心配
人生初のダブルデート──とは言っても、実質は「男一人に対して女の子が二人、プラスお付き一人」という、奇妙なデート形式かもしれないが──という夢の時間を終え、月曜を迎えた俺はいつもの日常へ戻る。
俺は、自分の幸せの根源ともいえる二人がいる事務所へ、お昼の時間はなんとか帰ってくるようにする! と決意していた。その結果として、今、外回りの効率的な順序を狂わせた上で事務所にいるのだった。
「おっつー! ネムさあ、今日、飲みにいかん?」
自席の安物イスにもたれかかりながら片手をあげる、朗らかな笑顔のミー。どうやら今日は機嫌がいいらしい。さすがに毎日見てれいば、俺にだってなんとなくわかる。そんな俺たちの様子を見た高田が「ちっ」と舌打ちするのが聞こえた。
ったく、こいつは酒豪だからな。どんどん普通に話せなくなって、どうせベロンベロンになるに決まってるし。
それに……
「俺、明日から、一泊二日で得意先の社員旅行に招待されてんだ」
「えっ! そうやったっけ」
「そうだよ。あそこは酒飲みが多いしなぁ……。そもそも、酒の強くない人見知りを人選するイベントじゃねえだろ。誰だよ、俺選んだ奴」
高田の自席方向から、「ぷっ」と吹き出す声が聞こえた。
ミーはふっ、と笑って、
「まあ、頑張ってちょ」
「ああ。中原とさやがいるから、まあいいけど……」
「「はあっ!?」」
ミーと高田が、同時にリアクションした。
ミーは両手で机を叩いて立ち上がり、顔はみるみるうちに怒りの化身へと変化する。
「何それっ!? 聞いてへんけど!!!」
俺がその社員旅行へ行っている最中は、俺の業務を他の同僚へ任せる必要が出てくる。
なのに高田は、社員旅行へ行くのが誰なのかを、自分の係の誰にも伝えていなかったらしい。
こいつも、仕事ができているとは言い難い。こんな奴にバカにされていたのかと思うと呆れてものも言えなくなる。
まあでも、俺の知ったことじゃない。それに、他の部署の人選は高田の権限じゃないから、おかげで、俺にとって最高にラッキーな組み合わせとなったのだ!
「あの、あっちで、どんな感じで過ごすん? さやは、ずっと一緒におるの?」
「ええ? いやぁ……よくわかんねえよ。どういう行程かなんて、全く確認してない」
「…………」
途端に元気が無くなって、しょんぼりとうつむく。
ほとんど泣きそうになったこいつの顔は、俺の心をイヤな感じにドキドキさせていく。
俺は、恐る恐る尋ねた。
「ど、どうしたんだよ」
「なあ、さやが言い寄ってきても、ほいほい釣られたらあかんよ」
「そうは言っても、あっちの行動は……」
「じゃあ、最低限、これだけは誓って」
「なに?」
「同じ部屋で、二人っきりにならないで」
不安でいっぱいの顔をして、付き合ってもないのに嫉妬の塊のようなミー。
誓わなかったら、あたしも行く! とか言って休暇取りそうな性格だし。
そうはいっても、いつものごとく、こういう態度をとるミーの様子は、なぜか無性に俺の胸をきゅうっと締めつけるものがあったりもして。
しょうがねえな……。
「はい、誓います」
俺は、片手をあげて仰々(ぎょうぎょう)しく言ってやる。
すると、なぜかミーは顔を赤らめニヤニヤし始める。
「んだよ?」
「……なんでもない」
「ネムーっ、おっはよーっ!」
元気よく俺を呼ぶさや。
流し目でミーを見ながら、ミーに聞こえるように甘い声で俺へ耳打ちする。
「明日から、二人で一緒に過ごせるね。誰かさんがいないから」
いつものように、俺の目の前で交錯する赤い視線の応酬劇。
殺気が作り出す雷撃が二人を取り巻くように見えたのは俺だけではないはずだ。事務所にいる社員たちは、後ずさりしてその様子を見守っていた。
ふと見ると、さやの横には田中さんがいた。俺は、その様子がなんとなく気に掛かった。
田中さんは、「無表情」どころかあまりにも空虚な状態で、さやの横で焦点の定まらない目をして、まるで抜け殻のようにじっと立っていたのだ。
月夜の倉庫街で見た、田中さんと天使の記憶が蘇る。俺は何となく心配になってしまって、田中さんへ声をかけた。
「大丈夫?」
「え?」
「いや、なんか落ち込むことでもあったのかな、と思って」
「…………大丈夫です」
俺は知っている。
彼女が、「アーティファクト」であることを。
会社での勤務が終わってから、彼女は、国の機関の手先となることを。
不自然な動きをすれば、敵の監視者から疑われる。
そうなれば、ミーも、さやも、中原も、みんなが危険にさらされてしまう。
余計なことを、話すわけにはいかないのだ。
その瞳の奥に潜む思いを、俺は、なんとかして汲み取ろうとしていた。
「どうしたの? ネム」
「うん。田中さんが、ちょっと元気ないなあ、と思って」
「そうなんだ。まゆ、今日だけじゃなくて、ここ最近、元気ないのよね……。だから、今日のお昼は、まゆと二人で行く予定なんだ。ごめんね、ネム」
そう言ったさやは、表情の照度を二段階くらい下げながら、田中さんの背中にそっと手をやる。
何とかできないだろうか?
あからさまに腹を割って話すことはできないが。
一言だけ。そう、一言だけなら……。
「あの」
「……はい?」
「もし、仮に。もしそうだったら、でいいんだけどね」
俺は、田中さんの瞳を真剣に見つめた。
彼女はというと、最初から、冗談など通じそうにない顔だ。
「もし、困ってるなら……相談してほしい。さやが大切に想う君のことを、俺も大切にしたいんだ」
表情は何も変わらない。
でも、
まぶたの、唇の、眉毛の形が、位置が。
ひとつひとつにスポットライトを当てて注意深く観察しなければ気が付かない、ごくわずかで微妙な変化が、表情全体の印象をガラッと変える。
「泣きそうに見えた」。それが、俺が抱いた印象だった。
「……ありがとう」
「うん。でも、その時は……できるだけ早くね」
俺は、こう付け加えて、お昼に向かう彼女たちを見送った。




