第3.1話 制御不能、そして研究対象
久世ラボの朝は、コーヒーの香りと金属音で始まる。
白衣の袖をまくった久世くららが、ホットプレートの上で何かを温めていた。
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久世くらら「おはよう、遥。昨日はよく眠れた?」
一ノ瀬遥「おはようございます……というか、ここ昼夜逆転してません?」
久世くらら「うん。太陽よりコーヒーの方が信用できる。」
一ノ瀬遥「もう人間やめてますよ、それ……」
くららは笑ってマグを差し出す。
湯気とともに漂う、苦くて優しい香り。
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久世くらら「飲む? 脳が起動する味。」
一ノ瀬遥「……いただきます。」
遥は小さく一口。
その瞬間、カフェインが血流を駆け抜ける感覚がした。
妙に効く。いや、“効きすぎる”。
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一ノ瀬遥「あの……なんか、体が軽いです。」
久世くらら「そりゃそうだよ。あなた、細胞再生速度が常人の五十倍だもん。」
一ノ瀬遥「えっ……!?」
くららはホログラムを指で弾き、遥のデータを見せる。
筋繊維の密度、反応速度、代謝サイクル――どれも桁外れ。
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久世くらら「力の制御がまだできてない。だから――」
くららは棚から銀色の布のようなものを取り出した。
滑らかな光沢、触れると微かに脈動している。
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久世くらら「これ、“制御スーツ”。力をある程度セーブできる。」
一ノ瀬遥「こんなの、いつの間に……?」
久世くらら「徹夜のついでに作った。」
一ノ瀬遥「徹夜の“ついで”で発明する人います!?」
久世くらら「コーヒーさえあれば何でも作れるんだよ。」
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遥は苦笑しながらスーツを受け取り、腕を通す。
装着と同時に、背中で“パシュン”と小さく空気が弾けた。
薄い膜が体を包み、温かい光が走る。
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久世くらら「感覚どう? 違和感ない?」
一ノ瀬遥「……すごい。身体が軽いのに、地面を踏んでる感じが戻ってきました。」
久世くらら「よし。これで少しは“人間らしく”動けるはず。」
その“人間らしく”という言葉に、遥の胸が少し痛む。
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一ノ瀬遥「……ねえ、くららちゃん。私、本当に“人間”なんですか?」
久世くらら「人間ってね、定義が曖昧なんだよ。心があるなら、たぶんそれで十分。」
一ノ瀬遥「心、ですか。」
久世くらら「うん。科学で作れない唯一の変数。」
静かな間。計測器の光が二人の顔を照らす。
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そのとき、ラボの奥で機械が低く唸った。
警告灯が一瞬だけ点滅する。
くららは眉をひそめた。
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久世くらら「……またログにノイズ。最近、多いな。」
一ノ瀬遥「何かの不具合ですか?」
久世くらら「たぶん。気にしなくていい。――さて、実験を始めようか。」
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そのノイズの正体を、
このときの二人はまだ知らない。
それは、“久世ラボ”に眠る過去の影――
そして、再び動き出す“何か”の予兆だった。
力を制御できない遥の暴走と、くららの“責任”が交差する。
実験室の爆発音、そして初めての衝突。
第1章 第3.2話「暴走と、コーヒーブレイク」へ続く。




