始まり
仕事から帰ればいくらもしないうちに寝て、目を覚ましたらすぐに仕事。
それはもう俺の日常だ。というか、すべての社会人にとってそれは日常。こんな気持ちになるのは、自由な時間があまりにも少ないせいだろう。
愛原さんを必死で護ったので俺はヘトヘトに疲れ切っていたが、今日も朝から現場をせっせと回り、現場で働く職人と打ち合わせをして回る。
ゼウスを使って部材発注した現場が動き出すのはもう少し先。
だから、いつもの通り事務所に帰るのは遅くなった。時計を見ると二〇時。これから事務処理をしなけりゃならない。
事務所にあがろうとした俺は、今からタバコに行くらしい中原、ミーの二人とすれ違った。
ミーはどうやら、昨日の俺の発言にまだ腹ワタが煮えくり返っているらしく、すれ違いざまに俺を睨む。
まあ確かに言いすぎたかも知れないが、何度も言う通りあいつが先に俺をディスってんのだ。あんなに怒らなくてもいいのに。
でも、まあ。泣きそうなあいつの顔が、謎に頭から離れないのも事実。
しょうがないな。後でちょっと謝ってやるか……。
考え事をしながら自席の安物イスに体重を預けてキイキイと音をさせたあと、自分もタバコに行こうと席を立つ。と……
目の前に、愛原さんがいた。
彼女がこんな時間まで職場にいるのは見たことがない。
俺の行く手を遮り、じっと俺の目を見つめていた時点で、俺に用があるのは明白だった。
「あの……突然ごめん。昨日ね、警察の人に聞いて。ちょっとだけ、教えて欲しいんだ」
「警察?」
「通報してくれた人のこと、警察の人が教えてくれた。通報者は、『友達が危ないから助けてほしい』って言ってたって」
そのセリフ。確か、俺が警察に言った……。
「その友達は今どこにいますか、って聞かれて。そんな人ここにはいません、って答えたら、『シンザキ・ネム』って人だって」
ドクン、と高鳴った鼓動が急速に早まっていく。
どう説明する?
君のこと、ずっと見ていたんだ……って?
気持ち悪。てか、犯罪か。逆に俺が通報されても不思議ではない。
きっと激しく目が泳いでいたであろう俺を前に、彼女は続ける。
「本当に怖かった。あのままだったら、わたし、きっと今日はここにいなかったと思う。でも、不思議なことがいっぱい起こったおかげで、助かったの。……もしかしたら、君じゃないかな……って」
どきっ! とする心を抑えて必死に平静を装った。
「い、いや、違うよ。きっと電気の接触が悪かっただけだって。あんな目に遭っている女の子を見れば、誰だって通報してくれるよ。きっと同姓同名じゃない?」
「…………」
彼女はしばらく俺を見つめる。
そりゃ、日本中探してもこんな苗字と名前の組み合わせ、あるのか、って思うのが普通だと思う。
怪しまれたかな……。
「……そうか。うん、ごめん。でも、もしそうだったら……。本当に、ありがとう」
愛原さんは、俺の大好きないつもの笑顔を作って、にっこり笑った。
それから、目に涙をいっぱい溜めて、瞳にしまい切れなくなったぶんをポロポロとこぼした。
◾️ ◾️ ◾️
喫煙所へ向かう俺は、帰ってくる中原とミーとすれ違う。
「……なにニヤニヤしてんの」
すれ違いざまに俺の表情を捉えて、気に入らなそうに言うミー。
「はあ? 自分が機嫌悪いからって、そんなふうに……」
横にいる中原が、「もう一言続けたら殺す」とでも言いたげな視線を俺に向ける。
俺は咳払いをして、
「コホン。あ──……。なんだ……まあ、その、昨日は、悪かったよ。言い過ぎた。よく見りゃあ、その丸顔も美しいと言えるしな」
ミーが目を見開く。
「芸術的な曲線だよ。寸分狂わず真円を……」
ミーは俺が言い終わる前に鬼の形相となり、間髪入れずに俺のみぞおちへボディブローをかまして去っていった。
喫煙所に着いた俺は、タバコに火をつけ、深く肺に入れる。ぽっ、ぽっ、と煙で輪っかを作り、暗い空を見上げながら脱力した。
俺は、自分の頭の中にだけある例の子供部屋に注意を向ける。
「なあ。昨日のことだけどよ」
俺の頭の中に豪華な子供部屋を作り、そこへ居座る子供二人は寝転びながらそれぞれおもちゃで遊んでいた。
無言のノアとルナ。なんか知らんが無視されたらしい。俺はワザとらしく大きなため息をつき、諦めてタバコへ意識を移そうとした。
すると、ノアがこちらを見ずにおもちゃで遊びながら一言、
「お前はね、神なのさ」
「神に対する態度じゃねえな。だいたい、人の部屋を覗いたり、盗聴したりする力が『神の力』かよ?」
今度はルナが喋る。
「そりゃあ、強力なセキュリティで護られているものほど、容易に操れやしないけど。『思うだけ』でユーザーの命令を発動させるゼウス・システムを操るお前の力は、願った『思い』が強くなればなるほど出力を上げていく。お前が願った『思い』はゼウスへの命令となり、それを受けたゼウスはありとあらゆる手段を使って実現しようとするんだ。核ミサイルだって撃てちゃうだろうし……いや、それどころじゃないくらいにね」
絶句するようなことを平然と言う。
「な……なんで? どうして俺が?」
テンパる俺に、ノアが。
「言っただろ。お前は、選ばれたんだ」
続いて、ルナも。
「神の力を持ったのがこんなバカで本当に良かったね、地球の生き物たち。こいつなら世界、滅ぼしたりしないっしょ」
どうやらバカにされたようだが、それも致し方ないのかも知れない。
好きな女の子とまともに話すことすらできない俺に、なぜか舞い降りた神の力。
それを手に入れた俺は、世界なんかのことより、この力をどう使って愛原さんに振り向いてもらうか、それだけを考え始めていたのだから。
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