6話 一人の英雄の物語が幕を開ける
◆ ◆ ◆
ズンズンと地面を揺らし、木々を簡単になぎ倒し、一つの巨大な影が歩んでいた。
隆々とした肉体に、大地を踏みしめる四つの脚。
そして八つの翼。身体の全てが水晶のように透き通った輝きを示す。
水晶の龍は吠えるように口を開く。
『見つけたよ』
宝石のような瞳には、もう一つの異形が映り込む。
鎧のような、金属質の殻に身を包む馬のような生命体。
真っ白でふわりとした白翼と、真っ黒でボロボロに朽ち果てた黒翼を持ったその姿は、まるで嘗ておとぎ話で語られる天馬のようだ。
水晶の龍よりもやや小柄だが、それでも人間よりは遙かに大きい。
天馬の龍は何をするでもなくじっとその場に留まり眠っていたが水晶の龍の呼びかけに煩わしげに答えた。
『……何しに来やがった』
『そんなの、一つに決まってる』
水晶の龍はその身体を持ち上げ二足で立ち上がる。
すると、宙に浮いた前脚が甲高い音を立てて砕け散る。
無くなった部位を埋めるように新たな水晶が発生し、今度は脚ではなく『腕』を形成した。同時に、虚空に巨大な水晶の剣が現れる。
『どこもかしこも、つまらない奴らばっかり。もうキミ達くらいしか面白そうな相手が居ないんだ。もう、今更上の命令なんて関係無いよね? ボク達、戦っても良いよね? だから、だからさ――』
挨拶代わりと言わんばかりに水晶の龍は剣を振りかぶった。
ギィン、と不快な高音が鳴り響く。
刃は、天馬の龍の目前で何かに阻まれるように制止していた。
そんなことお構いなしに水晶の龍は嗤う。
『戦おうよ。キミの名前も顔も覚えてないけれど。キミが強いことだけは知ってるから。キミなら見せてくれるかもしれない。命の輝きをっ!!』
いつの間にかもう片方の腕にも剣が握られている。
水晶の龍は二つの剣を交互に振り回した。
天馬の龍は起き上がり、後ろに跳躍する。
『さぁ、見せてよ。キミの力をっ!!』
水晶の龍は両腕の剣を投げつけた。
鋭い刃は真っ直ぐに天馬の龍へと突き進み――突如、『増殖』する。
二本だった剣はいつの間にか四本、八本へと数を変え、数え切れない程の剣が天馬の龍に殺到した。一本一本が樹木程の質量を持つ大きな剣だ。全て命中すれば天馬の龍といえども串刺しになるだろう。
しかし。
天馬の龍は嘶くように空を仰いだ。
キシキシと金属同士が擦れるような音と共に二つの翼が羽ばたかれる。
ぶわりと黒紫の霧が周囲を飲み込んだ。
霧に触れた無数の剣は、真っ黒な砂のようになって消えてしまう。
『戦狂いに付き合う義理はねぇが降りかかる火の粉は払わせてもらうぜ。――オレは、死ぬわけにはいかねぇんだ』
『アハハハハ!! 良いね。久しぶりに、燃えてきたっ!!』
二体の龍の戦いは周囲のあらゆる生命を巻き込んで、激しく火花を散らせた。
◆ ◆ ◆
野山の頂上で、木の葉を纏い身を隠して。
ハオとキョウカは一部始終を見ていた。
真龍と真龍。その激突を。
「ぁ……」
キョウカは、余りの光景に言葉を失う。
「……良い状況とは、言えないな」
ハオは難しい顔で顎を撫でて唸る。
悪夢の龍にはあまり近寄れないため、相当遠い山から、ハオから渡されたやたら倍率の高い遠望鏡を用いてその全てを見届けたのだが。
その戦いは、壮絶の一言に尽きた。
初めのうちは、水晶の龍人と天馬の鎧龍は向き合い、なにやらやり取りをしていた。
けれどそのうち、水晶の龍人から攻撃に出て、天馬の鎧龍はひたすら攻撃をいなすように動いていった。戦いは徐々に規模を増していって。周囲の自然も、地形も、ありとあらゆる存在の一切合切を巻き込んで。
気がついたら、山が幾つか消えていた。
緑は消え去り、ひび割れ枯れた大地が広がっていた。
もしも、目測を誤ってもう一つ先の山から観察していたら。そう考えるとゾッとする。
ハオの観察眼、計算力の高さを痛感し、感服する。
「こんな……」
漸く言葉を取り戻したキョウカは、それでも未だに呆然として。
「よもやここまでとはな……」
普段なら冷静なハオが、苦々しい表情を作る。それだけで不安が込み上げる。
真龍達はひとしきり戦った後。水晶の龍人の方が突然興味を失った様に去ってゆき。天馬の鎧龍もまた別の方角へとゆっくり歩んで消えていった。
キョウカ達は改めて、その場にテントを張ってキャンプをする。
普段なら軽口を叩き合う夕食の席も、空気が重たい。
世界が、変わろうとしている。もしもあんな事がこれから、何度も繰り返されるようになったら。
人はどうなってしまう?
人が住める環境が無くなる?
正真正銘、逃げ場を失って。生きる事を諦めるしかなくなるのか?
判らない。
ただ、怖い……。
まるで子供の様に、根源的な恐怖をキョウカは感じた。
漸く、生きる喜びが判り始めてきたのに。
まだ、自分がどう生きたいのか見つけても居ないのに。
いつもより冷たく感じる食事を口に運んで。
「これから、どうなってしまうのでしょうか」
溢れる不安を、思わず零してしまう。
「……さぁな」
普段ならそれらしい事を言って、キョウカに道を示してくれるハオが。その瞳を曇らせ俯いていた。けれど、それも仕方のない事のように思える。
「……龍なんて存在、この世界には必要無い。世界を蝕み、壊すだけだ。龍なんて居なければ、みな救われる」
キョウカには判らない、とても深い闇を抱えた瞳で。
ハオは手元のスープを見下ろしていた。
「ハオは、龍をどうにかしたくて旅をしていたのですか?」
彼らしからぬ弱音と、その様子からそんな気がした。
「……そうだな。だが、俺に出来るのはせいぜい、祈ることくらいだ。俺は無知で無力で、愚かな子供に過ぎなかったから」
ハオの独白は、キョウカには、どれも当てはまらない様な気がした。ハオが背負う罪と関係があるのかもしれない。
「……」
キョウカは考えていた。
そもそも龍とは何なのか。自分は何も知らない。
どうして世界を壊す? どうして人間を襲う?
何も、何も判らない。
なのに人々は恐れおののき逃げ回るだけで。
このままじゃ、何も変わらないであろう事はキョウカでも予想できた。
だから。
「ハオ。貴方は龍について詳しいですが、彼らの事を何処まで知っているのですか?」
気がついたら、口が開いていた。
「難しい質問だな。自分の知識の量を相手に伝えるというのはなかなかに大変だ。しかしどうしてそんな事を?」
「……本当に龍は、人間にはどうしようにもない生き物なのですか?」
胸に留まった想いは、キョウカの心にある決意を芽生えさせる。
ハオは困ったように顎に手を当てる。キョウカが何を考えているのか、ひょっとしたらこの聡明な少年なら見抜いてしまったのかもしれない。
「あくまで個人的な見解だが――」
ハオは慎重に、自分自身の言葉を確かめるようにゆっくりと答えた。
「その問いに関する明確な答えは用意できない。何故ならば、今まで誰一人として龍と向き合おうとした者が居ないからだ。だがそれは当然のことだ。相手は人間など踏みつぶす事も造作ない巨大な怪物で、人智を超えた力を持つ神秘の存在。更に真龍、憤怒の龍や亜龍は人間とあらば容赦なく襲いかかってくる。人々は恐れおののくばかりで倒そうとする者も、理解しようとする者も現れなかったからな」
だからこそ。人間は。人類は。龍の事を、知らなさすぎる。
「私は、ずっと考えていました。私はこの世界に何の為に産まれて、何の為に死んで行くのか。死にたいと思った時。死ぬかもしれないと思った時。その度に私は私が生きた意味は何だったのか、答えを探しました」
ハオに出会い。生きても良いのだと認められて。
その想いは尚も大きく膨らんだ。
願わくは、誰かの――いや、ハオの為に何かを成し遂げて、死にゆきたい。
「龍に、立ち向かう気か」
キョウカの真意を測ろうとするハオの真剣な眼差しを、真っ向から受け止めて。
「私は、私達は何も知らない。龍とは一体なんなのか、何が目的なのか」
それに。一つだけ、気になる事があった。ハオに拾われる前。魂沌の龍と出会った時。かの龍は確かに何かを語りかけてきたのだ。その内容は支離滅裂で理解出来るものではなかった。もしかしたら人を欺く擬態の一つかも知れない。けれど、耳を貸してみる価値はある筈だ。
「龍と対話してみたいんです。誰もした事が無いというのなら、もし上手くいけば私は胸を張って『私の生きた証』として誇れる」
そして、例えそれが上手くいかなくても。そうして得た情報が『龍と対話など出来ない』なんていう判りきったモノであったとしてもきっとハオの役に立つはずだと。そう思った。
「対話の先にあるのが和解とは限らん。ともすればたった独りであの脅威と戦う事になる」
そうなれば、きっと死は免れない。けれど。
「どうせ私は人々からは嫌われ者で通っています。失敗して死ぬことになっても誰も悲しみません。そして私自身、何かに挑戦したその果てで死ぬと言うのなら悔いはない」
元より、自分の命のあり方に悩んでいたキョウカにとって、己の命を賭ける事は恐ろしいことではなかった。
「そう、か……」
ハオは何故だか俯いた。
キョウカが生きた証、生きた意味を……ハオならきっと受け取ってくれる。
そうだと、嬉しいな……。
半ば願望めいた、けれど紛れもなくキョウカが自ら見つけた『生への答え』。
「キョウカ」
ハオは全てを見透かす様な、幼さの奥に真理を抱えた様な瞳でもう一度キョウカの瞳を覗き込む。そしてキョウカの心、その全てを理解しているように言う。
「お前の命は、お前の為にあるモノだ。どう使うかはお前の自由だが……本当にそれが答えでいいのか?」
誰かの為に生きようとする事。それは自分の〝生〟たり得るのか?
「はい」
迷いは無かった。そんなモノは、ハオに救われたあの時にとっくに消え去っていた。
「……俺が探していたのは、お前のような人間だったのかもしれないな」
とても小さな声で。きっと、本当は心の中で呟くつもりだったのであろう言葉を。
キョウカは確かに聞いた。
「キョウカ。お前が龍達と向き合うと言うのなら――俺にも、その手伝いをさせてくれ」
拒む理由など何処にもない。願ってもない提案だ。
「はい! 喜んで!!」
こうして、一人の英雄の物語が幕を開ける。
人の身でありながら龍と向き合い、龍を打ち倒す英雄の物語だ――。
よろしければいいねやご感想、ブックマークなどして頂けると嬉しいです。
少しでも面白いと思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆ボタンを押して評価して下さるととても喜びます!