偽りとは人の為に
世間は卒業&入学シーズンに突入しようとしている。ああ、就職という人もいるだろうな。四月を迎えれば皆それぞれ立場が変わってくる季節。そう、春の到来だ。きっと今年も幸せいっぱい夢いっぱいの新入生が入ってくるのだろうなぁなんて考えている俺は大学二回生になる。俺自身、去年は希望に満ち溢れていたはずなのだが、今となってはすっかり絶望に彩られている。あんなに頑張って勉強して入学したにもかかわらずなんたるザマだ。と、親父に叱責された。親父、俺は受験で燃え尽きたのだよ。
とりあえず進級は出来そうなので安心しているが、実家に成績表が送付されるため、おそらく数日中にはゼウスも腰を抜かすくらいの雷が電波に乗って飛んでくるだろう。こんなとき、携帯電話は不便極まりない。固定電話なら家にいなかったと言えば暫く粘れるのだが。
そんなくだらない事を考えつつ、俺は大学でパソコンに向かっている。春休みで大学にはほとんど人がいないが、俺は所属しているサークルが発行する機関誌の作成に追われていた。似合わない? ほっといてくれ。
たった五人しかいない文芸部だが、一応大学からは認められているため、年間を通して何かしらの実績を残さなくてはいけない。諸先輩は毎年四月に機関誌を発行して部活紹介兼勧誘を行っていたらしい。確かに実績を残せるし紹介と勧誘が出来るのでこれに倣おうと思った。
らしい。というのも文芸部は一度廃部になっていて、俺が去年入学した時に復活させたのだ。別に思い入れがあった訳じゃないがな。部員の一人が高校からずっと文芸部らしいのだが、引っ込み思案で他人とうまくコミュニケーションがとれず、四苦八苦していたところに俺が声をかけた。ああだ、こうだと文芸部を復活させる手伝いをしたらいつの間にか俺も文芸部に組み込まれていた。そんなオチだ。
そんなわけで意外と真面目に機関誌づくりに励む俺だったが、携帯を買った当初から変えていない着信音1がその作業を中断させた。液晶のディスプレイには親父の表記。ああ……来たか。
「はいよ。何か用?」
「久しぶりだな亮太。どうだ調子は?」
不気味だ。いや、親ならばこんな感じなのかもしれないが、よりによってウチの親父がこんなことを言うなんて嵐の前の静けさとしか思えない。絶対裏がある。
「いや、調子はまぁそこそこいいけど。えっと、何?」
だめだ。動揺が隠せない。勘弁してくれよ。親父が心理戦を仕掛けてくるなんて聞いてないぞ。
「ふむ。便りがないのは元気な証拠というわけか。単に筆不精なだけかもしれんがな。くっくっく」
おいおい親父、なんか変なものでも食ったのか? 他愛のない冗談を笑いながら言うなんて聞いたことないぞ。
成績か? 成績表が届いて、あまりの酷さに親父が壊れたのか? これは過去最大の雷が落ちるやもしれんね。
「さて、亮太。単刀直入に聞くが恋人は出来たか?」
「ねーよ」
俺の脳内は情報の伝達がうまくいかず、混乱状態に陥っているようだ。頑張れ俺のシナプス。
だが、親父はさらに追撃を加えてきた。いや、トドメを刺してきた。
「そうか。では、お前の婚約者を紹介する。すぐに実家に帰ってこい」
俺の実家は東京にある。とは言うものの、実際は郊外の市だけどな。区だけが東京じゃないんだぜ。実家のある八王子市はそこそこ栄えている……と思う。区と比較されちゃ敵わないけど、市の中でなら上位のような気がする。周辺の市にあまり行ったことがないから何とも言えないけど。
大学のある静岡県から新幹線と鈍行を使って二時間半。ようやく地元に帰ってきた。親父はあのあとすぐに電話を切りやがった。掛け直しても留守電。シカトしてもよかったのだが、そうすると成績と合わせて二発の雷が落ちる危険性がある。俺に残された選択肢なんてなかったんだよ。
「変わらない街並みだなー。って、『そごう』が閉店してる!」
『そごう』とは、所謂百貨店である。小さい頃はここでよく鬼ごっこをして怒られた。たった一年この街にいなかっただけなのに変わらないと思っていた街並みは予想以上に変化していた。ちょっと寂しくなる。
「一年で意外と変わるものだろう?」
「ああ、まさか『そごう』がないとは思わなかった」
「それだけ月日とは人も会社も変える力があるのだ。ふむ……。亮太、一年ぶりだがそこそこ男らしい顔つきになったじゃないか」
「ありがとよ。って親父!?」
自然に会話に発展していた。気付けば親父が隣に立っていた。忍者かアンタ。大体待ち合わせもしてないっていうのになんでここにいるんだよ。人がごった返す八王子駅だってのに。ずっと待ってたのか?
「なに、お前の事だ。電話のあとすぐに身支度したのだろう? しかし、大学やら私生活でやることがある。それらをある程度片付けてから来るとなると、この時間だろうと思ったよ」
親父が鋭すぎてキモイ。全てお見通しって感じの視線が怖い。計画通りって笑顔が……くそ、ちょっとかっこいい。出来る男の表情だ。
「親子で立ち話というのもなんだ。その辺の喫茶店にでも行くか」
俺の意見を聞く前に親父は歩き出していた。完全に主導権を握られた。こうなるともう俺は親父の手のひらの上で転がされるだけだ。……え? 主導権を取るつもりだったのかって? 当り前だろう。いつもそう思っているさ。思ってはいるんだけど、な。
親父についていくと個人経営と思われる喫茶店に着いた。
なるほど。見た目ではなかなか喫茶店とはわからない。何だか隠れ家のようでワクワクする。
「二人。喫煙で。いつものやつを二つ頼む」
店員は静かに頷くとカウンターに消えた。いつものってことは常連なのか? あと、いつものって言う奴初めて見た。
「さて、どう話したらいいものか。ま、飲み物が来てからゆっくり話そう」
そう言うと親父はゆっくりと煙草を燻らす。紫煙が空間を包んでいった。しかし、この喫茶店は本当に常連しかこないようだ。しかも席同士が若干離れているうえに仕切りも高いため、密談にはもってこいだ。ここ、小説のネタになりそうだな。
俺だったらどういった話にしようかと考え出したところで店員が飲み物を運んできた。目の前に置かれたのはミルクティーだった。
「ここのロイヤルミルクティーは濃いめなんだ。気に入ってるんだよ」
そう言うと親父は静かに口を付けた。満足しているようで、口元が笑っている。
俺もそれに倣い一口。なるほど。これは美味い。紅茶の香りとミルクの香りが絶妙だ。味も非常に濃厚で親父の好みにドンピシャだな。後味にほんのりと紅茶の渋みが残る。うん、美味い。
「さて、亮太。お前を呼びつけたのは折り入って頼みがあるからだ」
あんなに美味かった紅茶が突然なんの味もしなくなった。親父が俺に頼みだと? 婚約者がどうとか言ってなかったか?
「なんというか、事情が事情でな。お前以外に頼めん。どうだ?」
「親父がそんなことを言うならよっぽどなんだろ? とりあえず聞くよ」
「ふむ。すまんな。では、大まかに内容を説明しよう。メモの準備はいいか?」
「大まかでそんなに長いの!?」
「いや、短いんだがどうせ聞いてもすぐに『もう一回言ってもらえるか』と言ってくるだろうからな」
なんだそりゃ。短いのならすぐに覚えるわ。で、内容は?
「一日でいい。イギリス貴族のお嬢様と恋人のフリをしてくれ」
「すまん親父。もう一回言ってくれるか?」
「だからメモを取れと言ったじゃないか」
いや、そういう問題じゃないだろ! 話がぶっ飛び過ぎているわい!
「とりあえず落ち着け。詳しく話す」
親父の話を簡単に纏めるとこうだ。
親父が務めている会社とその貴族は昔から取引があった。親父が担当になってから関係はより親密になったようだ。で、先週、先方から依頼? が来たそうだ。その内容が
『別の貴族の男がうちの娘を嫁に欲しいと言ってきた。しかし、相手の男は女たらしで有名のロリコン野郎だ。たちが悪いことに相手の家はイギリスではちょっとした名家できっぱりと断ることも出来ない。そこで私は言ってやったのだ。うちの娘には既に婚約者がいるのだと。日本と言うことにしておけば諦めると思っていたのだ。ところが奴は日本に行ってそいつが相応しい男か見てやると言いだして聞かない。近々日本へ行くように手配しろと言ってきた。何とか時間を稼ぐので、君が信頼する男を紹介してもらえないか? 迷惑をかけてすまない。しかし、君以外に頼れる人がいないのだ! なんとか頼む。吉報を待っている』
と言った内容らしい。
……馬鹿かよ。
「向こうは至って真剣だ。日本とは家の持つ意味合いが違うのだ。まぁ、俺も下らない事だとは思ったがな。しかし、助けを求められて見て見ぬふりは出来ん。そこでお前に白羽の矢が立ったわけだ」
「俺にどうしろって言うんだよ。こっちはショボイ大学生だぞ?」
「確かにお前は学費を出してやっているのにろくに勉強しない親不孝者のショボイ大学生だが、若い奴で信頼が置ける人間は息子であるお前以外にいない」
ここで成績の事を匂わせられるとは思わなかった。だが、親父が信頼を置いてくれているという事実に心が躍った俺がいた。
「なんかプランは考えてあるの?」
「いや、お前に任せる。下手に計画するとお前は失敗するからな」
その通りだろうな。一つでも計画通り行かなかったらそこから総崩れになる気がする。しかし、俺に全てを任せるって大丈夫なのか? 自慢じゃないが、レディーをエスコートなんて出来ないぞ?
「大丈夫だ。お嬢様はまだ十三歳だ。遊園地やら動物園やらで十分満足するだろう。日本語も堪能だから、会話も困ることはあるまい」
「は?」
「ん?」
いや、お嬢様は……。
「ああ、お嬢様は十三歳だ。それがどうした?」
それじゃ俺もロリコンになるだろうがぁぁぁぁぁ!
何をさらっと言ってんだよ親父!
「フリだと言っただろう? 妹か歳の離れた従妹と遊んでやると考えてくれればいい」
「いや、それにしてもだろ。大体失礼があったら俺はともかく親父がやばいんじゃないのか?」
「なに、どうってことはない。お前なら上手くやると信じているよ」
「ぐっ……」
親父の不意打ちに何も言えなくなった。親父がここまで信頼してくれている。嬉しかったし、誇らしかった。俺に出来るなら……応えたいと思っていた。
「……親父」
「ん?」
ミルクティーを飲みながら俺の返事を待っている。その瞳にはいつもの鋭さではなく、慈愛が満ちていた。
「やるよ。その話、引き受ける」
かくして、一般市民の俺とイギリス貴族のお嬢様のデートが実現した。あの親父との密談から一週間後の日曜日。俺はお嬢様と手を繋いで仲良くデート中だ。パッと見ると兄妹か? いいえロリコンです。本当にありがとうございました。
「リョータ? どうかしましたか?」
「いや、現実なんだなと、ね。はは、何でもないよ」
可愛らしく首を傾げるアリスはまるで人形のような可憐さだった。俺、ロリコンでもいいかもしんない。
「それでこのあとは何処へ行くのですか?」
「うん。ここでショッピングなんてどうかな?」
時刻は既に午後二時。午前中に遊園地で思いっきりはしゃいできた後はゆっくりとショッピングをと思い、このアウトレットモールに連れてきた。遊園地は初めてだったらしく、興味を持ってくれたようだった。……特にジェットコースターがお気に入りだったらしく、七回も乗ることになるとは思わなかったがな。俺、苦手だったんだけど……。
そんなわけで俺も休憩を兼ねてここに来たわけだ。とはいえ、相手は貴族。ここですら少々物足りないのかもしれないという不安もある。
「リョータ! 次はここを見たいです!」
前言撤回だ。アリスはもう銀河がその瞳の中にあるんじゃないかっていうくらいキラキラした瞳で駆け回る。これで五件目。休憩なんて、甘かった。
結局、アウトレット内のコーヒーショップに腰を落ち着けたのはアリスが十一件目を見終えてからだった。
「ここはすごいですね! 魅力的なお店がいっぱいです!」
「気に入ってもらえて嬉しいよ」
俺はアイスコーヒーを、アリスはミルクティーを飲みながら休憩する。どんなことでも絵になる女の子だ。
「今日はとても楽しいです。リョータ、ありがとうございます」
どこか陰のある言葉だった。心から感謝を言っている事は伝わる。でも、この言葉の裏にあるものは……哀しみか? いや、小説の読み過ぎと書き過ぎか。しかし、気になる。
「俺も楽しいよ。アリスみたいな可愛い女の子とデートなんて夢みたいさ」
「か、可愛いだなんて……」
顔を伏せてしまったが、真っ赤な耳が月の光のような金髪から覗いていた。
さて、やはり言っておくべきか。
「ねぇアリス。ちょっと質問してもいいかい?」
「……どうぞ」
先ほどとは違う表情の彼女は年齢以上に大人びて見えた。やはり、彼女は知っているのだ。
「今回の事の顛末は全て聞いているのかい?」
「はい。全て、聞いています。ロイフォスター家が私に求婚していることも」
抑揚のない声が響く。さっきまであんなにはしゃいでいた彼女はどこへいってしまったのだろう。
「ロイフォスター家は名家です。当家とは文字通り格が違うのです。今回はお父様が無理を言ってリョータにご迷惑をかけてしまいました」
「そんなことないよ」
アリスは驚愕しているようだった。即答したことがそんなに意外だったのだろうか?
「何故、貴方がここにいるのですか」
その瞳は俺ではなく、俺の後ろにいる誰かを捉えていた。振り返る前に声が聞こえてくる。
「何故って、未来の妻が日本のサルに襲われていると聞いてね。助けに来たよアリス」
典型的な厭味だなと思いつつも、俺は振り返った。そこにいたのは金髪蒼眼でやたらイケメンの男。モデルかよ。
「アレックス様、初対面の方に失礼です。訂正してください」
「様、なんて他人行儀はいい加減やめてくれよ。あと、訂正するところはどこだい? んー? イエローモンキーの方が適切か?」
外見はいいのに残念な奴だ。まだ幼さが残る顔つきを見ると高校生くらいだろうか? しかし、日本語上手いなこいつ。
「まあいい。さぁ帰ろうアリス。こんな奴といたら純粋で美しい君が汚れてしまうよ」
さて、どうするか。アレックスとかいう奴の後ろには取り巻きが数人。
……ごついなぁ。スーツがパンパンじゃないか。さすがに腕力じゃ勝てないよなぁ。
「……リョータ。今日はとても楽しかったです。本当にありがとうございました」
俺の考えが纏まらないうちにアリスは席を立つ。アレックスは勝ち誇った表情で俺を見下す。アリスの悲しそうな表情を見た瞬間、俺は行動していた。
「そうだな。楽しかった。だが、俺はまだまだ満足していないんだ。どうだい? 休憩もしたし、一つ運動でもしないか?」
「えっ?」
返事は待たない。俺はアリスの手を取ると出口へ駆け出した。
「おい! 貴様!」
後ろから怒号が聞こえるが無視だそんなもん。さすがにアリスと俺の身長差では歩幅が違いすぎるせいで徐々にアリスが遅れだした。
「リョータ! 私の事はいいから! 私が……」
「失礼しますよ、お嬢様っと!」
俺はアリスを抱きかかえて走ることにした。これが本当のお姫様抱っこってか。下らない事を考える余裕があるところをみるとこの方がまだ効率がいい。急にアリスがおとなしくなったが、今は好都合だな。とりあえず距離を稼ぐか隠れるかを決めないと。とはいうものの、このまま逃げ切れるはずがないよな。俺、文系だし。ほら、もう息切れしてきた。お姫様抱っこって結構キツイんだな。
「アリス、一旦隠れよう」
返事を待たずにアリスを階段下のデッドスペースへ座らせる。彼女を隠すように俺は覆いかぶさった。
「あ、あ、あの……!」
「静かに。ちょっと窮屈なところだけど、あいつらがアウトレットを出ていくまでは隠れていよう」
「そ、そうではなくてですね」
アリスの顔が赤い。呼吸も荒いし、どこか熱っぽい表情だ。まずい、風邪か? お嬢様に風邪をひかせたなんて親父に言ったらどうなるか……わかる。すごく暗い未来が見えるわ。
「大丈夫かい? もしかして具合が悪い?」
「え? いえ、そんなことは……」
「いや、顔は赤いし呼吸は荒いし。ちょっとゴメンな?」
俺はアリスのおでこに自分の額を当てた。んー? 多少熱いかな? 風邪って判断出来るほどではないな。しかし、早いところアリスを安全な所へ連れて行って医者に見せたい。万が一ということもあるしな。
「…………」
アリスが何かを呟いたようだったが聞き取れなかった。と言うよりもそんな余裕が俺にはなかった。久しぶりの全力疾走にお姫様抱っこのオプション付き。心臓は粋な16ビートを奏でていた。正直しんどい。
「さて、どうしたもんかなぁ……」
とりあえず逃げたものの、この先のプランなんか全く考えてないぞ。大体ご本人登場なんて聞いてないわい。偽りの婚約者だとバレてないといいが。
しかし、仮にも婚約者の前であの態度はないだろ? あれじゃ何もかも関係なしじゃないか。誰だろうとお構いなしに連れて行こうとしやがった。んん? まさか、バレてるからあの態度だったのか?
「おそらく、アレックス様はリョータが婚約者でないということを見抜いているのでしょう」
不意にアリスが口を開いた。
え? バレているってこと?
「はい。元々そのような態度というか雰囲気というか……。そういったことには敏感な方ですから」
ああ、親父との会話であったっけな。女たらしのロリコンか。ロリコンはさておき、女性をたらしこむのが得意と言うのであればその好意がどう向いているのかを敏感に感じ取れるという事か。そりゃバレるわ。
「だから……これ以上は無駄です。リョータ、今のうちに逃げてください。このままだと危ない目に遭ってしまいます」
「え、なんで?」
「なんで? って」
婚約者でないことがバレているならここからは俺の自由にやれるってことだ。それじゃ、俺はごくごく個人的な理由と感情で動く事にしよう。
「あの金髪野郎、気に食わないから絶対にアリスを渡さん」
そうとも。理由なんか単純なものさ。『俺が気に食わない』からだ。自分勝手? 我が儘? いいじゃないか。恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲームって有名なアーティストも言ってただろう? 金髪野郎のエゴか俺のエゴか。負けてやるつもりは更々ないがな。
「それはそうと、体調は大丈夫か? 顔が赤いままだぞ? 熱はないようだが」
「だ、大丈夫です! ちょっとその、びっくりしただけなので!」
まぁ、本人が大丈夫というのであればそっとしておくことにしよう。このゴタゴタが終わり次第、医者に連れていけばいい。
「問題は今の状況をどうやって打破するか、だよなぁ」
とりあえず戦略的撤退を成功させたものの、このままおとなしく引き下がってくれるとは思えない。わざわざ日本まで来るやつがそんな簡単に引き下がるような奴ならこんな茶番だっていらないはずだしな。
さて、それじゃあどうするべきか。
1.一か八かアリスを抱えて駅まで逃げる。
2.奴らがアウトレットを出ていくまでここに隠れている。
3.話しあいで解決を図る。
とりあえずこんなもんかな。あまり悠長に考えている余裕もないし。
1に関しては博打性が強すぎるか。成功すればそのままタクシーで逃げる事が出来るからメリットは大きい。しかし、実行するのが俺ということがこの成功率を著しく減少させる。駅までは500mちょっとだろう。一人でも全力で走るには厳しい距離だ。お姫様抱っこの状態じゃなおさらだな。
2は愚策中の愚策だな。アリスにはそう言ったが、閉店まで時間はまだまだある。それにあいつらがこのアウトレットに圧力をかけて従業員総出で捜索させる可能性だって否定できない。奴は、いや、奴の家柄なら出来ない話じゃないのだろう。それは他の客にも迷惑がかかる話だ。さすがにそれは申し訳ない。
「となれば、消去法で3しかないか……」
話し合い。3つの案の中での最良索のはずだが全く成功する気がしない。そもそも何を話すんだよ。冷静に考えてみれば相手は名家(性格は悪いけど)で、俺は一般人。しかもフェイクだ。それを言われたら何も言えない。俺には正当性がないのだ。家同士、または親同士にいざこざがあるのであればそちらで解決を図ればいい。全く関係のない俺が口を挟める問題ではない。
そう。今回の件に関して言えば俺は蚊帳の外にいる。更に言うならば、こんなフェイクを頼んでくる時点で勝負は決まっている。明確に断れないからこそのフェイク。これが打破されたならばアリスの家は何故こんなことをしたとあの金髪野郎の家に責められるだろう。そうなればゲームセットだ。そして、あの金髪野郎は俺が偽物だと気付いている。つまり、今この時点で負けがほぼ確定しているのだ。
「どうするか……」
「リョータ」
アリスの声にハッとする。見つめ合った彼女の瞳は決意と覚悟が見て取れた。
「貴方が本当に婚約者だったらと何度も思ってしまうくらい楽しい時間でした。大丈夫、貴方には指一本触れさせないようにします。今日という日を、貴方という人を私は一生忘れません。本当に……ありがとう」
気丈な態度に覚悟の込もった言葉。それとは裏腹に彼女は泣いていた。
「感動的なお別れは済んだかな?」
振り返ればそこには取り巻きを引き連れた金髪野郎が立っていた。
俺は立ち上がると後ろでもアリスが立ちあがる気配がした。俺は一歩前に出て金髪野郎と対峙する。
「全く、余計な手間を掛けさせないでくれ。君は何をしているか分かっているのか?」
前髪をかき分けながら俺を見下す。性格ってここまで悪く出来るもんなんだな。感心したよ。
「生憎と世間知らずなもので。許嫁と仲良くデートすることはイギリスではタブーなのでしょうか?」
「許嫁? ハッ。偽物が笑わせてくれるじゃないか」
高らかに笑うと取り巻きたちも笑いだした。無性に腹が立つ。しかし、やはりバレていたか。これで考えていた3つのプランは全て不可能となった。
ふと、後ろの気配を探るとアリスが肩を震わせているのがわかる。振り返るとやはり彼女は泣いていた。
その彼女を見た瞬間、俺の覚悟が決まった。この子を不幸にさせたくない。この子がいいというのならば、俺は何にだってなってやる。どんな無茶もこなしてやる。
「アリス。本当に俺でいいかい?」
「えっ?」
「本当に俺が許嫁に……将来の伴侶になってもいいかい?」
哀しみに満ちた顔の、まずは瞳に希望が浮かび、口には笑みが戻り、頬はうっすらと紅潮していたが、涙の雫は止まらない。その表情はようやく年相応の少女の顔だった。俺とアリスの間にあった人一人分程のスペースはアリスの一足飛びで見事にかき消された。
飛び込んできた少女を受け止めて言う。
「今、この瞬間から俺と幸せな将来を約束してくれ」
「今、この瞬間から貴方と共に歩く未来を望みます」
抱き合って交わした誓いの言葉は、俺たちのやりとりを一部始終見物していた野次馬を熱狂させた。
「すごーい! これドラマの撮影?」
「あんな情熱的な告白をされたいなぁ……」
「金髪の外人さん、完全に蚊帳の外じゃん」
周囲からは拍手と野次馬の声が聞こえる。皆が味方し、祝福してくれていた。逆転の一手はあったのだ。
「ふざけるな! 正式なやりとりもないままに許嫁になれるわけがない!」
「ならば今からイギリスに行ってアリスの親父さんに許しを貰ってくるさ」
「ふん! それならばそれよりも先にこの僕がその許しとやらをいただいてこよう!」
圧力をかければこっちのものという表情がわかりやすく見てとれる。実際、俺はパスポートもない状態なのでイギリスに行くにはどうしたって時間がかかる。果たして間に合うだろうか?
「間に合うも何もないぞ。亮太」
野次馬をかき分けて出てきた人物は二人。一人は親父だった。もう一人はまさに紳士と呼ぶに相応しい気品に満ちた男性だ。
「お父様!」
……だからご本人登場は聞いてないと言っているだろうが! サプライズにも程があるわい!
「アリス。彼と共に生きる事を望むようだが、その言葉に嘘偽りはないかい?」
「一切ありません」
即答だ。いつの間にか涙は消えている。跡の残った顔を見て、思わず涙の跡を拭いてやった。アリスは
くすぐったそうに俺を見る。
「亮太。俺は嘘が嫌いだ。さっきの言葉、男に二言は」
「ない」
俺の言葉に親父は軽く微笑んだ。全く、何が嘘は嫌いだよ、クソ親父。ま、口には出さないけどな。思うだけ。後が怖いからな。
そして鞄からA4サイズの紙を取り出すと、隣のアリスの親父さんに渡す。
「では、ここにこの二人を許嫁とする旨を書いてあります。異存がなければサインをお願いしたい」
「異存など。これからは家族としてもよろしく頼むよ」
「こちらこそ」
アリスの親父さんは笑顔でサインをすると、金髪野郎に告げた。
「アリスは確かに亮太君の許嫁だ。今後、娘には近づかないでもらおう」
周囲は大歓声。当人である俺ですら映画のワンシーンじゃないかと錯覚するような場面だ。金髪野郎は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。しかし、場の空気に押されたのか、振り返ると取り巻きを押しのけて去っていった。慌てて追いかける取り巻きたち。俺はホッとして思わず腰が抜けてその場にへたり込んでしまった。
「何だ、亮太。お父さんが来て安心したか? 許嫁の前で情けないな」
「今くらいは勘弁してよ」
親父が茶化してくる。今日は驚愕のオンパレードだったが、その中でもこれは上位に入るな。親父が茶化してくるなんて次に見られるのは何年後だ? 全く、今日という日を忘れるなんて一生出来ない事だろうな。
それから色々あった。アウトレット中の人に祝福され、恥ずかしさから我に帰ればアリスの親父さんと対面。緊張で何を話したかなんて全く覚えちゃいないが、娘を頼むよと肩を叩かれたことだけは鮮明に覚えている。で、親父には無言で胸を小突かれた。さすが俺の自慢の息子だと小さく、でもはっきりと言ってくれた。少し泣いてしまったのは内緒だ。
あの一日から一カ月。俺は今、成田国際空港にいる。アリスの親戚に挨拶に行くためだ。初の海外がこんな重要イベント付きとは、一か月前は考えられなかったね。
親父はすでに俺のパスポートを申請してくれていた。曰く、信じていたからだそうだ。ここまで来ると尊敬を通り越して畏怖の念を抱くわ。うちの親父怖すぎワロエナイ。
それはさておき、あのあとアリスは親父さんと共にイギリスへ帰国した。今後のことも一緒に考えたいので近々イギリスに来てくれと言い残し去っていった。アリスも寂しそうにしてくれていたことが少し嬉しかった。同時に、必ず会いに行こうと決意させてくれた。よって、この一カ月はバイトに明け暮れてお金を貯めたというのに、つい先日、親父が
「亮太。イギリスに挨拶に行って来い。これはパスポートとチケットだ。向こうではスミスさんが泊めてくれる事になっている。失礼のないようにな」
と言ってパスポートとチケットを渡してきた。お金を稼ぐ大変さが少しはわかったか? わかったならそれなりの成果を出すように。と付け加えて。……成績表が送られたようだな。
とりあえず、親父からも逃げられる上にアリスに再会できるということで即座に支度を整えた。肝心の宿だがイギリス滞在期間中はアリスの家、つまりスミス家にお世話になる。必然的に親戚への挨拶も行くことになる。英語の勉強はしてきたが、話せる気はしないな。
「何にしても、真剣さを伝えるしかないな」
「そうですね。反対の人はいないと言っていましたからその気持ちがあれば大丈夫ですよ」
あれ? 俺の独り言に合いの手が入ってきた?
「それに私も同席しますから」
「アリス!?」
俺の出した大声に周囲の人が振り返る。うわ、恥ずかしい。
「って、そうじゃなくて! なんでここにアリスがいるんだ!?」
「お父様がこの日の、この時間に日本から飛行機に乗って来ると教えてくれたので、お迎えにあがりました」
ニコッと笑うアリスは本当に可愛く、一か月前の無理をしたような大人っぽさは消えていた。
「嬉しいけど……驚きが先行して何も言えないよ」
「いいのです。時間はまだまだ沢山ありますから♪」
屈託ない笑顔に癒される。周りから見れば完全にロリコンです。本当にロリコン上等です。
「そろそろ搭乗ですね。行きましょう、リョータ」
「そうだね。詳しい話は機内で聞くとするよ」
「はい♪ あ、リョータ、靴紐が」
「えっ?」
下を向いた俺の目に飛び込んできたのは長いまつげと伏せられた瞳。口元には柔らかい感触があった。
「えへへ……。リョータ、I Love You 」
真っ赤な顔で先に搭乗口に駆けていったアリスを追って走る。案内のお姉さんが笑っているところを見ると俺も負けないくらい真っ赤なんだろうな。
買ったばかりのスーツとバックル式の革靴に身を包んだ俺は、苦笑しながら嘘つきな許嫁を追いかけた。




