4話 魂沌の龍の存在だけは一刻も早く知らせなくては!!
「う、ん……」
随分と久しぶりに穏やかな朝を迎えた気がする。
目を擦りながら周囲を見渡すとハオが何かを書き記していた。
「おはようございます……」
身体を起こし、キョウカは乱れた髪を手櫛で整える。
「呆れたものだ」
作業を続けながらハオは愉快そうに笑った。
「え?」
「あの暗い空と、加えて森の中だからわかり辛いだろうが、既に日は頂点を超えてるぞ」
どうやら、最早『朝』と呼べる時間帯では無かったようだ。昨日もハオに出会った時も既に昼過ぎで、その後は食事した後すぐに横になったのでつまるところほぼ丸一日眠っていた事になる。
「ちょっと肩が痛いです」
「ただの寝過ぎだな」
ハオはそう笑うと同時に筆を置いた。どうやら作業が終わったらしい。
「何を書いているのですか?」
思わず問いかけると、得に隠すこともなくハオは紙をキョウカの前に差し出した。
すべすべとしていて、きれいに形が整っている。植物資源は豊富なため紙を作る事自体は簡単なのだが、これほど繊維が細かい紙を作るにはかなりの設備が必要だろう。
真龍から逃れる為に一カ所にとどまる事が出来ない以上、大げさな装置や設備というモノはそう簡単には作れない。
「高級そうな紙ですね……」
そう思わずにはいられなかった。
「いや本来は安物なんだが――それはまぁいい。書いてある内容の方を気にするべきじゃないのか?」
言われて、改めて内容を確認する。
「――これは地図ですね」
記されていたのは、地図だ。それもこの周囲だけのものではない。この世界、『三日月列島』全土を書き記した物である。
「お前が寝てる間に情報を集めてな」
地図には三つ、大きな赤い印が見える。
「因みに現在位置はここだ」
ハオが指を差す地点に視線を移す。
「ここから少し離れた場所で闘争の龍と憤怒の龍が目撃された。真龍同士が近づくのは珍しいからな、情報の更新をしていた」
「真龍……あっ!!」
その話を聞いて、寝ぼけ気味だったキョウカは冷水を浴びせられたかの様な声を出した。
「どうした?」
「忘れていました! この近くに町があるんです! 危険を知らせないと!」
慌ててキョウカはテントを飛び出す。
丸一日眠ってしまったという事は、魂沌の龍がまだこの付近に存在している場合想定される移動圏内に町が含まれてしまう。安否を確認せずには居られなかった。
「おい、待て、どういう事だ!?」
森を駆けぬけるキョウカの横に、ハオが追いついてくる。
「私は魂沌の龍に襲われたんです!! その事を急いで伝えなければ!!」
四体の真龍の内、魂沌の龍だけはその存在位置を正確に求める事はできない。ある日突然現れ、数日付近を彷徨った後に霧の様に姿を消してしまうのだ。
更に人間の精神を壊すその特異な力から存在を確認できても観測者がまともな精神を保つ事が出来る事自体希だ。
「魂沌の龍の存在だけは一刻も早く知らせなくては!!」
近づいていた他の真龍の情報は伝えてあった。魂沌の龍の事は抜きにしても移動を開始していてもおかしくはない。望みは、まだあるはずだ。
キョウカは一度通り抜けた道を再び全力で引き返す事になった。一度目はあんなに人間を憎み、恨み、悔しさに突き動かされていたというのに今度は真逆の心に追い立てられている。
キョウカは人間が嫌いであった。その筈なのに……あの町の人々が無事で居て欲しいという願いが強く湧き続けた。
「病み上がりだ、無理はするな! それ以上速度を出すと肺と足が持たないぞ!!」
「です、がっ――く、ぅ……」
ふらりとキョウカの足取りが乱れる。
徐々に失速してゆき、そのまま倒れようとしたところでハオが下から潜り込むようにその身体を支えた。
「言わんこっちゃない」
「すい、ませ……」
「落ち着くまで支えてやるから、進むにしても無茶はするな」
「迷惑かけてばかりで……」
「全くだ。だが、放ってもおけまい」
キョウカは少年に支えられながらも歩き続けた。
肩をかり、足を引きずるように進み……ようやく遠方に小さなコテージ群が見える。
「後は、自分の足で大丈夫です……」
「何ならコイツを貸してやる。あと少しだ。頑張れ」
ハオはキョウカに杖を差し出した。意外に重量感があり、芯に金属の棒でも埋め込まれている様に思えるほど重たいのだが今のキョウカにはあるだけでもありがたい。
息も絶え絶えになりつつも遂にキョウカは町に戻る事ができた。
しかし――。
人の気配がまるでない。ハオも思わず鋭い顔つきをしている。最早、答えなど出ているに等しい。けれど、諦め切れなかった。もしかしたら、あまりにも切迫していたから住居を放棄して逃げ出したのかもしれない。緊急事態においてはよくある事だ。
そんな考えが浮かんでくる。
疲労と不安で杖に寄り掛かるように立ちすくんでいるキョウカを尻目に、ハオは町の中を探索しはじめた。そしてコテージの中を確認しては次のコテージに入っていく。数はそれほど多くない。全てのコテージを回わり終えたハオは神妙な面持ちでキョウカの元へ戻ってきた。
「……残念だが、手遅れのようだな」
「っ!!」
その言葉が信じられずに反射的に、走り出そうとするキョウカの袖をハオが捕らえた。
「見ても、辛いだけだぞ」
「ですが、ですがっ!!」
ハオの制止を振り切って、キョウカはすぐ近くのコテージに駆け込む。
明かりもない、薄暗くて狭い空間。
人が何人も横たわっていた。まだ腐敗すら始まっていない食べ物が散乱している。キョウカは気がつけばまた別のコテージを探っていた。
倒れている人々に傷なんて一つもない。ただ、ある者は引きつった様な笑顔を浮かべて、ある者は恐怖に顔を歪ませて、ある者は怒気を宿した形相で……まるで感情の渦に飲み込まれ、溺れてしまったかのように息絶えている。
「誰か、誰か一人くらい無事じゃないんですか!? 私は生き残れたんだ、きっと、一人くらい……」
肌に触れ、脈を確かめ、必死に生存者を捜す。ふと、倒れている人物の一人に見覚えがあった。あの時の門番、見張り兵だ。近くの女性や子供は恐らく彼の家族なのだろう。
「あ、ああ……」
少しだけ大きなコテージには町の長の姿もあった。
決して彼らに良い思い出があった訳では無い。
ただ、顔を知っているだけ。それだけの人間だ。
なのに。
少し前までは当たり前のように生きていた人間が、死んでいる。
もう、動くことはない。もう、喋ることは無い。
憎い筈だったのに、悔しい思いをした筈なのに。
ピクリともしない彼らの姿を見ていると、涙が込み上げてきた。
「っ……」
思わずコテージを飛び出し、そして、項垂れる。
「私の、せいなんですか?」
謂われのない罪だと思っていた。なのに、どうしようにも無い罪悪感に苛まれた。
「本当は、やっぱり、私が、訪れたから……? 私のせいで――」
「違う」
きっぱりと、言い捨てるような声が聞こえた。
顔を上げると、真剣な面持ちでハオが見下ろしている。
「『迷信』だと言ったはずだ。この件にお前は何一つ関係ない」
「何故そんな事が言い切れるんですか!? 現に、こうして、人が死んだんです!! みんな、みんな死んでしまったっ!!」
キョウカは訴えるように叫ぶ。そうでもしないと胸が張り裂けそうだった。
そんなキョウカに、ハオは冷静に告げる。
「手遅れだとは言ったが、全滅したなどと言ったつもりはない」
「え……?」
ハオは振り返り、少し離れた場所まで歩いた。
キョウカは重い足取りで後をつける。
そして立ち止まったハオは地面を指差す。
「かなり新しい足跡だ。恐らく数人に過ぎないだろうが生き残りが町を放棄して旅立った跡だろう。無事に他の町に辿り着く事ができるかは別だ、気休めにはならんだろうが確かな結論は得られる」
ハオは明らかな確信の意志を込めた表情で、言った。
「魂沌の龍に遭遇してお前一人が生き残った事は単なる偶然だ。ヤツから受ける影響の度合いに個人差があり、辛うじて心が壊れるまでに至らなかったのだろう。お前は『強運』だったのかもしれないが、『異端』な訳では無い」
今まで弁解すら許されずに押しつけられていた濡れ衣を、ハオは否定した。彼の提示した根拠が絶対に正しいとは言えないが、それでもキョウカは少しだけ救われた気がした。
だが、とハオは暗い顔を作る。
「きっと生き延びた連中はそうは思わないだろう。小さな社会である分繋がりは固く町内での噂の伝達は恐ろしく早い。お前がこの町に訪問したというのならきっとその事は町の住人に知れ渡った筈だ。人々は今回の悲劇もまた、お前のせいにするだろうな。そして、逃げのびた者達はきっとその先でお前を貶めるだろう」
そうかもしれない。キョウカは自分の心を押し殺すように、言葉を紡ぐ。
「……いいんです。もう、慣れてますから」
先ほど見つけてしまった遺体の山が脳裏から離れない。
悔しいけれど、憎いけれど、それでも、例え自分がもっと貶められるとしても。
誰かが生き延びていてくれれば、その方が良かった。
キョウカは人間を嫌ったが、人間の命を否定する事は出来なかった。
「……お前は、良いやつだな。まるで聖人君子だ」
キョウカの心を見透かしたように、ハオが呟く。
「私はそんな、大層なものじゃ無いですよ。他の、私の嫌いな人間達と変わらない。自分勝手なだけです。死んでしまっては、見返してやることもできませんから」
強がるようにキョウカは言うが、その声は震えていた。
「……テントまで戻ろう。ここに居ても、心を痛めるばかりだ。それに、俺達二人だけでは弔う事も出来ん」
衰弱している人間一人と小柄な少年一人では複数人の遺体の処理なんてままならない。手間取っているウチに死臭に引き寄せられた亜龍や獣に襲われてしまう危険性もある。冷たいかもしれないがこの場はすぐに離れるべきだった。
「……」
キョウカは重たそうに身体を持ち上げて、杖に寄り掛かりながら歩き始めた。
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