透明な制服
「王様の耳はロバの耳」——
誰もが知っている寓話。
だけど、もしそれが、現代の教室にあったら?
この作品はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
ただし、もしどこかで「これ、見たことあるような気がする」と感じたら、
それはあなたの中の“透明な服”が、少しずつ見え始めたからかもしれません。
四月の空気は、妙に澄んでいた。花粉とPM2.5と年度初めのプレッシャーを混ぜ合わせたような、味のないガムみたいな春の朝。
転校初日の俺は、慣れない制服のネクタイを何度も引き直しながら、目的の学校へと向かっていた。
地図通りに駅から徒歩十分。角を曲がって坂を登ると、それらしい校門が見えてきた。
その瞬間、俺は足を止めた。
通学路を行く生徒たちが、みんな裸だった。
いや、正確に言えば、「制服を着ている」とされているらしい。
だが目に映る限り、シャツもブレザーもスカートも何もない。
彼ら彼女らは何も着ていないように見えるのに、誰もそれを気にしていない。会話し、笑い、風に髪をなびかせ、普通に登校していく。
『……あれが……制服……?』
俺は目を疑いながら、次々と校門を通過していく生徒たちの列を見つめた。
校門前には警備員が一人、無表情で立っていた。
生徒一人ひとりに声をかけ、何やら確認している。
「制服、よし。襟元も正しいね」
「ボタンの意識が弱いぞ。ちゃんと“留めた”感覚を持ちなさい」
「全体的に清潔感がある。今日も素晴らしい着こなしだ」
そう、全員が確かに**「着ていることになっている」**。
それがこの学校の「校服」らしい。
誰も突っ込まない。誰も赤面しない。誰も逃げない。
俺だけが違和感に呑まれていた。
入学式はすでに終わっており、俺は途中編入の扱いだった。職員室で手続き後、担任に案内されて教室に向かう。
ドアの窓から見えるクラスメイトたちも、全員「制服」を着ていた。つまり、全裸にしか見えなかった。
担任の男がノックもせずに扉を開けた。
「新しい仲間が増えるぞ。みんな、ちゃんと“制服”を整えて迎えような」
振り返るクラスメイトたちの視線が、一斉に俺に向けられた。
俺は、普通の白シャツとスラックスを着ていた。
沈黙。
一瞬、誰もが息を止めたように感じた。
だがすぐに、生徒たちは微笑みを浮かべ、拍手を送った。
「ようこそ」「よろしく」などと口々に言う。誰も俺の服装に触れない。
まるで、服を着ているのが俺ではなく、彼らのほうだと言わんばかりに。
黒板の上に掲げられた校訓が目に入った。
「制服は、あなたの心を映す鏡です」
『心……?服じゃなくて……?』
背中にじっとりと汗がにじむ。
席に着いた俺は、机の下で自分の膝を見つめ、再度周囲を見渡した。
彼ら彼女らの身体には何も纏われていない。だが誰も見ないし、驚かない。
チャイムが鳴る。担任が出席簿を開いた。
「出席をとるぞ。出席番号1……2……」
そして、俺の番になったとき——彼はふと顔を上げ、笑った。
「転入生の君……今日は、なにか事情があって制服を着ていないのかな?」
『……え?』
「ま、大丈夫だ。初日は誰でも緊張する。明日から、ちゃんと着てこような?」
そう言って、彼は微笑んだまま出席を続けた。
クラスメイトたちも、にこにこと頷いていた。
ここでは、俺のほうが“裸”だった。
翌朝、俺は呼び出された。
担任に連れられ、校舎の奥にある「学習指導室」なる場所に入る。
個室ではなく、三方ガラス張りの明るい部屋。内装は病院の面談室に近かった。
対面の椅子に座ったのは、教務主任という肩書きの女性。白髪交じりのショートヘア、眼鏡の奥の目元はやけに優しかった。
「緊張してるね。大丈夫よ、怖がる必要はないの」
彼女は笑顔でそう言ったあと、俺の服を見て、首をかしげた。
「昨日のことは、覚えてる?」
『……覚えてます。』
「じゃあ、どうして制服を着なかったの?」
『……それが……あれは……』
言いかけて、言葉が詰まった。
"あれ"という言葉を使うには、明確な対象が必要だ。
だが、俺が見たのは——なにも着ていないようにしか、思えなかった。
「……着てるって、言える状態じゃないと思います」
そのとき、彼女の笑みがほんのわずかに深くなった。
「そう感じるのは、あなたがまだ“視る目”に慣れていないだけ」
『……視る目?』
「本校の制服は、新型自我表現素材よ。“物質として”ではなく、“感覚として”身にまとうの。形はないけど、心にはフィットする——そういう制服なの」
『……でも、そんなもの本当に……』
「本当に存在するかどうか、なんてどうでもいいのよ。大事なのは、“着ている”とあなたが信じること。」
話は堂々巡りに聞こえたが、彼女の語り口には確かな熱があった。
「安心して。最初は誰でも戸惑うわ。だけど、2週間も経てば、きっとあなたも"自分の制服"に愛着が湧くはずよ」
『……わかりました』
俺は曖昧に頷いた。これ以上言っても、通じない気がした。
翌朝。俺は着替えをしなかった。
シャツもズボンも着けず、下着も脱いで、自分の身体だけで玄関を出た。
通学路を歩く間、背中を風が撫で、視線の痛みが頬に突き刺さる気がした。
だが、校門が見え始めると、まわりの空気が変わる。
警備員が俺を見る。表情を変えず、頷いた。
「おはようございます。今日の制服……うん、自然体ですね。初日よりずっと良いですよ」
教室に入ると、女子生徒が俺を見て微笑んだ。
「やっと、この学校の生徒っぽくなったね」
別の男子が言う。
「昨日の服、重そうだったよ。今日は肩の力が抜けてる」
『……そう、ですか』
頭がグラグラする感じがした。
身体が寒いわけじゃない。誰も俺を見ていないのに、俺だけが見てしまっているような、世界とのズレに、脳が過熱していく。
昼休み。俺は席で弁当を開けていた。
隣の席の二人が楽しそうに話していた。
「ねえ、今日の制服、何色にした?」
「えーっとね、淡いピンクかな。ちょっと春っぽいのが着たくて」
「いいなー、私まだ昨日と同じパターンだよ。模様入れようか迷ってる」
「昨日のも良かったよ。なんか空気と馴染んでて」
俺は箸を止めた。彼女たちは本気で言っている。
見えていないものを、当然のように語り、評価し合っている。
『……俺が見えていないだけなのか?』
それとも、彼らが**信じすぎて、"見えるようになってしまった"**のか。
午後の授業のチャイムが鳴る。
全裸のようにしか見えない生徒たちが、何事もなかったかのように席に着く。
教師が入ってきて、黒板にこう書いた。
「自分自身を、どこまで他人に開けますか?」
俺はその文字を見つめながら、自分の体温がどんどん失われていくのを感じていた。
着ていないのは、俺のほうじゃないのか?
そう思い始めている自分が、怖かった。
俺は学ぶことにした。
この学校で生き残るためには、「見えない制服の着こなし方」を身につけなければならない。
それは衣類の話ではなく、目線の使い方、姿勢、歩き方、そして“どこまでを無視するか”の距離感だ。
たとえば、廊下ですれ違うとき——
目の前に完全に裸のような女の子がいても、彼女の肩でも顔でもなく、少し先の空間を見る。
下半身を直視しないのは当然だが、意識しすぎても不自然になる。
だから皆、「見えていない風に自然に見ている」ような目をしていた。
昼の校庭。体育の時間。
教師が言った。
「今日は“身体表現”の実技です。外套を脱いで、裸の意識をゼロにしましょう」
俺は“制服”すら着ていない。
だけど、みんなは一様に何も着ていない身体から外套を脱ぎ、まるで何かを捨てるような動きで整列した。
号令の後、一斉にグラウンドを走り出す。
男女ともに素足、素肌、だけど誰も見ない。
ただ、ひたすら黙って、同じリズムで走る。
そのなかで、一人の女子生徒の胸が上下に激しく揺れているのが、どうしても視界に入ってしまった。
皮膚が張り詰め、汗が光り、筋肉の動きが鮮やかすぎた。
俺は目をそらそうとして——余計にそこに引き寄せられてしまった。
『……やばい……見てるの、俺だけか?』
その瞬間、彼女が俺の視線に気づいたかのように振り返った。
だが彼女は、何も言わず、ただうっすらと微笑み、再び前を向いて走り続けた。
まるでこう言われたような気がした。
「どうしてあなたは、それを“見て”しまうの?」
午後、保健室にふらっと立ち寄った。理由はない。ただ、少し逃げたかった。
部屋の入口の掲示板に、貼り紙があった。
「着衣認識バランス・セルフチェックシート」
以下の項目に該当する方は、カウンセリングの予約をお勧めします:
□ 他人の制服に違和感を覚える
□ 見えてはいけないと感じる
□ 視線が“彷徨う”
□ 自分の裸に嫌悪感がある
□ 無意識に隠すポーズをとってしまう
その用紙の隅に、ボールペンで書き足されたようなメモがあった。
「あなたが問題なのではなく、あなたの“感じ方”が問題です」
背中に寒気が走った。
その夜、夢を見た。
俺は教室の真ん中に立っていて、全員が俺を見ていた。
俺は裸だった。心臓が暴れ、息が止まりそうだった。
なのに——クラスメイトたちは微笑んで、拍手していた。
「ちゃんと制服を着てくれたね」
「ようやく受け入れてくれたんだね」
俺が身を隠そうと腕で胸を覆うと、誰かが言った。
「どうして隠すの? 恥ずかしいのは“心”の方なんじゃない?」
目が覚めたとき、パジャマは汗でびっしょりだった。
息を整えるのに数分かかった。
翌朝。俺はもう、疑問を口にしなくなっていた。
ただ、真似る。空気を読む。手を動かす。
周囲の“制服”と同じように、俺も“何か”を着ているようなふりをした。
だが、ある日の帰り道——ふと思い立って、クラスの男子に聞いてみた。
『なあ……お前さ……』
「うん?」
『……ほんとに、“着てる”って思ってるのか? その……制服を……』
彼は一瞬立ち止まり、俺を見た。
そして、小さな声でこう答えた。
「……なんで、そんなこと聞くの?」
俺はついに、声に出す決意をした。
昼休み、タイミングを見計らって担任の元へ近づいた。
『先生、少しだけ、いいですか……』
「ん? ああ、どうした」
教室の隅、誰もいない場所で、俺は絞り出すように言った。
『……俺……ほんとに、何も着てないんです』
彼は一瞬きょとんとした顔をして、それから笑った。
「うん、大丈夫。そう感じるのは、まだ“慣れてない”証拠だよ。」
『でも、本当に……』
「大丈夫、君が“着てる”と信じれば、それが制服なんだ。感覚の問題であって、物質の話じゃない。」
話は堂々巡りだった。
でも、その言葉は全く怒ってもいないし、馬鹿にもしていない。
ただ、俺だけが“ずれている”という事実を、丁寧に告げられている気がした。
その日の美術の時間。
「自分を描く」という課題で、一人の女生徒が黒板に立った。
彼女は、ゆっくりとチョークを走らせ、輪郭ではなく「空気」を描いていった。
線は薄く、透けるようで、ほとんど形を成していない。
教師が言う。
「すばらしい。“透明な筆致”とはこういうことだね。描こうとせずに、在ることを信じる表現。」
教室が拍手に包まれる。
誰も、何かを疑っている様子はなかった。
「今日の彼女、冴えてるな」
「心が見えるって、ああいうことだよね」
俺はただ黙っていた。
俺の目には、何も描かれていないように見えた。
放課後の自習教室。
参考書を探していた女生徒が、高い棚に手を伸ばしたとき、姿勢が大きく傾いた。
身体がぐっと曲がり、光の角度で輪郭が浮かび上がるように感じた。
一瞬、強烈な現実感が胸を突き刺した。
俺は急に視界が狭まり、顔が熱くなるのを感じた。
目をそらしたその時、隣の男子が小声で聞いてきた。
「……体調、悪いの?」
『……ああ、ちょっと……熱っぽいだけ』
「そっか。無理しないでね」
誰も「見えてない」わけじゃない。
ただ、「それは問題ではない」という世界に、俺だけが反応しているだけだった。
夜、自宅でパソコンを開いて学校名を検索した。
「心の自由を体現する、最高の制服文化」
「自分の身体を“評価されない”って、こんなに安心するんだ」
「透明という思想が、子供の心を守ってくれる」
「服に縛られないからこそ、心が育つ」
「ここに通わせて良かった。“見せ合い”じゃない、“見えない安心”がある」
どこにも、俺の感じた違和感に触れる言葉はなかった。
皆が、信じている。
そして、俺だけがそれを信じられない。
『俺の方がおかしいのか……?』
それとも——
『この街全体が、最初から壊れてるのか……?』
朝、鏡の前でシャツのボタンを留めるとき、手が震えた。
でも俺は、それを止めなかった。
白いシャツ。グレーのスラックス。靴下を履き、ベルトを締める。
それはただの「普通の服装」だった。だがこの学校では、“存在しないはずのもの”をまとう行為だった。
校門の前。警備員の男が俺を見るなり、眉をひそめた。
「……生徒証を見せなさい」
『え? あ、はい』
差し出すと、彼は数秒間見つめてから返した。
「君……“制服”を着ていないな」
『いや、今日はちゃんとシャツとズボンを——』
「それは“制服”ではない。」
声のトーンが一段低くなる。
通り過ぎる生徒たちが、ちらちらとこちらを見た。
だが誰も止まらない。誰も笑わない。ただ、目だけが刺してくる。
「警告は本日限りだ。次回は処分対象になる。理解したか?」
『……はい』
教室に入ると、空気が一瞬で変わった。
全員が座ったまま、俺に視線を向けた。
その誰もが、もちろん「制服」を着ていた。つまり、何も着ていないように見えた。
担任が教卓の前に立ち、教室を見渡して言った。
「着席する前に、全員で“制服意識”を確認しようか」
生徒たちは一斉に立ち上がり、自分の身体を軽く撫でたり、肩を正したり、まるで“見えない服”の襟や裾を整えるような動作をした。
そのなかに、明らかに異質な俺が立っていた。
シャツ。ズボン。布のシワと色。それは、誰の目にも“異物”だった。
午前の授業が終わると、担任が俺に言った。
「すまないが、保護者の方に連絡を入れておくよ」
『……なぜですか』
「君が今朝、制服を着ていなかったからだ」
『でも俺は……服を着てきました』
「君は“信じていない”だけなんだ。君自身の内面を。それが一番危険なんだよ。」
休み時間。クラスに戻ると、全員が静かに座っていた。
担任が黒板にこう書いた。
「集団の中で、個人はどこまで尊重されるべきか」
「今日のLHRは、ちょっと重たい話をしよう」
彼は、振り返らずに言った。
「君たちのクラスメイトの一人が、今朝“制服”を拒否した。物理的な意味でね。
私たちは、それをどう受け止めるべきだろうか?」
一拍の沈黙。
そして、誰かが口を開いた。
「……私は、怖いです。自分の“裸”が否定された気がして。」
「僕も。彼が“服”を着たとき、まるで僕たちの在り方が間違っているって言われたような……」
「着る、ってことは、私たちの“信じているもの”を否定してるんじゃないかな」
「私は、彼の自由を否定したくはない。だけど……彼がこの学校にいる限り、私たちも否定され続ける気がする」
「もう“信じること”が怖くなってしまう。彼のせいで」
俺は、席に座ったまま、なにも言えなかった。
ただ、汗が背中をつたっていた。
俺がなにかを否定した?
俺が、彼らを傷つけた?
俺はただ、服を着ただけだ。
その日の午後、俺は教室の隅に立たされていた。
席に座ることは、“信じていない者”には許されないらしい。
理由の説明はなかった。ただ担任が黒板の端に書いた一言だけが、すべてを代弁していた。
「他者の表現を否定する行為は、暴力と等しい。」
校内放送が流れた。
「本日、2年A組における服装認識の不一致について、学年会議にて対応を検討中です」
全校に流れるような内容ではなかったはずだが、わざわざ放送されていた。
まるで見せしめのように。
放課後を目前にして、担任が再び教室前に立ち、生徒たちに向けて口を開いた。
「みんなに確認しておきたい。“個人の自由”と“集団の調和”は、どちらが優先されるべきか。」
一人の男子が挙手した。
「自由は大事です。でも、その自由が他人の安心を壊すなら、それは“暴走”です」
女子が言う。
「彼が服を着たとき、私は自分が“裸”だって初めて意識したんです。
それまでは、何も恥ずかしくなかったのに……」
「私は、それが“悪意”だとは思わない。でも、“拒絶”ではあると思う」
「服を着るってことは、“私たちはおかしい”って、暗に言ってるようなもんだよ」
誰も怒鳴らない。誰も罵倒しない。
でも、教室の温度は確実に下がっていた。
集団が、静かに個人を包囲していく感覚。
それは暴力よりも遥かに、俺を切り刻んでいった。
ついに、担任が言った。
「彼には一度、教室の外に出て、“自分と向き合う時間”を持ってもらおうと思う」
誰も反対しなかった。
誰も、目を合わせようとしなかった。
俺は立ち上がり、静かにドアを開けた。
廊下に出た瞬間、足元が崩れるような気がした。
本当に、俺は間違っていたのか?
保健室でもない、空き教室でもない、「観察室」という初めて入る部屋に案内された。
ガラスのない窓、椅子がひとつ、監視カメラだけが設置された殺風景な部屋。
壁には白いパネルが貼られ、そこにこう書かれていた。
「あなたの“不快感”は、どこから来たのか」
「あなたの“恐怖”は、誰を守るためにあるのか」
「あなたが“服を着る理由”を説明できますか?」
全部、俺に向けた質問だった。
答えられなかった。
ただ服を着たかっただけだ。 でも、それを説明する言葉が、もう俺の中には残っていなかった。
30分後。担任がやってきた。
「話し合いの結果、“信頼の再構築期間”を設けることになった。
君は明日から、校内にて数日間の“制服再適応指導”を受けることになる。
もちろん、強制ではない。
だが君自身が、この学校で学び続けたいと思うなら——それは必要な過程だ」
声は優しいままだった。
でも、目は笑っていなかった。
帰り際、下駄箱で一人の男子が声をかけてきた。
「なあ……俺、今まで“着てるつもり”で過ごしてきたけど……
お前が服を着たせいで、自分が裸なんじゃないかって、初めて思ったんだよ」
彼は俺を睨んで、こう言った。
「俺を“裸にした”のは、お前だ。」
俺は何も言えなかった。
着たのは、ただのシャツとズボン。
なのに、俺の“布”が、彼らの“信仰”を破壊したらしい。
俺の布は、刃物だった。
翌朝。
鏡の前で、俺は立っていた。
シャツも、ズボンも、靴下も、すべて脱いだ。
何も着けていない自分の姿が、鏡の中にあった。
だが不思議と、それが「奇妙」に見えなかった。
それが、この学校の制服だった。
校門を通るとき、警備員が軽く会釈して言った。
「おはようございます。今日の制服、いいですね。自然体です」
俺は頷いた。違和感はなかった。
教室に入ると、誰も俺の姿に反応しなかった。
昨日の騒ぎについて触れる者は、一人もいなかった。
まるで最初から、何もなかったかのように。
俺は静かに席に着いた。
机の天板の冷たさが、肌にそのまま伝わってきた。
担任が入ってきて、出席を取り始めた。
そして、俺の番になったとき——微笑んだ。
「今日は、ちゃんと“制服”を着てきたね。素晴らしい」
隣の女子が、ふっと息を漏らすように言った。
「うん……今日の君、なんか……すごく綺麗だよ」
その言葉に、誰かが頷き、誰かが笑った。
空気が、やさしく包み込んでくる。
俺は、それに逆らう気にはならなかった。
そのとき、ふと思った。
『俺は……いつから、“本当に”着ていると思いはじめたんだろう。』
『もしかしたら——反論をやめた、あの瞬間からかもしれない。』
その日の授業は、穏やかに進んだ。
昼休み、空を見上げると、雲ひとつない青が広がっていた。
風が吹いた。
俺は、自分の身体を包む“なにか”の感触を、たしかに感じた。
それが本当に「あった」のか。
それとも、俺がただ「信じた」だけだったのか——
もう、どうでもよかった。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
「透明な制服」は、本当に存在しないものだったのでしょうか。
それとも、誰かが「存在している」と言い続けた結果、
世界の方が“信じる”ことを選んだだけなのでしょうか。
ーー
否定する言葉が、届かなくなった時、
物語は終わります。
でも、
あなたがどんな服を着ているか、
それだけは、あなたが知っていますよね。