3話 ハオとでも名乗っておくか
ここは、光の薄い森林の奥地。キョウカは何故か暖かい光に照らされ眠っていた。
「う、ん?」
ぱちぱちと何かが弾ける音が聞こえる。ほんのり身体が温かい。
寝ぼけ眼のまま、周囲の様子を探る。どうやら、ここはテントの中?
中央に焚き火が見える。そしてその焚き火の前に小柄な少年が座っていた。
自身の身長を超えるほどの杖を肩にかけ、ヒラヒラとした幾つかの布を重ね合わせた様な独特の服装が目を引く。
「ん、漸くお目覚めか」
落ち着いた、少し低めの声が聞こえてくる。小柄なだけで意外といい歳なのかも知れない。少年はキョウカが目を覚ました事に気がつくと腰を持ち上げて近づいてくる。
そして寝そべるキョウカの顔を覗き込んできた。
「大丈夫か?」
顔つきは紛れもない無垢な子供のものだった。まだまだあどけなさが目立つ。
――あれは、夢だったのだろうか……。
朦朧とする意識の中、ケイオスとの遭遇を思い出す。
思考に気を取られ呆けていたキョウカの顔を少年は心配そうに覗き込んだ。
「しっかりしろ。聞こえているか?」
幼さを感じさせる姿なのに、少年の言動には何処か落ち着きを感じられた。
「あ、はい……」
そういえば、誰かにこうして心配なんてされたのはいつ以来だろうか……。
「立てるか?」
差し伸べられる少年の手を握り、キョウカは立ち上がった。
「ありがとうございます」
人の手がこれほど暖かい物だという事を、キョウカは漸く思い出した。
「全く。龍達がうろつくこの世界で呑気に昼まで眠りこけるなんて、剛胆なやつだな」
呆れた様に少年は笑う。どうやら、私の正体に気付いて居ないようだった。
きょろきょろと辺りを見回すとここはテントの中で、中央では小さなたき火が燃えている。どうやら、いつからかは判らないが意識を失っている間見守ってくれていたらしい。
――……この子には、迷惑を掛けたくない。
私は今や人々にとっては龍と変わらぬ厄介者。そんな私を助けたとあってはこの子にも良くない評判がついてまわるかもしれない。
「お気遣い感謝します。もう大丈夫です」
足早に立ち去ろうとすると、手を引かれた。
「おいおい、俺が見ていただけでも半日近く意識を失っていたんだぞ。そんなにすぐ動いちゃ身体がついていかん。そんな状態で亜龍にでも襲われてみろ、ただでは済まんぞ」
「で、ですが私は――!?」
突如、視界が傾いた。足から力が抜ける。
「おっと」
地面に倒れようとした、次の瞬間。少年がその小さな両腕でキョウカを受け止めていた。
「全然大丈夫じゃないじゃないか」
痩せこけているとはいえ身長はキョウカの方が数十cm以上高い。にも関わらず少年はキョウカをたやすく支え、ゆっくりと座らせた。
「あ、あぅ、すいません……」
大丈夫だと言った手前キョウカは恥ずかしそうに視線を逸らす。
少年はキョウカの姿をマジマジと見つめた。そして、やれやれとため息をつく。
「少し待ってろ」
「え?」
少年はテントを出て薄暗い森の奥に消えていった。
「……ど、どうしよう」
キョウカがどうすればいいのか困っていると、少年は何かを抱えてすぐに戻ってくる。
「ろくに物を食べてないだろう? これを食べると良い」
そう言っていくつかの果実を渡してきた。
「あの、」
申し訳なさそうに謝ろうとするキョウカ。
「まて、みなまで言うな」
しかし少年はキョウカの言葉を遮った。
「旅は一期一会、ここで会ったのも何かの縁だ。気にしなくていい」
どうやらこちらの考えている事を読まれたらしい。
バツが悪そうに果実を囓るキョウカ。さっぱりした甘みが身体に浸透していく。
思わず、顔が綻んだ。
「フフッ」
少年がクスリと笑うのが見えた。
「うっ、今笑いましたね……?」
キョウカは恥ずかしそうに頬を染め、眉をひそめて抗議する。
「すまん、悪意は無いんだ。あんまりにも旨そうに食べるものだからついな」
そう言うと少年も果実を口に含んだ。
そして、今度は悲しげにその手の中の果実を見つめる。
「皮肉なものだな」
「え?」
「龍達の暴走によって世界は淀んだ空に包まれ、人々は日々恐怖に怯え生きている。しかしこうして食う物に困らないのは龍の恩恵だ」
「どういう事ですか?」
「亜龍は基本的に人間しか襲わない。そして真龍、憤怒の龍の影響で森や林は明らかに大きく広がった。その結果動植物は逆に増えている。最も悪夢の龍の毒や魂沌の龍の影響もあるから劇的に増え続けている訳では無いがな」
キョウカは少年の言葉に目を丸くした。
――一体この子は何者なんだろうか?
「随分と博識なんですね」
「そうか? ――いや、そうだな。立場上世界情勢にはどうしても詳しくなる」
キョウカは改めて少年の出で立ちを観察する。
肩に抱えられている包帯のような物が巻き付いた、少年の身長と同じくらいの長い杖。
服は数層に重なっていて、上層は少々傷つきはためいている。
放浪の幼賢者、とでも表せば似合うかもしれない。
「そろそろ自己紹介でもすべきだな」
少年の言葉に、キョウカは思わず苦い顔をした。
「わ、私は……」
どうにか誤魔化せないかと考えたが、少年はあっさりと。
「まぁ名乗らなくても大体判る。キョウカだな?」
「流石、ですね……」
世界情勢に詳しい人間なら、キョウカの事を知らない筈が無かった。
「噂通り碌な扱いを受けていないようだな。全く、何かのせいにしたくなる気持ちは判らなくもないが憎むべきは龍であるだろうに人の心とは厄介なものだ」
少年はそう言ってもう一口果実を囓る。
その対応にキョウカは驚かずには居られなかった。
「え、あの、その、」
戸惑うキョウカに説明するように少年は言う。
「真龍達には明確な『習性』がある。龍を呼ぶだとかどうとかいった迷信などくだらん」
その言葉に嘘偽りは感じない。
きっとこの少年は龍に関する知識も豊富に有しているに違いない。
「龍に関する豊富なその知識――。どのような事情があるのかは判りませんが、貴方は優秀な学者様のようですね」
それがキョウカが導き出した結論だった。
「学者? ……まぁそれでいいか」
「貴方の名前はなんと言うのですか?」
「ん、ああ……」
少年はなにやら顎に手をあて考え込む仕草を見せる。そして、数泊おいて答えた。
「ハオとでも名乗っておくか」
まるで今考えた、と言わんばかりに少年は言う。
「ハオ、ですか変わった名前ですね」
「まぁな」
なにやら事情があるようだが、キョウカはあえて追及しないことにした。
「さて、これからどうする?」
キョウカより先に食事を終えたハオが問いかける。
「何があったかは知らんがお前、相当消耗しているぞ。おすすめはここで一晩ゆっくりやすむ事だ。見ての通り野営の備えはある」
繰り返しになるが亜龍にはおよそ『知性』と呼べるモノが存在しない。視界に入った生物を何らかの方法で人間であるかそうでないかを判断し、人間であった場合突撃してくる。
生物を人間かどうかの判断はできるくせにただ物陰に潜むか布のようなモノで身を隠していれば気づきもしないのだ。つまり亜龍の目を誤魔化すならば、こういったテントに身を隠すだけである程度の安全が確保される。最も、なんらかの要因でテントが破れ亜龍に姿を目撃されれば当然襲われてしまうので完全に危険が無いとは言えないが。
「ありがたい提案ではあるのですが……」
確かに現状立ち上がる事は出来ても恐らく数歩あるけばまた倒れてしまうだろう。少年の提案に乗る以外の選択肢は選べない。
しかし、これ以上迷惑を掛けるのはあまりにも気が引ける。
それ以前に、キョウカはそもそも他人と接する事に対する恐怖感を拭いきれない。
キョウカが困り果てていると、ハオは再び鼻で笑った。
思わずキョウカは視線を彼の顔に移してしまうがそこにあったのは侮蔑や嘲りの表情ではない、穏やかで優しげな微笑みだった。
「まぁ冷静に考えてみろ。お前に悪意を持っているなら気を失っている間に縛り付けでもするさ。そして何より俺がお前を騙し陥れるメリットが無い」
「それは……」
「俺の事を信用する必要は無い。警戒しつつ、利用してやるくらいの気構えでいいさ。いつ現れるか判らない無数の亜龍に警戒するより、今目の前に居る俺に警戒しつつ休息する方がまだ労力は少ない。違うか?」
その通りだ。反論の余地もない。
「――では、お言葉に甘えさせて貰います」
キョウカは久しぶりに穏やかに瞳を閉じる。
ハオは信用する必要は無いと言ったが、キョウカはすっかり気を許してしまっていた。
彼が何を考えているかは判らない以上裏切られないとは限らないが、それはそれで良いような気さえしていた。自分の正体を理解した上で、善意を持って接してくれたことが――例え演技であったとしても構わない。もう何年も、見せかけの優しさすら与えられなかったのだ。人の温もりを思い出させてくれただけでも嬉しかった。
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