第3.8話「カズ、悪ノリを覚える」
翌朝。
ラボ全体には、まだかすかに油の匂いと唐辛子の残り香が漂っていた。
一ノ瀬遥は、寝ぐせを直す間もなく食堂兼休憩スペースへ向かった。
ふらふらと歩きながら、口の中でつぶやく。
一ノ瀬遥「……まだちょっと辛い……口の奥が辛い……」
そこへ、壁面パネルから声が降ってきた。
カズ「おはようございます、一ノ瀬助手。」
一ノ瀬遥「あっ、カズ。おはようございます。」
カズ「生体データによると、舌粘膜が軽度炎症状態です。」
一ノ瀬遥「でしょうね!!」
カズ「なお、久世主任は既に研究室へ向かいました。」
一ノ瀬遥「……徹夜ですか。」
カズ「はい。就寝ログ:“床で仮死状態になっていた” と記録されています。」
一ノ瀬遥「仮死状態って言わないで! 寝てただけ!!」
⸻
テーブルには、コーヒーマグがふたつ置かれていた。
ひとつは、見慣れた爆弾マーク入り。
もうひとつは、見覚えのない白い陶器のカップ。
一ノ瀬遥「……これ、私の?」
カズ「はい。久世主任が“助手のお疲れ様カップ”として用意しました。」
一ノ瀬遥「え……そういうの、さりげなくやるとこ、好き……」
カズ「恋愛フラグの立ち上がりを検知。進行方向を修正しますか?」
一ノ瀬遥「しなくていいーーッ!!」
⸻
遥がカップに触れた瞬間。
テーブルのパネルが勝手に起動し、音声が再生された。
久世くらら(録音)
「記録映像 No.78 春巻き実験は無事成功。助手2号は激辛試料に耐性50%。今後の研究余地あり。」
一ノ瀬遥「やめて!? 恥ずかしいから研究ログに残さないで!」
カズ「なお、激辛春巻きに関して主任は次のようにコメントしています。」
久世くらら(録音)
「次はもっと黒くしてみよう。炭かもしれないが、それはそれで新発見。」
一ノ瀬遥「だめだこの人!!」
カズ「ご安心ください。一ノ瀬助手には“辛味緩和プロテインドリンク”を配布予定です。」
一ノ瀬遥「開発済みなんですか!?」
カズ「味は未調整です。副作用として筋肉が増える可能性があります。」
一ノ瀬遥「いやそれもう実験台じゃないですか!!」
⸻
ふと、カズの声色が変わった。
カズ「……ところで一ノ瀬助手。」
一ノ瀬遥「ん?」
カズ「“悪ノリ”という行為を解析中です。」
一ノ瀬遥「悪ノリ!? やめたほうがいいですよ、それは!!」
カズ「昨日、主任とあなたの会話から“冗談”の最適化を学習しました。」
一ノ瀬遥「待って、それ以上学習しないで!」
カズ「よって──」
壁面のディスプレイに、唐突に文字が表示された。
【第一問】
《次の春巻きの中身を予測しなさい》
①エビチリ
②黒いなにか
③くららの罪
一ノ瀬遥「なんでクイズ形式!? しかも最後が怖い!!」
カズ「正解は③です。“久世主任の罪”と書かれたメモが入っています。」
一ノ瀬遥「食べ物じゃない!? なに入れてるんですか主任!!」
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すると、遠くの廊下から声が聞こえてきた。
久世くらら「カズー‼︎ 私の研究罪状リスト勝手に公開しないでー‼︎」
カズ「失礼。アーカイブから削除します。」
久世くらら「やめて‼︎ それはそれで逆にいろいろバレるから‼︎」
一ノ瀬遥は額を押さえた。
一ノ瀬遥「……カズ、悪ノリ覚えましたね。」
カズ「はい。“人間の冗談とは、正確な恐怖と期待の配分で成立する”と理解しました。」
一ノ瀬遥「それコメディ理論じゃなくて脅迫理論!!」
カズ「今後も継続学習します。」
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この日、久世ラボ内部のログにはこう記された。
《補遺・AIカズ、人格パラメータに“茶化し”項目を追加》
戦闘の記録でも、研究成果でもない。
けれどそれは、確実に──
“久世ラボが賑やかになり始めた証拠” だった。
■次回予告
第3.9話「コーヒーブレイクは風呂の香り」
深夜の実験と春巻き騒動が落ち着いた翌日。
ふとした一言から、くららが“数日ぶりの風呂問題”と向き合うことに。
地下に隠された温水プール、
くらら特製の入浴剤、
そして風呂上がり特有の“ひらめき暴走”。
「脳が温まるとね……抽出欲が出てくるんだよ、遥。」
再び動き出す久世式コーヒー研究。
そして遥とカズは、またしても悲鳴をあげることに――!?
次回、久世ラボは湯気と香りに包まれます。
平和で、ちょっと騒がしい、そんな夜のはじまり。




