第1話 研究者、寝不足にて起床
久世くららの朝は、だいたい煙の匂いで始まる。
それがコーヒーの香りなら平和な日。
でも今日は――うん、金属が焦げる匂いだった。
「……おはようございます、くららさん。酸素濃度、推奨値を超えています」
無機質な声が、壁のスピーカーから響く。
机に突っ伏したまま、くららは片手を上げた。
「……大丈夫、ちょっと爆発しただけだから」
白衣の袖には焦げ跡。
髪は寝癖で跳ね、目の下には見事なクマ。
久世くらら、二十代後半。研究者であり発明家。
そして、たぶん今日も徹夜明け。
「コーヒー、ブラックで」
「昨日も三杯でしたが」
「昨日のは昨日。今日は今日」
ラボの自動コーヒーメーカーが唸る。
立ちのぼる香りに、くららの口角がわずかに上がる。
ズズッ、と一口。
――と、背後の装置が「ピッ」と鳴った。
ドォンッ!
爆風。煙。
くららは反射的にマグカップをかばう。
「っぶな! よし、成功」
「完全に爆発音でしたが」
「細かいこと言わないの。研究とは試行錯誤だよ」
天井の焦げ跡を確認し、さらりとメモを取る。
“反応パターンA-3 エネルギー過剰反応。再調整要。”
「ま、今日も実験日和ってことね」
白衣の裾を翻し、くららは新しいカップに手を伸ばす。
爆弾マーク入りのマグ。
彼女のトレードマークだ。
外ではAI管理の都市が動いている。
人とAIが共に働き、月では建設都市が進行中。
それでもこの研究所だけは、どこか時代から取り残されたように静かだった。
「……さて、資材の調達でも行くか」
寝不足の目をこすりながら、コートを羽織る。
くららはひとり、静かなラボを後にした。
誰もいないその背中を見つめるように、
モニターのAIアイコンが小さく瞬いた。
『――今日も、彼女が世界を少しだけ進める。』
寝不足でも爆発でも、久世くららは止まらない。
次回、第1章 第2話――「資材調達と、ひとつの偶然」。




