33話 僭越ながら――私は強いですよ
「はい、お茶の用意が出来ましたよ」
テーブルにおかれた木製の湯飲みに、急須からお茶が注がれる。
「本当は清流の水でも使えれば良かったのですが自前の植物から絞った水を使わせて貰いました。少しばかり風味が変わるとは思いますがそれでも味は保証しますよ」
「い、いただきます」
少し強めの渋みと苦み。しかしその先にある旨みが身体に浸透して暖める。
意識せずとも自然にため息が零れ出た。
「あ、す、すいません」
思わず口に手を当てるキョウカだが、ラースは笑って、
「いえいえ、お気に召したようで何よりです。あ、お茶請けもどうぞ」
と、果実の切り身を差し出してくる。事、食に至ってはかの龍が居るだけで問題無く賄えてしまう。まさに、大自然の恩恵を感じるようだ。
「ありがとうございます。けれど、どうしてこのような席を?」
果実を口に入れ、お茶を一緒に流し込む。甘酸っぱい味わいがお茶の苦みと相まって新たな味覚を生み出し口中に広がった。
「おや、お話をしたいと申し出たのは貴方の方では無いですか」
「ああ! あの時の私の言葉は、確かに届いていたんですね……!」
「ええ。龍殻を倒す程のお方、私自身興味もありましたから」
そしてラースもまた、お茶を口に含むと物思いにふけるように周囲に視線をやった。
「それに、こうして落ち着いた時間を過ごせるのはこれが最後の事になるでしょうし」
「え……?」
「遂に人は龍を倒すに至った。ならば人間は自らの足で歩み出したという事でしょう」
「それは……どうでしょうか。私はただ、がむしゃらに私自身の為に戦って来ました。人々の意志が今どうなっているのか、私には判りません」
「うふふ、戦いなんてそんなものです。各々譲れないものの為に、自らの都合で戦うもの。貴方がどういう理由で戦おうと大衆には関係ありません。大切なのは、〝龍を討つ者が現れた〟〝龍の支配が終わる時が来た〟という実感ですよ」
「は、はぁ……」
「人々が新たな未来を創り始めるというのなら、私はその未来を否定はしません」
人間の営みをまるで見守ろうとするかのようなラースの言葉。まるで、大いなる母のような抱擁感を感じる。だが、その姿はあまりにも――
「憤怒の龍らしからぬ発言だと、お思いですか?」
「えっ、う、そ、そんな事は……!」
がたっと膝を机にぶつけてあわあわ視線を逸らすキョウカ。
「良いのです。私の龍殻が何をしてきたのか、知らないわけではありません。私はあくまで憤怒の龍、人間を憎み滅ぼす悪龍ですよ。ですから、そう名乗りました」
――この人も、ナイトメアの様な事を言うのですね……。
これほどまでに人に歩み寄った心を持っているのに、人を滅ぼす龍と化す。そしてその事を受け入れた存在。真龍が一体どういう存在なのか未だに全容は見えてこない。
少しだけ、沈黙が続いた。
暫くしてラースは湯飲みをテーブルに置く。中身を飲み干したようで、渇いた音が聞こえてきた。そして、決意や覚悟が垣間見える眼差しをキョウカへ向ける。
「私は……自らあの闇に捕らわれる事を望みました」
「えっ」
「例えその結果、多くの過ちを犯し、多くの罪を背負う事になろうとも、全てを承知であの闇を受け入れました」
ラースは席を立ち、焚き火の炎を消す。
「どのような理由で、貴方がここに居るのかは知りません。ですが貴方は龍を倒す者だとお見受けします」
キョウカから感じる龍の力は、紛れもなく真龍のモノ。どういった経緯で人の身で龍の力を振るい、龍を倒して来たのか……ラースは敢えて問おうとはしない。
「我ら真龍を打ち倒し、新しい未来を望むのなら――正々堂々、お相手致しましょう」
スラリと腰の刀を抜く。透き通ったガラス質の独特の刀身が、ギラリと光を反射する。
元より、龍と人は相容れない。判っていた。いつもどおりだ。人として、真龍と戦う。
けれどこの瞬間だけは。心通わせた龍と相対するこの一瞬だけはどうしても慣れない。
「どうか、刃を交える前に教えて下さい。そこまでして、貴女が闇に身を置いた理由を」
キョウカもまた、ラースの正面に立つ。
「とても個人的な事なので、少し恥ずかしいのですが……」
緊迫した空気が流れ始めているのに、本当に恥ずかしそうに人差し指で頬を掻くその様子はやはりマイペースというか、気が抜けそうになる。
「……我らが王は、己を失いました。無数の感情の波に飲み込まれ暗い魂の牢獄に囚われた。敵も味方も無く暴れ回り、世界の全てを飲み込む邪龍と化した」
魂沌の龍も、初めから狂っていた訳では無いのだろう。何処かで、運命の歯車が外れてしまったのかもしれない。
「ご存じかも知れませんが、王が持つ龍としての力は〝魂の支配〟。我々配下の者も王とは魂で繋がっていました。故に王の狂気に引きずられ、自我を蝕まれていった」
ここまでは、今までのストライフやナイトメアの話から大方予想できていた内容だ。
問題は、この先である。
「無論、私は王を止めようとしました。けれどそれは叶わなかった。どれ程語りかけようと、王は答える事も無く。幾度相見えようと私の名を呼ぶ事はありません」
ふと、キョウカの頭にちりりと熱い痛みが走る。不思議な感覚だ。意識がハッキリしているのに、いつもみる夢の光景が脳裏に浮かんでくる。
『主よ!! 私の事が判らないのですか!?』
俯瞰で見下ろす、ラースの姿。
『主よ!! 私の声が……聞こえないのですか……?』
呼びかける声が、少しずつ遠くなっていく。
『答――く――いっ!! ――っ!』
ラースが主と呼ぶのなら、それはもう間違い無い。
今まで幾度となく見てきたこれは紛れもない魂沌の龍の記憶……。
「こうなっては力尽くで止める事こそが真の忠義だと決起し戦いを挑みましたが……我が力及ばず、刃は届きませんでした」
記憶の再生は続く。攻撃を仕掛けてきたラースを、魂沌の龍の龍殻は敵だと見なして迎撃した。力の差は大きく、ラースは呆気なく倒れ伏す。
『待っ――お願――って――』
這いつくばいながら手を伸ばし、何かを懇願するラースの姿。けれど魂沌の龍は彼女を尻目にその場を後にする。胸に宿るのは無数の破壊衝動と彼女だけは傷つけまいと願う僅かばかりの理性。
「主は私にトドメを刺さなかった。……例えそれが砂漠に落ちる砂の一粒のようなものであるとしても、間違い無く主の心は残っていることを理解しました」
そして、彼女は決意する。
「私が知る主様ならば、邪龍に墜ちた今となっては滅ぼされる事を望んでいるでしょう。私にはその大役は務まらず、無様にも倒れ伏しましたがいずれ彼を打ち倒すだけの器を持つ者が現れるでしょう」
遠い未来を見据えて、当時のラースは必死に考えを巡らせた。
「主様も、倒される事に文句は言いますまい。……けれど、けれどその時、彼を取り巻く環境はどうなっているのでしょうか?」
魂沌の龍は程無くして世界を支配した。狂気に当てられ、守るべきものを無くした真龍達は己が胸に宿る切望だけを信じて散り散りになった。
「きっと主様は多くの者達に恨まれ、憎まれ、拒絶される。倒される最期の時まで、己の罪に身を灼かれながら……」
罪は罪、過ちは過ちだ。如何様な理由があろうと多くの命を奪ってきた魂沌の龍の行いは許されるものでは無い。それはラースも重々承知している。罪に対する罰として裁かれること、それを否定はしない。
――でも。
「そうなれば、彼はこの世の全てに否定されて、独りぼっちになってしまう……」
魂沌の龍を恨む人間達を、否定するつもりは無い。けれど、魂沌の龍に訪れる孤独を考えると……いたたまれない。
「あんまりじゃないですか……彼は彼なりに、今まで必死に戦って来ただけなのに。己の心すら見失い、守ろうとした者達に憎まれ、恨まれたまま消えていく……彼にはもう、何も残っていない……本当の、独りぼっちになってしまう」
いずれ、憎まれ討ち滅ぼされるしか無いのなら。
「ならば、ならばせめて、私だけでも……」
この手で救い出す事も叶わないと言うのなら。
「例え、それが罪を犯す事になろうとも、例えそれで、望まぬ憤怒にこの身を灼かれる事になろうとも……私だけは、最期まで彼の味方であり続ける。そう、決めたのです」
元より剣に誓いを立てたあの日から全てを魂沌の龍に捧げると決めていた。
「これが私の忠義であり、切望であり――親愛です」
改めて刀の切っ先をキョウカに突きつける。
「私は憤怒の龍。王を守る、最後の剣!」
ラースの瞳に曇りはなく、信念の炎が宿っていた。
「……貴女の想い、確かに聞き受けました」
キョウカが彼女に示せる道は、ただ一つ。
「正式に、貴女へ宣戦布告します」
キョウカもまた、金剛石の剣をラースへと突きつける。
「私は、龍と心を交わし龍を倒す者。貴女を倒し、魂沌の龍を倒す」
「貴方に出来ますか? 僭越ながら――私は強いですよ」
「やってみせます! それこそが、貴女の想いに応える唯一の手段ですので」
一陣の風が駆け抜ける。同時に、ラースはキョウカの前から姿を消した。
「ならば見せて下さい、貴方の力を」
同時に、開けていた空間に無数の樹木が生い茂ってゆく。
「全身全霊を持ってお応えしましょう!!」
金剛石の剣を掲げ、キョウカは高らかに叫ぶ。
魂沌の龍の元へ至る道のり、その最後の試練が幕を開けた……。
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