やぎのくに ②
黒い山羊は、草原を越えた、昏い森が続く奥の奥、山と言っていいのか丘といっていいのか、そんな場所にずんぐりと居座っていた。大きさは少女の何十倍にも見えた。
そこにあったのは、大きく毛むくじゃらの黒いなにかのようだった。彼女らを待っていたのか、あるいはただ、そこにうずくまっているかのように思えた。彼はその大きなヒヅメで、無造作に干し草を口に運び入れる。大きく尖った歯がぐしゃぐしゃと干し草を噛み切り、擦り潰す。彼が干し草を咀嚼すると、緑色のよだれが口の端からはみ出た干し草から、すぐ側にしたたり落ちた。
「なんだァ……?新しい玩具かなんかかァ……?」
彼の声が森の閉じた闇の中に反響する。
「違うわ!私はあなたに会いに来ただけよ!」
少女は、遠いであろう彼の耳に届くように声を張り上げる。彼女についてきた山羊はひたすらにおどおどしていた。
「お前が連れてきたのか……」
黒い山羊は一睨み入れると、
「んでェ……俺に会いにきて何の用だってんだいなァ……お嬢ちゃん」
「あなたが独り占めしている干し草のことよ!」
「これァ、俺のもんだァ……力のつええやつが一番いいモンを一番食べる。何の問題もないだろう?」
「でも、それでたくさんの山羊さんたちが干し草を食べられずに困っているわ!なにか他のもので満足できないの?」
黒い山羊は品定めをするような目で少女をじろじろと見た。
「……なんならお嬢ちゃん、お嬢ちゃんが干し草の代わりに食べられて見るかい?お嬢ちゃんの体なら、干し草五十年分は保つだろうさァ……」
「私はダメよ!だって、ロボットさんが私を待っているもの!」
少女が毅然として答えると、黒山羊はこらえきれずに大口を開けて笑った。
「かっかっか!場合によっちゃあ本当に食ってやろうと思ったが、そうしてまっすぐ断るってのは面白い!なんせ、俺の言葉に意見するやつなんざァいなかったからな」
すると、今まで少女の陰でびくびくとしていた山羊が、震える声でこう提案した。
「そ、それでは、あの、真珠なんかはいかがでしょうか。あれは干し草よりもよっぽど美味ですよ!」
「あら、山羊さん、心当たりがあったの?ずるいわ!私にも教えてくれればよかったのに!」
少女が頬を膨らせる後ろで、黒い山羊は顎にひづめを置いて少し考え、こう言った。
「真珠なァ……そいつはいいが、ただの真珠じゃァだめだ。黒い沼の底の真珠。あれがいい。あれはきっと泥の中で磨かれていて大層美味いだろう」
黒い山羊は緑色のよだれを、その大きなひづめで拭った。
「あいつは、あれだ。あー……まぁいい。黒い沼の底の真珠だ。それ以外は譲らねェ」
こうして、少女と山羊は、黒い山羊が住まう森から抜けてさらに草原を横断した先の、更に森の奥にある、黒い沼へ向かうことになった。