わたしは、助けない
朝起きた時の感想は、「狭い」だった。
それもそのはず、六畳一間の俺の部屋に、四人が住むのだから。ベッドは当然女子に譲り、俺と中原は床で寝た。身体も痛くなったし、スペースが絶対的に足りない。これじゃ、満足に休息することなんてできやしない。
俺はベッドの真横、床の上で寝ていた。
真上を見上げると、ベッドの上から垂れている手が。
これはどっちの手だろうか、と眠い頭で朧げながら考えていたが、爪ですぐにわかった。ネイルがさやのだ。間違いない。
もう少しで俺の顔に触れる位置。俺は、何も考えずにその手を触ってしまっていた。
すべすべで、キレイな手。
まじまじと見つめ、触っていると……
ズイッ! と、ベッドの上から顔が現れた。
すっぴんになって眉が薄くなっているが、でも可愛くて、少し眠そうな表情で、ぼんやりと俺を上から見つめる。
しっかりと見つめ返す俺。さやのほうも、目をそらす気はないようだった。
ガシッ! とさやの腕を掴む、ベッドの向こうからの手。
「こらぁ……なにしとるんや」
低い声のミー。俺はビクッとなる。
「お前なぁ……またネムを誘惑して!」
「悪い?」
今日も朝から二人はケンカした。
その声で起きたリオは、
「おっはよーっ! ふああ、朝から何ケンカしてんのぉ?」
こいつも結局泊まってしまった。つまり、昨日はこの狭い1Kに五人も泊まったことになる。
昨日、リオは……
「楽しそーっ、あたしも泊まるっ!」
「ダメっ! 高校生だろっ! 絶対に、ダメっ!」
「じゃあ今日だけっ! 次から絶っっ対に、言うこと聞くからっ!」
ということで、推しに弱い俺は半ば強引なリオのお願いを聞き入れてしまったのだった。
コンビニで買ったパンやらおにぎりをパクつきながら、みんなで朝支度をする中、さやは、一つの提案をした。
「今日ね、あたし、ちょっと仕事休もうかな……」
「うん? どうして?」
「ちょっとね、行きたいところがあるの」
さやは、窓の外、雲ひとつない快晴の空を眺める。
「まゆの弟が入院してる病院に、行きたいの」
「そこに、田中さんが……?」
「わからない。でも、まゆに会える、ってのはそんなに期待してなくて。わたし、弟の雪人と、少しでも一緒にいてあげたいの。今回の件で、まゆ、あまり雪人に会いに来れなくなっちゃったかもしれないし」
「俺も行くよ」
「俺も行きます!」
「あたしも行くで」
「待って。ごめん、ありがたいけど、今日はわたし一人で行きたいの」
俺たちは、顔を見合わせた。
「あかん。特殊能力も無いのに一人で行くとか自殺行為や。奴らとの戦いを、間近で見たやろが」
「そうですよ。いくらなんでも危ないです。俺たちが、一緒について行きますから」
ミーと中原は、自分の考えを一通り述べてから、二人して俺を見た。
こいつらの言うとおり、さやを一人で行かせるのは危険極まりないことだと言える。仮にこの決断のせいでさやが死ぬことになったら、間違いなく俺は後悔するだろう。
だけど、俺たちはロボットじゃない。一人の人間だ。
さやの気持ちは詳しくはわからないけど、今の彼女の気持ちを大事にすることは、重要なことのように思えた。
もし、さやに敵の手が伸びた場合は?
俺の能力は、敵と俺との距離が離れていようが関係ない。俺は、そういう能力の持ち主なのだ。だから、敵を撃退できるかどうかは、俺次第といえる。
じっと俺を見つめる瞳を注意深く観察しても、なにを考えているかなんてわからなかった。
でも、その行為自体が、彼女の意思を表しているのは間違いないのだ。
さやも、ミーや中原と同じく、俺の答えを待っていた。
俺は、ニッとして言ってやる。
「わかった。何かあったら俺の力で護るから、すぐに連絡して。それに、ゼウスでの電話は頻繁にするから、覚悟しといてよ」
さやは、美しく灯る真紅の瞳を見開いた後、ゆっくりと口の端を両方とも上げていき……
「うん。……ネム。わたし」
「ん?」
「ネムのこと、大好き。好きになって、本当によかった」
まるで部屋の中の明かりが、フラッシュしたかのように明るくなる。
目の前のさやだけが見え、他のものは何も見えなくなった。
人生で初めて言われた言葉だった。
リオはヒューっ、と口笛を鳴らし、ミーはギャンギャン喚いて、中原はそれをはがい締めにしていたが、俺は、そんなもの耳に入らないほどにフワフワしていた。
反面、一人で行かせたくない思いがどんどん強くなる。ずっと抑えていられるか、不安が膨らんでいった。
◾️ ◾️ ◾️
朝ごはんが済んで、俺と中原はベランダへタバコを吸いに出た。晴天の空が、気分を幾らか明るくしてくれるようだ。
「センパイ、よく行かせる気になりましたね」
ガテン系のくせにイケメン風のロン毛をサラサラと風になびかせながら、ベランダに両肘をついて煙とともに言葉を流してくる中原。ベランダに背中からもたれかかって、両肘を手すりに掛けながらそれをまともに受ける俺。
「別に、行かせたいわけじゃないよ」
「俺なら、ダメだ、って言っちゃいますね」
「俺も、喉までその言葉が出かかったさ」
「なら、なんで?」
「……だよな」
俺はため息をつく。
たそがれる俺の頭の中に、ゼウスを通じたミーの声が流れ込んできた。
すぐにわかったことだが、室内にいるリオが、自分の視覚・聴覚情報の共有を俺に許可している。だから、部屋の中で話すミーとさやの声が、まともに聞こえてきたのだ。
「なあ。なんで『一緒に来て』って言わんかったんや」
出だしから、ミーの言葉にはイラつきが含まれていた。
「はあ? なんでって?」
「そんなん、弟くんと居てあげたいんやったら、あたしらのことは外で待たしとったらええだけやんか」
「そりゃ、あなたは構ってちゃんだから」
「ああ? なんの関係が──」
「ネムが言ってくれたこと、本当に嬉しかった。わたしは、あなたたちに迷惑かけてまで助けてほしいって思ってない」
「カッコつけんな。大事なもんがあったら、仲間に頼ったらええやん」
「自分の願いを叶えるために、他人の迷惑を全く考えない。……わたしには無理」
「お前かって、どうしても助けてほしい時があるやろ!」
「助けてくれたのは、一人だけ」
「あ?」
「だからわたしは、親友の……まゆのためなら何でもする。でも、わたしは別に『いい人』じゃない。それ以外の人のこと、助けたりしない。助けてほしいとも思わない。あなたのことも助けたりしないから、甘えないでね」
「……ネムに今の話、言うたろか。きっと幻滅すんで」
「言えばいい。わたしは、ありのままで好きになってもらうから。ネムは、きっと、わかってくれる」
止めないと! と思って慌ててタバコを消し、ベランダの掃き出し窓を開けた瞬間……
パーン、と、いい音が鳴った。
片頬を赤くし、強い眼差しでミーをじっと見つめるさや。
息を切らせて、動揺するミー。
「あなたは、まず自分のことを知ることね」
「こっちのセリフや。いずれきっとわかるで」
互いに譲らず睨み合う女子二人の前で俺はあたふたしていたが、リオは冷静……というか、強いて言うなら「興味深そう」にしていた。
「親友のために、頑張ろうとしてるんだね」
リオは言葉を続けなかった。さやは、そんなリオを見て、
「なに? 言いたいことがあるなら、言いなよ」
「その親友、そんなに大切なの?」
「あんたには、わかんないわ」
「きっと、そうだろうね」
リオは俺への視覚・聴覚情報共有許可を停止させ、それ以上、何も言わなかった。




