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こいつ、まさか

 眠りから覚めた時はいつも同じ。外の強い光に慣れず、すぐにはまぶたを開けられない。


 徐々に外の光を取り入れようとする、その細めた視界でもわかった。横向きで寝転がる俺の真正面で、何者かが眠っている。


 ドクン、と脈が波打った。俺は目を見開く。

 真正面にいるのは……まぎれもなく、さや、だ!


 さやもまた横向きで寝ていて、目を閉じて、スー、スーと寝息を立てている。

 俺が顔をちょっとだけ、そう、ほんのちょっとだけ前へ動かせばキスできてしまうくらいのところで無防備に。


 長いまつ毛。

 どこからどう見ても美しい顔。

 重力で垂れ下がった色っぽい前髪。


 あ。唇の端に、よだれが溜まってる。ああ、なんか垂れそうだ。

 

 俺にとって、女神と言っていいほど完璧に神聖な存在。

 の、彼女の唇から、よだれが垂れるという事実。それは、無性に俺の、心もカラダもソワソワっ、とさせた。


 ああ。垂れる。垂れるぅぅ──っ!


 じゅじゅっ、と音を立てて、さやはよだれをすする。


 俺はなぜかホッとして、一つ大きく息を吐いた。

 超絶可愛い女の子のこんな姿を目の当たりにして、なんか見てはならない秘密をのぞき見てしまったかのような気分になる。

 

 はあ……。


 俺は、トイレに行くため上半身を起こそうとした。

 が、身体がやたらめったら重たいことに気づく。


 なんだ? 

 と下半身のほうを見ると。


 ミーが、俺の腹のあたりに抱きつきながら寝ていた。

 

 な、何やってんだこいつ?


 俺はミーの腕を一つ一つほどきながら、一応優しくミーの顔をそっとベッドの上に置いた。

 さやを触るのはなかなかハードルが高いのに、こいつのことは、どうしてこんな無造作に触れてしまうのだろうか。


 トイレへ行こうとして何気なにげに振り返り、眠るミーの顔が見えて立ち止まる。

 俺は戻って、特に意味もないがミーの寝顔をのぞき込んだ。


 こうやって眠っていると、文句も、生意気なセリフも垂れないし。


 俺は、静かな寝息をたてて眠るミーの前髪を手でスッとよけて、顔がよく見えるようにした。

 ハート型の心臓が悲鳴をあげたのを無視し、俺は床に座りながら、ベッドに両肘とアゴをついて体重を預ける。

 

 こうやって近くでよく見ると、こいつもまつ毛が長い。

 常に化粧っ気がなかったせいでイマイチ認識していなかった、かわいい顔。

 ぷるんとして柔らかそうな唇。案外キレイな肌。スタイル抜群ってわけじゃないけど、柔らかくて、それでいて適度に筋肉のついたカラダ。

 いつも触ってるから、その辺りはよくわかるんだが。


 ……そう。


 こいつのことは、結構簡単にスキンシップできてしまう。

 俺が緊張することなく話せる女の子も、こいつ一人。

 いつも近寄ってきてくれて、俺のことを気にかけてくれる女の子なんて、こいつ以外にいなかった気がする。

 

 そんなことを考えながらじっと見入っていると、なんだか妙な気分になって。


 気がつくと、俺はミーの顔からほんの二〇センチくらいの距離感で、顔を眺めていて……。

 


 ────…………



 ガサっ。


 ビクッ! と俺が飛び上がりながら音のしたほうを見ると、さやが寝返りをうったところだった。


 何やってんだ? やばいところだった。

 だいたい、誰に向かって、何をしようとした?

 妙な気、起こすんじゃねえ! こんなところさやに見られたら、一発でおしまいだ。


 気を取り直してトイレへ行く。

 膀胱の圧迫感を快感とともに開放し、トイレのドアを開けて部屋のほうへ目をやった瞬間、俺はまたもや飛び上がった。


 さやが、ベッドの上に座っていたのだ。


「おはよ、ネムぅ」


 目をこすりながら、トロンとした顔で言う。


「あ、お、おはよ。起きてたんだ。大丈夫?」

「え? 何が?」

「あ、いや。なんでもないよ。気分が悪かったりしないかと思って」

「ううん、ぜーんぜん大丈夫ぅ。ふああああ」


 大口を開けて両手をあげ、身体を伸ばしながらアクビをする。

 限界まで引き伸ばされたにもかかわらず、まだその存在感を盛んにアピールできるデカい胸が、少し手を伸ばせば触れてしまうところに、こんな無防備な状態で……。


 これが平常時なら、俺の視線がどこにあるかさやには一撃でバレただろうが、彼女が今、寝ぼけてくれていて本当に良かったと思う。


 さっきのミーに対する俺の様子を、まさか見られてないよな? とドキドキしながら俺はさやをうかがった。


「ところでさ、ここってネムの家?」

「うん。そうだよ」

「なんでここに来ちゃったのかなぁ? 全然覚えてないや。まゆは?」


 そりゃ覚えてないか。

 くそっ、ミーが一緒に来さえしなけりゃ、俺は昨日、あのままこの女神を……!

 と、これ以上ないというくらいに口惜しさで歯軋はぎしりする。

 

「ちょっと飲みすぎちゃったみたいだね。水、いる?」

「はぁい、ありがと」


 フワフワした柔らかい声で言うさや。俺は記憶喪失の女神様のために水を取りに行く。

 はい、と俺がコップの水を渡すと、それをごく、ごく、と音を立てて一気飲み。少しこぼれて首筋へ垂れる水が胸のほうへ伝って光を反射する。

 

 さやは、飲み終えたコップを俺に差し出しながら、じっと俺の目を見ていた。


「……?」


 頭の中に浮かんだ疑問符を、眉毛を引き上げることで表現した俺。

 コップを受け取ろうとする。と…… 


 さやは、両膝をベッドについていた俺の胸に、突然抱きついた。コップが飛んで、部屋の床でカラン、と音を立てる。


「あっ??? ちょっ、……」


 グッ、と後ろに押し倒されて、バランスを崩した俺はさやと一緒に床へなだれ込む。

 さやは馬乗りになり、自分の両手で俺の両手首を床に押さえつけながら、正常な理性があるのか判断できない表情で俺を上から見つめた。


「あの、……」


 俺が言いかけると、さやはちょっとすねたような顔でほっぺを膨らます。


「昨日、おいで、って言ったのに」

 

 それは覚えてるんだ?


「あ、いや。あれはあいつがさ、邪魔してきたから……」


 ベッドで寝っ転がるミーへ視線をやる俺。


「ふーん。じゃあ、今は?」

「え……と。ミー、まだそこにいるけど」

「いるね」

「…………」

 

 さやの瞳に吸い込まれそうだった。


 昨夜と同じく、互いに見つめ合い……

 さやは、身体からも心からも俺の自由を奪ったまま、ゆっくりと顔を近付ける。

 全身の神経がビリビリと痺れさせられ、暴れる鼓動が生み出す高揚感をどうすることもできず、俺はわずかな抵抗すら試みることはなかった。


 と、

 

「何してんの?」


 甘い空気にふさわしくない鋭い声が、この密室をぱんぱんに充満させていたさやのフェロモンを切り裂いた。

 首をひねって声のした方向を見ると、そこには、呆然とした顔のミーが。


「あっ、いや、これはね、新堂さん、違う……」


 あたふたしながら言うさや。

 俺たちは立ち上がって、それぞれの空気感を確かめながら牽制し合った。

 

「何が? 何が違うん? 今、キスしようとしたよね? 絶対そうやよね?」

「いや、その」

「いや、じゃない! 正直に言え!」


 強気で詰め寄るミー。

 それによって、グッと意思を固めたような顔になるさや。

 

「……じゃあ言うけどね。だとしたら、なんだっての? あなたに止める権利でもあんの?」

「ああっ、開き直った! 泥棒猫のくせにっ」

「いつネムがあなたの物になったんだよ! じゃあ付き合ってんの? あなた、ネムのこと好きなの?」

「ちがっ……! そういう問題じゃ……」

「そういう問題だよ! だいたい、彼女でもないのにいつもいつもネムのまわりに付きまとっていったい何のつもり!? ネムが誰と何をしたって、あなたにどうこう言われる筋合いなんてない!」

  

 ビシッ! とミーに向かって人差し指を突きつける。


 俺がさやに抱いていた柔らかい印象からは想像もつかない、何の遠慮もないセリフを次々と吐き、正面からまっすぐにミーを見据えるさや。

 うっ、と言葉に詰まって、言い返す言葉が頭をぐるぐるしてそうなミー。

 そんな中、俺は一人ビビっていた。


 こわっ……。


 さやは勝利を確信したのか、ドヤ顔になって、ミーへ流し目を向けた。


「ね、ネム。朝ごはん食べに行こうよ。二人で」


 バッサリとミーを切り捨てるさやが、俺の腕に自分の腕を絡ませて言う。すると、


「……あたしも行く」

「はあ? 二人で行くって言ってんの」


 突き飛ばすような言い方のさや。

 

 ……ミーは、またこんなふうに。

 なんでこいつ、そんなに俺を邪魔すんの?

 普通、ここまでしないよな……。


「さやの意見は聞いてない。自分でさっき言った。ネムが誰と行こうが、ネムの勝手なんやよね」


 ミーは涙目になりながら、口をキュッと結んで、そのちっこい背丈の影響で俺を下からじっと見つめる。ミーのその目は、理由もわからないまま、俺の胸を締め上げていく。



 どうしよう。



 意識が強錯乱の渦に巻き込まれていた俺は、理性が司る高度な機能を一パーセントも発揮しない状態で出した結論を口にした。

 

「……あ、その! まあ、なんだ……ケンカしないで。今日のところは、一緒に行こうよ!」


 何言ってんだ俺?


 完璧に混乱していた俺は、下唇をキュッと噛んで泣きそうな顔で俺を見つめるミーと、眉間にシワを寄せて「何考えてんの?」と言いたげなさやを連れて、ひとカケラも正常な精神状態を取り戻すことができないまま外へ出た。

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