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初めての幸運

 仕事の日、基本的に朝イチは現場へ直行する。


 現場到着時刻は、建築現場で働く職人が仕事を開始する午前八時だが、俺の受け持つ現場へ向かう道路は大体いつも激混みなので、出発が遅れるととんでもない大渋滞に巻き込まれるのだ。だから俺は、いつも午前六時に家を出る。


 仕事のせいで夜の遅い俺は、睡眠時間を極限まで確保するため起床は午前五時四五分。起きたら服だけ着て、すぐに出発しなければならない。

 だが、この日、俺は不幸にも五時三〇分に目が覚めてしまった。

 

 はあ。こんな時間から二度寝できないし。

 それに。くそ、貴重な睡眠時間を一五分も損してしまった。


 予定にない一五分間を可能な限りエンジョイするため、俺はタバコを吸いながらテレビをつける。言っておくが、「テレビ」とは、俺の部屋でガラクタと化しているモニターのことではない。

 当然のことながら、頭の中で全ての通信を行えるゼウス・システムにおいては、テレビは「頭の中」で見るものなのだ。


 ゼウスがなかった頃、基本的に、俺は家ではテレビを見なかった。


 誰もいない会社でたまに見るくらい。なぜなら、仕事から帰宅した後はルーティーンに忙しいし、朝は時間がないし、だからニュースや情報番組など見ることはない。


 だいたい、早朝から日付が変わるまで仕事漬けの俺に、世間の動向などなんの関係もない。

 なにがどうなろうが知ったことか、という気分だ。まあ、暇つぶしがてらスマホで見るネットニュースが俺の主たる情報源であった。


 久しぶりに見た早朝のテレビ。そこに映し出されたのは情報番組だった。


 寝起きで機能の半分も発揮していない俺の脳でも、その美しさを一瞬で理解できるほど美しい女性アナウンサーが、一つの事件を取り上げていた。


 ある高層マンションの一室が吹き飛び、一家三人が死んだらしい。眠気でボケているせいで多少理解が追いつかないところがあったが、どうやら、何者かに爆破されたのではないかと警察は疑っていて、慎重に捜査をしているところだと、アナウンサーは喋っていた。


 この世の中、突然爆破されて死ぬこともあり得るのだという事実を目の当たりにし、微妙に焦りが沸き出たことに気付く。


 なんせ俺は童貞だ。女の子を知らずして、この世を去れる訳がない。 

 それだけは嫌だ。何の願いが叶わなくとも、それだけは。


 その相手はもちろん、愛原さん。もし、そうなることができたなら……


 仮に爆死しても後悔はないっ!


 俺は、二人で愛し合う姿を想像する。

 が、それは、いつもの十八禁的なものではなく、ただ純粋に彼女と抱き合う姿だった。


 床にまで届く大量の涙を落として悲しみに沈む彼女を、慰めるように優しく抱きしめる俺。その心に、性欲は内在していなかった。

 こんなことは初めてかもしれない。俺はずっと、彼女のことを考える時は、常にセックスシーンしか思い浮かべてこなかったから。


 初パターンの夢想に囚われる俺の視界の端に映った、現実の時計がさす時刻。それは、午前六時を一〇分も過ぎていた。

  

      ◾️ ◾️ ◾️


 朝イチからの現場を一通り周り、昼の一二時前にいったん事務所へ帰る。


 タバコは運転しながらも吸い続けていた。俺はタバコを吸いすぎると吐き気がしてくるので、これは間違いなく身体に合っていない嗜好品なのだが……

 事務所に着くとまたすぐ一服に入る。吸うことでしか、休憩したことを実感できないのだ。そして吐き気をもよおしても吸い続けるという悪循環へ。


 ミーが喫煙所へ来た。


 俺は、なんとなくまだすっきりしない気分で、ミーとまともに顔を合わせられなかった。

 タバコを消して事務所に上がろうかと思ったが、ミーは俺のすぐ隣に座ってタバコに火をつける。

 仕方がない。とりあえず何か話すしかないだろう。


「まだ、怒ってんの?」


 と言う俺をジロッと睨むミー。目が合った直後に、ミーはプイッと顔ごとらす。


「別に」

「…………」


 しばしの沈黙。


 やはり気まずさはぬぐい去れない。俺はタバコを消そうとした。

 すると、立とうとする俺を制止するかのように、ミーが話し始める。


「顔、まるいと、やっぱり可愛くないかな」


 いつもはギャーギャーと大きな声で喋るくせに、小さな声で、うついたまま、へへへ、と笑う。


「でも、さやも結構まるいと思うけど。あ、スタイルの違いか」


 顔を上げてそう言ったミーは、いつもと少しだけ違う表情だった。


「あ……いや……。そういう訳じゃ、ないけどよ……」


 確かにスタイルの差はでかい。俺はメリハリのある身体が好きなのだ。

 だけど、ミーの顔を見て、俺はいつものように、ズカズカと正直に言えなくなっていた。


 どうしようかと悩みながら前髪をかき上げて視線の定まらない俺へ、逆にミーはじっと視線を固定する。


「そうなん。じゃあ、さやのことは、どこがええの? ほとんど話したことないやろ。顔?」

「え……っと。まあ、そうだな……そうかもしれんけど」


 別に、こいつも顔は悪くない。いや、まあ、どちらかというと可愛い部類だとは思うが。性格がな……。

 いや、何考えてんだ俺。それに、なんでこんな雰囲気なんだ?


「まあ、あれだ。俺、女経験ゼロだし。俺の言うことなんて何の真理も突いてないって! 気にすんなよ、お前らしくねえぞ」


 なんでフォローしようとしてんだ俺。よくわかんねえわ。


 ミーは眉を上げて、うっすら微笑んだ。

 タバコタイムを終え、二人で事務所へ上がる。その時には、もう、いつも通りのミーだった。


 事務所に入ったところで俺は愛原さんを探す。


 まあ、探したところで当然だが何をするでもない。目線が合うなんてことも一切なく、毎度のこととはいえ、だから俺はその度に多少ガックリしているのであった。


 が、入社して以来、初の出来事。


 愛原さんと、目が合う。

 すると彼女は一目でわかるほどに表情を明るくして微笑み、小さく手を振って一言、


「寝咲くん、おはよっ」

「あ……あの、えっと、……おはよ」


 顔がどんどん熱くなる。


 我ながら異常に小さい声で照れながら答える俺。

 眉間にシワを寄せたミーが、俺を睨みつける。「はあ?」という声が飛んできそうだ。俺は、目線で「黙れ」と伝えた。


「これからぁ、お昼行こうかと思うんだけどぉ、寝咲くん、一緒にどうぉ?」

「えっっ????」


 他に愛原さんと一緒に行く人はいないように見える。


 二人っきりで?

 人生最良の日だ。まさか、こんな……。


 と、浮かれる俺の横からミーが、ほがらかな笑顔で、


「いやあ、ネムはこれから、あたしと二人でお昼行こうって言うてたの」


 口をあんぐり開ける俺。勝手に何言ってのこいつ?


「そうなんだ! 二人仲良しだもんねぇ」


 うんうん、とうなずくミー。

 さっと言葉が出てこない俺の前で、状況がどんどん悪化していく。

 すると、笑顔のミーに向けて愛原さんも笑顔をかぶせながら、


「じゃあ、わたしも一緒に行っていぃ?」

「あ、うん……だね」


 笑顔がすっかり消えて歯切れ悪く言うミー。ここでやっと俺はしっかりと声を出す。


「もちろんだよ!」


 さらに、事務所の奥から中原の大きな声が。


「あ──っ、センパイも帰ってきたんすか! 飯、行きましょうよ!」


 せっかく愛原さんと二人っきりのランチができる千載一遇のチャンスが舞い込んだってのに、俺の意思が介在しないうちに余計な二人が加わってしまった。


      ◾️ ◾️ ◾️


 ファミレスにしようという愛原さんの提案で、俺たちはすぐ近くにあるファミレスに入ることにした。


 四人用の席に座ることになる確率は大。だから、「こちらへどうぞ」と店員から言われた瞬間に愛原さんの隣をキープできるよう、俺は、先頭を歩く愛原さんのすぐ後ろに陣取った。


 ミーはどこだ? 


 あいつ、やたらと俺を妨害するからな。きっと、俺だけ恋路がうまくいくのをひがんでやがるんだ……


「ヒッ」


 振り向いた俺の視界に殺気立った顔のミーが映り込み、足先から脳天まで鳥肌が流れる。俺は飛び上がりそうになりながら、無言で「なんて顔してんだ」と合図する。

 と、その瞬間、長イスの奥側に入った愛原さんの隣に、俺をするりとかわしたミーが。


 あっ……


「何やってんすかセンパイ。早く座ってくださいよ」


 中原のゴツい身体が俺を押す。こちら側の席だけ、中原のせいで圧迫感が段違いだ。



 何やってんだてめコラ。お前だってミーの隣に座るチャンスだったんだぞ? 

 ……あっ!

 そうだ。俺たちは手に手をとって、ともに攻略しなきゃなんねえ。

 了解っす。ここは協力プレイっすね!


 ゼウスを使うまでもなく、俺と中原は目だけで会話できた。



 タッチパネルを使ってメニューを表示し、各自注文を入れていく。

 全員の注文を入力し終えて確定させたところで、中原が口を開いた。


「そういや、この四人は全員、ゼウス使ってるんすよね! この四人で連絡先グループ作りましょうよっ」

「うん、いいよぉ! ぜひぜひっ」


 笑顔で了承してくれる愛原さん。


 ナイスアシスト中原──っ!


 斜め前方からとんでもなく殺気じみた視線が突き刺さるのを感じたが、俺は無視した。


 愛原さんと連絡先を交換することになるなんて! やっぱり、この前に助けたのが効いてるのかも。

 ああ、頑張ってよかった!


 つい、顔がニヤける。ふとミーを見ると、目が「殺す」と言っていた。


 んだよ! とアイコンタクト。すると、


「んー? さっきから二人、何を目で会話してんのー?」


 ニコニコしながら言う愛原さん。ミーは両手を身体の前で小さく振って否定する。


「あ、なんでもない! なんでもない! 大歓迎っ!」

「じゃあ、ログインするねー」


 そう言った愛原さんの目の奥で、赤い光がフワッと灯った。


 その光は、まるで半紙の上に落とした墨汁のように広がっていき、あっという間に彼女の瞳はキレイな紅色くれないいろとなる。飛び抜けた可愛さも相まって、俺は、まるで彼女が完璧な美しさを持つアンドロイドであるかのように錯覚した。


 俺の頭の中にある、いつもの子供部屋。

 そしていつもの二人組が、高級そうな絨毯の上でゴロゴロしているのが目に入る。俺が何も言わないうちから、


「鼻の下、伸ばしてんじゃねえよ、だらしねえな」

「仕方ないよノア。だってドーテーだもん」

「こいつ、この子の裸をのぞいたんだよね」

「冗談きっついわぁ、ドーテーってこれだからほんともう」


 俺が二人の会話にムッとしていると、ノアが、


「あー。君が裸をのぞいた『愛原さやか』から友達申請が届いたよ。どうする? 断っとこうか?」


 意地悪そうに目を細めてニヤニヤするノア。

 高揚した心で「承認っ!」と俺。


 ああ、嘘みたいだ。キツいけど辞めずにこの会社に残って良かった。クソガキ二名の戯言ざれごとだって許せる。


 俺が人生初めての幸福感に浸っていると、現実世界にいる瞳を赤くしたミーと、意識の中の異世界にいる例のクソガキ二名から同時にジッと睨まれる。二つの世界を同時体験している俺は、自分が一体どこを見ているのか一瞬わからなくなってしまった。


 そんな中、愛原さんは、両肘をテーブルについて手を組み、その上にアゴを乗せて正面からじっと俺を見つめていた。

 彼女があまりに俺を見るので、なんだか俺は動揺してしまった。その状況を謎に監視するミーもなぜか動揺した様子。


「さや、どうしたん?」

「えー? いや、なんでも、ないよ」


 俺から目を離さずに言う愛原さん。

 するとミーがすぐさま、


「あ、いや、さやほどの美人がこんなメガネザルじっと見ても……」

「うん。でも、カッコいいと思うけど」

「…………え」


 時が止まる。


 あの愛原さんが、俺のことを?

 とうとう、俺の時代がぁ!


「こ、こいつがぁ? あれ、さやの好みって、こんな奴やったっけ」

「いや、自分はセンパイのこと、非常にカッコいいと思います!」


 熱心にアシストする中原を、ミーがえぐるような目線で突き刺す。俺から見たところ、ミーの眼光にはきっとこういうメッセージが込められていたように思った。


 ええ加減にせえやテメェ……

  

 眼光にあてられた中原は、すごすごと引っ込んだ。


 ミーめ……あくまで俺の邪魔をするか。

 しかし、今の俺は波に乗っている。貴様如きでこの大津波をどうにかできるとは思えんわ!


 愛原さんは、無言のまま俺を見つめてニコッとした。その天使のような笑顔が俺の身体にビリビリっ! と電気を走らせる。

 幸せにまみれる俺に、とうとう中原が恨み走った視線を向けた。



 センパイばっかセコいっすよ。俺にもアシストしてくださいよ!

 ……そうだな。よし、任せよ!

 


 今度はアイコンタクトではなく、ゼウスを使って個人的かつ具体的に要望してくる中原。


「おい、ミーよ。愛原さんの好みを聞いといて、自分の好みを言わんつもりじゃないよなあ?」

「はあ? あたしが?」

「そうだよ、当然だろ。ほれ、言ってみ」


 俺はいつもこいつから、「ガタイが良くて男らしいのが好き」だと何度も聞いていた。まるで俺に当てつけるかのように言うから、俺はもうこいつの好みを覚えてしまっていたのだ。

 だから、ここでそれを言わせ、それで明らかにガタイの良い中原を俺が持ち上げてやれば!


 自分でもわかるほどドヤ顔をしていた俺。

 するとミーは真顔でテーブルに目線を落としながら、こう言った。


「スッとした男前」



 …………え?



「いや、お前、だって……」

「へーえ、そうなんだあ。奇遇だね! わたしもそうだよ」


 ミーのほうを向いてひたすらニコニコする愛原さんと、愛原さんのほうを向いてひたすらニコニコするミー。


 ただ一人、中原だけが、心で泣いているように見えた。

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