おおかみのくに⑥
まもなく午後六時の鐘が鳴ろうとしていた。少女は、青犬に連行されて、裁判所にやってきた。ロープでしっかりと縛られて、引き連れられるままに裁判所に入っていく。裁判所の中は相変わらずで、高級そうな木材で出来ている裁判官席に裁判長である青い大狼がふんぞり返っている。傍聴席には、この事件の結末を見届けたいのか、耳や、牙など体の大部分は青犬だが、肩口から先や、鼻や口など、一部が人間である奇妙な存在がひしめいていた。
青犬と二人きりでやってきた少女を見て、裁判長は少女を馬鹿にしたように笑う。
少女があの時座っていた被告人席にあたる場所には件の二匹の犬がそのまま座ってニヤニヤしていた。弁護人席に相当する場所には誰もいないが、検察官席には片目が傷で閉じている青犬がいて、相も変わらず少女を睨めつけている。
「お前と青犬しかそこにいない、ということは『本物の魔女』はみつからなかった。そういうことだな?」
少女は黙っている。青犬も下を向いていた。
大狼はふふんと満足そうに鼻で笑って、
「やはり、いない者など見つけられるはずもなかったな。では、判決通りお前は火あぶりだ」
そこで少女はぱっと顔を上げた。その表情は明るい笑顔だ。よく見れば、青犬も下を向いてにんまりと笑っている。
「いいえ、見つけたわ。そうでしょう、魔女さん?」
そう言って少女が顔を向けた先、空っぽだった弁護側の席にはいつのまにか一人の女性が澄まし顔で立っていた。
「こんにちは。大狼さん。私は『赤の魔女』。そう、あなたが探せと言った『本物の魔女』ですわ」
そう告げると、赤の魔女はどこから出したのか、優雅にティーポットからティーカップへ紅茶を注ぎ、口をつけた。
「お前が『本物の魔女』だという証拠がどこにある!」
「あらあら、賢明な裁判長さんらしくもない。普通の人間がここに突然現れることができて?魔法が信じられないならこの紅茶でも飲んでみるかしら?」
今度は魔女が大狼を鼻で笑ってみせて、ぱちん、と指を鳴らすと大狼の前に紅茶の入ったマグカップが現れた。
「馬鹿な!魔女は昔処刑されたはずだ!」
傍聴席もざわめく。
「そうだ!魔女はもういないはずだ!」「そうだ処刑された」「今頃どうして?」
そのまま、ヒールをコツコツと鳴らして被告人席に歩み寄る。
「そうね、私が処刑されたのはいつくらいだったかしら。結構昔だから大狼さんとは初めましてになるのかしら?」
そうして、少女の近くまで行くと
「さて、このかわいらしいお嬢ちゃんが魔女かどうか、だったかしら?」
そう言って満面の笑顔を見せた。
「そ、そうだ。その少女は魔女のはずだ!突然この世界に現れた!お前と同じだ!それが何よりの証拠だ!」
大狼が威勢を取り戻そうと身を乗り出し、魔女を威嚇するように言う。しかし魔女はひるまない。
「確かに私は魔法の力でこの世界に渡り歩いてきた。それは認めますわ。でもこの少女は違う。この子の力は魔法とは全く異なるもの。例えるなら、水の中をたゆたう葉のようなもの。魔法とは全く違うものですわ」
大狼は勢いを削がれて「そ、そうなのか」と答えるほかなかった。
「で、どうするのかしら?この少女は魔女ではなかったのですから、彼女は解放せざるを得ませんわねぇ」
狼は完全に魔女の言葉に飲まれてしまっている。まるで彼女の言の葉に魅了されてしまっているかのように。しかし、ハッと我に返ったようになって、再びその顔に傲岸な笑みを浮かべた。
「そうだ、確かにその少女は魔女ではない。それは認めよう。だが言ったな、お前は『魔女』だと。ならば、お前は火あぶりだ!」
傍聴席からも、思い出したように声が上がる。
「火あぶりだ!」「火あぶりだ!」「火あぶりだ!」「火あぶりだ!」「火あぶりだ!」
魔女はくるりと傍聴席に向き直ると、溢れかえる大声に負けないくらい通った声で
「あなたたちも、大狼さんの言いなりで、本当にいいのかしら、例えば、大狼さんのこんな一面を知っても?」
そう言うと魔女は、掌を傍聴席に向かってかざす。そうすると、掌の上にすっと白藍色の水晶が現れた。思わず傍聴席はシンと黙り込んでしまう。魔女が艶っぽく笑うと、水晶から光が放たれ、裁判所の壁に映像が映し出された。
そこには一匹の獣が映っている。それは今まさに裁判官席に座っている裁判長だった。今着ている立派な法衣ではなく、ラフな服装をして柔らかそうなリクライニングチェアに腰かけた彼は大声で笑う。
「ガッハッハ!人生薔薇色とはまさにこのことだな!富や権力を握るのは我々青犬や大狼だけでいいのだ!あの忌まわしい混血児どもは血を流して働き、そいつらが生み出した金で俺はこうして楽に幸せな生活ができる!なんて素晴らしいんだ!」
大狼は、そう言うと、側に置いてあったステーキ肉を口にほおばった。
そこで映像はぷつり、と途切れた。
「大狼さんはあなたたちのことを、こーんな風に思ってるみたいですけど?」
そこからはもう止まらなかった。傍聴席を乗り越え、柵を踏み倒し、静止しようとする青犬たちを押しのけて裁判官席に迫る人々。
「そいつをそこから降ろせ!」「ふざけるな!」「俺たちは家畜じゃないんだぞ!」「お前を火あぶりにしてやる」「処刑だ!」「処刑しろ!」
口々に、皆は重いの丈を叫びながら、ついにその手は高い場所にあった裁判官席の大狼の法衣に手が届き、揉みくちゃにされる。
「ま、まて!まて!まってくれ!あいつは魔女だぞ!魔女のいう事を信じるのか!」
大狼はわめくが、民衆たちは止まらない。
「ええい!青犬!何をしている!魔女をとらえろ!火あぶりだ!」
それでも大狼はそう叫ぶ。
「あら、それは御免被りますわ」
そう言うと、魔女は水晶を持っていない方の掌の方にふっと息を吹きかける。
そうすると、その小さな息吹はたちまち竜巻に成長した。竜巻は青犬を、大狼を、裁判所全てをしっちゃかめっちゃかにする。ただ、台風の目、というべきか、魔女の立っている場所、つまり少女と彼女を連れた青犬がいる場所だけは、なにかに守られているように無事だった。
トドメに魔女は、
「では、ごめんあそばせ」
そう言って手をひらめかせると、裁判長の手から離れていた木槌が裁判長の側頭部に綺麗に直撃した。「コーン!」という小気味のいい音が響き渡る。そうして竜巻が消える頃には、魔女、少女、そして彼女を連れた青犬の姿はなかった。
残されたのは、竜巻の中で絡み合うようにして転んでしまった二匹の青犬と、大狼の取り巻き、そしてバリバリに破けた法衣を着たまま、木槌を喰らって呆然とした大狼。そして、未だ口々に文句を言いながら竜巻にも負けず彼に群がる民衆たちだった。