第8話 王都へ向かう荷造りと、逃げ道の消し方
「王都へ向かう」
レオンハルトの宣言は、朝の光みたいに唐突だった。
セレナは抱き上げられたまま瞬きをする。
「……王都って、あの王都?」
「他にどれがある」
「だって、あなた……人を避けてるんでしょう。噂だと」
「噂は正しい。だからこそ、行く」
意味が分からないまま、セレナは彼の胸当てに手を置いた。昨夜より鎖のざわめきが強い。黒い糸が小屋の外へ伸び、赤い糸がそれに絡みつく。
呪いが揺れている。集まっている。
このまま森に留まれば、また影喰いみたいなものが来る。——そういうことかもしれない。
レオンハルトはセレナを椅子に座らせ、毛布を肩から整えた。
その仕草が、昨夜より自然だ。慣れるのが早すぎて怖い。
「荷造りをする。お前は――」
「手伝うわ」
「座っていろ」
「手伝う!」
食い下がると、レオンハルトは少しだけ黙り、折れた扉のほうを一瞥した。
そして渋々という顔で言う。
「……なら、俺の視界から出るな」
「はいはい」
セレナが小さく呆れると、レオンハルトは眉を寄せたまま、棚の上の袋を下ろし始めた。乾燥肉、硬いパン、塩、薬草、油紙。旅慣れした手つきだ。
セレナは自分の持ち物がほとんどないことに気づき、唇を噛んだ。没落して、身につけているドレス以外は売り払った。持ってきたのは小さなハンカチ一枚だけ。
「……わたし、何もない」
「ある」
レオンハルトは即答した。
「お前はここにいる」
言い方が、ずるい。
胸の奥がじわっと熱くなって、セレナは視線を逸らした。
荷造りが進むにつれ、セレナは“見えない糸”の異変に気づく。
小屋の中に漂っていた黒い糸が、外へ引っ張られている。まるで何かがここを嗅ぎ回り、糸の匂いを辿っているみたいだ。
「……追われてる?」
「追われている、というより——集まっている」
レオンハルトは袋の口を縛りながら言う。
「呪いは、ほどきを嫌う。ほどかれれば消えるからな」
「じゃあ、わたしがほどくほど危険になる?」
「危険になる。だが——」
彼の視線がセレナに落ちる。鋼の青が、まっすぐだ。
「危険でも、やめさせない」
守ると言うより、決定事項。
セレナは喉の奥が乾く。
「……わたしの意思は?」
「尊重する」
「ほんとに?」
「死にたい以外は」
あっさり言われ、セレナは思わずため息をついた。
けれど、その“死にたいだけは奪う”という理不尽が、今はどこか救いにも見えてしまう。自分で自分を終わらせる自由が残っていたら、いつか簡単に手放してしまいそうだから。
レオンハルトは棚の奥から古い外套を取り出し、セレナの肩へ掛けた。
大きい。肩がすっぽり隠れる。彼の匂い――鉄と乾いた草の匂いがした。
「……これ、あなたの」
「目立つ。令嬢の服は」
「わたし、令嬢じゃないわ」
自嘲のつもりで言った言葉に、レオンハルトは手を止めた。
そして、低く言う。
「お前はセレナだ。それ以上でも以下でもない」
そのまま、外套の前を寄せ、紐を結んだ。
結び目が、きゅっと締まる。
それは衣服の結び目なのに、別の意味にも聞こえて、セレナは小さく息を呑んだ。
「……王都に行ったら、どうするの?」
「起点を探す」
「誰が、あなたにあんな誓約を……?」
「分からない。だが、王都には情報がある。……俺の呪いに関わった者がいるなら、王都だ」
レオンハルトの声は低く、怒りが沈んでいる。
彼は憎しみに飲まれるタイプではない。だからこそ怖い。決めたら、淡々と実行する。
セレナは指先を握りしめた。
自分は何をする? また結び目をほどく?
ほどけばほどくほど、彼の赤い糸が濃くなるのは見えてしまっている。
「……レオンハルト」
「なんだ」
「呪いが解けたら、あなたはどうなるの」
レオンハルトの手が、わずかに止まった。
答えが難しい質問だったのだろう。
それでも彼は、すぐに言った。
「自由になる」
「……自由になったら、わたしを手放す?」
セレナは自分で言っておいて驚いた。
手放される不安を口にしたのは、初めてだったから。
レオンハルトの目が、細くなる。
青が、鋭く濃くなる。赤い糸が、ふっと増える。
「手放す?」
その言い方が怖くて、セレナは慌てて付け足す。
「だって、わたしはあなたの重荷かもしれないし――」
言い終わる前に、レオンハルトがセレナの顎を掴んだ。強くない。けれど逃げられない角度に固定される。
「重荷なら、なおさら持つ」
「……ひどい理屈」
「俺の理屈だ」
レオンハルトは淡々と、けれど確実に言った。
「自由になったら、もっと選べる。
選べるなら、お前を選ぶ」
胸が、どくんと鳴る。
言葉が甘いのに、刃のように断言だ。
「……それ、狂愛ってやつよ」
「狂っていてもいい。お前が逃げないなら」
「逃げたら?」
レオンハルトは少しだけ考える顔をして、真面目に答えた。
「追う。……見つける。……二度と迷わないように、次は手段を増やす」
背筋がぞくりとした。
なのにセレナは、笑ってしまった。怖いのに、笑える。
「あなた、本当に最強ね」
「剣の話か」
「……執着の話」
レオンハルトは一瞬だけ目を伏せた。
そして、セレナの額へ短く口づけた。
「出発する」
セレナは外套の紐を握りしめ、頷いた。
王都へ行けば、過去が待っている。婚約破棄の相手も、没落の原因も、世間の噂も。全部、嫌な形で目に入るだろう。
でも隣には、呪われ騎士がいる。
最強で、理不尽で、逃げ道を潰してくる男が。
小屋を出る直前、セレナは扉のない入口を振り返った。
昨日までここは、死に場所になるはずだった。
なのに今は、“生きてしまう道”の入り口に見える。
レオンハルトがセレナの手を取る。
指が絡まる。ほどくのではなく、結ぶように。
「離れるな」
「……分かってる」
森の影が揺れ、黒い糸が遠くでざわめいた。
けれどセレナは、歩き出した。
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