06 ドクター
「さーて、今日は休みかな」
トリノは今日が土曜日なのをいいことに、午後三時に起床した。彼が起きるまでの時間を潰すために街中の探検までしてきたジョイライドが呆れた目を向ける。
「ところでさ、なんで僕の調査してるか教えてくれるかな」
「だから伏せるって言ってたんだけど……。はあ、まあ、ワタシもたいした情報もらってないしね。簡潔に言えば世界を救うため、らしい」
世界を救うため、か……子供向けの漫画のような目的だが、トリノは息を吐きつつ復唱する。
「ディレクションによればトリノ君がそのカギを握っているみたいだけど……これ以上は私も聞いてないよ」
「言っておくけど、世界がどうなろうが僕は知ったこっちゃないからね。あんたの言いなりにはならないよ」
「いや、自由に行動してくれていいんだ。今のところトリノ君に命令をする気はないし、昨日のも『取引』だろう? ワタシ達は平等な立場さ」
「今のところ、か」
つい口が滑ってしまったジョイライドが「あ……いや……」と少しうろたえる。
トリノはジョイライドを追及するつもりはなかったので、何も言わずにひと通りの支度を済ませてから家の外へ出た。
すぐにジョイライドもその後を追い、静かな住宅街の道を二人で歩く。
「ねえ、医学は分かるかな」
「え?」いきなり謎の話を振られたジョイライドが固まる。「……いや、分らないけど?」
「じゃあ帰っておいた方がいい。ご自分の家に」
ついてこられると嫌なのだろうかとも思ったが、どうやらそうではないようだ。少し、トリノの雰囲気がピリピリしている。
つまり……
「また敵襲ってわけかい」
「そゆこと――」
突然、道の奥の奥からひとつの金属片が飛んでくる。それはちょうどトリノとジョイライドの頬をすぱっと斬った。
「ほらね」
白い風が高速で出現し、道の奥へ飛んで行った金属片を掴んで帰ってくる。トリノが受け取ったそれは、銀色のメスだった。
「バッド。お医者が人を傷つけるなんて頂けないね」
「どこにも、そんな法律はないぞ?」
突如近くに現れたのは、一人の男だった。白髪交じりの初老くらいの男で、ややくたびれた白衣を着ている。
普通の人が見ればただの男で――やや目つきがきついと感じるかもしれないが――特に気にも留めないだろう。だがトリノとジョイライドはその眼光から底知れぬものと違和感を感じた。
「アルアルが倒れたから、次は第七席かな」
「アルアル……ああ、詩音のことじゃな」
男はジョイライドすらも動作の経過が捉えられなかったほどの速度で、投擲用のメスを大量に構える。
「儂は第七席の『医道』アライフ・ガーチェルフ……貴様を完璧に『施術』してやるぞい」
「威勢はいいね」
アライフが投げたナイフを、氷の大剣ですべて弾き返す。速すぎて付いていけないジョイライドは少し奥のブロック塀に隠れた。
トリノがすぐに反撃に転じようと一歩踏み出した瞬間には、もう既にアライフは目と鼻の先まで迫っている。
「ぐっ……!」
バキィ、と木の幹でもへし折ったような音がトリノの胸から鳴る。あまりの衝撃にトリノは一旦後ろへ下がり、血をぺっと吐き出した。
「『ダヴィンチ・ハンド』。これが儂の固有魔法じゃ」
魔力がアライフのもとに収束すると、すぐにそれは形を変えて十対ものたくさんの腕へと変化した。それら魔力の腕は、神々しいまでの気迫を放っている。
トリノは若干気圧されつつも扱いやすい片手剣を生成し、両手に持つ。
「……ははっ。ようやく相手ができそうなヤツが出てきたみたいだ」
「詩音は敵ではなかったということかの?」
「簡単に言えばそうなる」
その言葉を受けたアライフも面白そうに口角をにやりと上げる。
「そこまで言われんと面白くないからのう。こりゃなかなか楽しめそう、――じゃ?」
アライフの腹部にトリノの左足が突き刺さる。
「ごふぁあっ!?」
「ふーん……」
吹き飛んでアスファルトの地面に小さなクレーターを作り出したアライフをトリノが半眼で睨む。
「く、くくく……いいぞ、ここまでだとは思わなかったぞい。『ダヴィンチ・ハンド』」
アライフの周囲に出現した腕のうち、一番上の右腕がアライフ自身へそっと触れる。すると、明らかに折れていた肋骨が一瞬で修復された。
「儂の腕にはに十本、それぞれ違う効能がある。戦闘も回復もなんでもこなせるというわけじゃ」
今度は魔法ではなく実際の右腕と、トリノの剣がぶつかって激しい金属音を立てる。
「第四左腕は『自然治癒力の増幅』。分裂に分裂を繰り返した細胞をぎっしりと詰め込めば、単純で強力な盾の完成じゃよ」
確かに、いくら攻撃をぶつけても明らかに人間の体では鳴らしえないような音が鳴っている。
「じゃが、守りだけでは面白くない」
「攻撃させる気はないけどね。『青氷に映る虹』」
虹を出現させ、サブリミナル効果によりアライフの思考能力低減を狙う。
だが。
「残念じゃったのう。『ダヴィンチ・ハンド』」
少し距離があったにもかかわらず、三つ目の左腕がトリノを狙って飛んでくる。
虹の攻撃が通用しなかったため若干の隙ができ、そのうちにトリノは肩を殴りつけられてよろめいた。
「脳に何かしらの攻撃をしたようじゃが、無駄じゃよ。儂は自らの脳細胞を増幅させることで、IQは既に千を越えておる。いまさら小細工をしたところで何も変わらんさ」
「けっ」
トリノが剣を構え、今度は魔力を纏わせてから再度斬りかかろうとする。
「さあ、死ぬがよい」
「――っ!?」
すると、トリノの剣はくるりと切っ先の向きを変えてトリノの心臓めがけて飛び込んできた。
いや、トリノ自身の腕が自らを殺そうとしている。
「……」
ギリギリのところで隙を突いて剣を投げ捨てる。
「神経操作、かな……」
「ご明察じゃな。儂の第三左腕の能力は神経の切断と接続。自由自在なんじゃよ……ほら、こんなふうにの」
アライフがぱちりと指を鳴らすと、トリノの右腕が上に振り上げられ、魔法を勝手に行使する。
「お得意の虹で自滅でもするがいい」
「『青の城塞』!!」
上空に出現した虹を覆い隠すように分厚い水の壁が出現し、トリノの視界から虹を隠した。
普段は魔法をうまく制御しているが、コントロールを奪われた今の状態では実際に自分を殺しかねない。
「どうじゃ? 今の敵は儂だけではなく、お主自身の体でもある」
「……!」
トリノが面倒くさそうな表情を浮かべると、後ろのほうからかわいらしい叫び声が響いた。
「――トリノ君! 虹だ!!」
「……虹?」
ジョイライドの言葉を一度呟きなおすが、すぐにその意味にたどり着く。
「ああ……なるほどね。いいひらめきだ」
今度は、自らの意思で『青氷に映る虹』を作り出す。妨害された場合の念のため、五つも。
そしてその虹に込めたメッセージは――『自由になれ』!
「なっ……! 効かないじゃと!? 儂の神経操作は確実なはずじゃ……! サブリミナル効果ごときで解除されてたまるかッ!!」
同時に八本もの腕が突っ込んでくるが、トリノは難なくそれを躱す。
「『病は気から』って言葉があるよね。つまり、心と肉体は密接に関係しているわけだ」
「……そんなもの――」
「でも、現実に起こっていることは否定できないでしょ」
「ぐふぉぁあああ!」
トリノが生成した超質量の氷塊をみぞおちにぶち込まれ、胃液を吐き出しながら吹き飛ぶアライフ。
さらに、その腕で回復する暇を与えないまま、トリノはアライフの意識を奪ったのだった。
アライフの固有魔法『ダヴィンチ・ハンド』は名前の由来が明確にあります。手術用のロボット『da Vinci』です。
アライフ・ガーチェルフ
魔法『ダヴィンチ・ハンド』……自身の周囲に十対の腕を作り出す。それぞれの手に様々な効能があり、対象に触れると効果を発揮する。
第一右腕:治癒
第三左腕:神経の切断・接続
第四左腕:自然治癒力の増幅