北畠顕家 外伝
我は無力である。
あの人が今の我を見たならば、どう思うであろうか。
足利尊氏、高師直、新田義貞、楠木正成、そして後醍醐天皇。
南北朝の争乱は、多くの巨星を生み出した。
否、これら巨星がこの世に現れたから、南北朝の争乱が起きたのだ。
そしてこれら巨星の次世代の若者たち。
彼らがこの時代に立ち向かい、その命を散らしたことはあまり知られていない。
だが彼らの青春は確かにそこにあった。
彼ら「龍の子たち」は、時代のうねりに翻弄されながらも、まばゆいばかりの輝きを放ち、我をはじめ多くの人々の心を打ったのだ。
〈第一章> 勃発 元弘の変
一三三一年の夏の終わり、京は大変な混乱の渦中にあった。
朝廷への介入を強める鎌倉幕府に対し、不信を強めていた時の天皇・後醍醐帝が、大和国・笠置山に拠って倒幕の兵を挙げたのである。同時に帝の第三皇子である大塔宮(後に護良親王)も比叡山延暦寺にて、また河内の土豪、楠木正成も河内国・赤坂城で挙兵した。
これに対し、かねてより不穏な動きを察していた幕府方の対応は早く、京に設置された鎌倉幕府の軍事的な出先機関である六波羅探題から、各所に兵が派遣されて鎮圧にあたるとともに、鎌倉からも大軍を派兵する準備が進められていた。
顕家は庭に出て、ざわつく気持ちを抑えるように一心に剣を振っていた。夜になっても、邸の外では時折、兵の声や甲冑の衣擦れする音が聞こえてくる。
北畠顕家。前の大納言、北畠親房の嫡男にして、幼い頃から文武の誉れ高く、公家の間では「不世出の麒麟児」と謳われている。古今例を見ない異例の早さで出世し、十四歳にして既に参議・左中将に任じられていた。
父子ともに、後醍醐帝の信任厚く、親房は帝の第二皇子である世良親王の乳父となっていた。大塔宮がよくふらりと訪ねてくるため、世良と大塔宮、顕家は昵懇とも言える間柄で、昨年、世良が流行病で早世した後も、大塔宮は顕家を年の離れた弟のようにかわいがってきた。大塔宮は顕家の十歳年長である。
顕家が敬愛する後醍醐帝と大塔宮、その二人が挙兵した。
情勢は聞こえてくる限り、芳しくない。顕家は左中将と言っても無力で、二人の無事を祈りつつ庭で剣を振るしかない自分に苛立ちを覚えていた。
ふと、正門の方から人の声が聞こえてきた。六波羅探題からの使者であろうか。しかし、それならば夕刻にも来たばかりである。在宅の確認と、邸から出ないようにとの申し入れのみで、監視の兵を置いていくことはしなかった。六波羅も余裕が無いのである。
近習の一人である菊丸が、こちらに向かって来るのと同時に、その背後からヌッと大きな人影が見えた。
「顕家殿!」
声の主に驚いた。大塔宮である。間違いない。延暦寺にいるはずの大塔宮である。
「何と。延暦寺ではないのですか」
「延暦寺はもう落ちた。これから赤坂城に向かう。良い機会じゃ。貴殿もお連れしようと思うてな」
一も二もなかった。事態を察した顕家はすぐさま集まってきた近習に指示を出した。
「菊丸、馬を引け」
「椿丸はこの事、すぐに早馬を出して父上に伝えよ。父上なら留守中もうまくやってくれるはずじゃ」
「私もお供します」
同道を申し出たのは蘭丸である。
「ならぬ。少人数で無ければ、河内に抜けられぬ」
大塔宮とともに門の外に出ると、騎馬に乗った従者が三騎、待機していた。
大塔宮「すまんが、挨拶は走りながら頼む。もう一件寄るのでな。時間が無い」
修験者の身なりをした者が走り寄ってきた。
「三条で騒ぎを起こします。二条から西大路を抜けてくだされ」
大塔宮が頷くと、五騎が走り出す。
「則祐殿。お久しゅうござる」
顕家が声をかけたのは赤松則祐。播磨の土豪、赤松円心の三男で、大塔宮の古くからの側近である。顕家は何度か会ったことがある。
則祐「馬は鍛えられておるか」
顕家「はい」
則祐「六波羅の兵といつ出くわすやもしれぬ。その時はわしが引きつける故、大塔宮と走り抜けられよ」
顕家より七歳年長で、大変な武辺者である。愛想は悪い方では無いはずだが、さすがに今は緊張が伝わってくる。大塔宮も則祐も直垂に着替えてはいるが、相当な戦火をくぐり抜けてきたばかりなのであろう。
「顕家殿。お久しゅうござる」
背後から声をかけてきたのは結城広光。有力御家人、結城親光の長子である。
「こちらは・・・」
広光が言いかけたところで女の声が重なった。
「霞です」
広光の妹である。
「霞殿、会うたび大きくなられる。騎乗も見事じゃ。広光殿、先月の御前試合。聞きましたぞ」
結城広光は手練れ五名と立ち合って無敗であったという。
霞「霞の方が兄様より上です」
そうかもしれぬ、と顕家は思った。小さい頃から、霞の剣には天賦の才があった。言われた広光は苦笑して鼻をかいている。広光は顕家の一歳下、霞は二歳下である。
「あそこじゃ」
大塔宮の指さす先、大名屋敷の裏手に騎馬が一騎待っている。少し馬足を緩めつつ、大塔宮が騎馬武者に声をかけた。
「家長殿。このまま走るぞ」
「何と。本当に宮様か」
斯波家長。名門斯波家の嫡男で、顕家とは同い年である。あのいつも沈着冷静な家長が驚いている。顕家は少し可笑しかった。
今度は町人の身なりをした者が走り寄ってくる。早い。馬と同じ早さで並走しながら何やら伝えている。大塔宮は頷くと馬足を速めた。
顕家「家長殿。お久しゅうござる」
家長「おお、中将殿。笠置山には行かずともよろしいのか」
厳しい指摘である。同じことを父・親房に進言したものの、言下に否定された。中将とは言え十四歳の顕家にとって、前大納言である親房は絶対的存在である。言葉に詰まる顕家を見て家長が気付いた。
「これはつまらぬことを申した。ご容赦くだされ」
悪い男では無い。真っ直ぐなのだ。それがそのまま言動に出るこの男を顕家は嫌いではなかった。
ところで、斯波家も結城家も当然、幕府方である。この状況下、家長や広光が大塔宮と一緒にいるところを見られたら、ただでは済まぬだろう。誘う方も誘う方なら、付いてくる方も付いてくる方だと、顕家は思った。
大塔宮は、これと見込んだ若者を取り立て、何かと面倒を見てきた。顕家も、家長も、広光も。年は少し上になるが赤松則祐もそうであろう。宮の目指す国の形に必要な人材なのだと言う。破天荒だが、人を引きつけてやまない魅力が大塔宮にはあった。
やがて一行は、京のある山城国を抜けて河内国に入った。景色も変わり、民家はまばらとなり、田畑と原野ばかりである。兵と出くわすおそれのある街道を外れ、細い農道へ、それからは馬の背丈もあるようなすすき野へと分け入って進んでいく。やがて山の麓の大きな洞窟の前に着いた。穴の前には雑兵姿が数名、僅かに火が焚かれている。
「皆の者。こちらは今熊野と申す」
大塔宮の声に応ずるように一人が頭を下げた。子供である。霞よりも年若に見える。だが大塔宮が引き立てると言うことは何かあるのだろう。今熊野が松明を順に手渡す。皆に手渡し終えると、自身も松明を片手に馬にひょいと乗った。
穴は騎馬一騎がぎりぎり通れる高さと幅である。赤松則祐を先頭に、次に大塔宮、顕家、家長、広光、霞、最後に今熊野、順に穴へ入っていく。
不思議な洞窟で、広くなったり狭くなったりせず、一定の幅が続いている。恐ろしく長いが、人が掘ったもののように思えた。速歩(はやあし:人の速歩き)で三里も進んだであろうか。出口が見えてきた。
穴を抜けると、そこは山の中腹であった。甲冑姿の兵がせわしなく動き回っている。顕家は馬を降り、少し前に進んで斜面に望むと、驚くべき光景が眼下に広がっていた。おびただしい数の篝火である。大兵に包囲されている。
篝火は地平の彼方まで広がっているように見えた。顕家はしばし呆然としたが、すぐに恐怖が襲ってくる。ただちに来た道を戻り逃げるべきである。そうでなければ死ぬ。
「これは宮様」
背はそれほど大きくないが、がっしりとした体躯に、髭をしたたか蓄えた壮年の男が近づいてきた。
「おう。正成殿」
「宮様と赤松様に甲冑をお持ちせよ」
正成の指示に近習が頷くと走り去った。
「こちらが龍の子達ですな」
「さよう。この機会に戦場を見せておこうと思うてな」
正成が穏やかな視線をこちらに向けてくる。動揺する心もすべて見透かされているようだ。
「正行、方々に城内を案内せよ」
「はっ」
顕家と同い年くらいの武者が歩み出る。
「こちらへ」
正行が、顕家、家長、広光、霞、今熊野を誘った。
「新品とは参りませぬが、ご容赦くだされ」
「構わぬ」
正成の近習が手際よく大塔宮に甲冑を付けていく。
「笠置山に行かなくとも良いのですか」
「笠置山には、兄者(第一皇子、尊良親王)も尊澄(第四皇子、宗良親王)もおる。わしはいない方が良い」
「六波羅にしたら、帝も皇子達も一緒に居てくれた方が有り難いでしょうな。一網打尽に出来る」
「そういうことだ」
「叡山はいかがでしたか」
「初戦は勝った。しかし帝が叡山ではなく大和に向かったと聞いて、戦意を失いよった。元より叡山は幕府に大きな不満が有るわけでも無い。帝を守ると言うことで無ければ戦う意味も無いと言うことじゃ。ここはどうじゃ。どれだけ支えられる」
「間道をお造りいただいたおかげで、兵糧と矢は充分でござる。しかしながら、なにぶん急ごしらえですからな。総攻めが続けば、もって三ヶ月というところでしょう」
「笠置は一ヶ月ももつまい。柳生の剣客衆が帝を護って獅子奮迅の働きをしているようだが、如何せん多勢に無勢じゃ。笠置が落ちたらここもすぐに落とせ、正成。今は力を使い切ってはならぬ」
「ここを落とした後、宮様はどうされるおつもりで」
「吉野の山の民に会ってみようと思う」
「土蜘蛛ですな」
「そう呼ばれておるのか」
「山の民の中でも、武に長けた者をそう呼ぶようです。その技を糧に銭を得るものが現れ、伊賀忍、甲賀忍などと呼ばれるようになった、と神楽が申しておりました」
「そう言えば、神楽は今、どこにおるのだ」
「裏の山を守っております。裏から回り込まれるとやっかいですからな」
「神楽の一党には世話になった。ここまで六波羅の兵に出くわさずに来れたのは奴らのお陰じゃ。神楽も元は土蜘蛛であったのか」
「さて。おそらく違いましょうな。小さい頃は国中を旅して回ったと聞いております。田楽あたりが源流かもしれません」
その時、大きな銅鑼の音と歓声が眼下より聞こえてきた。
「総攻めのようです。こちらを眠らせないよう、夜昼無く仕掛けてきよります」
「どうする正成」
「少しゆっくりと眠りたいので、一度打って出て、思い切り叩いておこうかと思います。しばらく攻める気が起きないくらいに。宮様もお力を貸していただけると有り難い」
「無論じゃ。わしは正面の砦に向かう。則祐は正成に従い暴れてまいれ」
顕家は正行の案内で城の最上部にいた。城と言っても砦に近い。城壁は全て丸太を組んで作られており、顕家のいる場所も、山頂の木を伐採し、物見櫓を一つ建てたばかりである。しかしここから初めて城の構えを一望した時、顕家は感嘆した。簡易ではあるが見事に計算されて造られている。
正面に向かって城は「乙」のような構えとなっている。門は乙の字の一番奥にあり、敵が門に押し寄せれば、左翼の裏側と右翼の正面から弓矢や投石で挟撃されることは必須である。
敵の正面になる左翼は最も高く丸太で壁が造られ、さらに壁前の急な斜面は畝状に大きな空堀が掘られている。これだと寄せ手は横に移動できず、またお互い確認も出来ない。堀に沿って大石や大木を転がせば、逃げ場の無い敵兵は大きな打撃を受けるだろう。
「家長殿なら、どう攻められるか」
腕を組んで微動だにせず眼下を見下ろしている家長に顕家が問うた。
「燃やしまする」
「どこを」
「この城の肝は右翼でござろう。左翼よりも低い。火矢を射掛けまする」
「丸太には火除けの土がしっかり塗ってあると思うが」
「壁の下にも木材を置いて火をくべます。何日も続ければいずれ燃えまする。裏山から攻めるのも手ですが、山全体を見てみないと何とも言えませぬ。顕家殿ならどう守りまするか」
「援軍は期待できず、冬を待てば何とかなるわけでも無い。勝つには打って出て眼下の敵を叩くしか無い。まず無理でしょうね」
「逃げますか」
「ただ逃げるのでは無く、敵兵の骸を城と一緒に燃やし、自害したと見せかけて逃げまする」
「父も顕家様と同じことを申しておりました」
後方に立っていた正行が言葉を挟んだ。
「ただしその前に、板東武者どもの頭に楠木の名を刻み込んでやる、とも申しておりましたが」
その時、眼下で銅鑼の音と歓声が上がった。
寄せ手はまず、左翼正面から攻めてきた。斜面の大きな起伏のため四列に分かれ、これまでの戦いで置き去りにされた骸が転がる谷の部分を、楯を矢よけにしつつ上ってくる。
顕家の場所から、左翼正面の砦の上に、大塔宮が出てきたのが見えた。もう敵は矢が届く距離まで迫ってきている。宮に万一のことがあってはならぬ。顕家は宮を後方に下げるよう、正行に言おうとしたが、いない。正行はすでに前線に向かっていた。
その時、大塔宮が両手を広げて肩の高さまで上げた。すると土煙が舞い上がり、敵兵を包んだ。その刹那、大きな爆発音とともに正面の敵兵全てが火炎に包まれた。遠く離れた顕家の目が眩むほどの火炎である。敵兵は大混乱に陥った。全員の甲冑が燃えている。吹き飛んですでに動かぬ者、火をまといながら逃げ惑う者。
「何じゃ、あれは!」
隣で見ていた霞が思わず声を出した。
五十年前の元寇の折、蒙古軍が爆発する玉を使ったと聞いたが、それを宮様が手に入れたのだろうか。
間髪を入れず、城門から騎馬が飛び出しいく。三十騎ほど。先頭は正成と見えた。敵の前衛は大混乱しているが、後詰めはまだ算を乱してはいない。その後詰めに騎馬隊が向かっていく。
正成が剣を中天に上げると、剣が青白くゆらゆらと煌めき出す。その剣先を敵に向けて振り下ろすと、凄まじい轟音とともに稲妻が光った。雷である。天からでは無く、正成の剣から敵に向かって雷が落ちている。そうとしか見えなかった。
〈第二章> 後醍醐天皇
暑かった夏も終わり、京では秋の気配が漂いつつあった。
顕家はちょうど一年前のあの赤坂城での記憶が昨日のことのように思い出される。
あれから一ヶ月後に笠置山は落ち、後醍醐帝は捕らえられた。赤坂城の楠木正成は、鎌倉からの援軍によって更に膨れ上がった大軍を相手に渡り合い、散々苦しめた挙げ句、城に火を放った。自害したとされるが顕家は信じていない。大塔宮も消息不明であった。
顕家は昨冬に参議左中将を辞していた。
幕府は後醍醐帝を廃して光厳天皇を擁立した。光厳帝は勉学にひたむきで慎み深く温厚な人物である。顕家の参議左中将の任を解く折りも、わざわざ引見した上で、従三位という十四歳にしては破格の厚遇を与えた。光厳帝にしてみれば、幕府から罪人とされた後醍醐朝の公卿を一新するのは、政を進める上でやむを得ぬことであったのだ。
顕家も光厳帝に悪い印象は持っていない。まことに帝らしい帝である。しかしこの日本は、外国の脅威に負けない、強く豊かな国に生まれ変わる必要がある。それが実現できるのは、後醍醐帝であり、大塔宮であるとの気持ちは強まるばかりであった。
近習の一人、桜丸が来客を告げに来た。その名を聞いて顕家は門へ急いだ。門では菊丸が二人を案内しているところであった。
「則祐殿!正行殿!」
家主が門まで出てきたことに二人は少し驚いた様子であった。それを見た顕家は自分の行動が可笑しくなった。二人に会えたことが嬉しくてしょうが無いのだ。
「宮様は御無事でしょうか」
客間に二人を通すと、早速、顕家が尋ねた。
「ようやく安全を確保できた。だからこうして訪ねてこれ申した」
則祐が答えた。
顕家「正成様も」
正行が頷く。
正行「すこぶる健勝でござる」
顕家は心の靄が晴れていくような気持ちであった。あの二人が健在であれば、何度でもやり直せる。赤坂城で見たあの光景が浮かび上がった。大塔宮はまさに山の神であり、正成は雷神であった。
「今日は宮様のお言葉を伝えに参りました」
顕家が頷く。則祐が続ける。
「顕家殿に、赤松円心と名和長高に会って来てほしいと」
赤松円心とは則祐の父である。
「赤松様はともかく、名和長高とは聞いたことが無い名ですね」
「伯耆国の土豪です」
正行が言葉を挟んだ。
「伯耆国と言えば隠岐に近うござるな」
言いながら顕家は合点した。捕らえられた後醍醐帝は隠岐に配流となっていた。
正行「交易で富を築いた一族で、水軍も精強とのことです」
顕家「わかり申した。参ります」
則祐「我々二人も共に参ります故」
出立は明後日と決まり。それまで二人は北畠邸に逗留することとなった。
その夜、三人が夕餉を取るために座っていると、来客が告げられた。
「お久しゅうござる」
結城広光と霞である。顕家が呼んだのである。
時間を置かずに更にもう一人。
「お邪魔いたす」
斯波家長が入ってきた。
顕家は車座になっていた三人の間に、一つずつ席を加えて、六人で車座を作らせた。
「これは珍しい座り方ですな。だがとても良い」
家長が言った。
武家の家格で言えば、家長の斯波家が最上位である。しかし顕家はそれで差を付けず、家長もそれをよしとした。龍の子達が立場を越え、友となした瞬間であった。
「霞も同行いたします。三人を警護いたします」
三人が播磨国、伯耆国へ行くことを聞いた霞が言った。
正行「いや。道中、危険も多い故」
霞「正行殿。霞は警護すると申したのです」
広光「これ。無礼だぞ」
霞「正行殿。立ち会いをお願い申す。そうすれば我の申し出も合点がいくはず」
広光「いい加減にせよ」
広光が穏やかに諭した。広光は大らかなで、大抵のことは気にしない性分だが、霞を諫めることだけは幼い頃からの習慣であった。
「面白いではないか。どうかな正行殿」
則祐が焚きつける。この手の荒っぽい話が大好きなのである。則祐に言われて正行も断り難くなった。
「良いでしょう」
客間の障子が開け放たれ、中庭が見えるようになった。正行と霞に、椿丸と桜丸が木刀を手渡す。二人が庭に降りると、皆、縁側に場所を移した。則祐も降りていく。則祐は立会人である。
広光「正行殿。兄馬鹿かもしれぬが霞は本当に腕が立つ。油断無きよう」
正行「勿論でござる。立ち会う以上、手加減する気はござらぬ」
二人が相対して立った。木刀を左手に持ち、互いに一礼する。
「構えて」
二人の間に立った則祐が言った。
霞は正眼、やや右に引いた構え。正行は木刀を右片手で持ち、霞に対応するよう、姿勢を低く取った。剣先は右下から霞の鼻先に向けられている。
「始めっ」
正行が少し間合いを詰めた。霞は全く動かない。正行が更に間合いを詰めようとした刹那、霞が深く沈み込みながら正行の右脇をすり抜けた。速い。正行の右腕が弾かれたように上がった。霞が振り向きざまに放った胴と、正行が弾かれた右手をそのまま振り下ろした面が同時に入った。どちらも寸止めでピタリと止まっている。
「それまでっ」
両者が元の立ち位置に戻り一礼した。
正行「驚きました。真剣ならば最初の一手で我の右腕は落ちていた」
霞「いえ。正行殿も体を捻っておられた。骨を断つまでは至っておりません」
「両者、見事でござった」
則祐が続ける。
「続いて我もという方はおりませんかな」
「広光殿。是非お願いしたい」
家長である。先般、広光が五人抜きを行い、評判となった御前試合に、家長は京を離れていたため出ることができなかった。自分も出ていればという思いがある。また、正行と霞の見事な立ち会いを目にして心が震えてもいた。
「いやいや、私など」
面倒なことになったと言う顔で広光が答える。
広光「則祐殿くらいの強者で無いと、家長殿とは釣り合いませぬよ」
家長「是非」
ここまで食い下がられては広光も断りにくい。
広光「承知致しました」
しぶしぶ引き受けた。
「では、その後に顕家殿。拙者とお願いしたい」
則祐が顕家を見た。顕家が頷く。
家長、広光が庭に降りた。立会人は引き続き則祐である。
「構えて」
二人とも正眼に構えた。
「始めっ」
二人とも動かない。篝火のパチパチという音だけが庭に響いている。家長が剣を少し右に引いた。「誘っている」顕家は思った。その刹那、広光が突きを放った。家長がその剣を払いながら前に出る。両者が背中合わせになりながら回転し、振り向きざま双方の剣がお互いの首を薙いだ。
顕家には広光の剣が一瞬速かったように見えた。
則祐「見事じゃ。試合は広光殿の勝ち。しかし戦場なら家長殿の勝ちじゃな」
言われて顕家は気付いた。家長は本来錣(しころ:兜につけて垂らし、後頭部から首にかけての部位を守る装備)で守られている箇所を外して打ち込んだのだ。その分、少しだけ遅れた。愚直な家長らしい。
「では顕家殿。お願いする」
家長から木刀を受け取りながら則祐が言った。
「受け太刀してはならぬな」
庭に降りながら顕家は考えた。自分と則祐では体躯が違う。受けたら弾かれて後手に回る。
庭に降りると、四方に菊丸、蘭丸、椿丸、桜丸が控えているのに気付いた。いつもここで彼らと剣を鍛えている。無様な姿は見せられない。
「構えて」
立会人は家長である。
顕家は正眼に構え、やや距離を取った。則祐は右片手に木刀を持って、ゆるりと立っている。隙だらけのようで、全く隙が無いとも言える。
「始めっ」
かけ声と同時に則祐が前に出て大きく胴を薙ぐ。ビリッと空気を裂く音が響く。
顕家が少し下がって躱すと、則祐は剣先を返して更に踏み込んで胴を薙ぐ。
顕家は二歩下がって、踏み込む隙を探すが、則祐の剣先が顕家に向けてピタリと止まり、その隙を与えない。
今度は突いてきた。顕家はこれも下がって躱す。則祐が更に突こうと剣を引いたその瞬間、顕家が踏み込んだ。
則祐が打つ突きを躱し、左胴を薙ぎに出た瞬間、大きな衝撃があった。則祐の左肘が顕家の胸を打ったのだ。それでも顕家は止まらない。肘打ちを受けながらも体を回転させ、則祐の左脇をすり抜け、振り返りざま胴を打った。則祐の剣が顕家の首を薙ぐより一瞬、早かった。
則祐「おおっ、お見事」
顕家「何をおっしゃられる。今の我の胴打ちでは甲冑も斬れませぬ。戦場ならば、私の首は飛んでいました」
「ほおっ」
言いながら則祐が感心した顔を浮かべた。
顕家「最後はせめて顔に突きを打つべきでした。でも焦ってできませんでした」
則祐「そこまで分かっているならば何も言うことは無い。今度の旅では、盗賊や野伏せり、場合によっては幕府の憲兵をも斬り伏せねばならぬ場面が有り得る。実戦では力任せに刀を振り回す輩も多いが、貴殿のように剣術の基礎をしっかり学んでいる者にとっては逆に厄介な相手ゆえ、注意されよ」
ここまで聞いて顕家は、則祐が顕家に試合を申し入れた意味がはじめて分かった。
翌日も宴は続いた。家長と広光、霞は昨日の深夜に一度自邸へ戻り、夕刻になってまた集まっていた。宴が終わるのが惜しく、誰からとも無く、出立までもう一日あるのなら、明日も集まろうということになったのである。
政の在り方、剣の話から、色恋の話まで、話題は尽きない。「出逢った中で一番美しかったのは誰か」と言う話題で、家長が「霞殿もなかなかと思うが」と言いながら顔を赤らめたのを顕家は見逃さなかった。
則祐「おう。わしもそう思うておった。三白眼で気の強さが顔に出てはおるが、なかなかに美人じゃ」
「顕家殿となら美男美女でお似合いでは」
正行が家長と顕家をチラチラと見ながら言った。正行も家長の変化に気付いて、焚き付けているのだ。
霞「霞は嫁には参りません」
則祐「何故じゃ」
霞「霞はもっと剣を極めて、兄様を守ります」
正行「広光殿は強い。霞殿が守る必要はありますまい」
霞の表情が曇った。
「皆、霞のことを子供扱いする。霞は悲しゅうござる」
そう言って、部屋を出て行った。霞の播磨国、伯耆国への同行の話は、父・親光の不在時に勝手なことは出来ぬと広光が許可しなかった。当然と言えば当然のことであるが、それもあって不満が募ったのであろう。
正行「家長殿、お願いする。こういう時は意外な人物がなだめた方が効く」
家長「私でござるか」
広光「ご足労かけて申し訳ないが、私からもお願いする」
正行の意図を察したかは定かで無いが、広光も言葉を繋いだ。
家長「わ、分かった。そういうことであれば」
家長が霞の後を追って、部屋を出て行く。しばらくしても戻ってこないところを見ると、門を出るまでには間に合い、話をしているのであろう。
「さてと」
正行が席を立って、家長の席に移った。これで家長と霞が帰ってくれば二人並んで座る格好となる。正行は楽しそうである。
二人は帰ってくると、正行の企み通り空いている席に並んで座った。
霞「お恥ずかしいところをお見せしました」
正行「私こそ申し訳ありませんでした、霞殿」
家長が場を持たせようと思ったのか、話を繋ぐ。
「そう言えば、顕家殿の舞を一度、お見せいただくことは叶いませぬか」
昨年の春、後醍醐帝の西園寺邸行幸の折り、居並ぶ公家衆の前で、顕家が「陵王」を舞い、喝采を浴びたのは有名な話であった。帝も殊のほか興に入り、自ら笛を吹いたという。
顕家「このままの格好で宜しければ」
家長「有り難い。笛は拙き腕前ながらそれがしが務めまする」
菊丸から受け取った笛を家長に渡すと、顕家が中庭に降り立つ。正面を向いて構えを取ると、家長が笛を吹き始めた。家長の笛は確かに公家の名人達に比べ、音色は劣る。しかし何故か踊りやすい。踊りながら、音が顕家の背中をグッと押したり、フッと引いたりする感覚がある。
踊り終えると、皆からほーっとため息が漏れた。
則祐「いや、素晴らしい。正直、公家の道楽と思うていたが、違いまするな。顕家殿の剣のように鋭い」
正行「家長殿の笛も良かった。演者と呼吸を合わせたり、敢えてずらしたり。家長殿の立ち合いのような笛でござった」
広光「顕家殿と家長殿がともに舞い、ともに戦っておられたように感じましたぞ」
霞「霞には死合っているようにも感じられました」
顕家が舞い、家長が笛を奏でる。
六年後、この二人は敵味方に分かれ、万余の軍勢の総大将として雌雄を決することになる。
そのような未来が待っていることを、この時はまだ誰も想像していなかった。
翌朝、出立に向けて、顕家達が正門前で準備をしていると、若い夫婦らしき町人が近付いて来る。
正行「この先、密かに警護に当たる神楽の手の者でござる。こちらが」
「日向でござる」
男の方が答えた。
「出雲でござる」
女の方が答えた。驚いた。声が男である。
正行「出雲は、男にも女にもなります」
どういうことかと思ったが、問うのはやめた。則祐、正行、顕家、それに菊丸と蘭丸が同行する。まずは播磨国の赤松円心のもとへ向かう。
一行は摂津国を抜けて播磨に入った。播磨国は六波羅探題の直轄地であり、巡回の兵もいるため注意が必要である。しかも赤松円心のいる佐用荘は、播磨国の一番奥、備前との国境にあった。
しかし、日向と出雲の的確な誘導に助けられ、一行は憲兵に出くわすこと無く、赤松円心の邸宅にたどり着いた。
立派な館である。周囲は壁と堀で囲まれ、いつでも戦に耐えられる構えとなっている。土豪、悪党の類いと聞いていたが、守護並みの財力と兵力を蓄えているように見えた。
門を通されると、則祐が勝手知ったる我が家と、ずんずん中へ入っていく。中庭の見える廊下をすすんだところ、障子の前で則祐が片膝をついた。
「則祐でござる」
「入られよ」
中からしゃがれた、しかし野太い声が聞こえた。則祐が顕家に目配せすると、障子を開けた。顕家が入ると左手に男が一人、両拳を畳に付けながら横向きに軽く頭を下げていた。右手、男の正面に茵が置いてある。顕家が茵に座る。則祐と正行は、顕家の後方に控えた。
顕家「北畠顕家でござる」
円心「赤松円心でござる。遠路、ご足労でござる」
言いながら、初めてお互いの目を合わせた。浅黒く骨張った顔。既に五十五歳を越えたと聞いたが、眼光はぞっとするほど鋭い。
円心「大変な御仁のようじゃ。則祐が家臣のように付き従っておるわ」
言って冷笑した。
則祐「父上、そのような‥」
円心「則祐から聞いておるかもしれぬが、拙者は公家が嫌いでしてな」
顕家も公家である。上座を譲らなかったのは、そうことであったかと顕家は理解した。
顕家「大塔宮様も、でござるか」
円心「宮様は幕府だけで無く、役に立たぬ公家も廃するお考えじゃ。だから早くから則祐を仕えさせた。だがそれだけじゃ。勤王の士と思い違いされては困る」
顕家「帝など道具と同じで、都合が良ければ利用するだけだと言うことですな」
円心「顕家殿!」
円心の語気が思わず強くなる。
顕家「失礼しました。しかしお怒りになると言うことは、帝を尊きものとはお考えのご様子」
円心「この国の民ならば皆そうであろうが」
顕家「皆が自然とそう思えるということが大事だと考えまする。覇道で国を支配しても、別の覇道に滅ぼされまする。それではいつまでも民は安心できません」
円心「民と申すか」
顕家「はい。後醍醐帝は自ら民に話しかけられるようなお方です。帝は民の上にはただ帝だけがあって、それ以外は全て平等にしようとのお考えです」
円心「途方も無いな」
顕家「はい。肯んじない者が多く出ましょう。しかし、強く豊かな国にするために、いつか通らねばならぬ道だと思いまする」
翌朝、則祐を除く四名は、伯耆国へ向けて出立していった。その夜、円心と則祐は久しぶりに二人で酒を飲み交わした。
円心「何故戻った、則祐。おぬしは宮様に預けたはず」
則祐「宮様の臣として、ここで戦いまする」
円心「宮様は、次はわしが立つと見たと言うことか」
則祐「令旨(りょうじ:皇太子の命令を伝える文書)も預かって参りました。ただしお渡しするのは父上が意を固めてからにせよと」
確かに、赤坂城での戦いを見て、幕府の力に陰りを感じたのは我だけではあるまい。幕府は苦戦した理由として、楠木軍が熱した糞尿を撒くなど、武士にあるまじき姑息な手を使ったからだ、と盛んに喧伝しているが、円心が放った間者からの報告は違った。
楠木の兵は恐ろしく強く、一方、幕府方で戦意が高いのは、北条仲時率いる六波羅勢と、大仏氏など北条一門のみであり、大仏貞直と並んで大将として鎌倉から派兵された足利高氏(後の尊氏)の軍などは、遠巻きに火矢を放つばかりであったという。
もう一度、宮様や楠木正成が立てば、より大きな動乱となろう。鍵となるのは御家人(ごけにん:鎌倉幕府に仕える武士)で与する者が出るかどうか。勤王で知られる陸奥の結城や九州の菊地、あるいは源氏再興を企図して、その血筋を引き継ぐ足利、斯波、新田あたりが与同すれば倒幕まで至るかもしれぬ。
「思案どころじゃな」
円心は笑いを押し殺しながら言った。
則祐「ところで顕家殿は如何でしたか。宮様は顕家殿に父上を見てこいと言っておいて、その実、父上に顕家殿を見てもらうことが目的だった気もしております」
「ほう」
円心はこの三男坊を高く買っていた。ただの武辺者に見えて、その実、人の心や世の流れがよく見えている。その秘めた力をもっと伸ばそうと大塔宮に預けたのは正解だったようだ。
円心「うむ。言うておることは想定を超えるものではない。だが」
ひと呼吸、置いて円心が続ける。
「良い目をしておるな。私欲が感じられぬ。人を惹きつける御仁じゃ。則祐を従えてしまうくらいじゃからな」
則祐は今、大塔宮の臣である。主の命で、その客人を案内しているのであるから、顕家の側に着座したのは正しい。二人ともそれは分かった上での冗談である。
則祐「父上、勘弁してくだされ」
二人は声を上げて笑った。
人の心の一番奥底に手を突っ込んでくる。それでいて悪い気がしない。もう少し逗留させて話をしたいと思った。だからこそ一日で帰した。
我の生き方を今更変える気は無いのだ。
長ずれば、あの御仁は本当にこの国を変えてしまうかもしれない。しかし、と円心は思った。果たして時がそれを待ってくれるだろうか。
播磨国から伯耆国に行くには、美作国を抜けることになる。ここは北条氏の直轄地であるものの、周囲の守護や土豪の勢力争いで治安が安定せず、特に一行が通らねばならぬ山間部は山賊や野伏せりの類いが多く、大変危険な場所であった。
日が落ちる前に山道を抜けようと、馬足を速めていたところに、日向から注進が入った。前方十町(約1㎞)先に野伏せりの集団、総数三十、騎馬七騎。
一本道で他に道は無い。突っ切るか引き返すかである。こちらは騎馬四騎、日向と出雲を合わせても総勢六人である。
正行「押し通りましょう。我が先頭に。菊丸殿と蘭丸殿は、顕家殿の両側に付いてくだされ」
顕家「ならば並んで突っ込みましょう。その方が片側に集中できる。菊丸と蘭丸は後ろに付いて後詰めせよ」
正行が頷く。隊列を組んで速歩(はやあし:人の速歩き)でしばらく進むと集団が見えた。やや上り坂であるのが気になるが、やむを得ない。正行と目を合わせると、馬の腹を蹴った。大音声を上げながら正行が突っ込んでいく。
負けじと顕家も声を上げた。だが敵はこちらの意に反して全く動揺を見せない。
素早く歩兵が前に出て迎撃態勢を取ると、弓を向けるのが見えた。
「まずい」そう思った瞬間、弓を構えた兵がバタバタと倒れた。日向と出雲であろう。
敵の騎馬は歩兵の後方で固まって待ち受けている、絶対に通さぬ構えだ。そこへ四騎が突っ込み乱戦となった。
歩兵は日向と出雲が引き受けているのが視界の端に見えた。しかしさすがに長くは持たないだろう。急いで抜けねば取り囲まれて全滅する。
正行が一騎を突き伏せた。顕家の正面にある敵騎馬兵は大柄で両刀使いであった。
馬上ではどうしても受け太刀せねばならぬため、膂力のある方が有利となる。顕家は力任せに剣を振り回す敵に手こずる自分に苛立ちを覚えた。
敵の息が荒くなったところでようやく突き伏せる。則祐との試合以降、実戦を想定した稽古を続けたことが役に立った。正行も二人目を突き伏せると、前が空いた。駆け抜ける。菊丸と蘭丸も付いて来ている。
五里も駆けたであろうか。ようやく遠くに海の見える平地に出た。
一行は港町に入る手前で小さな寺に入った。
菊丸と蘭丸が手負ったため手当が必要であったのだ。菊丸が肩と腕に三ヶ所、蘭丸は顔を切られていた。
一刻ほどすると日向が姿を現した。日向も傷んでいる。
「出雲が死に申した」
日向が告げた。
顕家「家族はおるのか」
とっさに顕家の口をついて言葉が出た。
日向「幼子がおりまする」
聞いておきながら、それ以上、言葉が続かなかった。
会ったばかりの者が我を守るために死んだ。我は判断を誤ったのか。引き返すべきであったのか。否、日向や出雲が一番安全だと考えた道なのだ。別の道を行けば、もっと酷いことになっていただろう。顕家はそう思いたかった。
「悪い選択肢しか残っていない場合もあります。それでも判断するしか無い。そして判断したら、どういう結果であっても受け入れることです」
正行が言った。正行はそういう経験を沢山してきたのかもしれない。
顕家と正行が名和氏の館に着いたのは、翌日の夕刻であった。菊丸と蘭丸は治療のため寺に残してきた。赤松館以上の大きさである。港から近く、門前の通りは人の往来も多い。事前に文を送っておいたため、すぐに門を通された。
大きな的場のある中庭を抜け、豪壮な庭園を一望できる客間に通されると、それほど間を置かずに長身の男が入ってきた。下座に座り「名和長高にござる」と言いつつ平伏する。
「北畠顕家でござる。お顔をお上げくだされ長高殿」
目が合った。齢は赤松円心と同じくらいであろうか。しかし円心と正反対に、穏やかな人相である。貴人と会う機会が無いのか、多少戸惑いも感じられる。正行は従者を装って後方にひかえている。赤松家と違って、楠木の名は出せない。
顕家「この冬に参議を辞して少し暇をいただきました。そこで朝廷の許可を得て、見聞を広げるべく旅をしております」
長高「そうでございましたか。なにぶん田舎故、大したもてなしは出来ませんが、ごゆるりと滞在くだされ」
長高は少しほっとしたような表情を見せた。
顕家「かたじけない。庭も立派だが、的場の大きさに驚きました」
長高「海上では、弓と操船の腕がものを言います故」
顕家「交易も命懸けですね」
長高「はい。こちらへ来られる前はどちらへ?」
顕家「赤松円心殿を訪っておりました」
長高「ほう」
長高の眉がピクリと動いたのを顕家は見逃さなかった。
顕家「円心殿はご存じですか?」
長高「摂津国尼崎におられる嫡男の範資殿とは、良き商いをたくさんさせていただいております」
話をはぐらかされた気がした。円心と長高は繋がっているのかもしれない。
円心は立つだろう。だが帝や大塔宮のためではない。顕家が帝を侮辱するような言い方をしたとき、円心は怒った。しかし怒ってみせたのだと顕家は感じた。
では何故立つのか。自分が面白く生きるためだ。円心は自分の力がどれほどなのか、これまでの人生全てをかけるような戦を欲している。
自分とは価値観が違う。同じ土豪の楠木正成とも違う。そういう者どもの思いを繋ぎ合わせて、はじめて倒幕はなるのかもしれない。
では長高の思いはどこにあるのか。少しここに腰を落ち着けて、確信を得る必要があった。
顕家「町を案内する者を付けていただけると有り難いのですが」
長高「承知しました。嫡男の義高をお側に付けまする」
長高が退室して、しばらくすると娘が入ってきた。
「愛羽と申します。逗留いただくお部屋に案内いたします」
翌日、翌々日と、顕家と正行は名和義高を伴って町に出た。
良い町である。活気に満ちて、民の笑顔も多い。実質的な領主である名和家と民の関係も良好のようだ。
義高は顕家、正行の七歳上。長高と同じく長身で町を歩くと目立つこともあり、よく民に声をかけられる。たわいもない挨拶だが、信頼関係の強さを感じさせた。
我の目指す国とは、この町のありようをそのまま大きくしたものかもしれない。顕家はふとそう考えた。
その夜、顕家、正行、長高、義高で宴となった。愛羽が酌をする。愛羽は長高の娘で、顕家の二つ下、十三歳である。町で評判の美人で「名和の愛姫」と慕われていると義高が自慢していた。
宴も進んだところで顕家が切り出す。
「赤松円心殿とは知古なのでしょうか」
長高「同じ村上源氏を名乗る家として何度かお会いしたことがござります。若き頃は争いもしました」
ここまで言って、長高は顕家に頭を下げた。
長高「我が祖先を貶めるつもりはござらぬが、正真正銘、村上源氏の末裔である北畠様を前にすると身の置き場も無い思いです」
赤松、名和に限らず、源氏や平氏の末裔を名乗る者は、当時多く存在したが、ほとんどが裏付けに乏しかった。
顕家は笑った。
「そのようなことは全く気になさらずとも結構です。むしろ同じ末裔として、心を一に共に戦うことが出来得れば大変有り難い」
義高「顕家殿。戦う相手とは」
顕家「帝を軽んじ、覇道を往く者達です」
義高「父上、やはり」
長高が頷いた。
長高「貴殿がここに来られた意味について考えておりました。隠岐でございますな」
顕家「ここに逗留し、町を見させていただき、名和殿は信用できる御仁と確信いたしました」
長高の話では、隠岐国の守護・佐々木清高が、自ら水軍を率いて隠岐を厳重に警護しており、帝が島のどこにいるかすら明らかにされていないという。
帝をどのように救い出すのか、そしてその後、どのように守るのか。昼は長高、義高の協力を得ながら情報を集め、夜は策を練る日々が続いた。
顕家の身の回りの世話は、いつも愛羽が務めた。控えめだが時折見せる笑顔が可愛らしく、顕家はその笑顔を見たくて、よく冗談を言った。
正行の視線で、顕家は愛羽の笑顔から目を離せなくなっている自分に気付いた。まずい。いやまずくないのかもしれない。家長の時のように、正行が気を利かせてくれたらば、それはむしろ有り難いと顕家は思った。
ある夜。顕家と愛羽が二人で話せよう、正行がさりげなく取り計らってくれた。
客室の前にある小庭園に向かって、並んで座る。正行は客室の奥の部屋に消えている。
顕家「名和湊は本当に良い町ですね。活気がある。民が安心して暮らしている」
愛羽「そうでございますか。私もこの町は大好きです」
愛羽がにこっと笑った。引き込まれるような笑顔である。
色々な話をした。顕家が辛かった話をすると、愛羽も同じように辛い表情をする。嬉しかった話をすると、愛羽も嬉しそうに笑顔を見せてくれた。このままずっと他愛もない話をしていたい。このような気持ちは初めてであった。
名和館に逗留して五日目、珍しい客が顕家を訪ねてきた。
顕家「これは今熊野殿か!」
今熊野「顕家殿、お久しゅうござる」
屈強そうな修験者を四名連れている。
今熊野「こちらに来られていると聞きまして。間に合って良かった」
あいにく正行は外出している。客室で二人向かい合って座った。
顕家「どうしてこちらへ」
今熊野「九州へ行って参りました。中国でも寺を巡りつつ帰るところです。中国は良いですな。険峻な山々があり防備に堅い。そして京にも近い」
今熊野も一人前の大人の顔つきになっていた。
顕家「九州は何用ですか」
今熊野「各国の情勢を見聞に。筑前国の少弐には会っても来ました」
顕家「九州、中国における幕府の力はいかほどと見られましたか」
今熊野「国人はいずれも独立心が強い。事が起きたとして、明確な勤王は肥後国の菊地のみ。また明確な幕府方も隠岐国の佐々木のみ。後は日和見でしょう」
顕家も同じ意見である。帝を救い出すにも、お守りするにも、当面の敵は佐々木氏と思い定めてよいであろう。
今熊野「同行してきたのは大山寺の僧です。大山寺は天台宗派。勤王ですので頼られては如何でしょうか。私も随分と助けられ申した」
顕家「それは有り難い。今熊野殿は京に戻られるのですか」
今熊野「そのまま東国に向かいます。今度は明確な使命を帯びて」
顕家「新田ですか」
清和源氏の名門、新田氏は鎌倉幕府で冷遇されている。
今熊野「いえ。もっと大きな山を動かします」
今熊野の一行が出立すると、入れ替わりに正行が帰ってきた。義高と二日かけて因幡国方面へ出かけていた。楠木正成の嫡男であることは、長高、義高、愛羽にはすでに打ち明けていた。
「佐々木一門も一枚岩では無い」
客室に入ると正行が言う。
義高「島内で帝の監視に当たっている佐々木義綱という男は、帝に同情的なようです。義綱の親族にも会ってきました」
顕家「本人に接触することは可能でしょうか」
義高「やってみます。しかし仮に救出できたとして、どこに匿えば良いのか」
顕家「船上山に籠城すべきと考えます」
義高「確かに要害ですが、周りが敵ばかりでは」
顕家「敵は隠岐から追ってくる佐々木清高だけでしょう。大山寺の僧兵の助力も得ながら三ヶ月耐えてくだされ。それまでに雌雄は決しまする」
顕家の頭の中では、筋書きが見えつつあった。決して軽挙ではない。天運が導いてくれている。そういう直感が確かにあった。
名和館に逗留して八日。顕家一行は帰京することとなった。
佐々木義綱と連絡を取る方法を得た。佐々木清高の水軍の配置も分かってきた。船上山には、城壁に使う石や、帝の御座所建造に使う木材を密かに運び始めている。この地で我がすべきことはした。
菊丸、蘭丸とは道中で合流する。既に傷は癒えていたが、目立たぬよう敢えて名和館には呼ばず、寺を拠点に探索をさせていた。
長高「彼らを護衛に付けまする。次男の長秋を始め、強弓をそろえ申した」
見ると騎馬が七騎準備をしている。有り難い。出雲の代役として鳴門という者が加わっていたが、山中また野伏せりに出くわす危険があった。騎馬十一騎であれば、野伏せりも仕掛けてはこまい。
愛羽も見送りにいる。目が合うが、かける言葉が見つからない。このまま別れてしまうしか無いのか。
この町でずっと育ってきた愛羽にとって、顕家との出会いはとても新鮮だった。
顕家は「この国中を名和湊のようにしたい」と言った。
この国には、その日の食べ物にも事欠く民が本当に多いという。
自分より二つ年上なだけなのにそれを憂い、何とかしようと奔走している。
愛羽にとって顕家は天を駆ける龍だった。
顕家のいた八日間で名和館は大きく変わった。
「文を送ります」そう言いかけて止めた。
困った顔をされたらと思うと言い出せなかった。
顕家と正行は摂津国で別れた。
帰路でも山間部で野伏せりに出合ったが、名和の護衛兵が遠くから矢を射かけて蹴散らした。
名和の弓は、やや小振りながら太く、大変な強弓である。野伏せりの簡易な弓に比べ、倍以上の飛距離がある。
二十人ほどの野伏せりは一方的に矢を受けて為す術無く退散していった。
「(決起の)時は、早ければ年内にも」
別れ際に正行が言った。
京の北畠邸に戻ると、筆を手に取った。長高へのお礼である。
続いて愛羽へも文を書こうと思ったが、筆が進まない。
書きたいことは沢山あるが、どれも字にすると恥ずかしくなるのだ。
「何をしておる。顕家殿」
部屋に入ってきたのは父・親房である。二年前、世良親王の死に殉じて出家し、家督を顕家に譲ってからは、嵯峨大覚寺か邸内の別棟で過ごすことが増えていた。
「これは父上。旅でお世話になった方へお礼の文を」
「随分と活発に動いておるようじゃな」
言葉に迷った。親房は先年の乱の折にも、武装蜂起には一貫して反対派であった。
「しばらくしたら、伊勢国にも行ってみようと思いまする」
「所領を回って兵でも募るつもりか」
言いながら親房が隣に座る。
「わしにも大塔宮様からの文が届いておる」
大塔宮と親房は従兄弟にあたる。顕家は次の言葉を待った。
「公家が自ら千、二千の兵を集めたところで何になる。貴殿のやるべき事は他にあろう」
顕家は少しほっとした。今回は反対では無いようだ。
顕家「やるべき事とは」
親房「公家は武家を動かすことが役割ぞ」
顕家「中国の武士には会って参りました」
親房「土豪風情ではたかが知れておる。御家人を動かさねば幕府など倒せぬ」
父上の言うことは分かる。しかし今、御家人に接触するのは慎重に行わねばならぬ。事が起これば、必ずこちらに与同する御家人が現れる。顕家には確信があった。不用意に動いて、事が露見することの方が怖いのだ。
鎌倉でも徐々に秋寒くなりつつある。斯波高経の屋敷の客間では、足利高氏(後の尊氏)の弟、高国(後の直義)が一人座っていた。
「高国か?」
部屋に入ってきたのは、兄・高氏である。このとき二十八歳。
高氏「何じゃ、わざわざ。師直に聞かれたくない話か」
後ろから邸の主である高経も入ってくる。斯波高経は斯波家長の父である。
高氏、高国とは年が近く、幼き頃からの友である。
高氏が触れた高師直とは足利家の家宰である。年は高経と同年で、高氏の一つ上、高国の二つ上だが、昔から高国とは馬が合わない。
高氏「すまぬな高経殿、兄弟の話に使って。息子殿(家長)は京か?」
高経「たまに尾張の邸にも顔を出しておるようじゃが。今は京の方が面白いのであろう」
高経は年の離れた腹違いの弟・家長を小さい頃より大変可愛がっていた。
そして家長の父母が早世すると自身の養子として引き取ったのである。
高氏「京も大分と落ち着いたのでは無いか」
高国「まだまだ不穏な雲行きでござる」
高氏「呼んだのはその話か、高国」
高国「今熊野が参りました」
高氏が露骨に不機嫌そうな顔をする。
高氏「高国、何度も言うがあれは我の子では無い。必要以上に構うな」
高国「是非とも伝えたき議があると申して控えております」
高氏「何と。呼んだのか、ここへ」
高氏は怒りと困惑が混ざった顔をした。
高経「まあそう無体なことは言わずとも。一人の僧として話を聞いてはどうじゃ」
高経が取りなす。
高氏「高経殿がそう申すなら」
今熊野は縁側に控えていた。声は全て聞こえていた。高氏の態度は覚悟していたものの、十一歳の今熊野にはやはり応えた。手足が冷えて、頭は全てを拒絶するように一瞬真っ白になった。
物心ついたころより、母から自分の父は武士であるが、遠方で務めているため会うことが叶わぬと聞かされてきた。
八歳で僧門に入る時に始めて、自分の父は源氏足利嫡男の高氏であると聞かされた。だが一方で高氏は自分の子供だと認めていないと言う。
そのような今熊野を気にかけ、何かと取り立ててくれたのが叔父の高国であった。高国には感謝している。高国が父であったならと何度思ったことか。
「今はこの男を利用してやるのだ」何とか気を持ち直したところに声がかかった。
「今熊野殿。お入りくだされ」
高国の声である。障子を開け、平伏した。
「面を上げよ」
高氏が言った。
顔は上げたが、目は合わせることができなかった。高氏と目を合わせれば平静を保てなくなる。今熊野の本能がそれを避けていた。
今熊野「大塔宮が再び兵を挙げます」
高氏「それで?」
今熊野「足利が与同すれば幕府を倒せます」
高氏「有り得ぬことじゃ」
高国「大塔宮が兵を挙げたとして、他に与同する者はあるのか?」
取り付く島も無い高氏の態度に、高国が助け船を出す。
今熊野「楠木正成が立ちます。他にも西国には与する者が多くおります」
高氏「やはり(正成は)生きておったか。だが我ら御家人集が結束すれば相手では無いわ」
今熊野「新田に天下を奪われまする」
高氏「何だと」
今熊野「幕府に冷遇されている新田が立たぬ道理はありません。源氏嫡流の新田が立てば、幕府に不満を持つ武士達が、その旗の元に集まるは必定」
高氏「新田ごとき」
言いかけて止めた。
高氏「令旨は持っておるのか」
今熊野「ここに」
懐から取り出す。
高氏「それを置いていけ。話はこれまでじゃ」
今熊野は慇懃に座礼して退室した。
高氏「あの者の言うことは素直に頭に入って来ぬ。高経殿はどう見る?」
高経「確かに今熊野殿の言う通り、新田が立てば情勢は大きく動くかもしれぬな」
高氏「斯波家はどうされる?」
高経「曾祖父・家氏の頃より斯波家は足利宗家第一の後ろ盾でござる。高氏殿が天下を狙うと言うことであれば、いつでも身命を賭する覚悟は出来ておる。否、どこまでも北条につくと言うのであれば、それも一興でござろう」
斯波家は足利家氏を家祖とする。家氏は本来、足利宗家を継ぐ立場であったが、母親の縁者が北条家と諍いを起こしたため、宗家は腹違いの弟・頼氏が継いだ。頼氏は高氏、高国の曾祖父である。
高氏「高経殿がそう言ってくれれば千人力じゃ」
高氏は高経の手を握った。
〈第三章> 六波羅探題 攻防戦
今熊野が高氏を訪った一ヶ月後、一三三二年の晩秋。ついに大塔宮が吉野で、同時に楠木正成が紀伊国で挙兵した。
今度は充分に準備してからの蜂起である。楠木軍は紀伊国の幕府勢を蹴散らしながら北上すると、事前に内応していた湯浅一族の手引きで、戦うこと無く赤坂城を取り戻した。
湯浅家は紀伊国の北部から河内国金剛山一帯を支配していた土豪である。大塔宮を通じて正成は早くから湯浅家を傘下とし、既に赤坂城の他に千早城など金剛山麓にいくつもの砦を築いていた。
正成が地盤のある河内でなく、紀伊国で挙兵したのは、周辺の代官の米倉を襲い、兵糧を赤坂城や千早城に持ち込むことが狙いである。
この季節は収穫を終えた頃で、米倉は一年で一番満たされている。また金剛山近隣の米倉を空にすることで、いずれ大挙して押し寄せるであろう、幕府方の兵糧確保を困難にする狙いもあった。
楠木軍の動きは速く、一ヶ月ほどの間、紀伊国から河内国、和泉国まで広範囲に幕府方を翻弄して暴れ回った後、今度は赤坂城、千早城に立て籠もる姿勢を見せた。
六波羅探題の北条仲時からの要請を受けて、年明けの一月、鎌倉から大軍が派兵される。大将は二階堂道蘊・阿曽治時・大仏高直の三人で、道蘊軍が一万、治時軍・高直軍が各々二万、総勢五万の大軍勢である。道蘊が吉野を、治時と高直が金剛山を前後から挟むように攻略することとなった。
「見事なものよ」
赤松円心は唸った。
間者から楠木正成の動きが刻一刻と伝えられる。六波羅から討伐の命が各所に出ているが、正成の動きは常にその先を行っていた。
正成が生死不明と伝わっている間に、後醍醐帝と楠木正成の出逢いは人々の間で伝説となった。正成は帝に「正成が生きている限り、帝の聖運は必ず開けます」と約したと言う。
その正成が生きていた。その上、今回は城に拠って立て籠もるだけでなく、一時は天王寺まで進出したことで、京の動揺は只ならぬものとなっている。
実は円心の弟が正成の姉を妻としており、二人は義理の兄弟にあたる。
円心は正成に二度会ったことがある。一度目は摂津国で、二度目は延暦寺に大塔宮と則祐を訪ねた時に。
非常にお節介な男である。人を喜ばせるのが生き甲斐なのだ。正成にとってお節介の究極の対象が後醍醐帝であり大塔宮なのだと円心は思っている。
だがそれだけでない、恐ろしく先を読むことに長けた男でもある。円心は正成の考えが分かるような気がしていた。我に立てと言っている。面白い、乗ってやろうではないか。
「ついに時が来た」
集った一族の兵五百を前に円心が言い放つ。
「これより京を目指す。専横を極める幕府を誅し、天下に赤松の義を知らしめるのだ。楠木が楯なら、我らは矛じゃ。六波羅を貫くまで戦い抜くのだ。錦の御旗を挙げよ!」
円心の隣で則祐が吠えると、地鳴りのような鬨の声が続いた。
円心の動きは速かった。播磨国苔縄城で兵を三千まで集めると、山陽道を上って摂津国摩耶山城まで進出、ここで討伐に来た六波羅軍一万五千を撃破する。
その勢いのまま更に赤松軍は山崎まで進出。山崎は山城国と摂津国の境にあり、京はもう目と鼻の先である。正に六波羅の喉元に刃を突き付けるところまで迫った。
この事態を受けて、ついに六波羅探題北方、北条仲時が自ら兵を率いて出陣。一度は円心が行方不明となるほど蹴散らしたが、円心は摩耶山城まで退いて再起し、再び山崎で一進一退の攻防を続けている。
千早城を臨む山間地帯の隘路。新田勢の陣幕の中で、新田義貞は一人、来客を待っていた。
赤坂城は阿曽軍が水路を断って落とした。吉野も二階堂軍が落として、大塔宮(還俗して護良親王)は消息不明だという。
阿曽軍、二階堂軍もここ千早城攻めに加わり、山あいは大軍でひしめき合っているが、一方で河内国や和泉国を通って運び込まれるはずの兵糧が頻繁に襲われ、包囲軍は飢えに苦しめられていた。
赤坂城を落とした時と同様に、千早城の水路も断っているが、何故かこの近辺は定期的に雨が降り、籠城方の意気に衰えは見られない。河内・和泉全体で見れば、むしろ包囲軍が兵糧攻めに遭っているかのようである。
そんな中、赤松円心が兵を挙げ、六波羅の軍を打ち破り、山崎まで進出したとの報が入った。この事態を受けて、鎌倉では更に追加の増援軍上洛の準備を急いでいる。大将は北条(名越)高家と足利高氏らしい。
新田氏は源氏の嫡流である。源義国の嫡子義重の末裔であり、足利・斯波は義国の次子義康の末裔である。
そんな自負心が、平家の流れをくむ北条氏におもねる事を妨げ、積極的に北条氏に取り入った足利氏と違い、新田氏は鎌倉幕府内で冷遇されていた。足利高氏は治部大輔、官位も従五位下なのに対し、義貞は未だ無位無官であった。
「何故、我の元に令旨が来んのだ」
護良親王から決起を促す令旨が各所に届いているとの噂は聞いている。赤松勢も錦の御旗を立てていると言うことは、それを受け取ったのであろう。我はそれ程までに取るに足りない存在なのか。悔しさと苛立ちが義貞を襲った。
北畠顕家卿から、陣中見舞いに訪う旨の書状が届いたのは、そんな時であった。
顕家卿はこの冬、左中将に環任されていたので、陣中見舞い自体は不思議なことでは無い。しかし今、京から河内・和泉にかけては、反幕府方が暴れ回り、非常に危険な状態である。そこまでして来る理由は何であろうか。義貞は期待していた。自分のこれまでの運命が変わるような事が起きるのではないだろうか。
「北畠顕家卿が参られました」
陣幕の外から声があった。
早い。書状にあった通りの日時ではあるが、京から無人の広野を駆けてきたかのような早さである。
「お通しせよ」
「はっ」
義貞は上座の床几を譲って、片膝をついた。
「義貞殿。そのような気遣いは無用でござる」
陣幕に通されるなり顕家が言った。
顔を上げると、噂通り秀麗な若者が笑顔でこちらを見ている。しかしそれよりも義貞は顕家の後ろに立つ大柄な従者が気になった。
顕家「それよりも、大変不躾な申し出ながら、人払いをお願いできませんか」
義貞「はっ」
義貞は陣幕内の隅に控えていた従者に目配せした。
従者が出ていくと、顕家が床几の横に片膝をつき、大柄な従者が床几に座った。
義貞「こ、これは」
慌てて義貞は平伏した。護良親王である。間違いない。
護良「護良である。面を上げよ、義貞殿」
義貞「はっ」
鍛え上げられた体躯に精悍な顔つき。とても皇子には見えない。笑っている。義貞は吸い込まれそうになった。
護良「貴殿には書状では無く、どうしても直接会って話したくてな」
義貞「望外の喜びでござる」
言葉に詰まった。泣いている。義貞は自分が泣いている事に気付いた。
護良「帝からはそちにこれを、と預かっている」
懐から絹袋を出し、その中から玉を取り出した。
護良「天宝玉と言う。この世に九つしかない。これを授かると言うことは即ち王家の守護神となることを意味する。どうじゃ、受けるか」
義貞「も、勿論でござる」
義貞は両手を掲げて受けた。
護良「そちは「月」の玉じゃな」
義貞の手の上に置く。
義貞「月‥」
護良「そうじゃ。それがどういう力を持つかは、胸に押し当ててみれば分かる」
義貞が言われるがままに玉を自分の胸に押し当てると、玉は白く微光を放ち、胸に溶け込んだ。
顕家も玉を見るのは初めてである。これがあの宮様の力の根源であったのか。
義貞「こ、これは」
護良「どうじゃ。どのような力が宿ったか、説明せずとも分かるであろう。これでお主は我と同じ王家の守護神じゃ。帝の皇子として言う。新田荘へ戻れ、義貞。兵を挙げ、鎌倉を落とせ!」
義貞「はっ!」
護良「ご苦労であった」
京へ戻る途中、顕家は護良が拠点の一つとしている信貴山に寄った。
護良は自ら穿った洞穴を使い、変幻自在に包囲軍の背後を脅かしていた。
吉野では砦に火をかけられたのを機に山中に引き、追い討ちに深入りしてきた二階堂軍の兵一千を、土蜘蛛が討ち取ったという。これに恐怖した二階堂軍はそれ以上の深追いを諦めて千早城に転戦した。二階堂軍は千早城でも、赤坂城を落として転戦してきた阿曽軍とは対照的に山に入ろうとしないと言う。
顕家「天宝玉とは。驚きました」
護良「うむ。我に宿るのは「土」の玉じゃ。正成は「雷」。雷の玉は雲も操るようじゃな。ひょっとして新田義貞は「風」の玉を持っておるかとも思ったが、そうでは無かったようじゃ」
顕家「風の玉」
護良「源平の戦の折、後白河帝が源九郎義経に与えたと言う。「義経の八艘飛び」は知っておろう。あれは風の玉の力じゃ。宿した者が死ぬと天宝玉はその胸から再び現れるはずじゃが、王家に戻っておらぬ。北条の手に渡っていると厄介じゃ」
注進が入った。顕家がいることを察し護良に目配せする。
護良「構わぬ。申せ」
「帝が隠岐を脱出。名和の警護の元、船上山に向かっております」
護良「やったか!」
顕家も興奮した。名和がやってくれた!
名和の船団が囮となって、佐々木清高の海軍を出雲国まで引っ張っていき、その隙に帝は小舟で伯耆国名和湊に上陸した。名和一族は財産を民に分け与えた上で館に火を放ち、一族郎党五百人全員で船上山に拠って帝を守る構えだという。誠に信義に厚い一族である。そのような一族を動乱に巻き込んだことに、顕家は責任を感じてもいた。
「三ヶ月耐えてくれれば」と顕家は名和長高と約した。その筋書き通り進んではいる。だが三ヶ月耐えることは簡単なことでは無いだろう。長高は、義高は、そして愛羽は無事であろうか。
後醍醐帝脱出の報を受け、鎌倉では急ぎ鎮圧軍の派兵準備が進められていた。
大将は北条(名越)高家と足利高氏。高家軍二万、高氏軍一万である。
だが高氏はまだ迷っていた。
「全国で一斉に反幕府方が蜂起することも考えられますな」
高国が言った。部屋には高氏、高国、家宰の高師直だけである。
高氏「千早城を包囲している軍が五万、六波羅に三万、鎌倉もその気になればまだ数万は集められよう。同道する高家殿も二万の軍勢じゃ。我ら一万が寝返ったところで勝ち目があろうか」
高国「だが世の趨勢は反幕府方に流れているのでは」
高師直は腕組みしたまま目を閉じている。
高氏「それは分かっておる。時期尚早ではないかということじゃ」
高国「新田勢が帰国したとの噂もございます。先に立たれたら後塵を拝することになります」
ずっと黙っていた師直がここで言葉を挟んだ。
「新田は源氏の嫡流。鎌倉幕府では親方様の方が地位が高いが、新田幕府となれば、血筋の正統性から見ても、足利が巻き返す可能性は無くなりますな。それこそ高国様が親方様に謀反を起こすようなもの」
何という物言いか。我が兄上に謀反するなどと。高国は立腹したが、高氏が熟考に入ったのを見て、雑音を立てるのを止めた。師直もその弟の師泰も言動が粗暴なところがあるが、何故か高氏とは馬が合う。そこが我には無い、高氏の懐の深さかもしれない。高国はそう思った。
高氏「やるしか無いか。だが事は慎重に進めねばならぬ。千寿王(後の義詮)も心配じゃ」
高氏の嫡子、千寿王とその母・登子は人質として鎌倉に留め置かれることが決まっていた。登子は幕府執権・赤橋守時の妹であるが、高氏が謀反人となれば母子の死罪は免れない。守時とて守り切れまい。
高国「岩松経家を引き入れようと思います。奴なら上手く脱出を手引きするはず」
岩松家は新田の一族ながら足利の血をより濃く引いている。足利の力添えで幕府中枢に繋がりを持ち、今では新田宗家を凌ぐ力を持っている。足利には恩義があった。
高氏「なるほど。奴なら義父殿(赤橋守時)とも近い。新田の動きも分かるし適任じゃ」
高国「船上山にも密使を送る必要がありますな」
高氏「漏れてはまずい。怪しまれず伯耆国まで親書を運ぶ手立てはあろうか」
高国「今熊野を使っては如何でしょう。僧姿で怪しまれ難いし、大塔宮とも近い。最も確実かと」
高氏は一瞬、嫌そうな顔をした。
高氏「そうじゃな、やむを得まい」
船上山城の櫓からは、名和湊やその先に広がる海がよく見える。
義高や愛羽が幼い頃、長高は家族を連れてよくこの山に登った。
見える景色はその頃と変わらない。しかしその状況はあまりに変わっていた。
眼下の山麓には佐々木清高の軍三千が陣を張っているのが見える。最初こそ激しい攻城戦があったが、名和勢の弓矢の前に佐々木勢は大きな損害を出し、それ以降はにらみ合いが続いている。
後醍醐帝は、船上山の御座所から精力的に各地の武士に向けて論旨を発していた。
真っ先に応えたのが九州の菊池武時である。論旨の命じるままに鎮西探題、北条(赤橋)英時を攻めたが、少弐貞経・大友貞宗の裏切りに遇い敗死。武時やその一族の首はさらしものになっていると言う。
菊地こそ第一の勤王と頼りにしていた帝が、その報を聞いた時の、悲しみと怒りはひとかたならぬものであった。
勤王反幕府の旗幟を明確にする武士はまだ少ない。今の処は、この船上山に押し寄せる軍勢は佐々木勢のみである。山陽道と山陰道の交わる山崎を赤松勢が押さえて、六波羅からの軍を塞ぐ格好となっているからだ。
だが、その赤松勢を打ち、更にこの船上山を攻めるべく、鎌倉から三万の大軍勢が出立したという。隠岐の頃から帝に近習している千種忠顕卿は、いても立ってもいられないと、城内の兵一千ばかりを連れて赤松の救援に向かった。
もし赤松勢が殲滅され、三万の軍勢がここに押し寄せた時、どう対処するか。残った城内の兵二千で帝を守り切れるのか。
「三ヶ月耐えてくれれば」あの御仁の言葉が思い出される。
顕家卿と会うまで、長高は名和湊の民と共に栄え、民の笑顔を見ることが自分の幸せだと思っていた。だが、後醍醐帝が隠岐に流されてきた時、心がざわつくのを覚えた。赤松円心が武具を大量に買い集めているとの噂を聞いた時も同じである。何か心にしこりがあった。
そんな時、あの御仁が現れた。不思議な御仁である。礼節正しく、強いるような物言いはしない。だが今、乗らなければ二十年後、自分が死の床で「あの時乗っておけば」と必ず後悔する。そんな気がしたのだ。今、後悔は無い。これが大義に生きると言うことなのかも知れない。長高はそう思った。
「父上、吉報でござる!」
義高である。長高が目でその先を促す。
「結城親光殿が宮方に寝返り。山崎に拠ったとのこと」
「まことか!」
結城親光は、広光、霞の父である。陸奥の有力御家人結城宗広の名代として、千早城攻めに加わっていたが、所領に戻ると見せて、そのまま山崎に拠ったという。
土豪である赤松の配下になるのは武士の誇りが許さないが、結城にならその身を賭けてみようという武士は多いだろう。天運はまだ尽きていない。長高は奮い立った。
山崎の布陣を終えると結城親光は赤松の陣へ向かった。広光、霞を連れている。
親光が鎌倉から引き連れてきた軍勢は一千足らずだったが、反幕府の旗を掲げると馳せ参じる者が相次ぎ、今や三千まで膨れ上がっている。赤松軍と合わせて八千になった。
「円心殿。ここまでの戦いぶり見事でござる」
言いながら結城親光が赤松軍の陣幕に入る。円心と次男の貞範、そして三男の則祐が迎えた。
円心「親光殿こそ。よう決断された。宗広殿も了解されておるのですかな」
親光の父、結城宗広は猛将として知られる。齢は円心より十歳近く年上のはずだが、その威勢は衰えていない。円心は畏敬の念を持っていた。
親光「ここが切所ですからな。理解してくれるでしょう」
円心「時に足利軍の話は宮様からお聞き及びかな」
親光「うむ。手を出すな、と。この期に及んで中途半端なことよ」
勿論、高氏のことである。
円心「高氏は、帝の論旨を受けてから、と考えておるのやもしれませんな」
親光「宮様の令旨では不服と言うことか」
おそらく高氏は戦後の事まで考えている、と円心は考えた。新田よりも有利にことを運ぶために、帝に対して自分を高く売り込む腹積もりだろう。つまらんことよ。だがそういうつまらんことも、天下を掴むためには必要なのだろう。
「広光殿、霞殿、いよいよ共に戦う時がきましたな」
帰り際、則祐が陣幕の外で二人に話しかけた。
広光「則祐殿に負けぬ働きをして見せますよ」
則祐「おう。頼もしいことじゃ」
霞「足利の軍勢に斯波勢も加わっているとか」
則祐「家長殿でござるな。心配されるな。足利軍との戦にはなり申さぬ」
則祐に確信は無い。だがそう言うしかない。二人もそれは分かっていた。
家長は京にいた。
大塔宮と楠木正成の挙兵以降は、郷里の尾張国で待機していたが、父・高経が足利高氏と共に鎌倉から上洛軍として西上してくると合流し、今は東寺に駐留していた。六波羅では諸将を集めて船上山攻めの評定が行われているが、高経によれば、足利高氏は反幕府方への離反をほぼ決心していると言う。
則祐や広光、霞と敵対することは避けられそうである。
家長が安堵していると、使者が来た。参議左中将・北畠顕家卿からであった。
北畠邸を訪うのは一年ぶりである。案内に出てきたのは椿丸であった。軽く目で挨拶すると客間へ通された。
「家長殿。お呼び立てして申し訳ない」
目を合わせるとお互い自然と笑みがこぼれる。
「とんでもない。左中将様の思し召しとあらば」
二人とも声を上げて笑った。
顕家「今、六波羅では船上山攻めの評定が行われています」
家長「知っています。足利勢からも父・高経や上杉憲顕殿など、主だった将が参加しています」
顕家「単刀直入に伺い申す。足利勢の離反は間違いないでしょうか」
家長「父からはそう聞いています」
家長は顕家に隠しだてするつもりは無かった。
顕家「そうですか。足利が離反となれば倒幕も現実味を帯びてくる。大塔宮の目指す国へと一歩近づく事になりますね」
家長「何か気がかりなことでも?」
家長は顕家の表情が冴えないことが気になった。
顕家「貴公らの軍勢三万が上洛した時、京の町は大きな安堵に包まれました。民衆は後醍醐帝に同情の念が強い一方、戦禍には大きな不安を感じているのです。実際、大塔宮や赤松の軍勢には、野伏せりまがいの者も多く、京へ進軍した時の略奪や放火が懸念されます」
家長「拙者も京の町には愛着があるので気持ちは分かります。しかしそれに拘っては倒幕など夢のまた夢」
顕家「倒幕は成さねばなりません。しかし京を戦場にすることは避けられないだろうか、と考えています。もっと言えば、探題北方の北条仲時殿や、南方の北条時益殿、上洛された北条(名越)高家殿も、外連味無く一途に光厳帝のため身命を賭しておられる。宮方か幕府方、どちらかが全滅するまでと言うような争いは避けたいのです」
そのような甘いものでは無い。しかしそんなことは分かった上で顕家は言っているのだ。無理だと思考を止めるのではなく、最後の最後まで最善を尽くす。顕家らしいと家長は思った。
家長「鎌倉が先に落ちれば、京は戦禍を免れるかもしれませんが」
顕家「新田が立ちます」
家長「なんと。いつですか」
顕家「一ヶ月もしないうちでしょう。我は少しでも船上山への出兵を遅らせるよう働きかけを行います」
高氏が離反するのはおそらく京を出兵後、北条(名越)高家軍と足利軍が離れた時だろう。だから出兵が遅れればそれだけ本格的な戦までの時間は稼げる。しかし軍事は六波羅が決めることである。左中将とは言え、顕家が出来ることは少ないだろう。だが我も出来ることはやってみよう。家長は思った。
家長「我も父上を通じて働きかけてみます」
顕家は参議左中将の立場を生かして、戦勝祈願の奉納など討伐軍出立の儀式を念入りに行うように誘導し、五日ほど時を稼いだ。
だがまだ新田の挙兵は伝わってこない。結城家が寝返ったことで、新田がこれまで以上に幕府から警戒され、動きが制約されるだろうことは容易に想像できる。
顕家は次善の策として、名和の兵七名を赤松軍に送った。名和からの帰り、護衛兵として同行した強弓の一団である。船上山に援軍を送る可能性も考え、その際、先導役を務められるよう、密かに京に駐留していた。
消耗戦を避けるには早期に大将首を取ることである。名和の恐るべき強弓を目にしている顕家は、それが戦場でどれほど役に立つかを理解していた。円心ならば上手く使うに違いない。
京に到着して八日後、ついに船上山討伐軍が京を出立する。
北条(名越)高家軍二万は、赤松・結城軍の拠る山崎を抜いて山陽道を、足利高氏軍一万は山崎の手前で北へ折れて山陰道を、各々船上山へ向かう手はずとなった。
ここに至っても、高氏はまだ迷っていた。
今熊野によれば、金剛山の包囲軍五万は、進展の無い戦と飢えで戦意が下がっており、こちらの戦線に加わる余力は無いとの事である。新田のように所領での治安悪化を理由に陣払いをする武士も多く、今では実数三万ほどまで減っていると言う。探題北方の北条仲時も「金剛山からの増援は期待できない」と言っていたので、確度は高そうである。
そうなると問題は赤松・結城軍が、北条(名越)高家軍をどれだけ引き付けられるかにかかってくる。互角とは行かないまでも引き付けてくれれば、その隙に我らが六波羅探題を攻めることが出来る。探題には三万が駐留しているが、帝と京の治安を守ることを考えれば、我らに向けることができる軍は二万も無いだろう。北方の北条仲時は手強いが、我らが離反した動揺を突けば、勝てぬ兵力差では無い。
だが、北条(名越)高家軍に背後を突かれると終わる。山陽道の戦闘を見極める必要があった。
赤松円心率いる五千の軍勢は、山崎の天王山北側の山肌に陣を敷いていた。ここからは山陰道がよく見える。山の裏側、山陽道に面する南側には、結城勢三千が陣を敷いている。
足利の旗である「二つ引」を掲げた大軍が、京から山陰道を西に向けて進んでいくのが遠くに見えた。斯波や吉良、上杉、細川、今川など源氏の流れを汲む一族の旗が続く。
「美しいのう」
円心は目を細めた。精強な軍であることは動きを見れば分かる。一糸乱れぬとはこのことであろう。源氏の血とはこれほどのものなのか。
大塔宮の指示通り、足利の軍は素通りさせ、後から来るであろう北条軍を迎え撃つことになる。だが、北条軍が現れない。
この時、斯波家長が一計を案じ、「美濃の土岐頼遠と、近江の佐々木道誉に怪しい動きあり」との噂を流布させていたのである。土岐氏は反北条の代表格である。また佐々木道誉は、船上山を囲んでいる佐々木清高の同族である。
この噂を耳にした朝廷の動揺はひとかたならぬものであった。
美濃と近江を封じられれば、京は鎌倉と遮断される。援軍を呼べないことに加え、逆に船上山を取り囲んでいるはずの佐々木軍が、離反して押し寄せることも考えられる。
朝廷は、北条(名越)高家軍が京に留まることを望んだのである。
探題北方の北条仲時、南方の北条時益、そして討伐軍大将の北条(名越)高家が、公家を説得するのに、更に四日を要した。
斥候から事の顛末を聞いた円心は冷笑した。いかにも公家らしい。奴らが大事なのは自分の庭先のみである。官位が少し高いとか、領地が少し大きいとか、そのようなことにのみ生きている。今回も大局など誰も見てはいない。自分の安全のみに固執して騒ぎ立てているのであろう。
円心は大義などと言うものに興味は無い。自分の生きたいように生きるのみである。だが、生まれながらの序列に安住し、民から搾取し、文化だ風流だと贅沢をし、それが当然だと尊大に振る舞う公家に生きている価値はない。いずれ我が鉄槌を下してやる。それが円心の義であったのかもしれない。
高氏は山陰道脇にある所領、丹波国篠村で一旦、兵を止めていた。
山陽道の軍が動くまでの間に、後醍醐帝に謁見してはどうかと勧めてきたのは今熊野である。
船上山を包囲している佐々木清高軍は、京からの援軍待ちで弛緩しており、城内に入ることは難しいことでは無いと言う。高氏は即断した。戦後のことを考えれば会っておくべきである。
高国が「まだ何もしていない段階で畏れ多い」と固辞したため、高氏と師直で謁見に向かうこととした。五十名ほどの供回りだけで、密かに篠村を発ち、船上山へ駆けた。
船上山城は想定以上に大きな城であった。正面の城壁も高く、険峻な山肌と相まって、包囲方から見たらそびえ立つようであろう。大山寺の僧兵に導かれ、裏門から城内へ入ると、こちらも壮麗な御座所へ案内された。
「名和長高と申します」
土豪風情が帝に近習しているのか。高氏の偽らざる思いであった。千種忠顕卿が赤松の援軍に向かったため、やむを得ないのであろう。
長高の案内で謁見の間に入った。
「足利高氏、よう来てくれた。面を上げよ」
暖簾は無く、後醍醐帝が間近に見える。高氏は恐縮して再び頭を下げた。
「高氏。高氏の考える新しい世とはどんなものじゃ」
「はっ」
まず頭に浮かぶのは「源氏の再興」である。だがそれは回答になっていない。
高氏「帝を崇拝し、武士が忠義を尽くすことが肝要と存じます」
後醍醐「うむ。朕は民の力を信じたい。これまでの序列を廃し、能力のある者を抜擢する。それによりこの国は豊かになろう」
北条との戦いはまだこれからである。だが帝にとってそれはそれほど大事なことではないように思えた。いずれ必ず事は成す。その後の方が大事であると考えておられる。高氏は魅了された。大きな心と不屈の精神を持った方である。
高氏「この高氏、帝の力になるよう、忠勤に励みます」
帝はしばらく高氏を見ていた。高氏は頭を垂れているため目は合わない。
後醍醐「時にどうじゃ。北条は手強いか」
高氏「帝のご聖運の加護があります故、必ず勝てます」
後醍醐「うむ。一つだけ気になることがある」
帝が傍らにある箱を開けた。玉が五つ納められている。
後醍醐「天宝玉と言う。これを手にした者は霊験あらたかに万物の力をその身に宿すことが出来る」
後方に控えていた師直が大きな関心を持って、面を上げた気配がした。
後醍醐「一つが所在不明となっておる。後白河帝が源九郎義経に与えたものじゃ。北条が持っておると厄介な事となろう」
高氏「誠に僭越ながら、万物の力とはどのような」
今度は目を合わせたまま、帝が何事か考えている。
後醍醐「高氏。そちは王家の守護神として、その命尽きるまで忠義を誓う覚悟はあるか」
高氏「も、もちろんでござる」
後醍醐「うむ。この「波」の玉をそなたに授けよう。胸に押し当ててみよ」
高氏は前に進み出て、恭しく(うやうやしく)両手で玉を受け取ると、言われるまま胸に玉を押し当てた。
高氏「こ、これは」
後醍醐「どのような力が宿ったか、言わずとも分かるな。その力で北条を成敗せよ」
高氏「ははっ」
「僭越ながら」
後方から野太い声がした。師直である。
師直「足利家・家宰の高師直と申しまする。足利で最も精強なるは我ら高一族の軍勢でござる。北条を打つ力は最前線で戦う我にも賜りたく、お願い申し上げまする」
帝を前に何と不遜な。師直は本来、直答も許されぬ立場である。さすがの高氏も背筋が冷えた。恐る恐る帝を見ると、目が合った。思わず平伏する。
高氏「申し訳ございませぬ」
後醍醐「今、師直が申したことは本当か。高氏」
高氏「高一族の軍が精強なるは事実でございます」
後醍醐「師直。直答を許す。お主の狙いは何じゃ」
師直「帝と棟梁に敵対する者を全て破壊します」
後醍醐「破壊するだけか」
師直「帝が新しき国を作りやすいよう、我はこの国を真っ平らにして見せます」
後醍醐「面白い男じゃな」
帝が失笑しながら高氏を見た。
後醍醐「師直。お主にうってつけの玉がある。「火」の玉じゃ」
師直「ははっ」
後醍醐「帝と棟梁と申したな、師直。帝と武家の棟梁が相容れぬ時はどうする」
師直「言うまでも無きこと。王の血筋が最上でござる」
後醍醐「よかろう。六波羅を燃やし尽くして来い。師直。ただし京の町は燃やしてはならぬ。燃やすのは六波羅だけじゃ」
名和長高は謁見の間からふすま一枚を隔てた次の間に控えていた。この部屋に三名、反対側の部屋に三名、謁見の間で何かあれば直ぐ名和の兵が討ち入る手はずになっている。
話は全て聞こえていた。腹立たしい思いであった。師直の言い様は「味方するのだから玉を貰って当然」と言っているのと同じである。
「無礼な」帝がそう一言発してくだされば、師直を直ぐさま取り押さえ、首を刎ねてやるところである。
だが帝は言わなかった。それどころか、声色からは楽しんでいるようにも聞こえた。
かねてより帝には猛々しい一面があると長高は感じていた。帝は自分自身が暴れられない代りに、師直に暴れさせようとしているのかもしれない。
だが、乱世ならばともかく、帝の治世となったとき、あのような男は危険では無いか。
「心配はいらぬ。乱世が終われば、あやつの運勢は自ずと尽きる」
自室に戻られる途中で、長高の様子に気付いた帝が言った。
後にその予言は当たった。
だが、尊氏、師直に玉を授けたことが後に南北朝の争乱へと発展し、それは帝の想定を超えて五十年以上に亘って続くことになる。
「さても上手くいきましたな」
謁見を終えた帰り道、師直が言った。
高氏「型破りも大概にせよ。肝が冷えたぞ」
なぜ師直はあれほど堂々と振る舞えるのか。もはや呆れを通り越して、心強さすら感じるほどである。
師直「帝が言っていた義経公の玉とは」
高氏「うむ。おそらくあれじゃな」
足利に代々仕える中村家の家宝の一つにその玉があった。形も色も同じ、間違いあるまい。このような力があるとは知らなかった。確かに中村家の家祖・中村朝定は源九郎義経の遺児であると言われていた。
師直「どうするのです。まさか帝に返すつもりではないでしょうな」
高氏「お返しするのが筋であろう」
師直「ならばあの場で言うべきでしたな。もはや返す機を失ってござる」
ずけずけと言う。だが理に適っている。高氏は返す言葉を失った。と言うより言葉を返すのを止めた。少し時間をかけて考えてみるべきであろう。
篠村に戻るとすぐに、北条(名越)高家軍が京を出立したとの報が入った。
円心の目にも、「三つ鱗」の旗を掲げた北条軍二万が見えた。士気は高そうである。
鬨をあげながら赤松軍の拠る天王山に向けて真っ直ぐに歩を進め迫ってくる。
両軍の間合いが十町まで詰まったところで、北条軍が鶴翼の陣構えに移行しようと横に広がる動きを見せた。それを見て、円心が軍配を振った。
「かかれっ!」
魚鱗の構えで赤松軍五千が山肌を駆け下っていく。則祐の率いる騎馬兵三百を先頭に、貞範の率いる騎馬兵三百が続く。
則祐が敵の右翼に突っ込んだ。数人を突き伏せても、次々に新手が押し出してきて崩すまでには至らない。眼前の敵は退いて、包み込んで来るかと思ったが、その気は無いようだ。土豪ごときに策は労さず、弾き返してやるとの意気が伝わってくる。その時、怒号と共に背後から貞範の軍が突っ込んできた。
貞範「則祐!突き崩すぞ!」
則祐「おうっ!」
凄まじいぶつかり合いとなった。鶴翼に広がりかけた北条の軍はむしろ右翼に集まりつつある。そこへ遅れて徒兵二千が突っ込む。
円心は後方の高台から北条(名越)高家を探していた。
激しい戦闘の続く右翼に、中央から迫る一団がある。
その中央、深紅の直垂に、銀の鎧、金銀の日光月光をあしらった兜と、ひときわ派手な出で立ちの武将が見えた。間違いない、あれが高家であろう。
彼我の間には十重二十重に軍勢がいるが、構わず円心は供回りの騎馬三百と残りの徒兵二千すべてで、その一団の側面を突く形で突撃を試みた。
最初こそ押したが、徐々に押し返され、そうこうしている内に一団は円心の前を通り過ぎてしまった。これを追っては左翼の軍に背後を襲われ進退が窮まってしまう。
「潮時じゃ」
円心は撤退の法螺貝と陣太鼓を鳴らした。
赤松軍は一斉に山陽道を南に退いていった。
「追うな。追ってはならぬ」
高家はすぐさま下知した。
まだ結城軍が姿を見せていない。赤松軍が引いた先に潜んでいる可能性が高い。
「まずは見事に撃退しましたな」
そう話しかけたのは探題南方の北条時益である。軍奉行と軍監を兼ねて討伐軍に同行していた。
武士のならいである矢合わせもせずに、野伏せりのごとく突然攻撃してきた敵をしっかりと受け止め、斥けた。陣容に乱れさえ生じなければ、時間と共に兵力差が効いてくる。
高家はこの時十八歳。幼い頃より文武に誉れ高く、京の北畠顕家卿に準えて「東の麒麟児」とも評されていた。
噂通り見事な軍配である、と時益は思った。勢いは我らにある。
伏兵に気を付けつつ、慎重に赤松軍の後を追って南に下ると淀川が見えてきた。淀川を左手に見つつ、天王山の山肌に沿って山陽道を西に折れると、右手の山麓に軍勢が張り付いている。結城軍であった。
赤松軍は山陽道の右手にある原野の奥に集結しつつあるのが、かなり遠くに見える。
赤松軍追撃に向かえば、自ずと結城軍に横腹を見せる格好である。
時益「いかがなされる。結城軍を先に打ちまするか」
高家「結城軍の戦闘意欲はさほど高くないようにも見えます」
確かにとても静かである。兵の動きも少ない。
高家「結城は素通りし、赤松を殲滅して船上山へ向かおうと思います。結城が無傷で残っても単独で京を攻める事は無いでしょう」
確かに戦意を見せない虎の尾をわざわざ踏む必要は無いのかも知れない。
時益「横腹を突いてきたらどうします」
高家「時益殿。後衛の一万を率いてそれに備えていただけまするか。我は前衛の一万をもって赤松を討ちます」
時益「軍議は行わなくとも良いのですか」
高家「赤松の陣容が整う前に追い討ちをかけようと思います。既に夕刻ゆえ軍議を行うとなると、攻めるのは明日になってしまいます。朝廷からは一日も早く帰還して欲しいと言われています故」
「公家の言うことなど気にしなくとも」六波羅で長く朝廷とやりとりしてきた時益はそう言おうとしたが、高家の純粋な気持ちを汚すような気がして止めた。後でこれを後悔することになるとは思ってもいない。
結城親光は、陣の最前列で両腕を組みながら北条軍の動きを静観していた。
傍らに広光と霞が付いている。
親光はじっと動かない。これが徐々に陣内に広がり、今では全軍が水を打ったようにしんと静まり返っている。
広光は以前「風林火山」という言葉を顕家から学んだことを思い出していた。
優れた将が率いる軍勢は、時に風のように速く、時に林のごとく静かに、時には火のように苛烈に動くという。
「円心殿からは、北条軍を二つに断ち割ってくれとの事だったが。どう見る、広光」親光が静かに問う。
広光「敵は自ら前衛と後衛に分かれるようです」
親光「気になるのは赤松じゃ。だいぶ兵を減らしたようだが」
広光「勝ち馬に乗って従ってきている兵は、はなから当てにしておらぬ。自ら鍛えた二千さえおれば勝ってみせる。則祐殿はそう申しておりました」
霞「信じるに足るお方だと、霞は思いまする」
広光もゆっくりと頷く。その目は悠然と敵を見据えている。親光は頼もしかった。
親光「よかろう。ならば我らは後衛を粉砕するのみ。広光、存分に働けよ」
広光「はっ」
広光は初陣にもかかわらず三百騎の隊長を任されていた。
霞「兄様は霞が守ります」
親光「うむ。頼んだぞ」
親光が笑った。父・親光は、祖父・宗広に劣らぬ猛将である。だが霞を見る時だけはいつも優しい父の目であった。
北条軍は、結城軍の前にさしかかる辺りで、銅鑼の音とともに二つに割れた。
高家率いる前衛は、前方の赤松軍に向かってそのまま真っ直ぐ進んでいく。
時益率いる後衛は、結城軍を牽制するよう鶴翼に広がった。
その時、結城軍から鏑矢が放たれた。打ちかかる合図である。時益軍から返し矢が放たれると同時に、馬上の親光が剣を抜いた。
「かかれっ!」
親光の大音声に弾かれるように、結城軍が一塊となって斜面を駆け下る。
始めは馬が地を蹴る音と、徒兵の甲冑の衣擦れする音だけであったが、敵に近づくにつれて、兵のあげる雄叫びが地響きのように広がっていく。
「まずい」と時益は思った。敵は一塊となって、鶴翼の中央に突っ込んでくる。静から動へ大きく振れた敵の勢いは、勇敢な北条の兵が気圧されするほど荒々しいものであった。
激しい音を立てて敵先鋒と最前列がぶつかった。
敵の勢いは凄まじく、何層もの隊列を突き破る。が、北条軍もよく持ち堪えている。
鶴翼の陣は大兵で寡兵を包み込んで壊滅させる陣形である。唯一、中央を断ち割られると、背後に回られるのが弱点だが、いくら敵の威勢が高くとも、鎌倉で鍛えた北条兵の隊列を突き破ることは出来まい。
その時、時益のいる鶴翼の陣、中央奥の本陣から見て左手、敵の若い騎馬武者が時益の目にとまった。
なぜかその武者だけがするすると進出してくる。確かに剣は鋭い。だがまだ体躯も小さく、眼前の敵を薙ぎ倒すという感じでは無い。
しかしなぜか相対する北条兵が次々と討たれている。時益は気味の悪い恐ろしさを感じた。
その若武者を先頭に釘を打ち込むように結城の兵がじりじり進出し、時益の本陣近くまで迫ってきた。
「両翼で挟み込め!本陣は後ろに三町退くのじゃ!」
三町引けば、淀川を背に背水の陣となる。危険は伴うが、中央を断ち割られるのだけは避けねばならない。
「右前へ抜けよ!広光!」
親光が広光隊の後方から下知した。敵の本陣が後退したことで出来た隙間を親光は見逃さなかった。
「おうっ!」
広光隊を先頭に結城軍が敵中央と左翼の間を強引に割って行く。
先に抜け出た広光隊は、敵左翼の周りを周りながら兵の薄いところへ再度突撃する。左翼はばらばらに寸断され、結城兵が縦横無尽に走り回る格好となった。
高家率いる前衛軍は、赤松軍まで十町に迫っていた。
後衛で結城軍との戦闘が始まった。
結城軍は寝ていてくれるに超したことは無かったが、備えはしている。
我らは早期に前面の赤松軍を叩いて、取って返して援軍に向かえば良い。
赤松軍は山陽道の右手に広がる、広大な原野の奥に陣を張っていた。
兵数はかなり減っている。先刻、天王山山麓でぶつかった時の半数くらいに見えた。
原野は平坦で、伏兵の心配も無い。
「全軍、突撃!」高家は進軍の銅鑼を鳴らした。
赤松軍恐れるに足らず。今度こそ壊滅させてやると、北条の兵は勇み立って突撃していく。
「どうしたのだ」
違和感を覚えたのは、先鋒が原野の中央を過ぎた辺りである。明らかに兵の勢いが鈍った。
高家自身もすぐに原因が分かった。湿地である。しかもかなり深い。草が深くて見えなかったのだ。徒兵は足を捕らわれて動きが鈍り、騎馬は完全に立ち往生となった。
「今じゃ。放てっ!」
円心が下知すると、矢が雨あられと放たれた。先鋒付近にいた北条兵がばたばたと倒れる。
「かかれっ!」
「おうっ!」則祐隊、貞範隊の騎馬が飛び出していく。
一本だけ、騎馬の通れる道がある。傍目には分からない。円心が間者を使って調べさせていた。
「範家。行けっ!」
「おうっ!」
赤松軍屈指の剛の者・佐用範家が、則祐、貞範の後を追って出撃する。隊には顕家から遣わされた名和の七騎がいた。
則祐、貞範が一本道に群がる敵兵を蹴散らしながら、高家のいる本陣に迫っていく。
高家の供回りの騎兵も、動けなくなった者は馬を下り、迎撃の陣形を取った。
則祐隊、貞範隊が高家本陣に最も近づいた、その時、その背後にいた範家隊の騎馬兵が一斉にこちらに向けて弓を引いているのが見えた。
「あっ!」
高家の体に七本の矢が突き立った。あまりの衝撃に高家の体が宙を舞い、馬上から突き落とされる。その刹那、高家の眉間に矢が一本、突き立っているのが、円心の場所からも確かに見えた。
「北条高家の首、討ち取ったり!」
範家が大音声をあげた。
「何じゃ。どうなっておる」
前衛の兵が、東に退いてくる。
だが明らかに援軍では無い。全く統率が取れていない。
「北条高家殿、お討ち死に!」
「馬鹿な。信じられぬ」
時益は思わず声を発した。
高家は勇敢だが、先頭に立って蛮勇を振るう手合いでは無い。
一万の軍勢を率いた高家が討たれるなどと言うことがあるのだろうか。
信じられぬとの思いが強いが、やらねば成らぬ事は明確であった。
できる限り兵を減らすこと無く、京へ退く事である。
左翼を蹂躙した結城軍は、中央と右翼も脅かそうとしていた。ここへ赤松軍が殺到すれば壊滅的な打撃となる。
「撤退じゃ。京へ退くのじゃ」
時益は撤退の法螺貝と陣太鼓を打ち鳴らした。
「父上、追討の下知を」
霞が訴えた。
「いや、もう充分じゃ」
広光も同じ意見であった。
兵は疲弊している。敵兵を減らすより、まずは味方の兵を減らさぬ事である。
快勝である。勝報を聞いて、馳せ参じる武士も更に増えよう。
それにしても、霞はまだ戦えるのか。広光は驚きを隠せない。
霞は、徒の方が動きやすいと、途中から馬を降りて戦っていた。凄まじい速さで、人馬の間を走り回り、徒兵はもちろん、騎馬武者の足や腹を斬りまくった。
そのお陰で広光は集中力を切らした敵兵を次々と突き伏せることが出来たのだ。
霞は百人以上、切ったのでは無いか。それでいて全く傷を負っていない。
顕家のもとに三つの注進がほぼ同時に届いた。
一つは北条軍敗報の知らせ、二つは足利高氏離反の知らせ、そして三つは新田義貞挙兵の知らせである。
新田勢は、高氏の嫡子・千寿王とその母・登子が鎌倉から出奔し、その騒ぎの間隙を縫って兵を挙げたと言う。高氏も妻子の安全を確認して、挙兵したというところであろう。
探題北方の北条仲時はどう動くであろうか。
三つ考えられた。一つは花園上皇、光厳天皇とともに六波羅探題に籠城する、二つ目は仲時自身が乾坤一擲の戦いに打って出る、三つ目は上皇・天皇を奉じて鎌倉へ避難する。
一つ目は京が戦場となる。顕家が最も避けたい展開であった。三つ目が一番好ましいが、仲時にも武士の面目というものがあろう。一矢も報いずに鎌倉へ逃げるというのはおそらく無いだろう。
となれば二つ目、なるべく京から離れた場所での決戦に誘導すべきである。
仲時も京の町を戦禍に巻き込むことは本意では無かった。
山崎から退いてきた兵を収容するや、直ちに出兵の準備を進めると同時に、朝廷の説得にあたった。だが相も変わらず朝廷は右往左往するばかりである。
はじめは京の兵が手薄になることに拒否反応が強かったが「敵の狙いは北条であり朝廷ではありません。しかし籠城となれば帝も戦渦に巻き込まれることになります」との北畠顕家卿の助言が効いて、出兵が許された。
仲時は京の治安維持に最小限の兵を残し、三万の軍勢を集めると直ぐさま出兵した。
桂川の手前の原野に陣を敷く。
許せぬのは足利高氏である。北条家がどれほど足利に気を使い、厚遇してきたか。実質的に源氏の棟梁として振る舞えるのは誰のお陰か。
時世が変わったと見るや、恩を仇で返すなど武士の風上にも置けぬ。
なんとしても高氏だけは我の手で討ち取る。それが仲時の思いであった。
高氏は篠村を出立し、ゆっくりと山陰道を東進していた。
馳せ参じる武士が続々と増え、既に軍勢は一万五千を超えていた。
今、時はこちらに味方している。決戦までには二万を超えるであろう。
注進によれば北条軍は三万ということだが、赤松・結城軍も加えれば、戦場に着く頃には数で互角となるだろう。
何より自身に宿した宝玉の力がある。高氏は負ける気がしなかった。
気がかりなのはむしろ新田の動きである。挙兵したといっても所詮は一千に満たぬ寡兵であろうが、時の勢いというのは侮れない。
我らが行く前に鎌倉が落ちると、第一の戦功は新田ということに成りかねない。
源将軍が途絶えて以降百年、これまで源氏の命脈を保ってきたのは足利である。
新田は源氏嫡流という誇りに拘り、落ちぶれていった。
足利がいなければ、源氏は取るに足らぬ存在と討伐され、絶滅していたかもしれないのだ。
今更、時が来たと言って源氏の棟梁を名乗るなど虫が良すぎることである。源氏十代の望みを叶えるのは足利でなければならぬ。
この頃、赤松円心は意外な行動に出ていた。
三男・則祐を信貴山の大塔宮へ返すと、足利軍と合流しようと北上する結城軍と分かれ、突如、京に侵攻した。
戦は京の外とばかり思い込んでいた朝廷は大混乱となった。
赤松軍はこれをあざ笑うかのように、公家の家々を襲い、略奪し、火を付けて回った。京に残っていた北条の警護兵も六波羅の守りを固めるのに精一杯で、北条高家の大軍を破ったという赤松軍に抗える者などいなかった。
顕家の元には名和の騎馬武者七騎が返され、彼らが北畠邸を護衛する格好となった。勿論、赤松主力軍が、北畠邸に危害を加える心配は無い。しかし赤松軍には野伏せりの類いの者も多く、彼らはここぞとばかりに手が付けられないほどの乱暴狼藉を働いていた。
顕家は、行き場を失った民を積極的に邸内に匿ったが、助けられる人数には限りがあった。
いくら戦功があろうとも、このような事をして、戦後の報償に預かれるわけが無い。
だが、赤松円心という男はそのようなことに興味が無いのかも知れない。
顕家は円心という男を読み誤った苛立ちと、それがもたらした京の惨状に愕然とした。
気の済むまで暴れると、赤松軍は京を東へ抜けて行った。
近江国守護・佐々木氏の実質的な最高実力者である佐々木道誉が、南近江の長安寺に着いたのは、赤松軍による京の混乱がまだおさまらぬ頃であった。供回りは二名のみ。姿は見えないが忍びの者が三名、警護している。
忍びの一人、鴉という者が神楽一党と関わりが深く、同じく神楽一党から分派した神威一党の主が赤松円心である。円心側から接触があり、鴉も是非会った方が良いと言う。
寺の客間に入ると、骨張った大柄な男が座っている。全身からは只ならぬ気を発しており、道誉は少し気圧されした。武勇に秀でた道誉は万が一、斬り合いになったとしても負けぬ自信がある。だがこの男の発する気は、剣気とは全く異なるものであった。
道誉「これはお待たせ致しました。佐々木道誉でござる」
円心「赤松円心でござる」
道誉「円心殿、手前はつい先頃まで千早城攻めの軍目付をしておった身」
円心「捕らえますか、我を」
道誉「いやいや。今や破竹の勢いの円心殿が、手前に何用かと思いましてな」
円心はこれから京を出立した北条仲時軍の後を追い、背後を突くつもりだろう。だがそうすると近江の道誉に背後を突かれる危険がある。そのためこの際、宮方への離反を促しに来たのだろうと道誉は予想していた。
佐々木氏は古来、源氏に近く、近江源氏とも言われている。
源氏棟梁筋の足利が離反し、平家の北条と源平の戦いということになれば、源氏に味方したいとの思いは、家臣のみならず道誉にも少なからずあった。
円心「近江は要所ですからな。ここを押さえれば、東海道を遮断出来る。また琵琶湖を押さえて京への水運を遮断することも出来る」
その通りである。事実、北条高家・足利高氏の軍が鎌倉から上洛するにあたり、近江国番場付近で野伏せりが集まる不穏な動きがあり、これが上洛軍の進行を妨げる怖れがあった。そのため、千早城に詰めていた道誉に対し、これを排除するよう六波羅から指示があり国元へ帰ったのである。
無事役割を終え、再び千早城攻めへ向かう準備をしていたところへ、六波羅から「佐々木道誉に不穏な動きありとの噂あり。しばらく兵を動かすことを控えられたし」との御達しがあり、今に至っている。
斯波家長による流言拡散の策は、北条高家軍の出陣を遅らせるだけで無く、道誉軍の動きを封じる効果も発揮していたのである。
円心「我の本拠、播磨国では山陽道を遮断することが出来ます。少し東へ進出すれば淀川の水運を押さえることも出来ます。即ち、佐々木殿と我が手を結べば、京を東西両側から完全に挟み込むことが出来る」
核心を突いてこない円心に業を煮やした道誉が水を向けた。
道誉「ひょっとして円心殿は、今の戦に興味が無いのですかな?」
円心「足利が出てきて源平の戦となれば、もう我の出る幕はありませんな」
驚いた。この男は本当に、自分が撒いたこの動乱にすでに興味を失っていた。
円心「次は源氏同士の争い。京の奪い合いが起きましょう」
足利と並ぶ源氏の棟梁、新田が挙兵したことは聞こえてはいる。
道誉「鎌倉はまだ十万は集められるでしょう。新田が落とせるとお思いか?」
円心が天を指さした。
円心「天が動いたのです。天に抗することが出来るのは源氏のみと、古来決まっております」
円心は占術でも使うのか、と道誉は思った。だが、神がかった勝利を重ねてきた円心の言うことには説得力があった。それにしても、赤松氏も村上源氏を名乗っていたはずである。それにもかかわらず、目の前にいるこの男は、源氏の冠も利用価値のある名品程度にしか考えていないようだ。道誉は自分に無い価値観を持ったこの男に、強い感興をそそられた。
道誉「面白い。今後も誼みを深め、必要とあらば協力して京を締め上げようという事ですな」
佐々木道誉が帰った客間で、円心は一人瞑目していた。
円心「鬼王」
「はっ」
姿は見せない。声のみである。
「佐々木道誉の忍びとはいつでも連絡が取れるようにしておくのじゃ」
「はっ」
神楽一党から、鬼王と光輪という男女の手練れが独立して神威という一党を創った。円心が主となって三年になる。今は十名ほどに増えていた。
主従となって半年ほどした頃、円心は光輪を抱いた。伽はしないとの事だったが、円心は許さなかった。男は金と力で動かすことが出来る、だが女は情で結ばれていないと動かない。何より忍びの女を抱くという興味と衝動が抑えられなかった。
光輪の年は二十代半ばであったろうか。その肉体はそれまで抱いた女とは比べようも無いほど魅力的であった。特に腹回りの締まり具合と、腰回りから太ももにかけてのくびれは、例えようも無く美しい。
光輪の剣は凄まじく速く、数人に取り囲まれても傷一つ無く討ち果たすことが出来る。その気になれば円心も容易く斬れるだろう。だが、閨ではその肉体を好きなように弄ぶことが出来る。光輪は忍びらしく、抱かれている最中も声を出さず表情も変えなかった。
しかし日を重ねるにつれ、気を許したのか、それとも我慢できなくなったのか、苦悶の表情を見せるようになった。手の甲で口元を押さえ、必死に声を出さぬよう耐えているさまに円心は興奮した。年甲斐も無く虜となり、それ以外の女への興味が失せるほどであった。
だが光輪は死んだ。
山崎で北条仲時の軍に敗れ、一度、摩耶山城まで引いた時である。
追討にかかる敵兵を食い止めようとして討たれた、と鬼王が報告してきた。
「まさかあの光輪が」いくら不利な状況とはいえ、余人に斬れるとは思えなかった。「鬼王が殺したのかもしれぬ」と円心は思った。
鬼王と光輪、二人は男女の関係では無いと聞いていたが、鬼王にしてみれば、我と光輪の関係に鬱々としたものはあったであろう。
雇った頃は、光輪の方が腕は上であったが、鬼王はめきめきと強くなり、最近では光輪をも凌ぐと思われた。
「いずれ我も鬼王に殺されるかもしれぬ」
鬼王はいずれこの国の忍びの棟梁となる器であろう。その礎になって死ぬのも悪くない。円心は本気でそう思った。
高氏「ほう。背水の陣か」
朝靄の中、前方に北条の陣が見えてきた。最初は桂川の東に陣を張ったようだが、川を渡り、川西に陣を移動したようだ。
赤松勢が京に攻め入ったとの報を受けた兵の動揺を避け、京に引き返すつもりが無いことを全軍に知らせるための苦肉の策であろう。
だがそれが功を奏し、北条軍の士気は高いように見えた。
高氏「仲時め。やりおる」
北条仲時は高氏と同い年で、官位も同じ従五位下である。仲時と話す機会は多くあった。英邁で礼儀正しく、将来を嘱望される男である。
北条家得宗・高時は、高氏に高の字を授けた。鎌倉の高時邸で三人飲み明かしたこともある。高時にしてみれば、源氏と平家、双方の核となる人材を上手く手なずけたつもりであったろう。しかし高氏は飼い慣らされた犬では無かった。いつかこのような時が来ると予感していた。
斯波勢は、足利軍の一番右翼にあった。
中央に足利・高勢、右翼に斯波・上杉勢、左翼に吉良・細川・今川勢など一門が並ぶ。
各軍、自家の旗に加え、源氏の白旗を掲げていた。
先の源平合戦は源氏が勝った。それを印象付け、兵を鼓舞する狙いである。
家長は初陣であるが、高経は家長に三百騎の隊長を任せていた。
高経「どうじゃ。緊張しておるか」
家長「壮観です。あまりの大きな戦に身震いが止まりませぬ」
高経「怖れは大事じゃ。むしろ慢心が一番危うい」
家長「はい。敵は川に押し込まれぬよう必死に押し出してくるでしょう。ぶつかっては引き、敵の側面から削ろうと思います」
高経「上出来じゃ。頼んだぞ」
言いながら高経は本陣へ戻って行った。
その時。右手を静かに北上してくる軍勢の気配があった。
「右三つ巴」の旗。結城軍である。
五町ほど離れたところで歩を止めたようだ。
あの中に、広光と霞がいる。家長が目をこらして二人を確認しようとした、その時、銅鑼の音とともに矢合わせが始まった。
お互いに鬨の声をあげると、両軍が静かに近づいていく。甲冑の衣擦れする音が一番大きい。まさに大軍のぶつかり合いの幕開けである。
彼我の距離が一町まで近づいたところで歓声が上がり、まず徒兵がぶつかった。
続いて、その間をかき分けるように、双方の騎馬が突っ込んでいく。
北条軍三万、足利軍二万。数の差から時間と共に少しずつ北条軍が押し始めた。
高氏は中央後方の本陣前で戦況を図っていた。
「どれ。少し驚かせてやるか」
そう言って、おもむろに両手を地面に付けた。
「むっ!」
高氏の気合いと同時に地鳴りが起きた。敵に向かって地鳴りは更に強くなっていく。
「何じゃ⁉」
仲時のいる北条本陣が大きく揺れた。立っていられない程の揺れである。馬がいななき、本陣の旗や陣幕がばたばたと倒れる。
「今じゃ。敵は動揺しておる。突撃!」
高氏の隣にいた師直が叫んだ。
「待て!もう一撃食らわす」
高氏が再度、地鳴りを起こす。
師直「大地の神の鉄槌じゃ。者共、天は我らに味方しておるぞ。北条を滅ぼせ!」
北条本陣の後方に流れる桂川の水が地動で荒れ立ち、北条軍の足元に濁流となって流れ込んできた。それと同時に足利軍が押し出してきた。北条軍に動揺が走り、前衛が崩れ始める。
「おのれ!このくらいで!」
仲時はこの戦の重要さをよく分かっていた。ここで負ければ終わる。六波羅まで引き、立て籠もったところで勝機は無い。天皇・上皇を鎌倉まで護衛することも困難であろう。
「本陣を前に出せ!謀反人、高氏の首を取るのだ!」
家長隊は、敵左翼への突撃を繰り返していた。
突然、大きな地鳴りと共に地面が揺れた。間髪入れずにもう一度。一瞬、彼我の兵の動きが止まったが、鬨とともに足利本軍が攻め掛かると、情勢が一変した。
家長隊正面の北条軍の勢いも明らかに鈍った。そこへ、大音声と共に横合いから大軍が雪崩れ込んできた。結城軍である。いつの間に近づいていたのか。
北条軍の左翼は大きく崩れ、その隙間に槍を突き刺すように結城軍が敵中央へ攻め上がっていく。結城親光の本隊も家長の前を通り過ぎて行くのが見えた。
「家長殿!」広光である。
「おお、広光殿!霞殿は?」
「どこを見ておるのです」
家長の腰の辺りから聞いたことのある声がした。霞である。
家長「馬はどうした、霞殿」
広光「この方が動きやすいと言って聞かぬ。それより家長殿、あれを」
北条の本陣が前にせり出し始めていた。
広光「横合いを突きましょう。家長殿」
家長「おう!共に参ろうぞ」
中央では足利本陣と、北条本陣の凄まじいぶつかり合いが始まっていた。
「足利高氏はどこじゃ。先の執権、北条貞顕が次男、北条貞冬なり!」
赤紫の紐で金色の鎧を縫った、一際きらびやかな甲冑姿。先の笠置山合戦での戦功第一とされ、名将の誉れ高い北条(金沢)貞冬である。仲時軍の主力を任されていた。
「足利家・家宰の高師直がお相手いたそう」
一騎打ちである。双方の剣が激しい金属音を立ててぶつかった。
つばぜり合いの最中、師直が左手を剣から離すと、掌を貞冬に向けた。
その刹那、ごうっと言う音と共に、師直の掌から貞冬の顔に向けて火柱が放たれた。
間一髪、貞冬が躱す。
貞冬「卑怯な。何のからくりじゃ!」
師直「からくりなどと言う些末なものでは無いわ」
師直は剣を鞘に収めて両手から火球を放ち始めた。貞冬はこれを巧みに躱すが、さばくのに手一杯で近づくことが出来ない。
師直「おい。生死を分けるのは何だと思う」
貞冬「賊徒は死ぬ。それだけじゃ」
師直「違うな。最後は「欲望」の大きい者が勝つ。お主は何を望む」
貞冬「忠節を尽くし、朝敵を討つまで」
師直「ふはは。百年で北条は随分と小粒になった。時政や泰時ならもっと面白い話ができただろうに」
貞冬「貴様如きに北条を語る資格は無いわ」
貞冬が体勢を立て直し、剣を振り上げる。
師直「もうよい。死ね」
師直が両腕を広げると、その空間に大きな火炎が生成された。
これまでとは比べものにならない大きな火柱が貞冬に向かって放たれる。
貞冬は避けきれぬと見たのか、火柱を剣で斬るような素振りを見せたが、抵抗むなしく全身が火に包まれた。
「ぐぬおおっ」
怒号とも悲鳴ともつかぬ声を上げて貞冬は馬から転げ落ちた。
のたうち回っていたが、寸刻の内に動かなくなった。
主を失った鎧だけがぶすぶすと燃えるさまを見て、周囲の北条兵の腰が砕け、逃げ出し始める。
「わはは!」
師直は笑いながら敵兵の背に向けて火柱を放ち続けた。
「師直め、目立ちすぎじゃ」
確かに宝玉の力は敵を恐怖させることが出来る。だがそれでは帝の力で勝ったことになる。源氏再興のためには、武士の力で勝ってみせる必要があるのだ。
家長隊と広光隊は、敵左翼を蹴散らしながら、中央本陣に迫っていた。
その時、前に出ている敵本陣の後方を抜けて斯波・結城勢の前に割って入る軍勢があった。北条時益の軍勢である。
時益の率いる右翼は、濁流の影響が少なかったこともあり、敵左翼の吉良・細川・今川勢と互角以上に渡り合っていた。
しかし、中央本陣が押されているのを見て、山崎でともに戦った佐々木時信・小田時知らに右翼を任せ、自身の手勢三千あまりを率いて、本陣の援護に来たのである。
時益「仲時殿、もはやここまで。手前が殿を務める故、撤退してくだされ」
仲時「否、それならば手前がここに踏みとどまります。時益殿が退いてくだされ」
時益「仲時殿。手前は高家殿を死なせて撤退しました。二度はありませぬ。武士の情けと思って、ここはお譲りいただきたい」
時益の目を見て、仲時は瞬時にその思いを覚った。本当は自分がここで華々しく散りたかったが、盟友の時益に恥をかかせることは出来ない。
「我もすぐに後を追います」そう言いかけて止めた。後を託して死んでいく者に対してそれは失礼である。
こうなったら出来る限り抗ってやる。何としても天皇・上皇をお護りして鎌倉へ下向し、反撃の狼煙を上げるのだ。
仲時「時益殿、御免」
言って仲時は近習に撤退の命を下した。
本陣が引き始めるのに合わせ、時益は敵軍の動きを観察した。
足利本陣は激しく追討にかかる気配は無い。おそらく戦果は充分と見ているのであろう。追い打ちの構えを見せているのは結城軍と、遅れて戦線に加わってきた千種忠顕卿の軍である。
時益は、家臣の糟谷七郎に兵一千を任せて千種軍に当たらせると、自身は二千で結城軍に当たった。
だが彼我の勢いの差は大きく、時益軍の隊列はすぐに寸断された。敵味方が入り乱れる戦場で、時益は自ら剣を振り、兵を叱咤激励しながらも、何故か現実を離れ、達観した境地にあった。
「我は何を間違えたのか」
「あそこで高家殿を踏みとどまらせるのが軍監たる我の役割では無かったのか」
だが自分にそれが出来たとは思えない。やはり天が六波羅を見放したのだ。そうすると仲時も死ぬのか。いや鎌倉すら危ういのか。
そのようなことを夢心地のように考えながら剣を振るっていると、するすると前進してくる若い騎馬武者が時益の目にとまった。時益の心が現実に引き戻される。あの時の若武者だ。奴はいったい何者なのか。
時益の馬も自然とそちらに向かって進んでいく。
「探題南方の北条時益である。この首を討ち取って手柄としてみよ!」
言い終わらぬうちに、脇腹に冷たいものが走った。直後に襲ってきた痛みに、耐えかねて馬上で身を屈めると、間髪を入れず喉に冷たいものが刺さった。
「結城親光が一子、霞である」
女の声である。意識が遠のくなか時益はそれでも必死に顔を見た。やはり幼い女の顔であった。血しぶきを浴びたその顔はゾッとするほどに美しい。
「我は戦場で菩薩を見たのか」
時益は心が安らいでいくのを覚えた。天は最後に少しだけ救いをくれたのかもしれぬ。
仲時は、六波羅に戻るとすぐに花園上皇・光厳天皇を護って、鎌倉に東下する準備を進めた。
これに強行に反対したのが、参議左中将の北畠顕家卿である。
「ここに至っての鎌倉東下は帝の身を危うくする」と言って一歩も引かぬ構えである。朝廷も東下には後ろ向きであった。
「顕家卿も同行の上、少しでも帝の身に危険が感じられたる時は、速やかに京へ戻す」と約束するしかなかった。
六波羅軍敗走の報は、船上山にも届いた。
名和長高は、顕家卿の筋書き通りに事が進んでいくことに驚きを禁じ得ない。
佐々木清高の軍は陣を払い、船で隠岐へ落ちて行った。
代りに同族で、出雲国守護の塩冶(佐々木)高貞が、幕府から離反し、船上山へ馳せ参じてきた。
確実に流れは宮方に傾きつつある。
愛羽は、帝の后妃・阿野廉子にいたく気に入られ、側に近習するようになっていた。愛羽の周囲でも一時期の緊迫感は無くなり、逆に帝の帰京の準備が慌ただしくなってきている。
しかし愛羽の心は晴れなかった。京で会えると思っていた顕家が、花園上皇・光厳天皇をお護りするため、北条軍と共に鎌倉へ向かったというのだ。
兄・長秋も一緒であろう。
「兄様も、顕家様も、御無事で」
愛羽は祈るしか無かった。
その頃、顕家の一団は琵琶湖の東、近江八幡で天皇・上皇とともに停泊していた。
顕家に同行するのは、菊丸・蘭丸・桜丸・椿丸と、名和の七騎、そして隠れて日向・鳴門が護衛している。
「日向か」
「はっ」
寝所の障子をわずかに開けて、日向が音も無く入ってくる。
日向「佐々木道誉様からの伝言でございます」
顕家が頷く。
日向「番場の関は閉じます。帝を京へ護衛する故、蓮華寺で待っていていただきたいとのこと」
ついに佐々木一族最大の実力者、佐々木道誉が離反を決意したのだ。
仲時は佐々木道誉からの返信が無いことに苛立っていた。
番場の関に野伏せりが集まり、進行を妨げる構えだという注進があり、その排除を道誉に申しつけていたが、なしのつぶてであった。
野伏せりの数は約二千だと言う。こちらは六波羅から仲時に同行する兵が一千。途中、佐々木清高が兵五百を伴って合流してきたので、兵力は合わせて一千五百である。これに後から、佐々木時信・小田時知の軍勢二千が合流する予定であった。
どうするか、このまま押し通るか。しかし敵は山岳戦に長けていると思われ、また佐々木道誉の動向も気になる。
佐々木清高と家臣を交えた評定では、佐々木・小田勢の合流を待って、番場を突破すべしとのことで一致を見た。
番場の関の二里ほど手前、蓮華寺まで進んで後続を待っていると、驚くべき報がもたらされた。佐々木時信・小田時知が宮方に投降したのだ。
増援の期待が無くなるばかりで無く、逆に佐々木・小田勢が追討の先鋒となって、押し寄せて来る可能性があった。
また、佐々木時信と佐々木道誉は同じ近江を所領としており、佐々木一族の中でも特に関係が深い。佐々木道誉も離反したと考えるべきであろう。
仲時は完全に進退窮まった。取り得る選択肢は一つしか残されていなかった。
その夜、仲時は顕家に謁見した。
仲時「貴殿にお願いがあって罷り越しました」
顕家は神妙な面持ちで聞いている。
仲時「我はここで腹を切ろうと思います。ついては、帝の京への帰還の護衛をお願いしたい」
顕家は言葉が無かった。沈黙が続く中、仲時が独り言のように言った。
「我は間違っていたのか」
「仲時殿は何も間違ってなどおりません。いつも誠実に事にあたっておられました」
仲時の表情が少し緩んだ。
仲時「貴殿は佐々木道誉とはすでに通じておられるのか」
咎めるような言いぶりでは無かった。最後に真実を知りたいのだ。
顕家「通じてはおりません。しかし番場へは進まず、この寺で待つよう申し入れがありました」
仲時「そうですか。ではじきに道誉の軍勢がここに来る。野伏せりに乱暴される心配はございませんな」
仲時が、今度は明らかな笑みを見せた。本心で安堵しているのが、顕家には分かった。
仲時「鎌倉も落ちるのでしょうか」
顕家「心配ですか」
仲時「父がおります」
仲時が遠い目をした。
仲時「父には武士としての心得を厳しく仕込まれました。感謝しかござらぬ。我の死を聞いて父はどう思うのか」
仲時の目が潤んだことに気付き、顕家は目を伏せた。
仲時「我が子、松寿はまだ三歳でしてな。我が父から教えられたようなことを、何もしてやれなかった。そのことが心残りでござる」
翌朝、仲時は本堂前に家臣を集めた。
「皆、武運も尽きた我に、武士の名誉を重んじてよくぞここまでついてきてくれた。恩返しをしたいところだが、今となってはそのすべが無い。せめて腹を切って皆の恩に報いたいと思う。この仲時、不肖の身なれど北条のはしくれ、敵は我が首に恩賞をかけているだろう。せめて我が首を差し出して罪を免れてくれ」
そう言うと仲時は、皆が刮目する中、静かに脇差しを抜き、自らの腹に突き立てた。仲時らしく、武士の見本とも言えるような、見事な切腹であった。
その場にいた家臣は「誰がそのようなことができようか」と次々と後を追って腹を切り、殉死者は五百と古今例を見ない集団自決となった。
顕家はその一部始終を呆然として見ていた。これは現実なのか。
仲時も、時益も、高家も、その家臣も、みな立派であった。何故死なねばならなかったのか。顕家は流れる涙を拭うことすら忘れていた。
京では、足利高氏の指示のもと、後醍醐帝を迎え入れる準備が大急ぎで進められていた。
仲時追討よりも、先ずは帝に帰京いただき、早期に官軍を発する必要がある。
新田も令旨を受けてはいるが、所詮は義勇兵である。帝の命で京から発する官軍とは重みが違う。
我が率いる官軍が鎌倉を落とすことで、源氏の棟梁が足利であることを確実にする。それが高氏の狙いであった。
だが、赤松勢が焼き払った御所を再建するのは簡単では無かった。
先ずは離れた場所に簡易の御座所を造り、船上山からお移りいただくことを考えたが、千種忠顕などは「船上山の御座所より見劣りするなど罷り成らん」と言って聞かない。
果ては公家の者共が、これを機にと自邸の再建も狙って、色々と口を挟んでくる。
師直は「焼け落ちた公家の館など接収してしまえば良いのだ」と言う。高氏も本音ではそうしたいところだが、高国は「短気を召されるな」と言う。
高国に言わせれば、全く利用価値の無さそうな公家でも、使いようによっては役に立つこともあると言う。高国はそういう才に長けている。鎌倉では何度も助けられた。
そうこうしているうちに、仲時が自刃したとの注進が入った。
後伏見上皇・花園上皇・光厳天皇、みな御無事で、近江の佐々木道誉の軍が護衛して帰京の途上であるという。
「あの道誉のことよ。何か考えがあるな」
高氏は道誉のことをよく知っている。道誉の出家する前の名も「高氏」と言い、同じように得宗・北条高時から高の字を授かったものである。
高氏より十歳ほど年上で、文武に秀でた切れ者である。歯に衣着せぬ物言いで、幕府内では煙たがれる存在である一方、能楽や連歌、華道、茶道に至るまで造詣深く、それらを通じて多くの人脈を持っている。高氏とも気の置けない関係であった。
それより高氏が気になったのは、帝とともに帰京してくる北畠顕家卿である。
大塔宮を通じて、楠木正成や赤松円心と近しく、一説では名和長高を動かしたのも、この若者だと言う。その上で、鎌倉幕府が担ぐ、花園上皇・光厳天皇からの信も厚い。
「麒麟児などと呼ばれても所詮は公家」と思っていたが、齢十六でこの輝きは尋常ではない。源氏の再興を図る上で鍵となる人物となるかもしれぬ。
高氏には予感があった。
〈第四章> いざ鎌倉 北条の落日
数日後、高氏のもとに届けられた注進は驚くべきものであった。
新田軍が、北条軍五万を武蔵国・分倍河原で破り、破竹の勢いで鎌倉へ進軍していると言う。
新田荘で旗揚げしたときは一千にも満たぬ寡兵であったが、小さな戦で勝利を重ねるうちに馳せ参じる者が増え、今では結城・三浦・千葉・桃井などの御家人も合流し、軍勢は六万余に膨れ上がっているらしい。
「ちっ」
舌打ちしながら高氏は新田義貞の事を思い出していた。
故郷である足利荘と新田荘が隣接していることもあり、若い頃はお互いの館を何度か訪ったことがある。「器は大きいが中身は空っぽ」というのが、義貞に対する高氏の印象である。
だが分倍河原では、一度負けたと見せかけて敵を油断させ、後方に伏兵を回り込ませた上で、前後から奇襲をかけ勝利したという。
「大きく打てば大きく響く男であったか」高氏は義貞という男を見直さざるを得なかった。
岩松経家の手引きで、千寿王を高氏の名代として新田軍に合流させていたのが唯一の救いである。
もはや鎌倉が落ちるのは時間の問題であろう。鎌倉で義貞が源氏の棟梁としての地位を確立しないようにすることが次善の策であった。
高氏は高国と謀り、側近の細川和氏(後の細川氏の祖)を急ぎ鎌倉に派遣した。
新田義貞は分倍河原を真っ直ぐ南下し、鎌倉の北西二里にある藤沢宿で一時進軍を止め、評定を開いていた。
弟の脇屋義助、大館宗氏・岩松経家・堀口貞満らの新田一門、そして結城宗広・三浦義勝・小山秀朝・千葉貞胤・桃井尚義・南部師行ら、幕府を見限って馳せ参じた御家人衆で、鎌倉攻めの陣構えを決めるのである。
鎌倉への攻め口は、極楽寺坂、化粧坂、山内路(亀ヶ谷坂・巨福呂坂)、朝比奈坂、名越坂、小坪坂の七口しかなく、いずれも狭い切通しで、大軍で攻め難い地形であった。
「これだけの大軍で攻めるには、七口に軍を分けるしかありますまい」
始めに口を開いたのは桃井尚義。配下の桃井直常・直信兄弟は、勇猛果敢な武将として知られている。
「軍を七手に分けると言うことで異論が無ければ、どのように軍を分けるか決めたい。方々の中で、どうしてもここを受け持ちたい、というような意見があればお聞きしたい」
脇屋義助が進行役である。
「皆の希望を聞いていては決まらんでしょう。大将の義貞殿が決められたら宜しい」
ひときわ野太い声は結城宗広、結城親光の父、広光・霞の祖父である。このとき既に六十五歳だが、その威勢に衰えはない。
大将・義貞に一任するとの裁定を受けて、義貞が示した陣立ては以下の通りであった。
極楽寺坂 ―大館宗氏・江田行義
化粧坂 ―脇屋義助・岩松経家・桃井尚義・南部師行
山内路(亀ヶ谷坂・巨福呂坂)―堀口貞満・大島義正・三浦義勝
朝比奈坂 ―千葉貞胤
名越坂 ―小山秀朝
小坪坂 ―結城宗広
義貞は後方の深沢に本陣を置いた。ここからならば、極楽寺坂、化粧坂、山内路(亀ヶ谷坂・巨福呂坂)で異変があれば、直ぐに駆けつけることができる。
これに対し、鎌倉方は大将・金沢貞将を化粧坂に、歴戦の勇将・大仏貞直を極楽寺坂に、執権・赤橋守時を山内路(亀ヶ谷坂・巨福呂坂)に配置した。
金沢貞将は、桂川で憤死した金沢貞冬の兄である。また北条仲時の父、北条基時も化粧坂の守備についていた。
鎌倉合戦は、山内路での矢合わせから始まった。
赤橋守時は、妹の登子とその子・千寿王(高氏の妻と嫡子)が脱出したことで、幕府を裏切ったのではないかとの疑いを晴らすため、優れて勇敢に戦い、新田勢を押しまくった。
これを機に各所で激戦が始まり、北条方は地の利を活かして巧みに寄せ手を切通しに誘い込み、頭上から石矢を浴びせる戦法で、戦いを有利に進めた。
新田勢の士気も高かったが、北条方の金沢貞将や大仏貞直の指揮は鮮やかで、数日の攻防の末、化粧坂では桃井尚義が、極楽寺坂では大館宗氏が討ち取られるに至った。
義貞は方面大将・大館宗氏を失った極楽寺坂の加勢に向かったが、一門でも屈指の驍将・宗氏でも落とせなかった堅塁は、やはり容易に崩せそうに無い。
何か打開策は無いか。義貞は副将の江田行義に、大館宗氏のとった軍略を尋ねた。
義貞は親子ほど年の離れた宗氏に幼い頃から可愛がられた。剣しか能が無く凡庸であった義貞を、宗氏は時に厳しく時に優しく鼓舞した。
知勇兼備のまことの武士と敬慕する宗氏が、無策に突撃を繰り返したとは思えない。宗氏の行動をたどることで何か糸口があるのではないかと考えたのである。
行義によれば、極楽寺坂突破を困難と見た宗氏は、霊山を挟んだ極楽寺坂の反対側、海沿いの稲村ヶ崎を抜けることを画策したが、潮が引いた時に岩場が現れるのみであり、兵馬を通すのは無理と断念したと言う。
この話を聞いた時、義貞の頭にひらめくものがあった。
翌朝、義貞は本陣の兵七千を全て稲村ヶ崎の浜辺に集めた。
「皆の者、よく聞いてくれ。専横を極めた北条は今まさに滅亡の時を迎えようとしている。最後に必死の抵抗をしているが、既にその運は尽きている。その証を今から見せよう」
義貞はそう言うと、愛刀・鬼切丸を中天にかかげ、静かにその剣先を海に向かって下ろした。
すると轟々という低い地響きのような音と共に、海の潮が引き始めた。稲村ヶ崎の岸壁に転がり、兵馬を阻んでいた大小の岩も、潮と共に沖合に流されていく。
月の玉は重力を操ることができた。
「おおっ」と言う兵のどよめきが、徐々に歓声に変わっていく。
「これで分かったであろう。我ら帝の軍隊には神仏の御加護がある。負けは無い。今こそ賊軍北条を滅ぼし、帝に源氏の力をお見せするのだ!」
自然と鬨の声が上がる。
「我に続けっ!」
義貞が先頭に立って駆け出すと、七千の兵すべてが雄叫びを発しながら、一塊となって稲村ヶ崎を走り抜けて行った。
極楽寺坂を守る幕府方の大将・大仏貞直は、武勇、知謀、経験値、全てにおいて北条随一の名将である。貞直は稲村ヶ崎から敵兵が侵入することも想定し、弓兵を乗せた小舟を千艘あまり海上に配置すると共に、浜辺にも逆茂木を並べて、守備兵を置いていた。しかし七千もの兵が突入してくるとは夢にも思っていない。また肝心の船団が義貞の起こした潮流によって沖に流されてしまい、海上と浜からの挟撃が出来なくなっていた。
義貞本軍は怒濤の勢いで浜の守備兵を蹴散らすと、坂の下を抜けて一気に極楽寺坂の背後を脅かすところまで進出した。
その報を聞いた大仏貞直は、瞬時に事の重大さを覚り、極楽寺坂に詰めていた兵八千のうち、五千を自ら率いて迎撃に向かい、両軍は由比ヶ浜で激突した。
新田勢の勢いは凄まじいものだった。しかしここを抜かれれば七口すべての背後を襲われ、幕府方は総崩れとなる。
大仏貞直も必死で兵を鼓舞し、押し戻そうとするが、兵数の差もあり、やはり徐々に耐え切れなくなってきた。
そこへ後方から怒号と共に、援軍が突撃してきた。北条基時隊二千である。同じく危急の報を聞き、化粧坂から駆けつけてきたのである。
これで勢力が拮抗し、由比ヶ浜は屍累々となる激闘となった。しかし徐々に急報を聞きつけた北条方の援軍が集まり始め、新田軍は鎌倉の内で囲まれる危険性が出てきた。
義貞「いかん。このままではまずい」
鎌倉内には七口に詰めていない待機兵がまだ大勢残っている。また沖に流された軍船もいずれ引き返して浜に上陸してくるだろう。時間と共に不利になることは目に見えていた。
「月」の力を使えば、眼前の敵兵全員を中空に持ち上げ、そのまま海に投げ飛ばすことも可能である。しかし帝から授かった力をそのような狼藉に使って良いとは思えない。義貞にとって帝や宮様とは、それほど崇高なものであった、
海沿いの一本道である。前を抜けないとなれば、来た道を返すしかない。
幸いまだ後方は塞がれていない。返すなら今である。
我の力があれば、何度でも稲村ヶ崎から侵入できる。だが名将・大仏貞直も守備を固めるだろう。この機を逃すことは痛かった。
その時、由比ヶ浜の反対側、東方向から整然と隊を成して、こちらに進んでくる一団があった。兵数は三千ほどと多い。
北条方の新手の援軍と見た義貞は、撤退を決意したが、近づいたその一団が上げた旗を見てその目を疑った。「右三つ巴」の旗、結城軍である。
結城軍がやにわに大音声をあげながら、敵の背後に突っ込んだ。
予期せぬ事態に、北条軍は大混乱に陥った。
狼狽する敵の真ん中を断ち割るようにして結城軍が新田軍に合流してきた。
宗広「切通しの守りが急に弱くなったと思ったら、こういうことでござったか。一番乗りを果たせずに残念じゃ」
義貞「侵入はしたものの囲まれて難渋しておった。助かり申した」
宗広がからからと大きな声で笑った。
「手前は名越坂の背後を襲いたいと存ずる。御大将よろしいか?」
「無論でござる。残りの五ヶ所は引き受けた」
「貞直殿、無念だがこれまででござる」
兵を引きながら北条基時が話しかけた。
貞直「手前は武に生きる者ゆえ、ここで死にます」
お互いに目礼をかわし、すれ違う。その時、思い出したように貞直が声をかけた。
貞直「京では仲時殿に世話になり申した。立派でござった」
仲時自刃の報はすでに鎌倉に届いていた。
基時「倅には運は自分で切り開くものと教えました。このような避けられぬ悲運でも、自分を責めたのでは無いかと」
「おそれながら」貞直が言葉を挟んだ。
貞直「仲時殿は生き切った。心残りはありますまい。あるとすれば、そのことを父上に伝えられなかったことのみでしょう」
基時は堪えきれずに口元を歪めると、それを覚られぬよう深々と頭を下げた。
「ありがとう」
貞直に言った言葉は、そのまま仲時に送った言葉でもあった。
義貞は宗広と約した極楽寺・化粧・亀ヶ谷・巨福呂・朝比奈、五ヶ所の背後を襲うため、素早く部署割りを行うと、進軍を命じた。
その時、江田行義が前方を指さした。
「あれを」
北条兵が鎌倉中心部の若宮大路方向へ撤退していく中、巌のように留まる隊があった。大仏貞直である。
北条兵の後を追って攻め入る新田兵の流れにも逆らいながら、義貞の本隊を目指してこちらへ向かって進んでくるのが見えた。
供回りの兵が、貞直の身代わりとなって次々に討たれていく。
ついには貞直一人となった。鬼の形相で前を塞ぐ兵を薙ぎ倒すが、槍を三本受けたところで力尽きて落馬した。
時間にしたら寸刻のことであったろう。だが義貞には長く感じられた。おそらく貞直にとってもそうだろう。
義貞はその現場を通り過ぎる際に目礼した。
「自分もこのように戦場で死にたいものだ」
自然とそう思わせる見事な最期であった。
鎌倉幕府は終焉の時を迎えようとしていた。
金沢貞将、赤橋守時は激闘の末、戦死。
七口すべてが破られ、新田方の兵が雪崩れ込んできた。
北条方の兵は、主だった館や寺に閉じ籠もったが、すでに勝負は決している。
主の自刃の時を稼ぐ事のみが目的となった。
ついに得宗・北条高時が一族の菩提寺・東勝寺で自決し、ここに北条一族は滅ぶ。
基時は普恩寺で切腹。御堂の柱には息子・仲時への思いが血で書き残されていた。
「まてしばし 死出の山辺の 旅の道 同じく越えて 浮世語らん」
(息子よ、しばし待ってくれ。あの世への旅の道は父子一緒に越えたいのだ。これまでのことを語り合いたいのだ)
こうして北条の世は終わった。
何故、北条は滅びなければならなかったのか。
多少の傲慢や搾取はあったかもしれない。
だが過去の政権に比べれば、ずっとましであった。
滅んだのは王の継承に首を突っ込んだからである。
しかし元はと言えば、大覚寺統(後醍醐天皇系)と持明院統(光厳天皇系)の対立を起こしたのは朝廷であった。
鎌倉幕府はそれを治めるべく両統迭立という妥協策をとっただけである。
北条は滅び、朝廷の内紛という火種は残った。
これが時を経て再び南北朝の争乱へと燃え広がっていったのである。
北畠顕家「龍の軌跡」は、この後、「飛翔編」へと続いていく