表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
柳里の華  作者: 伯修佳
1/13

 風にさらわれて、一片の花びらが彼女の枕元に落ちて来た。


 見上げれば、幽玄な程の淡い紅色が目に優しく映る。開け放たれた窓の真下に佇むのは樹木、人に綽花しゃくか、と呼ばれ慣れ親しまれて来た春の名花だった。

 やや下向きに細く枝を伸ばし、面長く繊細な花弁を開き、それでも滅多な風雨ではしなるだけで枝の折れぬ事から、時によく女人にたとえられた。

 満開に咲き誇る花には残念ながら、それ程の強さはないと見えて、折からの雨に散らされた花びらがはらはらと舞い落ちて行く。

 見慣れたはずの風景を眺める彼女の心に、今はそれがひどく真新しく、不吉に思えた。


──雨が降っていたのか。


 彼女はわずかにきしむ身体を起こして、今が何時頃かを確かめようとした。

 が、伸ばされた二本の腕によって、かろうじてまとっていた緋色の襦袢じゅばんを剥ぎ取られ、引き寄せられた。


「……朝じゃねえだろ、まだ」


 着物を取ったのは男、そして男は彼女を一晩金で買った客だった。

 開いた口から、まだ残る昨夜の酒気が鼻につく。眉をひそめた彼女に構わず、男は露わになった白い柔肌をまさぐった。

 彼女は人形の様にされるがまま、荒々しい欲情を受け入れる。


「無口な女だな。今日が水揚げじゃないだろうに」


 それは常々、彼女の雇い主からも言われている事だった。何を話して良いものか見当がつかず、結局返事位しか出来ない。

 なので大抵の客はそう言う。

 黙ったままの彼女に苛立ったのか、男は急にその手を離して、突き放す様に背を向けた。


「つまらねえ──うんとも寸とも言いやがらねえし」


 客の言葉が彼女を困惑させる──これもまた、お決まりの展開だ。


「この店一番の上物だって言うから、どんない女かと思えば。見てくれだけか」


「申し訳……ありません……」


 彼女はとりあえず謝った。客を怒らせたのは、何か自分が粗相をしたからだと思ったので。


「ちっ。お高く止まるんじゃねえよ」


 そう言うと、男は彼女の細く折れそうな手首を乱暴に引き寄せ、布団の上に押し倒した。

 彼女の煙る様な睫毛に縁取られた茶色の瞳は、窓際の綽花に注がれ、花散る姿を見つめたまま。

 ──彼女はかつてこの花に喩えられたものだった。楚々としていて 華やか、けれどどこか儚げな綽花の様だ、と。

 今は彼女にとって、綽花はおろか世の全てが、どうでもいいものとなっていた。

 なぜ、と問う気力さえ失って、もはや明日という日の意味さえわからない。

 見つめる事に疲れて、落とす視線が部屋の隅に、ひっそりと置かれた古びた琴を一瞬とらえた。

 彼女の瞳に感情が蘇る。


 泣くに泣けない、哀しい夢を思い出した様に。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ