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2話 『龍の忌み子』

 走馬燈というのだろうか? 記憶の濁流が氾濫する。

 私の最も古い記憶は、忘れたくても拭い去れない。


 木霊するのは悲鳴と、狂ったような笑い声。淀んだ空にそびえ立つ漆黒の異形。

 幼いながら『死』を悟った。今思えば、あの時、死んでおけば楽だったのかもしれない。

 目前に迫った黒き異形は、およそ生物と思える姿形をしていなかった。


 その肉体は荒れた水面のように常に表層を変え続けていて、辛うじて肢体と思われる形を留めていた。私は、幼い頃既に一度魂沌の龍(ケイオス)と出会っていた。


 魂沌の龍(ケイオス)はその片腕と思われる部位で私を掴み、持ち上げる。『ああ、このまま殺されてしまうのだろう』そんな私の予想を裏切って、魂沌の龍(ケイオス)は私を鈍色に輝く瞳の前に運ぶとこちらをジッと見つめた。次の瞬間に、声と思わしきものが頭に響く。


『ボクは、私は、俺は……何を、している? 壊す、護る、殺す、救う、が、うぅ!!』

 魂沌の龍(ケイオス)は悶える用にして何度も首を振り回し始めた。

『どうでもいい。ドうでもいい? ドうでもイい!! ドウでモイイ!?』

 最後には頭を抱えようとして、手にしていた私を取りこぼした。高所から落下した私は強かに身体を打ち付ける。幸いにも地面が柔らかな土だったので、大事には至らなかった。


『願い、ねがい……うぅ、私? ボク? オレ? ……俺……ネガイ……』 

 そして、うめき声のようなものをあげながら魂沌の龍(ケイオス)は去っていく。

 周囲のコテージは無残に潰れ、今や人の声は何一つ聞こえてこない。


 全てに取り残されたまま、私は意識を失った。


 私は龍と遭遇し、偶然にも生き残った。ただ一人の生き残りだった。

 

 また意識が乱れる、それから数年経った記憶がひきずりだされる。

 ああ、最悪な一日が始まる。悲しいだけの時間が、苦しいだけの仕事が。


 身体をむくりと起こす。纏わり付く藁が傷跡に染みる。眠いのも、痛いのもこらえてすぐ横に繋がれている豚や馬の世話を始める。

 それが終わったら畑に行って、それから、またこの『寝床』に戻ってきて家畜の世話。


 食事なんて日に一度貰えれば良い方だ。隠れる様に、枯れた木の根を頬張って。豚や馬と同じ水を飲んで、見つかってしまえば殴り倒される。


 幼い日、魂沌の龍(ケイオス)が去った後に崩壊した村から救出された私は初めは幸運の子として他の村に迎えられた。それは、人として当たり前に備わっていた慈愛の心がそうさせたのだろう。誰だって倒れ伏して泣いている幼子が居たら手を差し伸べる。


 しかし、身寄りのない子供を手放しで受け入れられるほど余裕が村にあった訳では無い。誰もが、自分自身やその家族の身を守るので精一杯だった。後先考えずに救った命に責任を持って向き合える人間が居なかった。だからこそ、私を取り巻く環境は徐々に、けれど確かに悪化していく。


 例えどんな目に遭っても、私を守ってくれる人は居ない。成長するにつれ増やされる仕事と、対照的に日ごとに減っていく食事。


 十歳を超えた辺りからは厄介者として扱われる様になった。それでも人々は私に『救われた事に感謝しろ』『お前が生きているのは我々のお陰だ』と言う。そして気がつけば今では家畜以下の扱いだ。夜になり、再び藁に身を埋める。


 私は毎日毎日何度も自問した。

『こんな世界を生きる意味はあるのか?』


 私は何度も諦めた。

『死んだ方が楽に決まっている』


 けれど、私は何度もためらった。

『……嫌だ。このまま死ぬのは嫌だ』

 悔しかった。どうしようも無く悔しかった。


『どうすれば、私は認めて貰える? どうすれば私は胸を張れる?』

 一昨日も、昨日も、今日も、同じ思考を繰り返す。そうやって、苦痛を誤魔化し、自分を欺き、なんとか自我を保っていた。


 その時。

「大変だっ! ラースが!! 『憤怒の龍』がすぐそこまで迫ってきてる!!」

 簡単なテントがいくつか並ぶだけの簡素な集落に叫び声が響き渡る。


「なんだと!? 監視者は何をしてたんだっ!!」

「判らない……自分たちだけで逃げ出したか、あるいは既に龍に――」

「くそっ!! 旅支度をしてる暇なんて無い!! 今すぐ逃げるんだ!!」


 龍の襲来を知らせる鐘が激しく打ち鳴らされる。私は飛び起き、小さな窓から外の様子を伺った。大地が揺らぎ、メキメキと音を立てて暴れるように沢山の草木が茂り始める。


 するとベッド代わりの藁が、既に命を失っている筈なのに成長し始め、私を飲み込んだ。

「あぶ、ふ――」

 絡みつく藁をかき分け賢明に悶えていると、強大な気配を感じ取る。 


『私達を恐れるか。憎むか。蔑むか。人間』

 大気が震える。怒号のような声が聞こえてきた。なんとか再び窓へ辿り着き、しがみつく。最早それ以上の身動きは取れず、外の様子を眺めるしか無かった。


『世界の嘆きが、悲しみが、主の心を狂わせる。お前達の存在が、我が主を苦しめる』

 大蛇の様に長大な肉体は、褐色の堅くざらついた皺の目立つ皮膚で構成され、背には小さく鬱蒼と生い茂る木の葉をたたえる翼。まるで巨木の様な姿の龍が姿を現す。


「走れ!! とにかく走れ!!」

『私は許さない。私は認めない。貴方達、人間の存在を――』

 龍の言葉に、誰一人耳を傾けようとしない。恐れおののくばかりだ。


 人々は油を放ち、火矢を撃ち、石を投げ、がむしゃらに逃げ惑う。

 私は農具を取りこぼし、その様子をただ呆然と見つめていた。


 火の手が龍を包もうとする。

 ふと、空の淀みが激しくうねった。そして一筋の闇が滴るように龍に流れ込む。

 天を仰ぎ龍が吠える。咆哮と共に龍の足下に茂っていた草木が騒ぎ始める。


『我ラが主ノ、私ノ怒リをシルガイイ!!』

 刹那、草木は異様な速度で成長を始め、テントを、人々を、全てを飲み込んでいく。

 頬を木のツタがいくつも掠めた。畑の植物が足下に纏わり付いてくる。

 瞬く間に、集落は木々に飲み込まれていく。


「た、助け――」

 成長していく木が、槍のように人間の身体を貫く。

「うわあああああ」

 ツタに縛られ、木々に貫かれ、命という命がいとも簡単に消えていく。気がつけば、見晴らしの良い開けた場所に展開されていた筈の小さな集落は跡形もなくなって、真っ暗な森に飲み込まれていた。


『――私ハ、私は怒りダ。私は嘆キだ。私ハ憎悪ダ。我が主ノ、我ラが同胞ノ悲しみを、憎シみを、思イ知りナサい……人間……』

 憤怒の龍(ラース)は足を引きずるように去っていく。


 私はまたしても、生き延びてしまった。


 暫くして、僅かな生き残りが顔を悲しみに暮れつつ遺体を処理する。

 当然私も手伝わされたが、作業の途中に突如一人の人間に暴行を受けた。


「コイツが真龍を呼び寄せたに違いない!! だからコイツの町も滅んだんだ!!」

 訳がわからない。私が何をしたと言うんだ? 不平、不満を言うことすら出来ない。

 徐々に人が集まってくるが、助けに入るどころか罵詈雑言をまくしたてるばかりだ。このままでは私は龍より先に人間に殺されてしまう。


 逃げるしかなかった。

 

 混沌としていた記憶が、漸く最新の物に更新された。

 逃げた後の生活は酷いものだ。なんとか他の町に辿り着いても、心休まることは無い。

 いつしか私の悪評が伝わって、『真龍を招く災いの子供』『龍の忌み子』等と言われ、追いやられる。最早私には、一人で生きるしか道は残されていなかった。


 地図や武器を盗み、顔を隠し、アテもなく、監視者の真似事をして食いつなぐ。

 暫くはそれで何とかなった。だが――。最後に立ち寄った町の、長の対応を思い出す。

 

 長くは続かないとは思っていたが、どうやら私の行動は知れ渡ってしまったらしい。もうどこも情報を買い取ってはくれないかもしれない。それどころか、私を龍と同じようにそもそも町へ近づけさせないかもしれない。

 

 荒廃した世界。これからどうやって生きていけば良いのか。

 いや、そもそも私は生きているのか? 私は、魂沌の龍(ケイオス)に飲み込まれたのだ。もしかしたら、もう既に死んでいるのかもしれない。

 

 もう、生きる事なんて考えなくて良いのかも……。

 全て諦めて眠ってしまおうか……。

 

 ……。

 

 いいや。それなら私はあの時、何の為に抗ったのだ。

 何の為に剣を再び取り、何の為に立ち向かったのか。

 

 起きなければ……。



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