第2話 呪われ騎士の小屋
レオンハルトの歩みは迷いがなかった。森の枝を避け、ぬかるみを踏まず、最短距離で外れへ抜けていく。抱えられたままのセレナは、抵抗する気力もなく、ただ鎧の硬さと体温の熱をぼんやり感じていた。
小屋は森の外れにひっそり建っていた。狩人の小屋を改装したような簡素な木造で、煙突から薄い煙が上がっている。扉を開けると、乾いた木の匂いと、薪が燃える匂いが混じって鼻をくすぐった。
レオンハルトはセレナを椅子に座らせ、毛布を肩からかける。暖炉の火を強め、鍋に水を張り、手早く湯を沸かし始めた。
動作は無駄がなく、必要なことだけを的確にこなす。その背中は、世話を焼く人のそれではなく、戦場の兵站を回す人のそれに見えた。
「……意外ね」
セレナが呟くと、レオンハルトは振り向かずに問う。
「何がだ」
「噂の人は、もっと乱暴だと思ってた」
「噂を信じるなと言ったはずだ」
そう言いながらも、湯の入ったカップを差し出してくる。手袋を外した指は節くれ立っていた。剣を握るための手だ。
セレナはカップを受け取り、熱で指先が生き返る感覚に小さく息を吐いた。
「ひとりで暮らしてるの?」
「他に誰がいる」
即答だった。
毛布の端を握る手に、無意識に力が入る。ひとり。こんな森の外れで、こんな小さな小屋で。
「……寂しくないの」
レオンハルトは少しだけ黙った。火のはぜる音が、その沈黙を埋める。
「寂しいと思う余地を作ると、人は寄ってくる」
「寄ってきたら、困るから?」
「巻き込みたくない」
淡々とした声。けれど、そこには確かな痛みがあった。
最強と呼ばれる剣士が、誰も近づけない理由。自分のせいで不幸になると信じているから。
セレナはカップの縁を見つめながら、胸の奥が少しだけざらつくのを感じた。
「……あなたのせいで?」
「俺のせいだ」
レオンハルトはそう断言した。反論させない硬さがある。
セレナは言い返しかけて、ふと気づく。
部屋の隅が、妙に暗い。暖炉は燃えているのに、そこだけ光が届かないみたいに影が濃い。
目を凝らすと、影が揺れていた。糸のように、細く、しつこく。
(……結び目)
昔からセレナには、目に見えない“縛り”が見えた。祈り、契約、恨み、誓い。人の想いが絡まってできる結び目。
子どもの頃は気味が悪くて、見えないふりをしていた。けれど、見えないふりをしても消えることはない。むしろ放っておくほど太くなる。
そして、その糸はレオンハルトの背中から伸びていた。
鎖みたいに幾重にも絡みつき、肩から胸、腕、喉へと巻き付いている。さらに糸の先は周囲へ伸び、部屋の空気まで重くしていた。
——これが、噂の正体。
セレナは喉を鳴らし、思わず口にした。
「……あなた、呪われてる」
レオンハルトが振り向く。鋼の青い目が、まっすぐにこちらを射抜いた。
「今さらだ」
「違う。呪いが“あなた”の周りを壊してる。あなた自身が不幸を呼んでるんじゃない」
「違いはない」
短く切られた言葉に、セレナは息を詰める。
違いはある。あるのに、この人は自分を責めるほうを選んでいる。それが、ずっと続いた顔だ。
「……みんな、解けなかったの?」
「神官も、呪術師も呼んだ。治癒術士もな。誰も解けない。だから、近づくなと言った」
レオンハルトの視線が、セレナの指先に落ちる。
まるで、触れられることを恐れる獣のように。
セレナは自分の手を見た。
この手は、治癒の祈りを唱えても、誰も救えない手。
けれど、糸が見える。結び目が分かる。触れたら——ほどけることがある。
胸の奥で、小さな火花がまた散った。
死に場所を探していたはずなのに、今は別の衝動が生まれている。
「……解けるかもしれない」
その言葉に、レオンハルトの表情が僅かに崩れた。信じたいと、信じるなとが同時に浮かぶ顔。
「何を言っている」
「わたし、呪いの“結び目”が見えるの。触れてほどくことがある。治癒じゃないけど……」
「やめろ」
初めて、強い拒絶が来た。
レオンハルトの周囲の影が、ざわりと濃くなる。糸が棘立ち、空気が重く沈む。
「危険だ。……俺に触れるな」
その言葉が、余計にセレナの足を前へ出させた。
危険は、もう十分だ。これ以上失うものもない。
だからせめて、最後に——この人の鎖を一本でも外せたら。
セレナは立ち上がり、震える足で一歩近づいた。
レオンハルトの瞳が、わずかに揺れる。
「セレナ、戻れ」
「……嫌よ」
そして、セレナはそっと手を伸ばした。
指先が、彼の胸当てに触れる——その瞬間。
冷たい金属のはずなのに、熱が走った。
影の糸が悲鳴みたいに軋み、部屋の空気が一段、底へ沈む。
レオンハルトの声が、かすれた。
「……やめろ!」
だが、セレナの指先はもう離れなかった。
結び目の中心が、はっきりと見えたから。




