセティリィに鉢植えを手渡した。セティリィは蝋燭で照らし、ヒビが入っていないか入念に調べる。そして何処にも無いことを確認すると、大事そうに抱えた。
「ありがとうございます」
男は手を振りながら苦笑する。
「礼などいらん。それより、短時間とはいえこんな夜更けにお嬢さんのような美しい女性が外へ出るなど、無用心だと思わんのかね」
「それほど大切な鉢植えなんです、これは」
男のきつい言い方に、セティリィは少々ムッとした。確かに最近の事件は怖かったが、セティリィは外に鉢植えを置いておきたくなかった。
「そうかすまない。老婆心だが何時誰にこのように捕まるか分からんぞと忠告したかったのだ」
男は小声で喋りながら右手でセティリィの口を塞ぐと、自分の体に引き寄せて抑えつける。セティリィは離れようともがくが、より強く抑えられるだけだった。
「……もう遅いがな」
男はセティリィの左腕を持ち上げ、蝋燭を男の口元まで持ってこさせる。そして軽く息を吹き、ゆらめく炎を消した。辺りは闇に包まれた。
そしてセティリィをより一層強く引き寄せると、首元に顔を埋めて一噛みした。塞がれた口から悲鳴が漏れる。次第にセティリィは全身の力が抜けていき、それまで落とすまいとぎゅっと抱えていた鉢植えすら手元を離れていった。パリンと音を立て無数の破片となる鉢植え。セティリィはその鉢植えだった物の最期を見ることは叶わず、二度と覚めない眠りに落ちた。
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翌日、セティリィは恋人のニストンによって発見された。生憎の雨だが会う約束の時間を過ぎてもセティリィが来なかったので、ニストンが家を訪ねてみたのだ。
すると、窓の近くで、彼が贈った鉢植えの欠片が落ちているのを見付けた。その周囲の土の感触が他より軟らかいので、先日の事件もありもしやと思い掘り返すと、そこにセティリィが眠っていた。セティリィの右肩辺りには、皮膚が抉られたような小さな跡があった。健康的だった肌の色は、恐怖で青ざめたかのように変わっていた。
「何故セティリィが狙われたんだ。俺が彼女を守るって約束したばかりだったのに」
ニストンは自分を責めた。だがどんなに後悔しても、セティリィが戻ってくる訳では無い。そうと分かりながらも、ニストンは冷たくなってしまったセティリィを抱きながら、歯軋りをして泣き続けることしか出来なかった。
ニストンに呼応するかのように、その日は一日中雨が止むことは無かった。