はなのくに ②
翌日の朝、少女と女王は向かい合って朝食を食べていた。空は今日も晴れ渡って、窓からは日光が差し込んでいた。少女の顔色は、あまり眠れなかったためか、はっきり言ってよいものではなかった。
朝食のメニューは、外はふわふわ、中はとろとろのパンケーキ。そこにホイップバターがのっかり、花の蜜から作ったというシロップがかかっている。
朝食の間、女王は少女にこの国について説明してくれた。
まず、この国は、成立した当初から歴代の女王が統治していたことや、天候が今のように晴天だけではなく、様々な天気が巡っていたこと。花と眠りの国であることはずっと変わらないが、ちゃんとバランスがとれていて、町の人々含め適度に幸せな夢を見られていたことなど、様々な話をしてくれた。だが、その話の中に、この国が抱えている問題の解決に繋がるとは思えなかった。
ほっぺたが落ちる程の美味しさは、その食事の間だけでも、悩みを消し去ってくれたような気がした。パンケーキに夢中になりすぎたのか、それともそうやって悩みを忘れ去ろうとしたからなのか、少女はパンケーキを喉に詰まらせてしまった。目を白黒させて小さな胸をとんとんと叩く。
「まぁたいへん!」
女王はそう言うと、駆け出し、コップのようなものを少女に差し出した。少女はその中身を喉へと流し込む。つかえたパンケーキが少女の中に押し込まれたところで、少女はふと違和感を覚えて、そのまま女王に尋ねた。
「これ、なにかの蜜とかかしら?後味が甘く感じるわ……」
「えぇ、これはね、花の蜜の中でもより薄い味のものなの。濃い味だとパンケーキと合わさって胸焼けしてしまうでしょう?本当はパンケーキと一緒に出すはずのものだったのだけれど、すっかり忘れていたわ。私も、あなたが急に現れたことで昨日から落ち着いていないのかもしれないわね。ごめんなさい」
少女の胸に、なにか、引っかかることがあった。
それは女王の言葉にでもなければ、ましてパンケーキでもない。そうではなくて……喉のこの辺りまでは出かかっているのに、と少女はパンケーキを無理やり流し込んでしまったことが間違いであったかのように錯覚してしまう。
不意に浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「女王さんはどうして眠らずに済んでるの?」
女王は困り顔で答えた。
「それがね、わからないの。歴代の女王から、私に受け継がれた女王の力なのか、このお城の力なのか、はたまたもっと別の力なのか……ごめんなさい。私の問題なのに」
「いいのよ!女王さんに起こしてもらわなかったら私、眠ったままだったかもしれないもの!」
まだ、引っかかりがあるが、その正体に気が付けない。
「さっきの飲み物、美味しかったわ。まだあるかしら」
「ええ、おかわりなら、一応」
そう答えた女王にまた違和感を覚える。
「あれはそんなに貴重なものなの?」
「確かに、貴重ではあるかもしれないわね、そんなに多く量が採れるわけではないし。普通の町民たちは飲む機会がないものでしょう」
もしかして、と少女は思った。本当に合っているかはわからない。わからないからこそ、ほどけたほつれを縫うように、一つ一つ確認していく。
「このお城で働いている人……例えばさっきパンケーキを運んでくれた人や、それを作ってくれた人はこれを飲んだりするのかしら」
「えぇ、まぁ確かにこのお城で働いている人には支給されたりはしているわね」
この思考が正しいかはわからない、それが解決の糸口になるならと、自分が今まで、山羊さんや青犬さんに力になってもらったように力になってもらったように、女王さんの力になれるならと、そう思ったから、思い切って言った。
「もしかしたら『水分』じゃないかしら」
「『水分』……?」
「女王さんやこのお城はその蜜に含まれる水を飲み続けていたから眠らずにすんだのよ。多分、だけれど……だから、きっとこの町に必要なのは水だわ!」
女王は可能性の光を見出した、ということに歓喜の表情を露わにした。
しかし、すぐにそれは暗い表情になって、ぺたり、とそこに座り込んでしまう。少女は慌てて女王に駆け寄る。
「ど、どうしたの?女王さん」
「だって……だって、それって、私たちがこの蜜を城の中で、言うなれば『独占』してしまったから起きてしまったことなんでしょう?私は女王失格だわ……自分たちのことを優先して、町の人を苦しめていたなんて……」
それに対して、少女は女王を励ました。女王の身体を優しく抱きしめる。
「確かに知ってるっていうのは素晴らしい事だわ。でも知らないことは仕方ないじゃない!そこから、どうしていくか、それが大事なのよ」
少女はあの山羊さんのことを思い出す。彼は知っていたから、行動できた。足りなかったのは、きっと勇気だとかそう呼ばれるものだ。女王さんは、こうして自分が知らなかったことを知った時、ちゃんとそれを省みて、嘆く感情を持っている。そうならば、事実を知ることのできた彼女は、きっと行動できる人物だと、だから自分は言うことができたのだと。
少女の思った通り、女王はすっくと立ち上がり、少女の方に向き直った。
「私は知ることができたもの。ここからなんとかしていきましょ!」
そう言うと、少女の手を握って、もう片方の手で顎に手を当てて考え始める。たぶんまだ少し不安や、自分に対する失意が残っているのだろう。
「この蜜自体はそんなに量が多いわけではないから、水として町のみんなに使う事はできないわね……そうなるとどうしてもちゃんとした水が必要だわ」
「水のある場所に心当たりはないの?」
女王は思案している。
「水……この国の中央部分にはないのは確かだけれど、水がある場所なんてあるのかしら。私がこの国をちゃんと全て把握しきっていれば……」
頭を抱える女王の横で、少女はふと思い当ったことがあった。
「私にも……できるかしら」
そう言うと、少女は懐から白藍色の水晶を取り出す。女王は不思議そうに水晶を見つめている。水晶に力を込める。赤の魔女の魔力が残っていたのか、はたまた少女の力なのか、水晶は裁判所の時と同じように、城の壁に映像を映し出した。そこに映し出されていたのは大きな湖だった。
「あったわ!この国には湖が、水があるのよ!」
女王は映像をまじまじと見つめて、その場所がどこなのかを把握したようだった。その場所を少女に告げる。
「これは……たぶん山の向こうにある場所ですね。こんなところに湖ができていたなんて……」
「じゃあそこから水を運びましょ!」
そう言ってから、ふと彼女の頭に疑問が過る。
「そんなにたくさんの水を運ぶ手段があるの?」
女王はここぞとばかりにその小さな胸を張った。
「そこは花の国の女王である私に任せて!湖くらいまでの距離なら、それを吸い上げる『根っこ』を持っていくことができるわ!」
「じゃあ、わたしがその根っこを湖まで持っていけばいいのね?」
意気込む少女を、女王は手で制する。
「いいえ、いいえ、今回の問題は全て私の落ち度です。私が直接その湖まで行きます!あなたはここで待っていていいのよ。ゆっくりしてて」
「いいえ!わたしも行くわ!わたしがここに来たのにも意味があるはずだもの。わたしたちの顔が似ている理由にもきっと……それにわたしのこころが言ってるの。女王さんの力になりたい、って。だからついて行かせて!」
鼻息荒く、真っ直ぐに瞳を向けてくる少女。しかし、その瞬間、少女はふっとバランスを崩したように倒れてしまった。
「あ、あれ、なんで……」
女王は深刻そうな顔をして、少女を見やる。それは「気が付いてしまった」という顔だ。
「きっと、濃淡のまだら模様のせい……あれは、私たちだから耐えられた。でもあなたは体の作りが違う」
見てみれば、濃淡のまだら模様は色が薄くなってはいるものの、その範囲を広げている。
少女は身体に力が入らず、急速に気分が悪くなってくる。腕から全身に波及するように、痛みが走っていくのも自覚した。
「……やっぱり、私一人で行くわ。あなたはゆっくり休んでで」
そう言うと、女王は少女の世話を周りの人に言いつけ、旅路についた。