第2話 資材調達と、ひとつの偶然
※この話の前日譚は「幕間0:眠気と奇跡の方程式(17年前)」を参照。
読まなくても問題ありませんが、読むと“眠気覚まし”の意味が深まります。
都市の外れにある独立研究所――「久世ラボ」。
そこに暮らすのは、白衣の袖をまくり、寝不足のクマを抱え、
それでもコーヒーを片手に笑う、一人の女性・久世くらら。
「……太陽、まぶしい。寝不足の敵だなぁ……」
黒のパンツに安全靴タイプのブーツ。
右手には爆弾マーク入りのマグカップ。
中身はもちろん、いつもの“濃いコーヒー”。
今日は資材調達の日。
本来ならAIドローンに任せれば済む仕事。
だが、彼女は外の空気が恋しくなって、ひとり街へ出ていた。
「少しくらい歩かないと、思考も固まるしね。……あ、コーヒーは別腹。」
呟きながら、くららは空を見上げる。
空気は乾き、太陽は高い。
彼女の目に映る都市は、かつてよりも少しだけ無機質で、
それでも――どこか人間臭さを残していた。
AI制御車両が滑らかに行き交う。
この時代、人は機械を信頼し、機械は人を守る。
――そのはずだった。
――キィィィィン!
金属の悲鳴が空気を裂く。
交差点の一角で、輸送車が制御を失い歩道へ突っ込んだ。
反射的にマグを放り、くららは駆けだした。
転がるマグから、黒い液が線を引く。
「っ……!」
倒れているのは若い女性。胸部は陥没、右腕は不自然な角度。
瞳孔反応あり、脈は極めて弱い。致命傷――だが、まだ間に合う。
「今やるしかない!」
肩掛けバッグを開け、瓶を次々取り出す。
動物用成長促進剤、強力ビタミン剤、筋肉増強剤(未調整)、カフェインタブレット。
そして――奥底に、一本の古びた小瓶。
ラベルには手書きの文字がかすれていた。
《眠気覚まし 試作No.4》
百年以上前、徹夜明けに寝ぼけながら作り、眠気も取れず“失敗作”として封印した薬。
けれど、なぜかいつも持ち歩いていた。
「……まさか、これを使う日が来るとはね」
くららは複数の薬品を混ぜ合わせる。
配合も分量も即興。だが、彼女の目には確かな計算があった。
泡立つ液体。焦げた匂い。虹のような光。
理論も倫理も関係ない――今は、ただ救いたい。
「――生きろ!」
彼女はそれを、女性の胸元にたっぷりとかけた。
閃光。空気が震える。世界の輪郭が一瞬だけ歪んだ。
女性の身体が跳ね、砕けた骨が音もなく再生。
裂けた皮膚が織り直され、血の色が戻る。
「……動いた……! でも、これは……再生ってレベルじゃ……」
それは“回復”ではなく、“再構築”だった。
くららの胸に安堵と恐怖が同時に走る。
遠くで救急ドローンの警告灯が点滅する。
くららは決断した。
「病院じゃ、説明できない……ラボで診よう」
小型リフターを呼び出し、女性を慎重に載せる。
白衣の裾が風に揺れる。
「――“眠気覚まし”、やっぱり失敗じゃなかったのかも。最悪の意味で。」
誰に言うでもなく呟き、くららは歩き出した。
破れたマグカップの欠片が、朝日を反射してきらめいた。
【次回予告】
目を覚ました少女・一ノ瀬遥。
「助けてくれたんですか? ――あれ、ここどこです?」
第1章 第3話「久世ラボへようこそ」




