9話 キミ、強いでしょ
闘争の龍がその前脚を片方持ち上げる。
『時間なんていくらでもある。だからボクはどれだけでも待ってあげる。でも、容赦はしない。簡単に死ぬなんて許さない。負った傷はボクが埋めてあげる』
拙い子供が己の考えを一つずつ並べる様に闘争の龍は喋る。
持ち上げられた前脚はバキンと音を立てて砕け散り、無数の水晶の破片が飛び散った。
小さな破片はその形を剣や盾、槍や斧、兜、鎧に姿を変える。
そしてやや大きな破片は人の形を写し取った。
『まずはその人形と遊ぶんだ。落ちてる武器を使いな』
失われた前脚はみるみるうちに再生していく。しかし今はそんな事を気にしている場合ではない。キョウカは足下に転がっていた水晶の剣を拾い上げた。
『好きな武器で、好きなように動くと良い。何千、何万もそれを繰り返していればキミの身のこなしは自然に最適化されていく』
次の瞬間、水晶の人形が腕を振り上げた。そしてそのままキョウカに襲いかかる。
キョウカは思わず剣でその拳を受け止めた。
『普通の人間は、脆いから強くなる前に死んでしまう。でも、キミにはボクが居る』
人形はそのままキョウカの腕を掴み取り、身体を反転させ背負うようにキョウカの腕を引き、投げ飛ばした。
「うぁっ」
キョウカは身体を地面に強かに打ち付けられ、うめき声を上げる。人形は落ちていた斧を拾い、のたうつキョウカに振り下ろした。重たい刃がキョウカの首に迫り来る。
「っ!!」
痛みを誤魔化し、身体を捻って回避する。刃が肩を掠めて血が吹き出した。
『ボクの力は〝複製〟だ。ボクが把握・記憶しているありとあらゆる物質、物体、エネルギーすらなんでも複製出来る。どうやってるのかなんて聞かないでね、感覚でやってるから判らない』
肩を押さえつけながら立ち上がるキョウカ。しかしふと違和感を覚え傷口を確認するといつの間にか傷口は塞がっていた。
『キミの血と肉を複製した。ボクが作り出したモノはボクが意図的に消去しない限り存在し続ける。本当は血肉の複製は色々面倒くさいから水晶で塞ぎたいんだけど、戦う為の身体ができあがる前にそれをしたら肉体が成長しなくなるからね。妥協してあげる』
人形が再び迫ってくる。キョウカはがむしゃらに剣を振るった。
『……やれやれ、この素人が本当にボクの求める強敵になってくれるのかな』
その剣筋のデタラメさに闘争の龍はため息を零した。
人形が壊れたら新しい人形が生み出される。キョウカが傷ついたら傷が埋められる。
何度も、何度も、何度でも戦いが繰り返される。しかし不思議と、キョウカにとってそれほど苦では無かった。理不尽に虐げられ、労働を強制されるより随分と気持ちが軽い。
自ら『やってやる』と決めた事だからだろうか?
どれ程の時間が過ぎ去ったのか判らない。少し暗くなっている気がする。闘争の龍は這いつくばるように寝そべり、あくび混じりに戦いを見守る。
ふと、足が絡まったのかキョウカはバランスを崩し転がるように倒れた。
すぐに起き上がろうとするが、力が湧かない。
人形が幸いと言わんばかりに武器を突き立てようとする。
身体が思うように動かない。このままではやられる。
ぞくりと悪寒を感じた次の瞬間、水晶人形は音を立てて砕け散った。
『どうしたの? まさかもう嫌になったなんて言わないよね』
どうやら闘争の龍が消してくれたようだ。
「い、え……ただ、その、流石に疲れました……」
あまりに戦いに熱中してたせいか、言葉を紡ぐのも上手くいかずにキョウカは自分自身驚いた。徐々に頭が冷えて平静さが戻るにつれ、強烈な空腹を感じ取る。
『ああ、そうか。そう言えば疲れるんだったね君達は』
まるで自分は疲れなんて知らないとでも言わんばかりの闘争の龍。
『参ったな。休憩は別に構わない。でも食べ物の事を考えて無かった』
大きな音を立てて首筋を掻く龍に、キョウカは質問を投げかける。
「複製は、できないのですか……?」
『できるけど、意味がない。ボクが作り出すのは所詮偽物さ。複製した食べ物は身体を動かすエネルギーにはなるけどキミを育む血肉にはならない。キミの身体はまだまだ戦士のそれには程遠い。だからわざわざ傷だって気を遣ってるんだ』
闘争の龍の力で生み出された血肉は紛い物である為成長しない。代わりに、身体の成長に合わせて少しずつ崩壊するように調整してあるので肉体が成長するに従って徐々に消えてゆき、最終的には完全に置き換わって消滅する。こうする事で戦闘の負傷を回復させながら戦いに向けた肉体を構成していくつもりだった。
しかし、真っ当な食料が無くてはそもそも肉体を成長させる事ができない。
『仕方が無い、ボクが――ん?』
ふと、闘争の龍は少し遠方の林に首を向けた。
キョウカもなんとか上半身だけ起こして同じ方向を確認すると、一つの小さな影がこちらに迫ってきている。一瞬亜龍かと警戒したが、影の姿はキョウカが見知ったモノだった。
「ハオ……!」
『知り合いかい?』
「ええ、でも用事があると言って何処かへ行っていたんです!」
ハオは彼の背丈と変わらない程の大きな袋を抱えて歩いてくる。最も、ハオ自身小柄な少年なのでそこまで法外な大きさの袋という訳では無い。
「闘争の龍よ。俺に敵対の意志はない」
二人の元まで辿り着いたハオは袋を下ろして言った。
『何の用だい。今ボク忙しいんだけど』
「キョウカに差し入れだ」
そう言うとハオは袋の中に手を突っ込んだ。そして腕を引き抜くと同時にほいっと中身を放り投げる。飛んできた物体をキョウカは咄嗟に受け止めた。
「これは……林檎!?」
手にすっぽり収まった紅い果実に、キョウカは思わず齧り付く。
「どうせ必要になるだろうと考えて数日分の食料を用意してきた。今後もオレが数日おきに持ってきてやる」
闘争の龍に戦いの教えを請うという考えはあらかじめハオに話していた。
しかし、その後突然姿を消したので他の真龍の様子を見に行ったのかと思っていたが、まさか食料を用意してくれていたとは。
「はむ、ん、あ、ありがとうございます!」
シャリシャリと音を立てて林檎を丸々一個早々に食べ尽くしたキョウカはとても嬉しそうにお礼を言う。
「訳あって野菜と果実ばかりで肉類は無いが身体を作るのには必要だからな。明日以降は肉類も時間をかけてちゃん用意する」
『……』
二人の様子を見下ろしながら、闘争の龍は目を細めた。
『今日は本当に珍しい日だね。変わった人間ばかりに出会う』
突如、闘争の龍が前脚を振るう。水晶の巨柱は途中で形を脚から腕へと変化させてハオの身体を鷲掴みにした。
「な、は、ハオ!?」
新しい果実を囓っていたキョウカは突然の出来事に取り乱すが、一方で当事者であるハオの方は涼しい顔をしていた。ハオはそのまま闘争の龍の顔の高さまで持ち上げられる。
『キミ、強いでしょ』
ギラリ、と水晶の瞳が鋭く輝いた。
「お戯れを。今の俺に貴方を満足させられる程の力はありませんよ」
ハオはそう言うと拘束を振り解こうともがくが、龍の指を一寸たりとも動かすことが出来ない。何度か試して、諦めたようにため息をついた。
『……演技、って訳でも無いみたいだね』
残念そうに闘争の龍はハオを地面に下ろす。
「大丈夫ですか!?」
「問題ない」
服に出来た皺を伸ばしながらケロリとハオは言う。
『ボクを……龍を前にしてその反応。普通じゃ無いと思うんだけど。少なくともそこの素人ちゃんよりはよっぽど死線を潜ってきた魂の匂いを感じるよ』
「このご時世、放浪などしていれば窮地に陥ることも珍しく無いでしょう」
『何処かで会ったこと無いかい? どうにも初対面の気がしないんだけど』
「貴方ほど長い時を生きていれば、似たような顔の人間と出会う事もあるのでは」
闘争の龍の言葉をのらりくらりと躱すように淡々とハオは答えていく。
『――まぁいいや。戦う気が無いのならボクには興味ないしね』
何を言っても無駄と判断したのか、闘争の龍はハオへの興味を失ったようだった。
「ハオ。私頑張ります。頑張ってみます。だから……見ていて下さい」
「ああ。……期待している」
ハオはポンとキョウカの頭を一度だけ撫でると、去っていった。
『休憩は終わりだよ。さあ、戦うんだ』
キョウカに出来るのは目の前に迫り来る人形をひたすら打ち倒す事だけだ。