両片想いのようですが、にまにましたいので内緒にします
再会は偶然だった。
そこは雰囲気の良いカフェだった。漂うコーヒーの香りと、白いクリームにカラフルな果実が載ったかわいいケーキ。落ち着いたゆるやかなメロディが流れ、客の顔は全員が穏やかだ。
そんな中、一人、決死の顔で訪れたのがカティである。
お仕着せのまま、持ち帰り用のカゴを片手にカフェを訪れた理由は、仕えている屋敷のお嬢様──レーナのお使いだった。
店内のテーブル席に座ったカティはメニュー表を手に取った。それでも険しい顔は崩れない。
「えーっと、たしか、イチゴのケーキとブルーベリーのケーキがおすすめなんだっけ」
ぶつぶつと呟きながら店内を見渡すと、たしかにその二つのケーキはよく選ばれているようだ。
「レーナお嬢様はイチゴがお好きだから、イチゴは持ち帰ることにして……うん、決めた。あの、すみません、ブルーベリーのケーキと本日のコーヒーを一つ、お願いします」
ケーキが運ばれてくる待ち時間も決して無駄にしない。
掃除は行き届いているか、客層はどうか、雇われているスタッフの様子はどうか。運ばれてくれば、もちろん味や見た目も採点する。
仕えている身として、どうしてもレーナには幸せになってもらいたいのである。
数日前、レーナ宛に婚約者である令息マティアスからお誘いの手紙が届いた。
見た目だけを言うのなら、可愛らしいレーナの隣に立ってもおかしくないほどの清廉とした青年だ。
ただ結婚を喜んで祝えるか、というとカティは首を傾げなければならなかった。マティアスは、婚約者となって一年、これまでデートの一つも誘ってこなかったのだ。
「それを、急に? お嬢様が勇気を出してお手紙を出しても、定型文の返事しか寄越さなかった方が?」
レーナとマティアスは決められた婚約者だ。
年頃と、釣り合う家格と、大人の都合で決められた。レーナを慕うカティは、仕方のないことだとわかっているとはいえ、良い人に嫁いでもらいたかった。
二人の顔合わせの場にもカティは側で仕えていたが、レーナの様子に安堵したものだ。どうやらマティアスに好意を抱いたようだったから。
嫌な相手との結婚にはならなさそうだ、とほっとしていたというのに、丸一年、マティアスに放っておかれるとは思わなかった。彼への評価はだだ下がりである。
しかし、レーナはそうではないようで。
お誘いの手紙を読み、喜んでいたレーナをこの目で見ている。
「なんにせよ、お嬢様の好意を踏みにじったりしたら、絶対に許さないんだから」
そうして、カティはデート場所を視察に来たのだ。苦言ばかりのカティを「そんなに気になるなら見ていらっしゃいな」とレーナは半分呆れながらも送り出してくれたのである。
カティの周りを見渡す視線が厳しくなるのも仕方のないことだった。
カティが目を光らせていると、自分と同じくどこかの屋敷に仕えているのだろう、使用人の制服を着た青年が目に入った。
「ふふ、あの人も、私と一緒で偵察だったりしてね」
そう呟いた時だった。目が合ったかと思うと、その青年は驚いた顔をして近づいてきたのだ。
「え、カティ? カティでしょ。久しぶり! ほら、僕、ラッシだよ、覚えてる?」
懐かしさを覚える名前と顔に、カティもまた驚いた。
「……っラッシ!? うそ!」
「はは、嘘じゃないって」
まだ働き始める前、五年前まで暮らしていた街でよく一緒に遊んでいた少年。それがラッシだ。
亜麻色の髪に少し垂れた目がより優しそうに見え、カティは大好きだった。面影はあるものの見違えるほどにちゃんと青年になっている。白と黒の制服がこなれて見えた。
「わあ、驚いた。本当に久しぶりね。その服、どこかのお屋敷で働いてるの?」
「ああ、知ってる? シルキア家って、ここから割と近くにある大きなお屋敷なんだけどさ。働き始めた頃からお世話になってて、ここにはよくお使いを頼まれるんだ。イチゴとブルーベリーのケーキがお気に入りでさ」
「……!」
カティは笑顔を強張らせ、見られないように口元を手で隠した。
ここから近い大きな屋敷のシルキア家といえば、マティアスの家である。つまりカティが最も警戒している人物だ。
「そ、そう。もちろん知ってるわ。私もメイドの身だもの。それくらいの情報は持ってるし」
カティは二択を迫られていた。警戒を解かず当たり障りのない会話をして別れるか、踏み込んだ会話をして少しでも情報を得るか、だ。
「そういえばシルキア家って、ご令息がいらっしゃるんでしょう? なんでもとってもイケメンだとか。噂になってるけど、どうなの実際」
カティは情報を集めることにした。レーナの幸せを思うなら、事前に相手の人となりを知っていて損はないと思ったからだ。
自然を装いながら、ラッシに向かいの席を勧める。これで簡単に逃げられなくなった。ラッシも、カティもだ。
どれだけ腹の内を隠しつつ、相手の情報を引き出せるか。運ばれてきたブルーベリーのケーキを受け取りながら、カティはそう意気込む。
座ったラッシは慣れた様子で注文を済ませ、そうだねえ、と話を続けてくれた。
「……とてもよくできた方だよ。使用人にもよくしてくださる。勉強も剣も狩りも、本当になんでもこなしてしまう。こないだは手料理を振舞ってくれたんだ、さすがに驚いてね。すぐには口をつけられなかったよ」
「………………料理?」
「驚くよね? 僕も初めて見たときは驚いたんだ。今ではすっかり慣れてしまったんだけど、ピアノだって絵だって、お上手なんだよ。カティが聞いた噂通り、もちろん容姿も優れてらっしゃるし、完璧な方だと思ってた」
思ったよりも完璧な人物像が出てきて驚いたカティだったが、最後の言葉に眉をひそめた。
「……思ってた?」
「あ、うん。お手紙を書くのは苦手のようでね、毎回苦労されているんだ」
「そうなの?」
唯一の欠点が手紙とは。目を丸くしたカティは舌打ちしそうになった。
その下手くそな手紙にレーナが一喜一憂するかと思うと、歯噛みしたくもなる。
「ん~~~~、えっと、そういえば私が仕えているお嬢様の話なんだけど、気になっている男性からの手紙がいつも定型文なのよ。心が込もっていないんじゃないかと思うくらいの。絶対に気持ちは伝わらないから、それ、直したほうがいいと思う、早急に」
「あ、やっぱり? 好きな方への手紙には、本当に気を遣われるみたいでさ。不快な思いをさせたくないとか言ってらしたけど、逆効果だよね」
「そう! そうよ! ラッシ、添削してあげたらいいんじゃない」
「そんなことできるわけないだろ。……ところで、カティが仕えてるお屋敷って、ライティア家なの? お嬢様ってレーナ・ライティア嬢のこと?」
「……ひょ!?」
どこから出たのかわからない声に、ラッシがくくっと笑うから、簡単に昔を思い出すことになる。
「な、なんで!?」
「なんでって、女性に定型文の手紙を送る男なんて、そうそういないでしょ。しかも使用人がいるくらいの大きな屋敷のお嬢様が受け取る手紙なんて、ちゃんとしたところのご令息からの手紙でしょう。手紙が下手くそなご令息って、うちの若旦那様だなぁって思っただけ。けどその反応を見ると当たりかな」
余裕ぶった顔が憎らしく、懐かしかった。
「うう、じゃあもう聞くけど、ラティアス様って、レーナお嬢様のこと好きなの!? さっき、好きな子への手紙には気を遣ってるって言ってたけど」
「そりゃあそうさ。若旦那様はお忙しい方だから、興味もないご令嬢に手紙を書くほど暇じゃない。……本当に手紙には時間がかかるんだよ。婚約者のレーナ・ライティア嬢にはいいところを見せたいのさ。レーナ・ライティア嬢も若旦那様のことを好いていらっしゃるって?」
「……そ、そうよ! ねえ、ちょっと待って。ってことは両想いってことじゃない! もうちょっと手紙、どうにかならないわけ? あとなんで急にデートのお誘いなんか……」
「うーん、それがどうやら手紙に限界を感じられたようなんだよね。まずは手紙で好感度を上げて、それから上手くデートのお誘いができたら、と思っておられたようなんだけど、難しかったみたいで」
ぽりぽりと頬を掻くラッシに八つ当たりのごとく眉を吊り上げたのは、懐かしさを──込み上げてきた過去の想いを振り払うためだった。
「……馬鹿なの!? ちょ、ラッシが上手く誘導しないから!!!!」
「え、僕のせいなの? ひどくない?」
それから、情報交換と称して、このカフェで定期的に会うようになったのだ。
◇◇◇
「ほんとに、お嬢様ったら、手紙を心待ちにしてるのよ。好いてるって言うならもっと頻繁に送ってくれてもいいと思わない?」
「そんなこと言ったって若旦那様だって頭を悩ませてらっしゃるんだ。普段はすらすら動くペンがずっと動かないんだよ。それをそばで見守る僕の気持ちがわかる?」
「そんなのわかりたくもないったら! 無駄なところで才能を発揮してないで、お嬢様をもっと喜ばせる手紙なんてささっと書きなさいよー! 好きと愛してるを堂々と書いてくれたらいいじゃないのよ~」
いつものカフェでコーヒーを飲む。
カティはこのために、外への買い出しを進んで頼まれるようになっていた。そろそろ不審がられるかもしれないが、やめられなかった。
「そんなこと言って、せっかくのデートをキャンセルしたのはそっちのお嬢様でしょ? 若旦那様のショックを受けた顔と言ったら……!」
「キャンセルじゃなくて延期なの! 急にどうしても行かなくちゃいけない場所ができちゃったみたいなのよ。ああ、早く二人が会うところを見たいわぁ」
「若旦那様は、顔が強張るんだろうなあ。緊張されるんだろうね。まさか好きな女性との付き合いが、言っちゃあなんだけど、下手過ぎるなんて思ってなかったよ! 普段なんでもできる方だから、余計にさ」
いけ好かない男だと思っていたら、とんだ奥手だった。その事実を知っているのは屋敷でカティだけ。レーナがマティアスからの手紙を受け取るたびに内心にやにやしてしまう。「両想い! 両想いですよお嬢様!」と飛び出しかける口を何度押さえたことか。
そんな新しい楽しみを見つけられたのは、全てラッシのおかげだとカティは思っている。
「ふふ、本当にありがとね。ラッシと再会できてから、今までよりずっと楽しくなったわ」
「え……!? うん、そう、言ってもらえると嬉しいけど。えっと、僕も、カティとこんな風に話せて、楽しいって思ってるよ」
そう言うとラッシは目の前のコーヒーを一気に飲み干した。むせた姿に「大丈夫?」と声を掛けながら、変わらない姿にどこか安堵した。
褒められることに慣れていないのか、カティが褒めるとラッシはいつも不自然に目を泳がす。平常心を失う様子が面白くて、昔からよく褒めたものだ。ついでに自分のことをたどたどしく褒め返してくれることも心地良かった。
「あら、本当よ! お嬢様とマティアス様のお話ができることはもちろん楽しいんだけど、やっぱり話している相手がラッシだからだと思うの」
「あ、うん、そ、そう?」
「そうよ! 気心知れてるからかしら。話しやすいし、ずっと一緒に居れちゃう。今だってお仕事の途中なのに、まだ居たいって思ってるもの」
もちろん無理やり言わせた誉め言葉だとわかってはいるのだ。
やましさを押し殺すように、いつもカティは笑顔を張りつける。
「……ん!!! そう、だね!? 僕もそろそろ戻らなくちゃと思ってるけど、えっと、カティと話すのが楽しくて、時間を忘れそうだよ。気を付けないとね!?」
にやける顔を隠すために壁に掛けてある時計を見た。ラッシの言う通り、そろそろ戻らなくてはいけない時間だった。
楽しい密会の終わりはいつも寂しい。
そんなこともお見通しなのか、優しいラッシは必ず次の約束をしてくれる。
「その……次は、五日後でどう?」
「いいわね。じゃあまた素敵なお嬢様のお話をしてあげる」
「…………ありがとう。僕も若旦那様の様子を見ておくね」
「ええ! 楽しみにしてる。またね」
「うん……また、ね」
そうして約束を胸に、カティはルンルン気分で屋敷に戻るのだった。
◇◇◇
カティとラッシが居なくなった店内で、一つのテーブルが至福の溜息で包まれていた。
「はああぁぁ。最高。最高よ……! 見ました? なんて初々しいの……! ラッシさんにはもう少し頑張っていただいてもいいかしら」
「ちょっと、レーナ嬢。前のめり過ぎ」
「はぁん、もう可愛い~~! あんなに楽しそうに笑っちゃって! デートをキャンセルしたら、絶対二人で会うと思ったのよ」
「……そのせいで誘ったデートを無下にされた俺の気持ちも考えてくれないかな」
「なんですの。これは、二人を見守るという立派なデートです。マティアス様も案外ノリノリだったでしょう。マティアス様だってラッシさんの様子が気になって後をつけてこられたはず」
「……それは、君もだろ。まさかついていったカフェで君と出くわすことになるとは思わなかった。まあ明らかに何かあったなと思うくらい顔がにやけていたからな……ほら使用人の管理も俺の管轄だし」
「まぁ! 単純に気になったのでしょう? ちゃんと自分の気持ちには素直になりませんと! ちなみに私はすごく気になったので、後をつけてしまいました。幸せです」
レーナは持っていたオペラグラスを仕舞って、食べかけのケーキを取り替えた。
最近発見した、イチゴとブルーベリーの両方のケーキを食べられる奥の手だ。
「……それは良かったな。わざわざ正式な手紙と偽名の手紙で別々にやり取りした甲斐があったか?」
「それはもちろん。あの二人は、私たちの相談ということで会っているんですよ? 頻繁にやり取りし始めたら、二人が会うせっかくの機会を奪ってしまいますわ」
レーナが得意げに人差し指を立てると、マティアスは小さく眉間にしわを寄せた。
そのままケーキにフォークを差して、口に入れる。
「……俺だって、二人が仲良くなってくれるのは嬉しいけれどね? 俺との時間も楽しみにしてほしいというか」
「何を仰るんです。あの二人がいたからこそ、私たちもこんなに話せるようになったんですから」
二人は後をつけた先で流れるように喋り、カティとラッシの様子や予定を交換すべく偽名の手紙を送り合うようになった。
共通の話題を手に入れたマティアスは手紙の文面にも困らなくなっていた。
「レーナ嬢……」
感動で目を見開いたマティアスに、レーナは胸の前で両手を強く握りしめた。
「だからこれからもあの二人を応援……見守っていきましょうね!」
「あ……はい」
きらきらした瞳の前に、マティアスはただ頷くしかなかった。
屋敷内はまだまだやきもきしそうである。
おしまい