舐めんな
「あれっっっ???」
すっとんきょうな声を上げる中原。フッサフサな自分の両手を見下ろしながら目を丸くしている。
「なんじゃこりゃああああ!」
「ん──……。完全に狼だな……」
「オオカミ? 俺が? えっ、なんで?」
「いやそんなこと言われても」
中原の声はガラガラで低くて、元の印象がまるでない。やはり口のあたりが犬みたいな形になっちゃったからだろうか。
中原は、なんでセンパイには自分の姿が確認できるんだ、とか、センパイがなんか知ってるんじゃないですか、とか言いながら喚きだす。
「それはそうとしてよ。さっきお前、あんなでけぇコンクリの塊、叩き割ったんだぞ」
「ですよね。びっくりです」
すっとぼけたオオカミ顔で言う、ウルフ中原。
遠くから様子をうかがう波動は、中原のことをかなり警戒している。一目見てわかるほどに、顔から余裕の色が消え去っているのだ。
が、やがて覚悟を決めたようだった。鋭い眼光で俺を、いや、中原を射抜く。
中原は、ミーを自分の後ろへ寝かせた。
再び波動を捉えた中原の視点は下がり、目の前には、美しい紺色の体毛で覆われた両手がまるでファイティングポーズのように構えられた。
店舗の中であるにもかかわらず、一陣のつむじ風が吹く。中原の周りに浮く粉塵が、旋回しながら天井へ舞い上がる。
波動が動いた。
素早くしゃがみ込み、両手を使って床に散らばるコンクリート片へ順番に触れていく。
まるで物体が自らの意思を持ったかのようだ。無機質なコンクリ片の群れは突然加速し、野球ボールのような速さで飛んでくる。
俺が「危なっ!」と叫んだ瞬間、防犯カメラ映像に映る中原の姿がブレた。中原の視覚映像に至っては、動きが速すぎて何が何だかよくわからない。
やがて動きを止めた中原の前には、砕けたコンクリートの粉が大量に散らばっていた。
波動の目が泳ぐ。奴は、目線を部屋中に這わせた。
敵の迷いを勝機と見たのか、目にも止まらぬ速さで踏み込むウェアウルフ。
「ぎっ!」
獣人の右ストレートを、左手でいなすように防御した波動の反射神経と技術も大したものだ。
だが、人外の力を得た中原の異次元ともいえる打撃力は、波動の前腕の肉を削ぎ取った。
間髪入れずに上半身を横にかたむけ、下から中原を睨みつけたまま、ノールックで右手を床に伸ばす波動。
床に転がるコンクリート片に触れた瞬間、波動の顔をかすめるようにして、まるでアッパーカットのような軌跡でコンクリートの巨塊が風を切って吹き上がってきた。
下から抉るように顔面を狙う、人間相手ならば一撃必殺級の攻撃。
にもかかわらず、中原の視界はむしろ高速でそのコンクリ片に向かって行く。
ガボッ! という音。
どうやら中原は、それを頭突きで叩き割った。
ゲッ……。
こいつやべえ。もう人間じゃねえな。無茶苦茶だ。
「てか、いくらすげぇパワーを手に入れたからってなんだよそのバトルセンス。戦闘種族だったんかオマエ」
「なんかわかんないっすけど……わかるんです。どうすればいいか」
まあ、よく考えれば理由なんてどうでもいい。
ラッキーだ。中原が、こんな力を手に入れるなんて!
助かる。これで、こいつらは助かる!
ざまみろ、今度はてめえが苦しむ番だぜ、波動!
中原の視界映像は、動画としてまともに理解するのが困難なほどに飛び飛びで、それはつまり、中原の移動速度の凄まじさを示している。
その中原でも、攻撃の瞬間だけは一時的に動きが停止する。俺は、その瞬間を捉えて状況をはっきりと確認することができた。
とんでもない速度で放たれる中原の暴力的な殴打が、波動の頭部を直撃する。
メキっ、と音をたて、一〇メートル近くも吹っ飛びゴロゴロと転がって壁に衝突する。奴がぶつかった壁のあたりで粉塵が軽く舞った。
波動は床に手を突き、震えながら上体を起こす。
中原は、ひざまづきながら自分を睨む波動を、上から見下ろして言った。
「無駄だ」
これで終わり。そう思った。
が、その一言に怒りを感じたのか。
波動は、ひょうひょうとした今までの表情からは想像もできないほどに怒気を露わにし、仁王のような形相をその顔に浮かび上がらせた。
「調子に……乗るなよ」
奴が手をついていた床が突如として爆ぜる。バアン、と耳をつんざく爆発音が辺り一帯に反響する。
店舗内は粉塵で充満し、中原の視界はほとんどゼロになった。
同じく、防犯カメラを利用した俺の視界も閉ざされる。辺りは、粉塵煙幕で覆われた。
店舗内の映像が見れなくなったことにより、俺は、同じ建物の別の階の防犯カメラに意識を移す余裕ができた。
真下のフロア。そこにも、別の店舗がある。
そっち側のカメラを見ると、天井に大きな穴が空いていた。
もしかすると、ここから奴を逃してしまうかも知れない。注意しないといけないな……と、俺は思考を巡らせる。
別の視点に気を取られて────。
優位になった状況に慢心した心の隙を、恐らく突かれたのだろう。きっと中原も同じだったハズだ。
中原の視界の端で、粉塵が揺れる。
それは真正面ではない。粉塵を利用して姿をくらまされ、別の方向へ動かれたのだ。気づいた時には、煙を巻いて現れた波動が中原の前腕を両手で掴んでいた。
ぱあん
耳に響く、乾いた音。
何が起こったのか?
いや、わかっていた。中原の視界で俺は見えていたのだから。
理解が追いつかなかっただけだ。俺は必死で思考の回復に努める。
中原の前腕が爆ぜた。苦痛に叫ぶ中原の声が廃墟と化した店舗内に響き渡る。
なおも近付き、中原に触ろうとする波動──
「避けろ! 触らせるな、中原!」
破壊されたのと逆の手をブンブン振り回しながら、必死に波動を遠ざける中原。
波動はまだ力を隠していたのだ。奴を倒すことより、外に脱出することを優先しなければならないと俺は考えた。
「おい、中原! 聞こえるか?」
「はい。聞こえますよ」
意外と冷静な中原の声。
「……お前、野獣のくせによく人間の理性保ってんのな」
「うるさいです。こんなにカッコよくなった俺を嫉妬するのはわかりますが、今は戦いに集中してください」
「…………」
俺は波動のことを一瞬忘れて、なんとかこいつにツッコんでやる言葉を探していたが、そんな場合ではないことを思い出す。
「腕は大丈夫か。痛くねえのかよ?」
「めちゃくちゃ痛ぇです。でも……たぶんですが、感覚的にはきっと再生可能だと思います。ちょっとだけ時間をもらえれば」
「いよいよ人間じゃねえな」
「……こんな姿になって、ミミさんに、嫌われませんかね」
中原の視線が、気絶して横になるミーへと向けられる。ミーは、中原が獣人化したのを見る前に気絶していたのだ。
心配そうに言う中原に、俺は、ちょっとだけ胸が詰まる。
「……大丈夫さ。最高にかっこいいよ、お前」
本心からそう思った俺は、こう返してやった。
「さあ……中原よ。そろそろミーを搬送しないといけない。脱出すんぞ。すぐにミーを回収しろ。外にはSATも控えてる。ああ、そういや! お前、外に出たらその獣人化、解除できんのかよ? そんな姿をSATに見られたら、即、射殺間違いなしだぜ」
「それもたぶんですけど、いけると思います」
波動はまた煙幕に姿をくらましている。どこからともなく突然現れ、そしてまた中原を触るつもりなんだろう。
ん? 触る?
そうか。奴の力は──
「そこまでだ」
どこからか、波動の声がした。
声のする方向を理解した瞬間、俺の背筋にビリッと電気が走る。
中原の視界が波動を映し出したとき、波動はしゃがみ込み、仰向けで倒れるミーに触れていた。
「抵抗すれば、この女を殺す」
形勢は、予想もしていなかったタイミングで逆転した。
くそっ……。
自分の無能さが悔やまれる。
さっきまで、俺たちが優位に立っていた。
ざまみろ、と、敵を嘲る余裕まであったのに。
調子に乗ったんだ。その代償は高くつく……
俺たちは、戦いながらミーから離れてしまった。優先すべきものを、間違えた。
油断したら殺される。圧倒的な力を持とうが、考え足らずの一手を打つだけで全てがひっくり返るんだ。
また俺のせいだ。何度失敗すればわかる?
せっかく中原がすげえ力を得たってのに。冷静に状況を見れたはずの俺が、浮かれて用心しなかった。力があったって、有効に使うことすらできないんだ。
それは俺が馬鹿だから。無能だから。クズだから!
結局どうやったって、俺は何も手に入れられず、何も護れず……。
絶望する俺を……いや、中原を。
奴は、さっきの仕返しと言わんばかりに、見下すように蔑んで言う。裂けんばかりに横へと伸びた口角が、細くなった目が、奴の喜びを表していた。
「馬鹿は辛いよねぇ。だけど、俺たちならオマエのチカラをうまく使ってやれる。もう一度だけ言うよ。俺たちの、仲間になれ」
そらすことなく、じっと波動を見つめる中原の視線。
「仲間になったら、その女を助けてくれるのかよ?」
「俺を見たこの女は生かしておけないね」
中原は、ふうっ、と大きく息を吐いた。
「んなら、仲間になんてなるわけないだろ。馬鹿はお前だ、ばぁか」
「……助かったわ、断ってくれて。組織の命令だから言ったけど、こんなゴミに『仲間になる』って言われたらマジ困ったし」
波動は、優しくミーの首筋を撫でる。
「オオカミ。お前はたいそう動きが速いけどね。お前が動けば、ここへ到達するよりも先にこの女の頭部は破裂するよ。もう諦めろって」
「…………やめろ」
中原が、その姿に似合わない弱々しい声を絞り出す。
「はあ? なんだって?」
ケタケタと笑う声。
「さっき言ったよなあ、『無駄』だって。それはオマエのほうだよクソオオカミ。最初から、お前如きがこの俺に勝てることなんてないんだよ」
波動は立ち上がり、ミーの腹を勢いよく踏みつける。
「調子に乗るなぁあああああっっ!」
波動は、何度も、何度も踏みつけた。
中原の視界は微動だにしない。しかし俺は、まるで心がリンクするかのように、こいつの気持ちがわかっていた。
震える手で、拳を強く握りしめる。
奴に向けた紅に光っているはずの視線は、ありったけの殺意を宿していただろう。
が……
よく見れば、その俺よりも冷静さを失っているかのように見える波動。俺は、ふと考える。
奴は今、立ち上がってる。手は、ミーの身体から離れてる。きっと奴は、触れてなけりゃ能力を発動できないんだ。
だが、まず読めないのは中原の瞬発力だ。波動のところまで、およそ七、八メートル程度。奴がしゃがみ込んでミーに触れる前に、果たして拳が届くか?
俺はゼウスを通じて中原に問う。
「どうだ? 中原」
「……わからないです」
そうだ。わからない。確かめてもない。中原はついさっきこの能力に目覚めたばかり。いけるかもしれないが、ダメかもしれない。ミーの命を懸けるほどの自信が持てないんだ。
それに、仮に中原の瞬発力が奴に届き得るものだとして、そもそも触れてなけりゃ能力が発動できないってのも、推測に過ぎない。
確かに、これまでの戦闘を見るかぎり十中八九そうだろう。
だが、足で踏みつけている状態では発動できないと言い切れるか? 肌と肌が触れ合っていないから、靴が間に存在するから無効だと、言い切れるか? それを判断できる材料はあったか? ミーの命を懸けられるほどの、根拠があったか?
波動は、散々ミーのことを踏みつけた後、ミーのほっぺたを無造作にペチペチと叩く。
「かわいそうに。可愛い子なのにねぇ。クソオオカミが俺を侮辱したばっかりに」
ミーがかすかに目を開ける。どうやら意識を取り戻したようだ。
「……殺せや」
「あ?」
「舐めんな。ひ、人質が、おらんかったら、なんもでけへん、雑魚が。お前なんぞに、た、たっちゃんが、やられるかぁ。あたしが、おらんかったら、たっちゃんが、やられるかぁ」
弱々しくも不敵に笑みを浮かべ、喘ぎ喘ぎ言うミー。
俺は、ゼウスにログインしているミーの視覚で波動を見る。
温度を下げていく波動の表情。その瞳は、凍てつく冷気を纏わせた。
「なかなかいい女だね」
なんでなんだ。なぜ俺は、何もできない?
何が神の力だ。電気をつけたり消したりするぐらいしか能がない。
カスみたいな能力だ。
ノア。ルナ!
教えてくれよ。何なんだよ、神の力って。
絶望しながら問う俺の頭の中で、ノアとルナの言葉がこだまする。
「「全ては、『思うこと』によって動き出す」」
あーだーこーだと考える前に。
強く、ただ強く。自分の願いだけを……
俺は、自然と唱えていた。
神の名において、命ずる───
波動が、その手を再びミーの頬に触れようとしながらおぞましく微笑む。虫を踏み潰す前の、好奇心に満ちた顔。
そして一言だけ──
「ほな、さいなら」
止まれえええええええっ!
たまらずに目をつむる。
が……何も音がしない。
さっき、中原の手を破裂させた時は「ぱあん」て鳴ったのに。
どうなって……?
「がっ……」
波動が短い呻き声を出す。目を開けた俺の前には、今までとは全く異なる光景が広がっていた。
世界が、変だ。
これは……何が見えている?
暗くなった視界に瞬く満天の星の如き光の群れが、芸術的なラインを描いて俺の前で流れ続ける。答えは、ニヤッとした顔で俺を見るいつもの二人──ノアとルナが、もたらした。
見えていたのは電気。
建物を流れる、そして、人体の各部位へと指示を伝えるため体内を流れる電気信号の全て。
ノアとルナが俺に告げた、神たる俺の力────
「お前の『思い』は受け取ったよ、ネム」
「昇格した。『接続されていない電気回路』さえも操る能力へ」
「「能力名、『電気回路の支配者/エレクトロ・マスター』。これが、神の力、だ」」
波動は、見えざる神の手により拘束された。手足のみならず、その心臓をオートで動かす電気信号さえも。
「かはっ……」
呼吸も、鼓動もを封じられた波動は、やがてそのまま力なく床に崩れた。
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