02 連行
「目的不明のすごい組織の刺客だ。諸事情でワタシとトリノ君は狙われてる」
面倒だな。トリノは現れた刺客を睨む。
長い黒髪の若い女。金色の縁のサングラスのせいで表情はあまりうかがえない――というよりは、あまり表情がないようだ。服装はジャケットにジーンズというラフな格好をしている。
刺客は前置きも何もなく、いきなりナイフを投げつけてきた。
「バッドだね。……『ウェアエバー・ユー・アー』」
白い風が大きな実体となり、ナイフを弾き飛ばす。それは防御にとどまらず、蛇のようにぐるりと弧を描き、刺客の方へ飛びかかった。
「『ストロベリー・ウォッチ』」
刺客がそう呟くと、白い風は刺客の目の前でどろりと溶け、水となって地面へ落ちる。嫌そうな表情を浮かべるトリノ。
電車の後ろのほうで頭を腕でかばいつつしゃがんでいるジョイライドが不安そうな声を上げる。
「大丈夫なのかい? ワタシは見ての通りか弱い女の子だから守ってもらわないといけないんだけど……」
「流れ弾に注意してくれればそれでいいさ」
ジョイライドは「流れ弾が嫌なんだけどな……」と困ったような表情を浮かべた。
状況の分析を始めるトリノ。
「水操作か、温度操作かな」
ぽつりとこぼした独り言に、刺客がぴくりと反応を返す。トリノは特に気が付かなかったもののジョイライドが後ろから声を出した。
「たぶん当たってる! やっちゃえ!」
「? ……了解」
水操作であれば相性はかなり悪いが、温度操作なら何とかなると思う。トリノにしては少し楽観的な考え方だが、ぐちぐち心の中で言い続けるよりは希望を持った方がいいと思った。
とりあえず『ウェアエバー・ユー・アー』を発動し、白い風の帯を飛ばす。ふわふわと小さな白い砂を飛ばしながら帯は刺客へ飛び――
「……二度もしてやられるかって」
溶けた。そしてフグのように大量の針が現れた。
「がっ……!」
刺客の体中に水の針が突き刺さる。液体でも、きちんと魔法で制御すれば骨を貫くこともできる。
その証拠に刺客の右腕は水の針が貫通し、血が水に混じってぼたぼたと零れ落ちていた。トリノが制御を解くと、すごい勢いで水と血の混ざった赤い液体がぶちまけられる。
しかし刺客は、それに構わずにナイフを手に取ると斬りかかってきた。
「『青の城塞』」
トリノの魔法発動と同時に、彼を囲むようにぎゅるぎゅると水の厚い壁がめぐる。ちょうどそれに巻き込まれた刺客がナイフを取り落として、吹っ飛ばされた。
それを見たジョイライドが後ろから楽しそうに言う。
「おお! なかなかやるじゃないか、トリノ君!」
「さあ、チェックメイトと行こうか」
そう言い、両手を突き出すトリノ。爆発的に気圧が増加した……ような錯覚を刺客とジョイライドは覚え、冷や汗を流す。
直後、刺客はトリノへ向かって飛び出す。この攻撃を喰らえば、確実に戦闘不能まで叩き落されてしまう――それを嫌った刺客の、起死回生の一手は。
「無駄だよ。もうとっくに、僕の術中なんだ……『青氷に映る虹』」
空気が柔らかく光を反射する。空気中に突然現れた虹、それを目にいれた刺客は、
「……あ……」
次の一歩を歩むための足を出すことは出来ず、その場に崩れ落ちた。刺客のサングラスが少し飛ぶ。
そして、目を見開き、わずかに痙攣したまま動きを止める。
その様子を突っ立ったまま確認したトリノは、不機嫌そうに鼻を鳴らしてジョイライドの方を向き直った。
「これでいいのかな」
「うん……いや、なかなかいいデータを得ることができたよ。ものすごく精密な魔法だね」
トリノの顔の不機嫌さがいっそう増す。
「対象はあんたじゃないとはいえ、『虹』を見て平然としていられるとはね。想定よりも油断ならないみたいだ」
「ふふん。その……ええと『青氷に映る虹』だったっけ。サブリミナル効果だろう? 極めて短期間の、意識的には知覚できない長さでメッセージを繰り返し流し込むと、その影響を潜在意識にすり込める。空気の水を操ってサブリミナル効果を作り出し……思考速度を大幅に低減させた、といったところかな? どうだい、ワタシの予想は当たっているかな? トリノ君」
「ご名答。意外と博識だね」
だろう、と誇らしげに胸を張るジョイライド。だが、すぐに自身の首に圧迫感を覚えて姿勢を正し、トリノを見る。
「目的があるみたいだから、今回は術に嵌ってあげるよ。次からは前もって言っておくことだね……君の命のためにもね」
ジョイライドの首の周囲に、うっすらと白い帯が巻き着いていた。
「……悪かったね。ワタシはどうしても、君を本部に連れていく必要があったからさ。許してくれよ」
次の瞬間には景色が塗り替わる。
そこはヨーロッパ風の城の謁見の間のようだった。だが、壁は真っ黒で骸骨のような装飾が所々にあり、光源はうっすらと灯る松明だけ。秘密結社のようだ、とトリノは思った。実際、そうかもしれない。
「連れて来たよ、ディレクション! 君の指示通り、五体満足のトリノ君だ!」
ジョイライドがせき込みつつそう声を張り上げると、間の最も奥、玉座にいるもう一人の少女が満足げな笑みを浮かべる。
「感謝するぜ。で……児玉トリノ。オマエがここについて来てもらったのは理由がある」
黒と紫と黄色の三色の派手な髪色だ。さらにリボンを髪、胸、背とたくさん結び、さらにひらひらの大量に着いた動きづらそうなゴスロリ服を着た、猫耳の少女だった。
外見年齢はジョイライドとさほど変わらず、小学生から中学生ほどか。
「さっさと言ってくれないかな」
「フン、そう焦るなよ……焦りは命を縮めるぜ?」
突然真横から飛んできた『斬撃という概念』を素手で受け止めるトリノ。ジョイライドはぎょっとしたような表情を浮かべたが、ディレクションは愉快そうに声をあげて笑った。
「バッド……無礼にもほどがあるね。僕は客だよ」
「わりぃな。ちょっと試しただけだよ」
さて、と居住まいを正すディレクション。
「その理由は、オレっち達とオマエで、取引をしたいからだ」
刺客
魔法『ストロベリー・ウォッチ』……対象空間の温度を自身の体温まで引き上げる。