やぎのくに ⑤
今度は少女が少し面食らう番だった。けれど、それ以上に彼女の銀色の瞳には輝きが灯っている。
「知ってるのね!」
「知ってたさ。でも、僕たちは諦めて、受け入れてたから、言わなかったのさ。悪い仔なのさ」
少女は山羊の手を握ったまま、ぶんぶんと頭を振る。
「そんなことないわ!しってるって素晴らしいことだもの!」
少女の瞳の輝きが増す。未知の知識に触れるからなのか、彼女のその輝きは、今ここにない星空のようだった。山羊も、少女に引っ張られて、やや興奮気味になっているようだった。
「猫には九つの魂が宿っている、そんな話を聞いたことはあるかい?」
少女は目をまんまるにして首を小さく横に振る。「猫さんってすごいのね!」などと言いたいのを我慢して、山羊の話の続きを待っている、そんな感じだ。
「実は魂が複数宿っているのは猫だけじゃないのさ。僕ら、山羊もそうさ。僕たちは神様に昔、神様に生贄にされる生き物だったのさ。だから、魂を二つ持ってるのさ。魂を二つ持つのに必要だったのが、干し草なのさ」
少女は、やや興奮気味の山羊の手を放し、少し顎に手をあて、考える素振りを見せた。
「えっと……つまり山羊さんが二つ足で歩いているために干し草が必要っていうのは……」
「そうさ!魂が一つになってしまうと、二つ足で歩けなくなるのさ」
「それはわかったけれど……それと真珠を採るのと、どう関係があるのかしら?」
少女は思案顔のままだ。探偵物語に出てくる推理シーンを思わせる立ち姿だ。
「あの膜は、この国の最初の母山羊が作った魔除けのようなものなのさ。真珠を悪用されないためのね。あれには最初の母山羊の乳がつまっているのさ」
そうして、山羊は胸を張って高らかに宣言した。
「そこで僕の出番なのさ!最初の母山羊が作った魔除けだから、それはずっと昔のものさ!僕のもう一つの魂を贄に使って魔除けを取り除くのさ!」
それを聞いて、少女は不安そうな顔をする。彼女は困惑の表情を見せたのは、これが初めてだったかもしれない。
「でもそれって、山羊さんの魂がなくなっちゃって山羊さんが……それにそれを黒山羊さんに渡しちゃうのって、大丈夫なのかしら……」
しかし、山羊はその勢いを失わない。いつしか彼の大きな瞳は煌々《こうこう》としている。
「大丈夫さ!僕が使う魂は四本足になった時のためのものさ!君はそれくらい、僕に希望をくれたのさ!それに、最初の母山羊の乳には確かに大きな力が籠っているけれど、時間も経っているから、今はとてつもない旨味がつまっているくらいさ!これで黒山羊も満足さ!」
そう言われて、少女もどうやら覚悟を決めたようだった。
「わかったわ。山羊さんがそう言うなら、私、山羊さんを信じる!よろしくね!山羊さん!」
それを聞くと、山羊は鼻息荒く地面になにかしらを円形のようなものを書き始めた。
「それはなぁに?」
少女が興味深げに聞くと、
「魔除けを解くためのおまじないの準備みたいなものさー」
山羊は完全に興が乗っているようで、返答には鼻歌が混じっている。
「わたしはそのまま、また真珠をとりにいけばいいのね?」
少女がそう尋ねると、山羊はよくわからない模様らしきものを書きながら「そうさー」と答えた。模様らしきものを書き終わると、山羊はその中心に座り、何事かぶつぶつと唱え始める。少女はそれに合わせて沼に再び身を投じた。
少女がアコヤ貝に向けて泳いでいると、日光が差し込んでいる時のように、水中に光が侵入した。
山羊の声が断片的に聞こえてくる。どうやらまじないの言葉を唱えているようだ。
少女がアコヤ貝に辿り着いた、ちょうどその時、差し込んでいた光がアコヤ貝を包み込んだ。思わず、そのまぶしさに目を覆う。それは一瞬の出来事で、すぐにその光は胡散霧消した。少女が再び貝に手を伸ばすと、先ほどと同様に貝はその口を大きく開いた。中には変わらず、淡く薄青色に発光する三粒の真珠がある。
手を伸ばしてみる。
今度は何物にも阻まれることなく、少女の手は無事に真珠に届いた。
真珠のつるつるとした感触が少女の指先に伝わる。水の中にあるはずのそれらは、なぜか全て、不思議な温かみを持っていた。「光っているかしら?」そんなことを思いながら、それを一つずつ丁寧に愛おしげに腕に抱え、地上を目指す人魚姫のごとく、彼女は水面へとゆっくり上って行った。
沼からあがると、山羊が紅の瞳を輝かせながら少女を待っていた。
「山羊さーん!なんともない?だいじょうぶかしら?」
少女は真珠を落とさないように手を振って、少し心配そうに山羊の下へ駆け寄った。
「大丈夫さ!これで完璧さ!」大きな瞳を更に大きくして、それに答えた。
「ええ!黒山羊さんに真珠を渡しにいきましょう!」
そうして、二人は黒い沼を後にした。