22話 とても『呪龍』だとは思えぬ心根
――とにかく、傷の手当てを……。
そして態勢を整える為に腕に負った切り傷を塞ぐため、複製の力を使おうとしたその時だった。
――!?
キョウカは二つの事に気がつく。
一つ目。それは、自身の傷の少なさだ。
悪夢の龍によって一方的に消耗させられているにもかかわらず、キョウカが自覚した傷はたった今つけられたこの切り傷一つのみだ。
あとは突き飛ばされた打ち身や打撲なのだが……それは何かおかしいのでは無いだろうか?
相手はキョウカの身体など簡単に踏みつぶせるほどの巨体をもった龍だ。そんな存在に跳ねられてどうしてその程度の怪我で済んでいるのだろうか?
あまりにも、キョウカが負っている被害が少なすぎるのでは無いだろうか?
更に、キョウカには攻撃の正体が一切つかめていない。そのため、不意打ちの一つでも喰らえば防ぎようがない。悪夢の龍はいつでもキョウカに致命傷を与えられる筈なのだ。思い返せば悪夢の龍は異様と言って良いほど、『攻撃に消極的』だった。
そしてもう一つの重大な事実がキョウカの糸口になる。
傷の修復が上手くいかないのだ。確かに腕を切られ、血も流れている筈なのに、何かが邪魔してその傷を埋めることが出来ない。触ってみると痛みを感じる。しかし、どこか、手触りに違和感がある。
――まさか、いや、そんな……。
キョウカは一瞬浮かび上がった一つの答えをすぐに否定する。そんな事がある訳がない。そう断じようとする。しかし、相手は人智を超えた存在だ。人の常識で物事を考えて推し量れる訳がない。
――……まさか『私は戦っていない』のか!?
今、キョウカが見ている世界。そして目前の龍。それらが全て、幻だったとしたら。
キョウカが一人で、龍と戦っていると思い込んでいるだけだとしたら?
キョウカはゴクリと生唾を飲み込んだ。そして、剣を鞘に納める。
『何を企んでる!?』
「……」
キョウカは顔を引き締め武器を放棄したまま、一歩、悪夢の龍に近寄る。
『血迷ったか!? 武器も無しになんのつもりだ!!』
「やっと、気がつきました。まだ、何も始まってはいなかったのですね」
思えば、悪夢の龍が発した言葉はどれも、キョウカを逃走させようと促しているように受け取れる。
『やめろっ!! 来るなっ!! 命が惜しくないのか!?』
突然、悪夢の龍が狼狽えはじめた。その様子に、キョウカは確信を持つ。
「私は、己の全てを賭けてこの場に立っています。決して生半可な覚悟でここまでやってきた訳ではないのです。この身の矮小な命など、いくらでも犠牲にしてくれましょう!」
一歩、また一歩と悪夢の龍へと詰め寄っていく。
『死んだら全部終わりだろうが!! 命を投げ捨ててまで何をしようって言うんだ!?』
悪夢の龍はただ苛立たしげに叫ぶだけで、攻撃しようとはしてこない。
「私の目的は初めからただ一つ。貴方と話がしたい。例えその先に待っている未来が、命を賭けた果たし合いになるとしても……龍に歩み寄ることを辞めたくはない」
『……なんなんだ。お前は一体なんなんだ!!?』
遂に。キョウカは鎧に包まれた龍の目前にまで到達した。
「私は私ですよ。己の生きた証を残したいだけの身勝手な人間です」
『やめろ、来るなぁああ!!!』
キョウカは更にもう一歩、踏み込んだ。鎧に包まれた龍の肉体はまるで水面のように揺らめく。尚も突き進むキョウカは龍の身体に包み込まれるよう消えていった。
◇ ◇ ◇
龍殻の内部は、最早亜空間とでも呼ぶべき光景が広がっていた。
頭上には巨大な白い翼が空間を優しく包み込むように空を閉ざしている。
はらはらと雪のように羽根が舞い降りて、大地は黒く爛れてひび割れている。
空気はより濃厚な紫の霧が立ちこめるが、何故か視界は妨げられる事がない。
まるで、夢でも見ているかのような幻想の世界。
その中心に。
全身を金属の甲冑で覆い隠した、子供の様に小柄な人影があった。
「なんでだよ。来るなって言ったのに、どうしてこんなとこまで来ちまうんだ」
その背には、ストライフの様に翼が見受けられる。
龍殻と同じく、ふわふわとした白く美しい白翼と、ボロボロに朽ち果てた黒翼。
「漸く会えましたね。貴方が――本当のナイトメアですね」
そこに居たのは鎧に包まれた天馬の如き巨躯の怪物、悪夢の龍ではない。
ストライフと同じ、人に近しい姿を持つ者だ。
「歓迎はしねぇぞ」
あくまで敵対の意志を崩さないナイトメア。何も持っていなかった筈なのに、何処からか幅広の剣を取り出す。人間ならば両手で用いなければまともに構えることの出来ないような大剣だが、ナイトメアはそれを片手で軽々持ち上げキョウカに向ける。
しかし、キョウカは怯まない。
「構えろ」
「っ」
次の瞬間。火花と共に、剣と剣は激しく交差する。
甲高い金属音が夢のような世界に消えていく。
「これが最後の警告だ。命が惜しければ引き返せ」
刃を交えながらナイトメアは言った。
「ここはもう、オレの領域だ。毒の密度は外の比じゃ無い」
言葉と共に大剣の重圧は増し、鍔迫り合いに押し負け吹き飛ばされるキョウカ。
「――気付いてるだろ。もうお前の肉体は蝕まれ始めてる」
ナイトメアの言う通りだった。力が抜ける等という段ではない。指先が、頬が、身体の表面が僅かだが黒い灰のように朽ちてこぼれ落ちていく。
「それでも、退けません。私はまだ、貴方の事を何も知らない!」
壊れていく身体を複製で誤魔化し、琥珀の剣を構える。
「オレは今や、あらゆる生命を蝕む呪龍だ。敢えて関わろうとするなんて愚の極みだぞ」
悲壮感のない、達観した声色がナイトメアの覚悟を物語っていた。
最早ナイトメアは独りで居ることを受け入れたのだ。たった独りで、目的の為に生き抜いてみせると心に誓い、無用な殺生を避けるためにあえて回避しやすい移動方法を取る。
人の生など遙かに超える長い時間を、たった独りただ歩き、止まり、その繰り返しを過ごし続ける。
……考えただけでもぞっとした。
心ある生命ならば精神が壊れてしまってもおかしくない苦痛の筈だ。
それでも尚、この龍は生き続けるのだ。その心を、鋼鉄の鎧兜に封じ込めて。
「だからもうオレに構うな。一人にしてくれ……オレは別に、好きでお前ら人間を殺してる訳じゃねぇんだ……」
時折垣間見える、ナイトメアという龍の本質。キョウカが目障りならば、龍殻の外に居た時点で殺してしまえば良かったのに。今なお逃走を促し、無用な殺生を避ける。
理性的で、心優しい……とても『呪龍』だとは思えぬ心根。これほど心優しき龍が、数多の生命と世界そのものを犠牲にして尚生きる事に拘る理由とはなんなのだろうか。
「何故あなたはそこまで苦しみながらも尚、生きようとするのですか!?」
想いを刃に込めて、キョウカは踏み込んだ。
「他人に話すような事じゃねぇよ」
鋼鉄で覆われた腕が、剣を阻む。
「近寄るな。マジで死ぬぞ」
間合いを詰めたキョウカの腹へと強力な後ろ回し蹴りを入れるナイトメア。
「ぐっ……」
ナイトメアは己の心に踏み居られることを拒絶するようにキョウカの接近を阻む。
吹き飛ばされながらも空中で身体を捻り、受け身を取るキョウカ。
しかし、心身共に猛毒に蝕まれ、既に限界は近づいている。
立ち上がろうとしても、膝に力が入らず何度も倒れそうになる。
剣に杖のようにすがって、震える足を叱咤するように大地に叩き付け、崩れゆく肉体を友の力で補って。何度でも立つ。何度でも、何度でも。
他者との接触を拒み、無骨で無機質な鎧に全身を隠しているナイトメア。
かの龍はキョウカの手を、言葉を、幾度となくはね除ける。
それはきっと悪意によるものではないだろう。
それでも。例え開かれぬ門であったとしても。
キョウカはひたすらに呼びかける。何度でも、何度でも天の岩戸を叩き続ける。
鎧の奥に閉ざされた、かの龍の心を知るために。
それができるのは、自分だけだと確信しているから。
「私は、貴方の本心が知りたいッ!」
例え相容れぬ存在であろうとも、心を通わせる事ができるのだと知っているから。
「……物好きな奴だよ、本当に」
一切の肌を見せぬフルフェイスの兜の奥で、今、ナイトメアはどんな表情をしているのだろうか。どこか寂しげに空を仰ぐ。
白く美しい巨大な翼に覆い隠された空からははらはらと雪のように羽根がこぼれ落ちてきて。ナイトメアの身体に触れては、真っ黒な灰となって朽ち果てる。羽根の残骸は真っ黒に汚染された大地に落ちていく。
この異質な空間こそ、ナイトメアが見ている『悪夢』そのものである事は想像するに難くない。
「こんな所まで入って来たんだ。根性は確かにあるみたいだな。お前みたいなヤツは初めてだ。そこまでいうんだら、いいだろう……」
漸く、少しだけその心の扉が開かれる。
「少しだけ見せてやる」
――見せる……?
その言葉の意味はまだわからない。しかし戦いを辞める気は無いようで、尚もキョウカを追い返そうとナイトメアは大斧を横に振るった。
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