5話 生きてみよう
あれから、半日ほど過ぎていた。
キョウカの体調は順調に回復してきているが、顔色は芳しくない。
「憎むべき相手を間違えてはいけない。龍さえ居なければこんな悲劇は起こらないんだ」
膝を抱えて座り込むキョウカを励ますようにハオは言う。
「ですが、龍はどうにもできない。私達人間は怯えながら、逃げるように生きるしかない」
それが絶望と言う名の、世界を蝕む病だ。
今日生き延びられても、明日無事に過ごせるとは限らない。
常に恐怖が心の中に居座り、緊張と焦燥が精神を不安定にする。
誰かのせいにして、何かを憎んで、不安や恐れを何処かへぶつけて、漸く正気が保てる。
そんな世界。
「そうだな。だが、それでも生きようとするのが人間だ」
ハオの言葉に、キョウカは心の中で頷いた。
こんな世界、逃げてしまった方が楽に決まっている。
自ら命を閉ざせば、死を恐れる事も無くなる。でも、それが出来ない。
純粋に、生きたいと思う。
純粋に、死にたくないと思う。
人間というのは本当に、どうしようもない……。
「……私も、まだ死にたくないです。何も為し得ないまま。何も残せないまま死ぬなんて、悔しくて、惨めで……認められない」
そうだ。だからあの時……魂沌の龍と向き合ったんだ。逃げようとせず、立ち向かったんだ。そうしなければ、自分が自分で無くなる気がして。
「なら……」
ハオはキョウカの正面に移動する。キョウカが顔を上げると、ハオは膝をついてキョウカと視線を合わせた。
「なら、生きてみるしかない。こんな世界でも、死にたくないと願うのなら。生きるんだ。それは人間、動物、植物、全ての生命に許された権利だ」
子供とは思えない、ハオの言葉。キョウカの心を優しく包み込み、じんわりと暖める。
「……初めて〝生きて良い〟と、言われた気がします」
ああ。龍の忌み子などと言われて。不当に蔑まれ、拒絶されて。
死んでしまえと罵られ。自分でも死にたいと何度も考えて。
それでも、生きてきた。ずっと生きてきて……心の中では後ろめたさを感じていた。
例え納得できないものであっても。やはり。
例え不条理なものであっても、やはり。
否定されると、拒絶されると、自分が悪いのだろうと思えてしまう。
本当に、生きていてはいけないのだと思ってしまう。
〝死にたくない〟
ずっと、悩んでいた。
〝死ぬべきだ〟
ずっと二つの心が葛藤していた。
それが、今……救われた気がした。
「自分の人生をどう生きるかなんて、他人に指図されるものじゃない」
親にあやされる子供というのはこんな気持ちなんだろうか。
「……うん」
自分が少しだけ、幼くなった気がする。でも今までの自分より、ずっと素直で、
「ハオ。あの……」
「どうした?」
「もう少しだけ、一緒に居てくれませんか? 迷惑かも知れませんが……」
ただ、在りし日に求めた当たり前の心を……無償の愛、家族の情を、ハオに望んだ。
生まれて初めての、我が儘だった。
「それでお前が生きる事ができるなら、力を貸そう」
「……ありがとう、ハオ」
自分を受け入れてくれる存在が、居てくれた。
今なら、迷いは無い。
生きてみよう。
己の全てを賭けて、この命を貫いて見せよう。
他ならぬ、ハオの優しさに応える為にも。
◇ ◇ ◇
それから、しばらくの間キョウカはハオと共に暮らすことになった。
監視者の真似事をして真龍の情報や残滓を集めて村を渡り歩く。やっている事は昔と大差が無いというのに、一人で旅をしていた時に感じた孤独も、恐怖も、溶かされて。町での交渉はハオが引き受けてくれたから、なんとか迫害される事も無くなった。
誰かに認めて貰える事。誰かが側に居てくれる事。
それがどれ程心の支えになるだろうか。
もしかしたら。
あてのない二人旅だけれど。
もしかしたら。
こういうのを幸せって言うのかな……。
いつも通り起きて、テントを撤去し、装備を整え歩き出す。
「ハオ」
荷物を背負ったまま、横に並んで、キョウカは相棒に声をかける。
「またいつものか?」
歩いているだけでは手持ちぶさたなので。ふとした時にキョウカはハオに素朴な疑問を投げかけていた。本当に、どうでもいいような、そんな話だ。
例えば、どうして雨は降るのだろうとか。どうして汗を掻くのだろうとか。そんな、下らない内容だ。けれどハオは一々答えてくれる。何処でそんな知識を身につけたのか、内容の半分は理解できないような難しい言葉で、それでも丁寧に、キョウカに付き合ってくれる。それが、二人の日常となっていた。
「そうとも言えるかも知れませんし、違うかもしれません」
曖昧なキョウカの返事に、ハオは苦笑する。
「なんだそれは」
「……ハオの事が、少しだけ知りたいと思って」
「……」
いつもは困った様に笑って、すぐに答えてくれるのに。ハオはキョウカの方を向かず、難しい顔を作って押し黙っていた。
ハオが何者なのか。尋常ならざるその容姿と知識からずっと気になっていた疑問だ。けれど、あまり詮索してはいけないと思って今まで触れてこなかった。
だけど……相棒のことをいつまでも何も知らないというのはもどかしくて。
だから。
「少しだけで、良いですから……」
ちょっとだけ、欲が出た。ハオ相手にはつい、甘えて我が儘を言いたくなってしまう。
「――俺は」
キョウカから視線を逸らしたまま、ハオらしからぬ小さく暗い声で。
ぽそり、と呟く。
けれど、決心したようにキョウカと目を合わせ、言う。
「俺は、〝咎人〟なんだ」
少しだけ、驚いた。キョウカはハオの暖かい一面しか知らない。
そんなハオが、咎人だという。何かの罪を犯し、罰を背負って生きているのだという。けれど、亜龍が跋扈し真龍が蠢くこの世界を一人で旅をしていた理由としては納得できた。キョウカもまた、謂われのない濡れ衣を着せられたようなモノであれ似た境遇だったから。
「あるいは、こうして旅をしているのも……罪滅ぼしのつもりかもしれん」
自分自身の胸に、文字通り手の平を当てて。何処か遠くを想うようにハオは空を見上げていた。闇に閉ざされ、黒、藍、紫、緑の淀みが蠢く不気味な空を。
「……ごめんなさい」
思わず、謝ってしまった。
「良いんだ。いつかは言わなければならないと思っていた」
「でも、私にとってハオはハオです」
「お前は少し、俺を信頼しすぎだ」
突き放すように言うハオだがその顔はいつものように笑っていた。
ハオの事が少し知れて良かった。これ以上踏み込むのはマナー違反だろう。
「次は何処へ向かっているのですか?」
もう十分だ、と伝える代わりにわざと話を逸らす。
「どうにも、真龍達の動きがきな臭い。少し危険だが、様子を見ようと思ってな。ひとまず見通しの良い高地を目指している」
キョウカの意図を理解したのか、ハオは淡々と説明を始める。
「きな臭いというのは?」
「闘争の龍が最近、他の真龍を追いかけるように移動しているんだ」
「……そういえば、以前は闘争の龍と憤怒の龍の残滓と極めて近い場所で発見しました」
「今まで、真龍達が直接戦ったという記録はない。だからこそ……もしそんな事態が起こったときに世界がどうなるのか誰にも判らない。警戒するに越したことはないだろ?」
「なるほど」
「……なんで笑っているんだ?」
ただ、事務的に返事をしたつもりだったがキョウカは顔が綻ぶのを隠しきれなかった。
「え、あ、いえ! 気にしないで下さい!」
罪が何だ。咎人だから、どうしたと言うのだ。過去に何があったのか、詮索はしない。
キョウカが知っているハオは、自分を救い、支え、共に生きてくれる。それでいてどこまでも先を見据えて、彼なりに世界を思って行動している。
そう考えると、何故だか誇らしく思えてて。何故だか、愛おしく思えて。
この人の力になりたい。
そう、切に願った。
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