二人っきりの夜
こうやって、夜にミーと二人っきりで、しかも俺の部屋着を着せて出かけるなんて、なんだか変な気分になってくる。
「ほんでさ、あの人、コンビニの店員に声かけて、付き合ったんやって」
この前に聞いた得意先の担当の話を、楽しそうにするミー。
知らず知らずの間に、こいつが悲しそうな顔をすると俺まで悲しくなり、楽しそうにしていると俺まで楽しい気分でいられるようになってしまった。
だから、楽しそうにしているこいつの横で、きっと今、俺はニコニコしているのだろう。
買い物を終えて家の玄関ドアを開ける。すると、
「お疲れっす!」
と明るい中原。もはや、誰も彼もが勝手に俺んちへ入れるようになってしまった。
時計を見ると、もうすぐ夜の九時。さやからは連絡がない。
何かあったのだろうか? 俺は、なんとなくソワソワしてきたのだった。
「さやは、どうしたん?」
「そうですよ。まだ帰ってきてないですよね」
俺は事情を二人へ話す。
が、さすがに遅すぎる。病院の面会時間など、だいたいは夜の七時か八時くらいまでじゃないだろうか。
「さすがに、遅いよな……」
俺は、さやに連絡してみることにした。
暇そうにしているノアに、さやへ電話をかけるよう指示すると、間を置かずコール音が鳴り始める。
夜が遅くなるなんて、いずれにしても良い状況ではないだろうから、俺はさやが電話に出るまで、鼓動が高鳴りっぱなしだった。
長めのコール音がようやく止み、電話が通話状態となる。
「もしもし。ネム、ごめんね、連絡もしなくて」
「いいよ! 何かあった?」
「今日、雪人の容体が変わって。わたし、今日は病院に泊まることになったの」
「かなり悪いの?」
「うん……まゆ、早く帰ってこないと、……会えなくなっちゃうかもしれない。ずっと電話してるんだけど、繋がらなくて」
「そっか……わかった。何か持っていこうか?」
「ううん、いいよ。とりあえず今日は大丈夫。リョウマさんが、色々差し入れてくれたから」
その名前を聞いて、俺は、胸に憎悪の火種が生まれたのを自覚した。
……やめろ。
こんな時に。雪人くんの、命にかかわるような時に。
俺だって、ミーと二人っきりで出かけたりしたんだ。
笑顔のミーを見て幸せな気持ちになってたのは誰だ。なのに、さやが他の男といるだけでこんなふうに嫉妬して。
自分勝手がすぎる。さやのことを考えるなら、余計に今はダメだ。
「気になるよね」
「…………」
その問いに、即座に「ならない」と答えられなかったのは、俺の自我の澱のせい。決意したはずなのに、徹しきれない甘ったれだ。
「あたしの視界、ずっと、見てて」
「……さや」
「どうやったら、信じてもらえるかな。今は、このくらいしか、思いつかないな」
バカだ。俺は……
「大丈夫。雪人くんに、ついていてあげて」
「うん。ありがと」
「さやかさん、これ、どうぞー」
声を聞いただけでわかった。
この男の声は、知らず知らずのうちに、俺の本能に深く刷り込まれていたのだ。
男としての本能は、この声を聞くたびに俺へ警鐘を鳴らす。
「わたし、ネムを嫌な気持ちにさせたままにしたくない。だから、見てて」
「……うん」
俺は、結局、断らなかった。
さやの視覚・聴覚情報の取得が承認される。
さやの目から入った視覚映像によると、今、さやがいる場所は長椅子の並ぶ病院の廊下だ。
そこへ、リョウマが缶コーヒーを持ってくる。
受け取りながら小さな声でお礼を言い、さやはうつむいた。
「良くなったら、いいんですけどね」
「ええ」
「ねえ、さやかさん。月でも、見に行きませんか。気分転換に」
「…………」
さやの視界に映る、優しい顔のリョウマ。
ゼウスに接続することを意味する赤い瞳が、美形の顔に美しいアクセントを加える。こんな顔で誘われたら、どんな女の子だって落とされてしまいそうだ。俺ですらそう思うのに、女性の彼女が、魅力を感じていないわけはないと思う。
さやの視界が上下に揺れる。たぶん、うなずいたんだろう。
二人は立ち上がって、歩き始めた。
屋上にでも行くのかと思ったが、たどり着いたのはガラス張りになっている小さな休憩所だった。
「今日は満月が綺麗ですね」
「ええ」
「雪人くんも、お姉さんが来ないと寂しいね」
「…………雪人、かなり悪いんですよね。まゆ、早くこないと……」
「雪人くんは、きっと良くなるよ」
「……本当に?」
「ええ、本当に」
「…………」
さやはガラス窓に近づき、満月を見上げる。
きっと、さやを元気づけようとして言っているリョウマの言葉。
仮にさやの心が動いたとしても、だからといって今は俺が見ているんだから、さやは変なことをするはずがないのだ。
俺はそう信じながらも、内臓を万力で握られたかのように苦しくなった。
「満月の夜は、不思議な力がある。きっと、雪人くんは、乗り切るよ」
「……そうだといいけど」
「いずれ、お姉さんに会える日も来る」
「……ええ」
「何もかもがうまくいく。だから、君はそんな心配をしなくてもいいんだ」
「……?」
俺の頭の中、いつもの子供部屋でお菓子を食べていたルナは慌てて立ち上がり、手に持っていた袋をポトっと落とす。
口をあんぐりと開けて、意味不明なことを呟いた。
「……そんなバカな。こんな奴、知らない」
続いてノア。ポツリと、しかし油断のない声でリョウマを睨んだまま俺へ警告する。
「ネム。エンカウントだ」
満月から目線を下げたさやの視界の中にある、ガラス窓に映ったリョウマ。
その瞳は、青色に光っていた。ドレッドの髪は、一つ一つがうねうねと、まるで蛇のように蠢いている。
さやもきっと気付いただろう。彼女は目を見開いてガラスに映るリョウマを凝視しながら、振り向くことなく固まっていたから。
「美しいぃ。君ほどの美女は、なかなかお目にかかれない。原型がね、大事なんだ。素材だよ。美しさは、元の素材の質で決まるんだぁ」
俺たちから遠く離れた場所にいるさやを護り抜くためには、熱くなってはいけないと思った。俺は、うるさく跳ねる鼓動を無理やり抑えながら、この危機を突破する方法に思考を巡らす。
俺たちにとっての「敵」は、グリムリーパーしかいない。
つまり、なんらかの能力を持った、アーティファクト……。
俺は、ふと、病院の庭にあった石像を思い出す。
石像……
元の素材……
ゼウス接続時とは違う、青く光る瞳。
石化?
一般人でも知っている、古来から伝わる有名な石化能力のことが思い浮かぶ。
確証はない。だけど、確証を得るまで待っている時間はない。俺は、すぐに、さやに叫んだ。
「振り向くな! 奴の目を見たら、石にされる!」
ガラス越しに見えるリョウマの顔が、みるみるうちに悦びで歪んでいく。
その表情には、他人のことを思いやる優しさなど微塵も混ざってはいない。ただ、自らの欲望を満たそうとするだけの、野獣の気配だけが漂っていた。
俺は、すぐさまミーと中原にさっと事情を説明し、ヒュプノスを飲み込む。
眠ってから、起きるまでは五秒間。
僅かな時間も無駄にできない。俺は、さやのことだけを考えながら、揺れる意識に身を任せた。




