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36話 その……姿は……!?

 ――……!!

 

 ドクドクと心臓が高鳴る。極度に緊張し、全ての動きが遅く感じる。

 ラースの着物に斜めの亀裂が入って繊維は飛び散り裂け目から肌が僅かに垣間見える。

 

 だが。……だが!! 手応えが無い!! 血は一滴たりとも流れない!!

 

 ラースは振り向き様に不適な笑みを浮かべていた。


「肉を切らせて骨を断つ。……この場合、服を切らせての方が合ってますね」


 ――全て、読まれていたというのか。ダメだ、すぐにでも離れなければッ!


 高速回転する思考回路に、身体が追いつかない。斬り付けるために踏み出した右足が、漸く地面を踏みしめる。速く、跳び退かなければ何かが来る!!


 足が地面に付くとほぼ同時に、無理矢理力を込めて後方へ跳躍した。バランスもなにもあったものではない。右腕と右足が前に出たまま、腰と半身だけが後ろに下がる。


 そして左半身に引っ張られるように遅れて右腕と右足が下がり、おしりから倒れ込む光景が想起された。けれどキョウカの身体は宙で止まる。


 右腕と右足が何かに締め付けられ、自由を奪われたのだ。足に絡みつくのは大地から伸びた木の〝根〟。そして根から幹が伸び腕を絡め取りながら成長していく。


「目に見えているだけが、森の全てではありませんよ」

 ラースの身体が完全にキョウカの方を向く。やがて成熟した樹木に右腕と右足が飲み込まれ、防御も回避もままならない。


「本来なら四肢の自由を完全に奪うつもりでしたが、十分です」


 木の向こうからラースの声が聞こえる。


「残念ですが、ここまでです。貴方の刃は私には届かない。私の、主にも……」


 ラースは右に回り込み、身動きが取れないキョウカの首を断つべく刀を振るった。


 潜血が迸り、地面に滴った。


 カランカランと剣が大地に落ちる音が聞こえる。




 そして口を開き言葉を紡いだのは――キョウカだった。




「掴まえました」



 キョウカの首を横一文字に切り裂こうとした水晶の刃は、同じく水晶質の物体に阻まれ静止している。


「なっ……!」


 キョウカの策を読み、完全なカウンターを決めたと思い込んでいたラースは初めてその表情を強ばらせた。


 ラースの刀を阻んだもの。それは――右腕だ。

 勿論只の右腕ではない。


「その……姿は……!?」

〝水晶の右腕〟だった。キョウカの生身の右腕は木に飲み込まれたまま、その根元の断面から赤い血を滴らせ浮いている。キョウカは咄嗟に自由な左腕に金剛石の剣を作り出し右腕を切り裂いて、そのまま嘗ての友の様に水晶で右腕を復元したのだ。


 この腕ならばラースの刃を止められると。


「肉を斬り裂いてでも敵を断つ!! 我が師たる龍の教えです!!」


 今、刀身はキョウカによって取り押さえられている。

 つまりラースは刀を握っている間、キョウカから逃げる事ができない……。


 ――武器は封じた!


 キョウカが左手に構えた金剛石の剣が、ラースの腹部に突き立てられた。


「……お見事」


 ラースはキョウカを称え、項垂れた。


「えっ……?」


 対するキョウカは唖然としている。周囲の森林とキョウカの右腕と右足をのみ込んで居た樹木がパキパキと音を立てて干涸らび枯れ果てていく。キョウカの腕が地面に放り出され、同時に足が解放された。


 左腕に複製していた金剛石の剣を消し、キョウカは倒れようとするラースを支えた。


 そして、問いかける。


「な、何故ですか!? 貴方ならば、急所を逸らすくらいは出来た筈なのに!」


 そう。ラースの刀を取り押さえたからと言ってラースの動きを封じ込めたとは言い難い。刀を放棄してしまえば自由の身になるからだ。


 その上、ラースはその気になれば周囲の木々から代わりとなる武器を生み出す事も出来ただろう。なのに、彼女はそうしなかった。

 

 防がれるか、凌がれるか、どちらにせよ致命傷は回避されると考えて繰り出した攻撃であった為に、勝敗を分ける最後の一撃になった事が信じられなかったのだ。

 

 ラースは困った様な笑顔を力なく作って、答える。


「……私にはこの刀を自ら手放す事などできません。例えそれが真剣勝負の最中であっても、私の命の引き替えになろうとも、どうしても……手放すなんて……」


 キョウカの脳裏に、垣間見た魂沌の龍(ケイオス)の記憶が再び浮かぶ。


「っ……」 


 ラースにとってこの刀は魂沌の龍(ケイオス)から貰った恩賞であると同時に絆と誓いの証だ。並々ならぬ想いがあったのだろうとその心中を察した。


「……ごめんなさい。貴女の親愛を踏みにじる様な勝ち方を……」


 後味の悪さを感じ、ラースから視線を逸らすキョウカ。すると、逸らした先には自身の右腕と並んで地面に落ちている金剛石の剣があった。右腕の指先が剣の柄に触れている。


 金剛石の剣はキョウカにとってストライフから受け取った絆と友の証だ。身体から切り離されても尚自身の腕は剣と共にある。


 ……ラースの気持ちが痛いほど判った。


「謝る事はありません。これも一つの結果……貴方は死力を尽くして私に力を示してくださいました。十二分に、貴方の光を確かめられた……それだけで満足です」


「……ありがとう、ございます」


「貴方なら……貴方なら本当に、我が主を……あの人を、闇から救い出せるかもしれない。どうか……どうかよろしくお願いします……」


 ここまで来たのだ。立ち止まる訳にはいかない。

 キョウカはラースをそっと地面に寝かせた。


「最期に、一つだけ……頼みを、聞いてくれますか……?」

「なんなりと」

「言づてを……」


 ラースは黒と暗緑に淀んだ空に手を伸ばし、まるで、そこに魂沌の龍(ケイオス)が居るかのように、最期の力を振り絞って言葉を紡ぐ。


「――……」

 長くて短い、最期の言葉をキョウカに伝えて。ラースはゆっくりと瞼を閉じた。


「……確かに、聞き受けました。必ず伝えます」


 ラースの身体が土色に染まり、大地へ還っていく。

 空を覆う黒い淀みから暗緑の筋が消え、遂に空は黒一色で覆い尽くされた。


 キョウカはぼんやりと空を眺めていた。長いようで短かった旅路も、もう終わりが近づいている。ズキリ、と切り落とされた右腕の付け根に痛みが走った。


 無理矢理水晶の義手を接合させているのだ。当然だろう。義手を外して血肉を複製しても良いのだが……。

 

 キョウカは左手を右肩にあてがい痛みを堪える。


 ――戦闘ではこっちの方が便利だ。もう少し、あとほんの少しだけ耐えるんだ。


 ふと、大気がざわめく。空の淀みが激しくうねり、黒い光の筋が大地へと伝ってくる。

 少しだけ悪寒を感じる。随分と力が弱まったがこの感覚は間違い無い。


魂沌の龍(ケイオス)……」


 周囲を見渡すと、遠く離れた一際高くそびえる山の頂上に、黒い筋が差しているのを発見する。目を懲らせば、空の淀みがまるで渦潮のようにその一点に集まっていっている様にも見える。


「そこに、居るんですか……?」


 キョウカはその山を目指し、進むことにした。 心がざわざわして落ち着かない。

 ラースと向き合うために、ナイトメアとハオは身体を張って時間を作ってくれた。あれから二人がどうなったのかも判らない。ただ、一つハッキリしているのは……。


 空の淀みは、もう黒一色しかない。つまり、ナイトメアは……。


 立ち止まる訳にはいかない。


 最後の戦いが待っている。


 でも。


 ナイトメアと共に跳んで行ったもう一人の友は。

 キョウカをここまで支え続けてくれた友は。


 一体どうなったのだろうか……。


 無事で居て欲しい。またいつもの様に「よくやったな」と迎えて欲しい。

 子供の様な、そんな心がぐずぐず揺らぐ。


 けれど。

 もう一つ。子供とは逆の、キョウカの中の大人の心が。


 また別の不安を育んでいた。まさかとは思うけれど……。


 魂沌の龍(ケイオス)に取り込まれそうになりながらも、ナイトメアと共に消えていったあの力。……本当に、ただの亜龍に、そんな事ができるのか?


 ――……そんな訳無い。でも……。怖い。

 

 水と油のように分離して、せめぎ合う二つの心。


「ハオ……貴方に会いたい……」


 キョウカは手の平で胸をぎゅっと握り締めて。


 言葉とは裏腹に、願わくば進む道の先にハオが居ないことを祈って。

 重い足を引きずるように歩き続けた……。


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