やぎのくに ③
そこに生い茂っていた草は、少女が最初に降り立った場所にあったものより黒く、固く、高く、その様は来訪者を拒絶しているかのようだった。黒い森は闇と恐怖心を更に駆り立て、大きく手を広げた化物が包み込んでくるかのようだった。木の皺は怒りの表情にも見え、その口は裂けて笑っているように見えたかもしれない。
「めぇ、黒い沼の真珠は、これまでこの国で守られてきたものだ」
絡みつく草や蔦に悪戦苦闘しながら進む少女と、未だ少し震えながらついて行く山羊。
空では烏とも知れない鳥のようななにかが不可解な鳴き声で鳴き喚いている。
「それは、採ってはいけない、という意味じゃあない。黒山羊が提案したのだって意味があるだろうさ。採れるかどうかなんてわからない。採れないから言ってるのもしれない。それだってのにどうして君は黒山羊の意見を飲んだんだい?」
少女は歩を止め、山羊の方へと振り返る。くりっとした銀色の瞳と、紅い瞳が、互いを映し合っていた。その色は瞳の中同士で混じりあって、形容しがたい色に見える。
「私は黒い沼の真珠のことは知らないわ」
少女は断言し「だったらなぜ」と山羊が聞く暇も与えずに続けた。
「でも、あなたはすてきな山羊さんだもの!紅茶もとってもとってもおいしかったわ!ほんとうならそんな山羊さんがたくさんいるんでしょう?それが黒い沼の真珠を手に入れて、干し草が戻ってきて、みんなが元にもどるなら、それはもっとすてきでしょう?」
幼いが、毅然とした真っ直ぐな眼差し。
「……わかったよ、行こう。めぇ。沼はもう目と鼻の先だ。ただ、黒い沼の真珠を採りに行った山羊はこれまでにいないのさ。でも、君が採りにいくなら僕もついていくよ。めぇ」
そうして、少女と山羊は更に森の奥へと進んで行った。
昼とも夜ともつかない空は、星は見当たらず、相変わらず不思議な橙色が覆っていた。それは、昔、少女がどこかでみた室内に形作られた空を思わせたが、そんな記憶を一足で踏み越えて、彼女は先に進んだ。
森の中にある黒い沼は、そこだけが、なにかを避けたように開けていた。
黒い泥のような水が広がっているそこは、昔は湖だったのかもしれない。
その沼の周りに這い編まれたような黒い木々の蔦は、冠を思わせる。水中に生物の気配はまるでないが、蔦の冠から更に伸びた細い枝葉は沼の底まで広がっているかもしれず、もしそうだとしたら、本当に王冠をさかさまにしたような形だ。
少女は沼の淵までやってきて湖底を見透かそうとするが、黒い水は沼の名前をそのまま表したかのごとく、空も、山羊も、少女すらも映し出さない。
山羊が明らかに鬱屈したような顔で呟く。
「やっぱり、ここから真珠を採るなんて」
その時、ばしゃん、という大きな水音と共に黒い水が山羊の頬に跳ねた。
同時に隣りをみやれば、そこにあったはずの少女が消えている。山羊はなにが起こったかを一瞬で悟ったが、その場に立ち尽くしておろおろと狼狽することしかできなかった。