だめ
「許せない……」
さやは震える声で言った。
俺にはさやの表情が見えなかったが、今までの彼女を見ていれば、今、どんな顔をしているかは簡単に想像することができた。
「リョウマ。今、まゆがどこにいるか教えて」
「……そんなこと知って、どうすんの」
「まゆを止めに行く。決まってるだろ、バカなのかお前……」
途端に声色の変わるさや。リョウマを見るさやの視界に、黄金色のオーラが漂う。
リョウマの声は、明らかに気圧されていた。
「あ、あのな。さっき言っただろ? これがバレたら、俺は消されるってよ。そのくらいの重要人物なんだぜ、真弓は。一人でそこらへんをフラフラしてるとでも思ったか。護られてるに決まってんだろ、俺らの仲間によ」
「それは、リリスとか、ナキとかいう奴らのこと?」
リョウマは神妙な声になる。
「……そうか。そうだったな。お前ら、あの二人を退けたんだったか。聞いた時はびっくりしたぜ。アイツら二人が同時に二ヶ所を襲撃したのに、どっちも失敗したってんだからよ。なら……あながち不可能でもないのかもな」
「教える気になった?」
「教えてやってもいいが、一つ条件がある」
「はあ?」
「お前ら、俺の命を護れ。リリスとナキからな」
さやは、またリョウマの股間に手を当てて……
「お前の命、ここで終わりにしとくか」
「すみませんでした」
少しずつだが声に従順さが滲み出てきて、順調にさやの犬となるべく正しい道を歩んでいるリョウマ。
しっぽの振り方くらいなら、俺が教えてやってもいいと思えるようになってきた。
「真弓はギガント・アーマーの内部にいるはずだ。あそこは正式な運用の開始前だけどな。ほとんど全ての準備は整っている。というか、あとはもう『真弓待ち』って状態だ。だから、融合を始めるのは今日とか明日とかでも何の不思議もない」
「いつ融合を始めるか知ってるんでしょ?」
「知らん」
さやが、スッとリョウマの股間に手をやり……
「待って待ってっ! しっ、知らないよ、ほんとだ! たぶん、リリスとナキくらいしか、そういうこと知らされてないって! 俺は最近入ったばかりで、新入りなんだよっ!」
「じゃあ、今すぐにでも、あなたたちの本拠地に乗り込め、っていうわけ?」
「キキキ。ナイスアイディアだね。できるものならやってみなよ。奴らだって、俺がやられた時点でこういう事態になることは確定情報として取り扱っているさ。もう待ち構えているに決まってる」
アーティファクトと闘い始めてから、一つとして楽な戦いはなかった。
いつも、誰かが死にそうになっている。誰も死んでいないのは奇跡と言っていい。
なのに、今度は待ち構えている敵の本拠地へ、自ら突っ込んで行けって?
次こそ、誰か死んでもおかしくないのだ。
「ネム」
さやの声。
「まゆ、あの時、見たこともないような冷たい顔をしてた。でも、わたしのことを見た時には、すごく動揺してた」
長野で会った時に、去り際に田中さんが見せた表情。
俺もそれを思い出す。
中原を情け容赦なく焼き殺そうとした時とは正反対の、泣きそうな顔だ。
「まゆと、話がしたいよ……」
「うん……」
声のトーンが、さやの思いをこれでもかと言うほどに表している。
病室のベッドに横たわりながら、俺は、また胸を焦がすような加熱が始まったことに気づく。
少しだけでも、さやと話をさせてあげたい。
俺は、いつも俺の味方をしてくれる二人の子供たちにお願いをする。
「ノア。ルナ。田中さんと話がしたい」
「通話が拒否されている」
このままでは、田中さんはギガント・アーマーと融合し、二度と帰って来れなくなる。
雪人くんとも、さやとも、もう二度と……
「それはどうしてだ。本人が拒否しているのか?」
「……言えない」
なぜ田中さんが命を捧げなければならない?
他に方法はないのか?
ただ、話すだけでいいんだ。
自ら業火の中に、急ぎ飛び込まないように。
俺たちが助けに行くまで、自分で自分の命の期限を早めてしまわないように。
彼女自身に、生きる意志を……
「言えるとすれば、」
俺のアバターの顔は自然と上がり、二人の子供を直視する。
ノアとルナは、初めて会った時と変わらず、やはり自信に溢れた視線で俺を見据えた。
「お前が持つ真の力は、システム管理者の力をもねじ伏せる」
俺は、ベッドから起き上がる。
足を床について、全体重を下半身にかけた瞬間、ガクッと崩れて床に倒れ込んだ。
同時に嘔吐する。
声と音を聞いて、俺の異常を感じ取った女性看護師・エリカが駆けつける。
「ネム。ネム?」
ゼウスで発信されたさやの声。
そこへ、仲間たちがゼウスで会話を続けていく。
「……また、なんか良からぬこと考えとんな……」
「ですね。愛原さん、センパイのところへ行ってあげてください」
「うん!」
ざわめく仲間たちの声を雑音のようにして、俺はようやく嘔吐を終えた。
そこへさやが、バタバタと走ってくる。
「ネム! 何やってんの」
「さやかちゃん! 立ちあがろうとして、吐いちゃったみたいで」
エリカさんが説明した。
二人は、俺をベッドに戻そうとする。
「ダメだ。家へ……俺の家へ、行かないと」
「何言ってんの! まだそんなことできるわけない! じっとしてて」
「さや。俺の家から、ヒュプノスを持ってきて」
「…………何言ってんの?」
さやが目を見開く。唇が震え、みるみる涙が溜まっていった。
「何言ってんのっ? 言ったじゃない。人のことを犠牲にしてまで、わたし、自分の願いを叶えたいわけじゃない!」
「犠牲になんてならないさ。前回飲んでから、丸一日以上経っている。大丈夫だ」
「大丈夫なんかじゃない! 今だって、こんなにフラフラだよ。どこをどう見たら大丈夫ってことになるの?」
「俺のお願いを聞いてよ」
「だめだよ。あなたのお願いは、一つ聞いた。だからわたしは、こうやって生きてるでしょ?」
「それは……」
「悪い子だよ、ネム。わたしの言うことを聞きなさい。あなたは、まだ、じっとしてて」
さやは俺を抱きしめた。俺の顔は豊満なさやの胸にぴっちり埋まって、またもや呼吸困難に陥る。
「ゔ〜〜っ、」
「あっ、ごめん」
慌てて抱く力を緩めるさや。
柔らかい胸の感触と、よくわからない良い匂いが、無防備な俺の脳でまともに知覚される。俺は、ついさやの胸に顔をスリスリしてしまった。
「……あの。ネムさん?」
「ああ、気持ちいい。これって、リョウマが君にしたのと同じこと?」
「全然違うよ。ネムになら、わたし触られたい」
俺は、ふふっ、と笑う。
「同じ行為でも、意味はまるで違うだろ? つまりね、あの時、俺は無謀なことをしようとしたかもしれないけど、今は違うってこと。だから大丈夫、大変なことには、ならないよ」
「え〜〜っ? 今の話、よくわかんなかったけどなぁ……」
口から出まかせで煙に巻こうとした俺に、さやは首をかしげて考えこむ。
「やっぱダメっ! 何回言わせんの。絶対に、持ってこない」
「田中さんのこと、助けたくないの?」
「君は勘違いしてるよ」
「何が? 彼女を助けるためには、こうしないと……」
「ネムの命も、一つの命だよ。少なくとも、わたしとミーちゃんにとっては、すごく大事なんだ」
「でも……」
「君がいくら頑固者でも、今回ばかりは持ってこない」
口をへの字にキュッと閉じたさや。
ん──……。どうやら無理そうな気配。
ワンチャン、最後の抵抗をしてみようと俺は考える。
「でも、それじゃ、さやたちが無策で敵陣地へ突っ込まないといけなくなる。そんなことをすれば、死ぬ確率は限りなく高くなる。俺は、さやたちに、そんな危険を犯してほしくない。それに比べれば、今ここで俺が、一日一錠までは大丈夫なヒュプノスを飲むことなんて、全然リスクじゃな……」
「だめ」
長々と喋った俺の最後の抵抗を、さやは、一言で蹴散らした。




