第4.5話「くららの部屋と、忘れられない味」
反重力靴の暴走騒ぎから半日。
久世ラボはようやく静けさを取り戻しつつあった。
遥はソファに倒れ込み、くららは湯気の立つコーヒーを手に、ゆっくりと歩き出した。
くらら「……ちょっと部屋、片付けよっかな」
遥「え? 今まで片付けようと思ったことあったんだ?」
くらら「あるよ!? 2年に1回くらい!」
遥「それは片付けじゃなくて“文明の更新”だよ!!」
そんなツッコミを受けながらも、くららはふわっと笑い、白衣の裾を揺らしながら自室へ歩いていった。
⸻
■久世くららの“聖域”
くららの部屋は、研究所の一室をそのまま“私室化した空間”だ。
壁際には配線、工具、古いホログラムモジュール。
そして、遥が目を丸くするほどの謎アイテムが並んでいた。
遥「……え、何これ?」
くらら「あ、触らないでね。生きてるかもしれないから」
遥「生きてるの!?」
くらら「比喩的にね?」
遥「その言い方絶対比喩じゃないよ!!」
そして――
遥「ちょっと待って。これ……」
壁の中央に、妙な存在感を放つ 一枚の絵画 が掛かっていた。
黄金比を思わせる構図、細密なタッチ、異様に写実的な質感。
……春巻きの油が、光を受けて“本物みたいに”揺れていた。
遥「春巻きの絵……だよね?」
くらら「うん。“春巻き静物画 No.7”。部屋の守り神なんだよね」
遥「守り神のセンスどうなってるの!?」
さらに隣には、筆で大きく描かれた掛け軸があった。
『春巻き命』
遥「これ何!?」
くらら「昔さ、町を歩いてた時にね。路上で書いてる人がいてさ」
遥「うん」
くらら「“あなたの好きなものを書きます”って言われたの」
遥「……で?」
くらら「春巻きって言ったら、これ書いてくれた」
遥「おおぉぉ……いや、すごい達筆だけど!!」
遥は巻紙の端にある小さな落款を見つけた。
遥「……!? ねぇくららちゃん」
くらら「なに?」
遥「これ……めちゃくちゃ有名な書家の名前だよ!?
テレビとか本とかに載ってるレベルの人!!」
くらら「あ、そうなの? なんかその時“これから世界飛び回るから、最後の路上作品だよ〜”って言ってたなぁ」
遥「宝物じゃん!? なんでラボの湿気に晒してるの!?」
くらら「だってこれが落ち着くんだもん」
遥「もったいなすぎるよーー!!」
⸻
■ひとつだけ、特別に大事なもの
遥が散らかった床を片付けながらふと振り返ると、
くららは机の引き出しから小さな缶を取り出していた。
古びた、銀色のコーヒー缶。
遥「それ……?」
くらら「……昔、飲んだコーヒーのね。香りを少しだけ閉じ込めたやつ」
遥「昔って……どれくらい前?」
くらら「50年くらい」
遥「五十!?」
くららは缶を胸に抱え、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
くらら「雪国の、小さな喫茶店でね。
徹夜明けでフラフラ歩いて、ふっと入った店で飲んだコーヒーが……」
遥「……」
くらら「今までで、いちばん美味しかったんだよ」
くららは缶の蓋をそっと撫でた。
くらら「もうお店もないし、豆も手に入らない。
再現しようとしても……できない」
遥「だから、落ち込んでたんだ……」
くらら「うん。私の“最初の感動”だったから」
雪、森、静寂。
そこで飲んだ一杯。
遥は、くららの目の奥にある“ずっと消えない光”を感じた。
遥「……くららちゃん。
また、もう一度……何か、近いもの探してみよ?」
くらら「ふふ、それは無理だよ。あれは奇跡だから」
遥「でもさ……この前、コンビニの安い豆で似た味出てたよね?」
くらら「…………言わないでほしい」
遥「えっ、図星!?」
くらら「なんでよりによってあの豆が……っ」
遥「奇跡って意外と足元に落ちてるんだよ」
くららは照れくさそうに笑い、机に両肘を置いた。
くらら「……ありがとね、遥」
遥「ん」
⸻
■そして今日もラボは騒がしい
くらら「よし、片付け終わったし……」
遥「終わってないよ、まだ床に――」
くらら「コーヒーの再現実験、再開!」
遥「ほら来たーーーー!!」
くらら「まずは温度の最適化からだね……!」
遥「全然落ち着いてないよ!? さっき“落ち着く”って言ったよね!?」
カズ(端末から)「主任、コーヒー抽出器の電圧が規定値を――」
ドガァァァァァン!!
遥「爆発したーーー!!」
くらら「これは……誤差だよ誤差!」
遥「誤差で部屋が揺れるなーー!!」
⸻
■静かに積み重なる“日常”
ラボは騒がしく、賑やかで、爆発の匂いがして。
でもその真ん中で、くららはふっと微笑む。
くらら「……なんかさ。こういうの、けっこう好きなんだよね」
遥「爆発のことは好きじゃなくていいよ?」
くらら「違うよ。遥とこうしてる時間のこと」
遥は耳まで赤くして、そっぽを向いた。
遥「……うん。私も、嫌いじゃないよ」
爆発が、今日も久世ラボに響く。
揺れる、揺らぐ、そして笑い声が混ざる。
50年前の奇跡。
今の奇跡。
くららにとっては、どちらも大切な“日常”だった。
■次回予告
第4.6話「封印された試作機と、揚げ音の謎」
封印された“春巻き保存装置”を前に、
くららの研究心がむくむく再燃。
遥「やめよ!? マジでやめよ!?」
くらら「揚げ音を解析すれば、春巻きは次のステージに進化する!」
そして――また油が沸き立つ。
次回、久世ラボ。
平和は揚げ音とともに続く……はず。




