(ちょっとながい)プロローグ
小説家になろうと思った。中学三年生の時だった。
特にきっかけと呼べるようなことはなかった。ただ、学校の総合の授業で、将来なりたい職業はなにかと聞かれたとき、浮かんできた仕事がそれだけだったから。自分は、小説家になりたいんだと思った。
小説家になりたいことはわかった。でも、なにをすればいいのかわからなかった。
文章を、物語を書けばいいのかと思ったけど、あいにく、家にはパソコンがなかった。
だったら、紙と鉛筆で書けばいいって? そうだね、その通りだ。
恐らく、僕以外にも小説家になりたいと思っている人はたくさんいて、その中で本気で小説家を目指そうとする人ならそうするんだろう。
でも、僕はしなかった。言い訳を言うなら、僕は自分の部屋を持っていなくて、高校三年生の姉と、未だに子供部屋だったんだ。だから、自分が書いた小説なんかを家においていくことがイヤだったんだ。
自分の両親や姉が、僕の唯一のプライベートエリアである机をあさったりする事がないのは、15年間一緒に暮らしてきたことでわかっていた。
わかっていたけど、小説を書かなくてすむ言い訳を守るために、気づかなかった振りをした。何かに必死になるのが、無条件でむずがゆく、恥ずかしく思ってしまう年頃だからね。
でも、小説家になるための『努力』をしなかったわけじゃないんだ。これまた、言い訳がましいかもしれないけど。でも、変わったことはあったんだ。
まず、以前にも増して、本を読むようになった。
今までも、クラスメートやほかの奴らより、たくさんの本を読んでいた僕だったけど、それだけだった。友達はいた、と言うよりかは田舎だったので、小学校から知っている奴らばっかりだったし、成績だってどちらかと言うといい方だったし、運動だって、自分で言うのもなんだが、運動部に所属して三年間やり遂げた。
けど、小説家になろうと思い立ってからは、ただでさえ多い読書量がさらに増えた。放課後やたまに読む昼休み以外にも積極的に本を読むようになった。それが良い意味なのか、いい結果を生んだのかはここでは言わない。でも、当時に限って言うのなら、それはあまりいい結果を生まなかった。
まず友達が減った。いつも休憩時間になったら話しかけたり、話しかけにいっていた友達は、僕が本を読んでいる最初の方こそ、なに読んでるの? と話しかけてはくれたけど、僕が変わらず、一週間、二週間と本を読み続けていくうちに、それもなくなった。
次に、読む本の種類が増えた。今までは、赤川次郎や有栖川有栖のような、こんな言い方をしたら失礼だが、普通の、有名な人の作品が殆どだった。だけど、小説家になりたいと自覚してから、いろんな本を読み始めた。見境がなかったと言っても良いかもしれない。
とりあえず、今まではなんとなく、明確な理由はないまま遠ざけていたライトノベルを読んでみた。次は、芥川龍之介や太宰治などの方々が書いた歴史的文学作品も読んだ。
他にも、ライトノベルではないファンタジー系や純愛系、ミステリーまでも読んだ。でも、ホラーだけは読まなかった。苦手だったから。
あと、成績が変わった。下がったとか、上がったってわけじゃない。
もともと僕は、国数英のうち、国語は得意だったものの、数学も英語も不得意と言うわけでもなく、それなりにまんべんなく点数を取っていた。三教科での平均は80強くらいだろう。
それが、本を読む量を増やしたとたん、国語がグンと延び、数学と英語ががくっと…とまで言うほどではないが、明らかに下がっていた。
原因はわかっていた。授業中に隠れて本を読んでいたせいだ。それも国語以外の授業で。点数も偏ってくると言うものだ。
順位で言うなら、数学と英語が、それまでは十位代だったのが、一気に二十位代まで下がり、国語が、なんと一位になっていた。しかも百点満点で。
これは僕自身も大きく驚いた。確かに国語は得意だったが、当たり前と言うかなんとゆうか、僕は一位になったことはなかったのだ。
それも、当然といえば当然だ。本を読むからといってそれだけで、国語のテストで満点が取れるなら、国語の授業などなくなっている。
ただ、その百点のテストのことで、少し事件があった。
テストが返却される、終業式前日になった日のことだ。その国語のテストは、テスト当日に欠席者が出たため、返却が終業式ギリギリまで遅れていたんだ。
テストを国語の先生から受け取るとき、やたらニコニコしていたのを覚えている。僕が不思議に思いながらもテストを受け取り、そして、僕が点数を見たのを確認した瞬間、その教師は大きい声で、おめでとう! なんて言ってきた。
満点を取ったことを祝われているのだと言うことはすぐに解った。
別に、クラスメートに点数を知られることが嫌なんじゃない。悪い点数ならともかく、良い点数を取ったのに隠したがる奴の気持ちが全くわからない僕だ。当然、百点を取って、それがみんなに知られたからといって、何とも思わない。ただ、状況が違った。
嫌だったのは、その後の空気だった。
さっき書いたように、当時の僕はクラスでは孤立している。『では』だと、語弊があるな。僕は家でも孤立していたから。
まあ、そのことは後で書くとして。
とにかく、そんな奴が授業中、教卓の前で、クラス全員が教室にいるなか、満点を取ったらどうなるか。……ちなみに、満点だったのは僕一人。
前の僕ならよかった。クラスメートは全員小学校からの知り合いだから、みんな『すげー!』とか、『嫌みかよー!』みたいな感じで好き勝手に喚いてきて、僕はそれに合わせてヘラヘラ笑っておけばよかった。
今は。
『『『…………………………………』』』
無言だった。
誰も、何もしゃべらない。
別にみんな授業中だから静かにしている、なんて訳ではない。だいたいどこの学校でも一緒だと思うが、テストが返却される授業なんて、みんな点数を見せ合ったりして、うるさいものだと思う。
それすらも、ない。
席を離れて友達同士で固まって点数を見せ合いっこしていた女子も、点数が悪くてギャーギャーとやかましかった男子も。
喋るのを、やめた。
それが一瞬だけなら、教師の、突然の一言で思わず黙ってしまっただけと解釈する事もできた。
でも、その沈黙は、止まなかった。
睨みつけられたら訳じゃない。ただ、全員に、一斉に、見られただけだ。
誰も彼もが、見つめていた。その視線に含まれていたのは、もちろん羨望なんかではない。かといって、敵意や嫉妬でもない。
無。
それが一番近いような気がした。
こっちを見ている以上、無関心ではないのかもしれない。
例えるなら、普段、教室に居ることすら知らないような奴が、『あ、百点取ってる。あいつって賢いんだ』って言うだけの関心。無関心に限りなく近い関心。
それで僕は初めて、自分がこのクラスでどんな立場になったか解った。
決して、暗い奴なんかではなかった。ただ人より少し本を読み、人とは少し違う夢を持った、普通の奴だった。成績も、運動も、誰かよりできたり、誰かよりはできなかったりする。《誰よりも》がない普通の奴だった。
そんな奴が、いや、そんな奴だからこそ、休み時間や崩壊後の付き合いが悪くなっただけで、人は離れていった。その程度で離れていくような関係の人ばかりだったんだ。
そして、僕とクラスメイトとの距離は、均等に離れていた。全員と同じくらいの関係だから、リアクションも同じになる。要はそう言うことなんだろう。
そして、その三十弱の視線にさらされた僕はどうしたか。
どうもせず、ただ当たり前のように、黙って席に戻り、本を読み始めた。
それが、理想だったんだけどね。もちろん、僕はそんな強靭なメンタリティをしていない。
僕は俯いたんだ。
テストを教師から受け取り、振り向いた瞬間に、クラス中の視線にさらされて僕は、俯いてしまったんだ。